14-17 現代最強魔術師
残り寿命と引き換えに、時の魔眼が、トウゴの時間を超加速させる。
周囲の物体や人物の動きがスローモーションになって、急激に遅く見えた。
まるで止まっているような時間の中を、トウゴだけが速く動き回れた。
ゴーレムの巨大な手のひらが、ジェシカと、それを庇うために身を投げ出したエマを叩きつけようとしている。だが、そうはならない。直前、トウゴは一瞬のうちに2人の目前まで駆け寄り、小さな身体を両脇に抱えた。そのまま急いで、その場から退避する。
時間の流れが元に戻ると、ゴーレムの手は何もない空間を空しく空振りしていた。あるべきはずの手応えを得られず、ゴーレムは不思議そうに、自身の手のひらを見つめていた。救出されたエマも、いきなり目の前の景色が変わっていて、驚いている様子だった。
だがエマはすぐに、トウゴが魔眼の力を使ったことを察した。
「トウゴさん! まさか、魔眼の力を!? 無茶しないでください!」
力の代償。それが何かを理解しているがために、エマは青ざめた表情で、トウゴの顔を見た。
「そう思うんなら使わせんなよ……ったく。何やってんだよ、エマ! あのまま死ぬところだったぞ!」
「ごめんなさい。お姉ちゃんが危ないと思ったら、考えるより先に動いちゃっていて……!」
「どうせグラハムは、ジェシカを利用することしか考えてねえ! ジェシカを傷つけたくない、妹のお前の気持ちを利用して、ハッタリでジェシカを攻撃しようと見せただけだ! あのゲス野郎……! いちいちムカつくだろうが、惑わされんな!」
「でも……! あの人は、他人の命をなんとも思っていない人です。魔導兵装の人体実験の時だって、家族を失った子供たちに酷いことを……お姉ちゃんに対してだって、何をするか……!」
エマに抱きしめられていたジェシカは、妹の手を振り払う。トウゴたちから逃げ出すようにして距離を取り、再び杖を構えて、中断していた魔術の現象理論を構築し始めた。それを見てトウゴは、舌打ち混じりに呆れる。
「クソ、助けてもらった礼もなしかよ。ガチで操られてんな、ジェシカのヤツ……!」
「いったいどうしたら……お姉ちゃんを攻撃するなんて、私にはできません!」
トウゴだって、ジェシカを攻撃などしたくない。だが放置しておけば、特大級の強力な魔術を放たれ、全滅させられる危険性があるのだ。意識を失わせて、ジェシカを戦線離脱させるのが最善かもしれない。
「気絶させるのがベストか? けど、そんなのは当然、読まれてるよな。いや、それを狙われてるか……?」
トウゴの次の行動を、グラハムはとっくに予測して狙っているだろう。実際、水の刀を使う少女が、レジスタンスと交戦しながら、常にトウゴの隙をうかがい、視線を送ってきているのには気がついている。ジェシカをどうにかしようとすれば、その背を斬るつもりなのだ。間違いない。
『――――まさか今のは、時の魔眼の力か!?』
ゴーレムから発せられる、グラハムの驚く声。
トウゴの思考は、中断させられる。
『ククク。峰御トウゴが、魔眼を持っているという情報は得ていたが、まさか生身で、その力を引き出すことができるとはねえ。さぞかし、地獄の苦しみを超えてきたのだろう』
「……」
『時を操る力か。その力を見るに、どうやら今度こそ本物。それをわざわざ届けに、遠路はるばるやってきてくれたわけだ。殺されることを承知でねえ。おかげさまでようやく、僕たち魔人族の希望である、カースグリフの槍を完成させることができそうだよ』
グラハムの声で、ゴーレムは高笑いする。
それと同時に、水の刀を振るう少女、アリアが遠方へ後退する。
『峰御トウゴの死体から、眼球を回収しろという王の指示があるんでねえ! やりなさい、ジェシカ!』
「!」
現象理論の構築が終わったジェシカが、攻撃魔術を解き放つ。
「広域殲滅魔術――――灼熱彗星!」
広間の天井付近に、まるで太陽のような巨大火球が生じた。途端に、肌を焼くような熱気が、周囲へ満ちる。燃えさかる灼熱の赤光に照らし出され、トウゴやレオ、レジスタンスたちは、思わず足を止めて恐怖してしまう。
大きすぎて避けきれないのだ――――!
