14-26 色欲の王冠
鋼線令嬢、エリーゼ・シュバルツ――――。
シュバルツ家、第3階梯の使い手である。並の上級魔導兵では太刀打ちできず、複数名をまとめて葬り去ることができるほどの、飛び抜けた戦闘能力を有している。アーク全土に名を馳せるほどの実力者であり、決して有象無象の戦士ではない。
戦闘を開始して間もなく。
そんなエリーゼは、自分が雨宮ケイに遠く及ばないことを確信する。
「見えません……!」
主君である淫乱卿、四条院アキラに向かって駆け出す雨宮ケイを止めようと、エリーは鋼線の網を展開して防御柵を展開した。だが、その網は瞬く間に、剣によって切り裂かれ、容易に突破されてしまう。しかも、その時のケイの動作は、肉眼で追いかけきることができなかった。
エリーが見失ったケイは、一瞬でアキラの目前に迫り終えており、2人は互いの剣をぶつけ合っている。あまりにも人間離れしているケイと企業国王の攻防に、エリーはまるでついていけなかった。
「お2人の動作が、目で追えません。この超スピードは、お父様と同じ。いいえ、もしかしたら……それ以上かもしれません。見たところ、左腕を失って、手負いの様子のケイ様にさえ、私はついていけないというのですか……!」
格が違うという程度の差ではない。
今のケイとエリーの間には、天と地ほどの実力差がある。
アキラから離れ、ケイは間合いを空ける。それをチャンスと見たエリーは、主君の戦いを有利にしようと、再び鋼線の網を周囲へ展開した。ケイとアキラの間に展開することで、ケイが移動できる経路を限定しようとしたのだ。ケイの攻撃が来る方角を絞ることができれば、その分、アキラはケイの攻撃を避けやすくなる。
だが、駆け出したケイは、エリーが展開した鋼線の網に怯むことさえない。
そんなもの脅威ではなく、障害物として機能していないのと同じ。
まるで阻むものなど何もないように、ケイは鋼線をすり抜け、再びアキラと斬り結び始めた。
「くっ……鋼線が……! もはや私では足止めすらできないなんて……“次元”が違いすぎます……!」
数瞬だけ。
エリーがケイの姿を肉眼で捉えられるのは、刹那の間だけだ。
その姿が……かつて自分が、戦い方を教えてやっていた時の、初々しいケイの姿と重なった。
「アデル様をお守りするため、強くなるのだと懸命に剣を振って、私に立ち向かってきた、あのケイ様が……本当に、お強くなられましたね……!」
クラーク姉妹と並び立ち、格上であるエリーに挑んできた時の、懐かしい姿が見えた。慣れない手つきで剣を振り回し、エリーへ立ち向かってきた、あの頃の雨宮ケイの姿はどこにもない。今では逆に、エリーの方が、格上のケイへ立ち向かう構図になってしまっている。
ケイの行動速度についていけず、翻弄されているエリーを、アキラは疎ましく感じた。
「邪魔だ、エリー!」
「アキラ様」
悲しげな顔をするエリーへ、アキラは冷酷に告げた。
「この戦いについてこられないのなら、足手まといだ。決着がつくまで、後方で控えていろ」
ケイとエリーの力量差は明確。
戦況分析に長けているエリーは、即座に「勝ち目がない」ことを理解していた。
だからこそ、アキラの言葉に従わざるを得ない。
「……お力になれず、申し訳ございません、アキラ様」
エリーは後方に跳躍し、即座に前線から離れた。
すると必然的に、ケイとアキラの、1対1の睨み合いになる。
トゲのある物言いをするアキラに、ケイは苦言を口にした。
「……キツい言い草だ。エリーは、お前の力になろうと、必死に戦ってくれているだろう。こうして、お前の精神がどうにかなってしまった今も……ついてきてくれている味方に対する態度かよ」
「フッ。お前から2年の時間を奪い、その計略の中心に参加していた女だぞ。殺し合いの最中、そんなヤツに気を遣ってやるとは、ずいぶんとお優しいことだ。それとも、他人の悪意に鈍感すぎるのか?」
「お前…………ずいぶんと変わったな」
「変えたのは、お前とアデルだろう」
歯ぎしりをし、アキラは憎々しげに続けた。
「お前たちさえ現れなければ……父上や兄上がおかしくなることはなかった。俺の愛したアークの、美しい景色や、帝国の秩序が、乱れることだってなかった。お前たちは、自分たちの願いだけを通して、その他の何もかもを否定し、ぶち壊したじゃないか! 俺の日常や未来だけじゃない。この世界に不和と滅亡を招いた張本人が、いい加減に、他人事のような口ぶりはやめろ! この“罪人”め!」
ケイへ対する、露骨な憎悪。
だがその眼差しの奥には、深い悲しみのようなものが見えた気がした。
「そうか……」
思わず呟く。ようやく、アキラの真意がわかった気がしたのだ。
