14-20 第4518実験計画
時の魔眼のデータを移植されたことによって、完成したカースグリフの槍。
その矛先を、触手によって奪い取ったのは、妻川ミズキである。
この宝物庫へ至るまでの道のりで、グラハムをはじめとした、王宮の警備兵と遭遇することは当然、予測していることだった。だが、この王宮の警備が手薄になる原因でもある、国へ攻め入ってきている異常存在の軍勢の将が、最後の最後に単独で姿を見せることは想定外だ。
――――しかも、なぜ槍を奪うのか。
レジスタンスの面々が、最大限の警戒をミズキへ向けながら、わめき立てた。
「魔国パルミラの、異常存在たちを引き連れてきた指揮官の女だと!?」
「まさか、完成したカースグリフの槍を、横取りするつもりだったのか?!」
「その前にまず、どうやって、この仮想世界側のレルムガルズへ侵入してきた……!」
誰かが発言した、最後の疑問に応えたのは、ジェシカだった。
冷や汗をかきながら、苦々しい顔をしている。
「実力に違いないわ。だってあの子……世界中の白石塔を同時壊滅させた“感染能力者”なのよ。真正面から、このレルムガルズの防御障壁を突破するほどの、EDEN干渉能力を持っているんだから、ここへ単独で潜入してくるのだって、容易かったはず……!」
思わず、ミズキの傍へ駆け寄ろうと身を乗り出すトウゴ。
だが、その肩をレオが掴んで制止する。
「迂闊に飛び込むな、トウゴ」
「今さら止めてくれんなよ、レオ。俺はミズキを……元の人間に戻してやらなきゃならないんだ……! 時間を操るというカースグリフの槍の力があれば、ミズキを人間だった頃の時間まで、戻してやることができるかもしれないだろ。そのために俺は遠路はるばる、死ぬような思いをして、ここまでやって来たんだぜ……!」
「……!」
ようやく、トウゴの真の目的を聞かされたレオは、少しだけ驚いた。
カースグリフの槍とは、レルムガルズの国宝であり、魔人族が設計者たちへ立ち向かうための唯一の秘密兵器だ。本来であれば、他種族である人間の、個人的な理由で使用を許容できる代物ではない。
だがそれでも、ここまで互いに戦ってきた仲間への敬意の気持ちが芽生えている。
トウゴの願いを否定することはせず、ただレオは言い聞かせた。
「槍の力で彼女のことを人間に戻そうと……そういうことだったのか。けれど、ここは冷静になれ。今の彼女は、友好的ではないんだろう。完成した最悪の情報兵器が、その手に握られているんだぞ。つまり俺たちの生殺与奪は今、完全に向こう側に握られてしまっている」
「くっ……!」
レオに言われなくても、状況ならわかっているつもりだった。だがそれでも、トウゴの気持ちは焦ってしまう。なぜなら、ミズキを元の人間に戻せるかもしれない力と、ミズキ自身が、偶然にもこの場で揃っているのだ。あとはトウゴが、上手く立ち振る舞うことさえできれば、現状を覆すことができるかもしれない。その期待を、押し殺しておけないのである。
露骨に冷静さを欠いているトウゴに注意しながら、レオは続けた。
「知ってか知らずか、なのか。……いいや、違うな。トウゴが槍を完成させるのを、まるで待ち構えていたような、このタイミングでの横取りなんだ。当然、レルムガルズの秘密兵器、カースグリフの槍の存在は、最初から知っていたんだろう。物理世界ではローガ王との戦いを繰り広げているところのはずなのに、その最中、どさくさに紛れて、この仮想世界の王宮に忍び込んでいる。しかも、よりにもよって、この宝物庫へピンポイントで姿を見せたんだ。偶然じゃない。……槍を奪える瞬間を、狙っていたのか?」
レオの推察を聞いたトウゴは、疑念を挟む。
「どうしてミズキが、カースグリフの槍を奪うために、この王宮へ忍び込む必要があんだよ……!」
「あるいは……最初から槍の奪取こそが、魔国パルミラがレルムガルズへ攻め入ってきた理由だったのか、だ」
「!?」
「わけもわからず、レルムガルズはバケモノたちに侵攻されている。奴等の思惑が何なのか不明だったが、その理由が今、ようやくわかったように思えるとも。狙いは俺たちと同じだったんだ。槍を手に入れたかったんじゃないのか……!」