文字通り、灼熱の彗星が、今にも空から落ちてこようとしているのだ。直撃しなくても、すでに火球の傍にいるだけで、着火しそうなほどに身体が熱い。この周囲一帯を溶岩の海に変えるであろう、特大級の炎が、眼前に迫ろうとするのを見上げるしかなかった。
「アレが直撃するのは絶対にまずいぞ、トウゴ!」
「見りゃわかる! あんなの魔術で防御なんかできるのか!?」
『くかかかか! 素晴らしい威力だよ、ジェシカ!』
「ダメ! お姉ちゃん!」
エマも、用意していた防御魔術を解き放つ。
床下から岩石が浮かび上がり、周囲の柱の部材も含めて、ジェシカが生み出した大火球に向かって集まっていく。エマの発動した魔術は防御ではなく、火球を岩の塊で覆い、封じ込めるものだった。先ほどと同じく、トウゴたちの周囲に岩の壁を生じさせたとしても、火球が放つ熱波からは守り切れない。そう判断してのことだ。
火球が降ってくる前に押し戻し、岩の中で潰して消滅させる。
咄嗟には、それしか思いつかなかった。
「うああああああああああああああああああああ!!」
エマは両手を頭上へ掲げ、決死の形相で叫ぶ。
姉の放つ強烈な攻撃魔術を留めようと、全身全霊で、自身の魔術展開に集中する必要があった。火球を覆った岩石は、内部からドロドロに溶かされていき、水漏れのように溶岩を垂れ流しはじめた。それがレジスタンスたちの頭上から、雨のように降り注いでくる。それによって火傷する者もいたようだが、大火球の直撃を喰らうよりはマシだとわかっているのだろう。耐え忍んでいる様子だった。
全身に脂汗をかき、エマは両目を血走らせていた。
姉の魔術を受け止めるのは、初めてのことだ。
その威力がいかほどであるのか、身をもって経験するのは初めてのことである。
一瞬でも気を抜けば、すぐにでも岩石の覆いが破壊され、仲間たち諸共、消し炭にされそうだ。
集中のあまり、エマの精神は、展開した魔術と同調し始める。
掲げた両手のひらの表面が、火球に触れているかのように、煙を上げて焼け焦げ始める。
「痛い……痛いよ、お姉ちゃん……!」
ボロボロと涙をこぼし、エマは必死で声を上げた。
「お姉ちゃんと戦いたくない……! いつもの優しいお姉ちゃんなら、みんなにこんな酷いことしない……! もうやめてよ! お姉ちゃん!!」
エマの叫び声が、無表情なジェシカの眉を僅かに揺らした。
ジェシカが攻撃魔術の現象理論構成が、少しだけ乱れた。
一瞬だけ生じたノイズ。その一瞬のおかげで、エマは攻勢を盛り返すことができた。
「あああああああああああああああああああああ!!!」
決死のエマの叫びと共に、火球を覆った岩石塊は、内部の炎を押し潰してかき消すことに成功した。本当にギリギリのところで、ジェシカの攻撃魔術を打ち消すことに成功したのである。汗だくで、苦しそうに肩で息をしながら膝を突くエマ。手のひらは火傷をしているようで、白い煙をたなびかせていた。
「エマ! 無事か!?」
「…………なんとかできました」
「くっ! そんなにボロボロにさせちまって、すまない!」
「……まだ私は大丈夫ですから……お姉ちゃんを……殺さないでください……!」
駆けつけてきたレオが、エマの様子を見て絶句する。
精神をすり減らしきっていて、満身創痍。
もはや魔術を使うこともできないほどに、疲れ果てた様子だった。
尋常ではないジェシカの魔術を、2度も受け止めたのだ。当然のことだろう。
レオは、トウゴへ耳打ちしてくる。
「トウゴ、エマはもう」
「わかってる。もう防御は無理だ。あとは俺たちで、次の一発が来るまでにジェシカを何とかしないと」
「……殺すのか?」
「……」
エマは懸命に、ジェシカを助けて欲しいと懇願しているのだ。2度も命を守っておいてもらって、その願いを叶えられないというのがもどかしい。現実的に考えれば、次の攻撃魔術を防ぎようがない以上、術者を殺す以外には、この状況を打開する方法がないのだ。トウゴは悔しくて、銃把を握りしめて毒づく。
「くそっ! どうすりゃ良い……!」
『あっははははは! 妹はもう、声も出せないくらいにボロボロだねえ! その様子じゃもう、次の魔術は受け止められないだろう!? レジスタンス諸君の頼みの綱は、もう頼りにならなくなったわけだ! なら終わりだねえ!』
ゴーレムから、グラハムの高笑いが聞こえてくる。
『妹にトドメをさしてあげなさい、ジェシカ!』
その無情な宣告が、広間に響き渡る。
ジェシカが、すでに次の攻撃魔術の現象理論を構築し終わっていることに、その場の誰もが驚いていた。あまりにも早すぎる次弾。さっきと同じ大火球を、矢継ぎ早に撃ち込まれてしまっては、もはや誰も生き延びることなどできない。
今度こそ、トウゴたちは死を覚悟して息を呑んでしまう。
「――――――――お断りよ、クソ野郎」
『……は?』
グラハムは、予期せぬ反論を受けて耳を疑う。