ケイやアデルに対する憧れが、いつしか逆恨みに変わり、その私怨によって突き動かされている。最初、アキラはそうした私的な怒りに胸を焦がす、冷静さを欠いた暴君のように思えていた。だが、もしかしたら……ケイを憎む理由は、それだけではない。
四条院コウスケ。
四条院キョウヤ。
ケイが戦い、打ち破ってきた悪人たちは、いずれもアキラにとっては“家族”だったのだ。どれだけ残忍で、どれだけ歪んでいたとしても。彼等との日々が、アキラにとっては守るべき日常だったのではないだろうか。その家族間に不和をもたらし、引き裂く結果になったのは、アキラからすれば、ケイのせいだ。
家族を奪われた怒り。
アキラがケイに抱く憎悪の正体がそれだとすれば、恨まれるのは無理もない。
「お前がおかしくなった本当の理由は、オレのせいでお前の家族が――――」
「わかったような口で、俺のことを憐れむなああ!!」
怒るアキラの頭上で、赤い、無数の小さな発光現象が生じる。光の1つ1つが、見る見る間に大小様々な菱形へ成形されていき、それが連なって、輪の形を成していく。
「――――色欲の王冠」
「!」
それはかつて、アキラの父親が戴冠していた王冠だ。
淫乱卿を継いだ今のアキラなら、当然、それを使えるのだろう。
だが、父親の時よりも数段、禍々しく力強い、赤い光のオーラを放っている。
「父上と対決した時には、この王冠の権能を使われることはなかったはずだろう? 運が良かったな、雨宮ケイ。そのおかげで、お前は今日まで生き延びることができた」
アキラは手にした剣が、王冠の輝きと同じ、不気味な赤の光に覆われていく。まるで原始の剣を思わせる、赤い剣だ。
「我が権能は――――“高揚”!」
剣を頭上へ掲げ、アキラはそれを振り下ろした。
ケイとの間合いは、だいぶ離れている。
その一撃は空振りであり、虚空を斬るだけの無意味な一振りだった。
そのはずだった。
「!?」
思わず吐きそうなほどの怖気がこみ上げる。全身の産毛が、総立ちするのを感じた。本能が、全力で危険を警告している。堪らず、ケイはその場から飛び去り、アキラの一振りの軌道から逃れた。
直後、重たい地響きがする。
一瞬、空気が揺らめいたように見えた後、アキラの立ち位置から一直線に、アスファルトの大地が深々と切り裂かれ、遠く向こうの都市外壁までをも両断して見せた。
「今のは……真空波!?」
アキラの振った剣の刃から、巨大な真空波が生じたのだ。それによって、ケイが先ほどまで立っていた空間もろとも、見えない刃が、軌道上の何もかもを切り裂いたのである。
以前に剣聖が、剣圧という、似たような技術で、硬質な壁を切り裂いて見せたことがあったのを思い出す。魔術を使わず、鍛錬によって至った剣の技のみによって、真空を生み出し、近距離のものを引き裂くのだ。ただ、剣聖の技と原理が同じだったとしても、たった今、アキラが繰り出した技は、剣聖の比ではない大規模な破壊を生み出している。
「これが四条院家の王冠が与える、理外の力。肉体や物質を、その限界を超えて異常強化できる!」
「上限のない強化をかけられるっていうのか。今の一撃……まるで設計者マティアの破壊力にソックリだ……!」
もしもアキラの攻撃能力が、設計者と同等であるのなら……。
かつて、その一撃を受け止めたことのあるケイになら、どれほどのダメージがあるか、予想がつく。たとえ強固な天狼星の鎧によって、表面上は身を守れたとしても、鎧の内部への強烈な衝撃が、肉体を砕くだろう。アルテミアとの戦いで左腕を失い、獣狩りの効力によって、簡単には癒えない傷を負っている今のケイでは、マティアと同等の一撃を受け止められる自信はない。
「直撃には、耐えられないかもな……!」
「強化できるのは攻撃能力だけじゃない! 身体能力もだぞ!」
「!」
アキラの姿が、ケイの視界から消える。
正確には、ケイの目でも追いかけきれないほどの速度で、アキラが動き出したのだ。
目で姿は追えなくとも、気配で大まかな位置はつかめた。
かろうじて反応が間に合い、ケイはアキラの一撃を剣の腹で受け止めた。
「があっ!」
案の定、すさまじい威力。マティアほどではないが、マティアの時に匹敵する衝撃が、ケイの身体を横殴りにする。刃を打ち付けられたというのに、鈍器で殴られるような鈍い音と共に、ケイは吹き飛ばされた。周囲のビルディングを3枚抜きにし、気がつけば身体が建物の壁面にめり込んでいた。
吐血。
臓器を揺らされる破壊力に、目が回った。
「本気で……設計者に近しい威力と速度かよ……!」
力も、速さも、ケイを上回っている。
手負いの状態でなくても、十分に驚異的な相手だっただろう。
もしかしたなら、アルテミアより強敵かもしれない。
「四条院アキラ……こんなに強かったのか……!」
誰しもが、今の淫乱卿の実力を測り切れていなかった。