トウゴとレオの会話が聞こえていたのだろう。
らしからぬ表情で、ニヤリとミズキが笑んで見せた。
「――――頭の回転が速いのですね。魔人族の者」
これまでずっと無言を貫いてきたミズキが、唐突に語りかけてきた。
それに驚き、トウゴたちは目を丸くする。
「ミズキ……話せたのか……?」
「残念ながら、今の私は妻川ミズキではありませんよ、峰御トウゴ」
カースグリフの槍の矛先を手に提げたまま、ミズキは嘲笑を浮かべていた。
まるで他者を下に見るような、当人とは思えない態度である。
知っている少女とかけ離れた印象。
トウゴは察しが付いてしまった。
「テメエ……。まさか、バフェルトかよ……!」
「正解」
下卑た微笑みを浮かべ、ミズキは肯定する。
元バフェルト企業国を治めていた企業国王、コーネリア・バフェルト。空が落ちた日以来、自国領土に残る人間種を、異常存在へと変貌させていき、ついには魔国パルミラという怪物たちの王国を創った。蝿の頭を有する異形の女性である。
バフェルトはミズキの身体を通じて、ミズキの声で語りかけてくる。
「粗暴で思慮の浅いテロリストだと聞いていましたが、少しばかりの知恵はあったようですね。その通り。あなたたちがこうして目撃している妻川ミズキは、私の意思によって遠隔操作されている人形。私の意思と言葉を、そちらへ伝達するための道具」
「ミズキの身体を、操り人形にしてるって言ってやがんのか……許せねえ! テメエ、ミズキをどうしやがった、バケモノ企業国王!」
「企業国王ですか。今となっては、古めかしく、懐かしい肩書きですね」
バフェルトは嘆息を漏らした。
「この肉体に元々あった魂は、我々、異常存在の一員になることを拒んでいました。稀少な感染能力を有した身体には、相応しくない中身でしたからね。黙らせたまでです」
「黙らせただと!? そりゃあいったい、どういう――――」
「この身体の、元の持ち主だった者のことなど、些末な小事。くだらないことをいつまでも話している暇はありません。それよりも、重要なのは槍のことでしょう」
そう言うと、バフェルトに操られたミズキは、その場に跪いてみせた。トウゴたちの方に向かって、深々と頭まで下げて、忠誠を示しているような態度である。
「?」
唐突にそれを見せられたトウゴたちは、意味がわからなくて、困惑してしまう。
「……いったいそりゃあ、何のつもりだよ」
「アタシたちに、頭を下げてるの? どうして……?」
「あなたたちへ頭を下げているのではありません」
バフェルトはトウゴたちを見向きもせず、ただ答えた。
「あなたたちの――――上におわせられる方に対してです」
「……!?」
言われて見上げた頭上に、浮いている人の姿があった。
いつからそこにいたのか、わからなかった。
だが、それが誰であるのかだけはわかった。
青ざめた表情のレオが、その名を口にして戦く。
「ローガ王……!?」
ローガ・レルムガルズ。
胸元から、桃色の禍々しい花を生やした、魔人族の現王である。
バフェルトのみならず、眼下のトウゴたち全員を冷ややかに見下し、宙に浮かんでいた。
あまりにも冷たい、眼孔に収まった氷塊を思わせるような目だ。
「バカな! お前は今、ザリウス様と交戦中のはずだ! ザリウス様は、どうなったんだ!?」
「落ち着け、レオ!」
今度はトウゴが、取り乱しそうになるレオを制止する。
そうして青ざめた表情に、脂汗を流しながら、断じた。
「なんか様子が変だ。物理世界で見た、あのどっか甘えたガキっぽい、王様の雰囲気じゃなくなってる。ありゃあ、たぶん別人じゃねえのか」
「トウゴの言うとおりよ……!」
血の気が失せた表情で、ローガ王を見上げるジェシカが言った。
「さっきから、アタシたちの周囲のEDENが、狂ったように乱れてる。この空間がねじ曲がって消し飛んでもおかしくないほどの乱れなのに、なぜか整合性を保って維持されてる。これは……どう考えても“理外”の現象。そんなこと、王様だろうとなんだろうと、普通の魔人族にできることじゃない……! こんなのができるとしたら、おそらく……!」
