14-24 幼馴染
燃えさかる刃が切り裂く、白霧の人影。
炎が霧に触れるたび、それが引き金となって、強烈な爆発が生じる。
無形氷竜は、自身の身体構造を変化させ、炎の接触によって起爆する水蒸気の塊と化していた。炎の刀による激しい攻めに対して、ドラゴンは爆発のカウンター攻撃を浴びせ続ける。常人であれば、そのカウンターの1つで即死して消え去るに十分な威力だ。だがアルテミアは、その爆発に怯みさえせず、正面から飛び込んで、ひたすらに攻撃を繰り出し続けていた。
「小規模な水蒸気爆発によるカウンター。どうにも理外の特性を有するようじゃのう。妾の遅効装甲を貫いて、殴られた程度には、ダメージが入ってくるか」
唇の端から血の筋を垂らしながら、アルテミアは不敵に笑んだ。
「しかして、妾の永炎の刀とて理外の武器。水さえ焼き尽くす一撃の1つ1つは、着実に積もり、ソナタの身体を焼いているようじゃな」
実体がない白霧の人影は、いくら斬れども手応えなどない。だがアルテミアの刃に灯る炎は、僅かずつながら、ドラゴンの霧の身体に引火しており、徐々にその姿を萎ませ、小さくしていた。
「妾が爆発の痛みに根をあげるか。ソナタが先に燃え尽きるか。我慢比べといったところか。クク」
真正面から殴り合うような攻防。だがアルテミアの予想とは裏腹に、無形氷竜は早々に根負けをする。端々から燃焼していく自身の、霧の身体。それに痛みを感じているのか、悲鳴のような雄叫びを上げ、たまらずアルテミアから逃げ出すように距離を空けた。
「――――スリルが足りぬなあ」
遠ざかろうとするドラゴンの背に、アルテミアは炎をまとった斬撃を飛ばす。その火は、無形氷竜の背後から覆い被さるようにして浴びせかけられ、地上で交戦していた四条院の騎士たちや、周囲の建物ごと焼いた。阿鼻叫喚の悲鳴を冷ややかに見下ろし、アルテミアは言った。
「不思議じゃのう……。妾に対して殺傷能力を有しているケモノよりも、妾を傷つける術さえ持たずに立ち塞がった馬鹿者の方が、よほど戦慄させられたのだから」
その理由なら、少なからず推測できている。
こうして相対しているケモノは、持ち合わせていないのだ。
戦いの最中、雨宮ケイがアルテミアに向けてきた、鬼気迫る眼光――――不屈の闘志。
どんなに自身が不利であろうと。どんなに勝ち目などなくとも。
意思だけで食らいつき、喉笛を噛みちぎってくるような気迫。
絶対に譲れないものを内に秘め、次に何をしでかすかわからない狂気。
圧倒的な絶望を叩きつけてやろうとも、決して挫けさせられないであろう、勇気。
それらが、ないのだ。
「所詮はケモノ風情。ソナタは、妾を脅かすには足らぬ器のようじゃ。そのまま燃え尽きるが良い」
全身を炎に包まれた霧の人影。四条院アキラが飼い慣らす、絶対無敵の、恐怖の象徴たる生物兵器。アルトローゼ王国騎士団の大半を殺傷した怪物の、そのあまりにも無様な最期に、アルテミアは辟易する気分だった。
「――――酷いことをするわね、アル」
「……!」
白霧の人影は、今や炎をまとった紅蓮の人影と化している。
そんな燃えさかるドラゴンから、予期せず“人の声”が聞こえてきた。
女の声。しかも若い、少女のような声色だ。
「ケモノが……喋れたのか?」
そのことよりも気になるのは、無形氷竜が発した言葉の意味の方だ。
アルテミアのことを、親しみを込めて“アル”と呼んだように聞こえた。
先ほどまで悲鳴のような声を上げていた無形氷竜が、急に人のような知性を持ってしゃべり始めた。これまでは苦しむ演技をしていたとでもいうのだろうか。事実、ドラゴンは全身を炎に包まれたまま、腰に手を当てるポーズを取って、虚空に静止している。まるで痛みから解放された、余裕の態度を感じさせられた。
無形氷竜は肩をすくめるジェスチャーで、アルテミアに語りかけてきた。
「ケモノ呼ばわりは、つれないんじゃない? あのグレインの貧民街で、一緒に過ごした仲じゃない」
そのセリフと共に、忽然と炎が掻き消える。
ありえないことだった。アルテミアの王冠の力、永炎の刀の炎は、アルテミアが許可しない限り、自然に消えることなどないはずなのだ。刃を振るう者の意思によって、燃やしたいモノを、燃やし尽くす力。それこそが企業国王の権能である。
炎のベールが掻き消え、現れたのは白霧の人影ではない。
青髪の少女だ。
キャスケット帽を目深にかぶっている。少し吊り目であり、ボーイッシュな面立ちをしていた。ホットパンツにサスペンダーといった服装であることからも、遠目に見れば少年のように見える。だが四肢の線の細さや、ヒップの丸みは、少女そのものだった。
「…………バカな」
天才であるアルテミアにとって、この世で起きる出来事の多くは、事前に推測が可能なものだ。それ故に、完全な想定外という事態は滅多に起きることがない。だが目の前に現れた少女のことについては別だ。
想定外であり、心底から驚いていた。
「久しぶり。こうして人の姿で会うのは、何年ぶりなのかな?」
かぶった帽子のツバの位置を正しながら、青髪の少女は独り言のように続けた。
「もっとも。こっちの方は、アンタの乞食時代からずっと、アンタのことを見守っていたんだけどね。いやいや、さすがは真王様が最高傑作というだけのことはある。特殊実験個体なだけはあるか。当初、予定していたよりも有望なゲノムに育ってくれたみたい。まさかアークを揺るがす暴君にまで出世するとは、アンタの“指導役”だったアタシも、鼻が高いわ」
青髪の少女の言葉が、うまく頭に入ってこない。
何を言われているのか、咀嚼できないほどに、アルテミアの心情は揺らいでいた。
「…………ウソだ」
アルテミアは力なく、両肩をダラリと下げて、ぼやいた。
その表情からは、完全に血の気が失せてしまっている。
「あの街で、死んだはずでしょ、ユダ姉……?」
「肉体の死に意味はないんだよ、アル。だって、アタシは“設計者”だもの」
ユダと呼ばれた少女は、小馬鹿にしたように微笑み、小さな舌を出す。
そして、キャスケット帽を取って見せた。
露わになった側頭部には、青ざめた群青色の花が一輪、咲いていた。