ローガの姿をした何者かは、ゆっくりと手のひらを叩いて拍手をする。
その称賛は、バフェルトへ贈られたものだった。
「――――どうやら“試験”は合格のようだね。見事だったよ、コーネリア・バフェルト」
「ありがたきお言葉です、イアコフ様」
バフェルトは深々と頭を垂れながら、だが、ローガを違う名で呼んだ。
イアコフ。
それは聞いたことのある、おぞましい名前だ。
真っ青になったレオが、うわごとのように呟いた。
「まさか……ローガの中から目覚めたのか、設計者イアコフ……!」
対決すれば、1パーセントの勝機すらない。
絶対無敵の存在、それが設計者だ。
かつてトウゴたちは、機人族の国を破壊した、設計者マティアに遭遇したことがある。その時は戦うどころか、手も足も出せず、ただ逃げ惑うことしかできなかった。世界の物理法則を無視して暴れ回る、桁違いの戦闘能力だったのだ。それを前にしては、このアークに立ち向かえる者などいないのだ。イアコフという相手がどれほどの力を有しているか、未知数だが、マティアと同様であるなら、もはや戦ってどうにかできる相手ではない。
戦慄しているトウゴたちの胸中など気にもかけず、バフェルトは懇願するようにイアコフへ語りかけた。
「我々はこうして、カースグリフの槍を魔人族たちから奪うことに成功しました。あなたたち設計者に与えられた試験は、これで全て達成してみせたはずです。ならば、異常存在こそが、次代の世を引き継ぐに相応しい能力を有しているのだと、証明できましたでしょうか」
バフェルトの口から出るのは、気にかかる言葉だらけである。
トウゴたちが疑問を差し挟む間もなく、イアコフはそれに答えた。
「もちろんさ。正直なところを言えば、俺っちは魔人族の方が、君たちよりも優れている生物種だと考えていた。けど、君たちが彼等からカースグリフの槍を奪った今、君たちの方が現代の魔人族よりも、優位に立っているのは、揺るがしようのない事実だ。約束した通り、第4518実験計画については、君たちの種族を主軸に進めていこう」
「ありがたき……幸せでございます……!」
感極まったのか、バフェルト当人でもないミズキの肉体は、涙を流して歓喜の笑みを浮かべている。遠隔制御でも感情が伝わるほどに、どうやらバフェルトは喜んでいる様子だった。
納得がいかないのは、意味不明な会話を聞かされているトウゴたちである。
「テメエら、さっきからいったい何の話をしてやがんだよ!」
まだいたのかと、イアコフは冷めた横目で、トウゴを見やった。
つまらない虫けらを相手に語るのも面倒。
そんな態度を露骨に出しながら、イアコフは語った。
「今現在、遠い地で起きているアルトローゼ王国と四条院企業国の戦争。その決着がついた時を“区切り”にしようって、兄弟姉妹とは話しがついてる」
「なっ! アルトローゼ王国と四条院企業国の戦争が、始まってんのか!?」
「おやおや。知らなかったのかい? 今のアルトローゼ王国は、四条院のみならず、ベルセリア帝国も入り乱れた大乱戦の地になっているよ。最上層まで攻め入られているアルトローゼ王国は、もはや滅びる直前。それをつなぎ止めようと、君の友人の、雨宮ケイが奮闘しているようだが、見物だねえ」
知らなかった地上の戦況を聞かされて、トウゴとジェシカが驚いた。
「雨宮が今……アルトローゼ王国で戦ってんのか……!?」
「アルトローゼ王国が、そんなことになっていたなんて……!」
イアコフはため息を交えて続けた。
「まあ、話しを戻すけどさ。間もなく今の文明は滅び、君たちの時代は終わるんだよ。俺っちたち、設計者はすでに、次に起こす文明のテーマ決めで忙しいのさ。それで、バフェルトに提案していたの。次なる文明実験では“人間種を異常存在が統治する”のはどうかってさ」
「なんだと!?」
「こちらが与える、いくつかの試験をクリアできれば、主役にしてやるって話をしてたんだよ。バフェルトにさ」
イアコフは悪気なく、不気味な笑みを浮かべていた。