理解ができず、グラハムは思わず、ジェシカの姿を振り返って、口をつぐんだ。
忠実な操り人形と化したはずの少女。
心ないはずのジェシカから、ありえない発言を返されたのだ。
それまで、魔術発動の言葉以外を発しなかったジェシカだったが、ゆっくりと歩き出した。
そうして、エマの方に向かってくる。
「お姉……ちゃん……!?」
「ジェシカ、正気に戻ったのか?!」
無表情で虚ろな目をしていたジェシカの表情に、血の気と、意思が戻っているように見えた。ジェシカは険しい顔で妹に歩み寄ると、傷つき、燻っている小さな手を取って見下ろした。赤黒く火傷した、痛々しい手のひらを見下ろして、ジェシカは歯噛みして悔しがった。
「お姉ちゃん……?」
「許せない……アタシを使って、アタシの妹を攻撃させるなんて……!」
怒りに肩をふるわせ、ジェシカの眼差しは鋭くなっていく。
「エマ、何度も呼びかけてくれてありがとう。アンタの声を辿ったおかげで、アタシはここへ戻ってこられた」
「お姉ちゃん! 元に戻ってくれたんだね!」
傷ついた痛みなど忘れ、エマは喜びと安堵で、表情をほころばせる。
姉のジェシカを、愛しそうに抱きしめた。
近くにいたトウゴとレオも、思わず表情を緩ませる。
「ジェシカ! ようやく復帰かよ!」
「アンタたちにも、ずいぶんと手間をかけさせたわね……。あとはアタシに任せて、下がってなさい」
「……なんだって?」
ジェシカは、こめかみに青筋を浮かべ、静かに宣告する。
「こいつら全員、アタシが蹴散らすって言ってんのよ」
たった1人で、この場にいる敵全員をどうにかしようと言っているのだろうか。
細かいことは告げず、ジェシカは、エマやトウゴたちを背に、グラハムたちへ向き直った。
『そんな……バカな……!?』
目の前の現実に、心底から驚愕しているのだろう。
少し震えたような声色で、グラハムが言った。
『君の魂から切り離した精神は、人工天国へ閉じ込めていたはずだ! あの快楽の楽園に沈まず、自力で抜け出してくることなど不可能だ! 自らが望む理想の世界を、常人に捨ててこられるはずがないだろう!? これまで何人たりとも、自力での脱出などできなかった、完全なシステムなんだぞ! いったいどうやって抜け出してきたんだ!?』
「なにが不可能よ」
ジェシカは冷え切った眼差しで、ゴーレムと化しているグラハムを睨みつけた。
「よく見なさい。こうして抜け出してきた実例が目の前にいるじゃない。自分の考えた通りに結果を出せないシステム。そんなものしか運用できないなんて。アンタ、自分が思うほど賢くなかったんじゃない?」
『ぐぅぅっ……!』
「まあ、アタシは天才。凡人のアンタが出し抜かれるのは無理ないわよね」
知力を否定する挑発に、苛立っている様子のグラハム。
それに、ジェシカは皮肉を贈った。
「なに腹を立ててんのよ。アタシがアンタの思い通りにならないから? バカだって図星をつかれたから?
それとも、内心では、もうアタシには敵わないって、認めてしまっているから?」
『ジェシカあああああああああああ!』
我慢ならず、グラハム・ゴーレムはジェシカに向かって駆け出す。
無謀な突撃だと、頭の良いグラハムなら理解していることだろう。
だが、イチかバチか、そうせざるを得ない状況に追い込まれているのが現実なのだ。
なぜならジェシカは――――すでに攻撃魔術の現象理論構築を完了している。
「うるさいわね! 今ぶち切れてんのは、こっちの方なのよ! アンタとのキモい因縁は、ここで終わり!」
ジェシカは手にした杖を掲げ、魔術を放つ。
「この世から消えなさい! 灼熱彗星!!」
先ほどよりも、さらに巨大な火球が生じた。それは容赦なく、正面から迫ってくるゴーレムの巨体に向かって放たれ、直撃した。周囲一帯の気温がはね上がり、付近にいたトウゴたちでさえ、火傷しそうな熱気を感じた。眩い光の塊の中で、ゴーレムのシルエットが溶解し、掻き消えていくのが見えた。グラハムの断末魔の悲鳴が遠のいていくのと共に、景色は元の姿に戻っていく。
ジェシカの正面方向。広大な王宮広間の遙か遠くまで、床も天井も部材が焼け溶け、白煙を生じさせている。火球の着弾点から先の地面は、完全に溶岩の海と化して、赤熱を放っていた。
圧倒的な破壊の光景を目の当たりに、その場の誰もが唖然と立ち尽くすしかなかった。
ポツリと、レオが呟くのが聞こえる。
「まさか……これほどとは。長らく、アークで最強の魔術の使い手は、エレンディア騎士団の魔帝。エルガー・フォン・エレンディアとされている。だが、その情報は、もう旧いのかもしれない」
ジェシカの放った、たった一発の攻撃魔術。それによって形成は完全に逆転し、グラハムは塵も残さずに消滅していた。水の刀を使う少女、アリアの姿も見受けられないが、今の攻撃に巻き込まれて死んだのか、撤退したのかは、定かでない。少なくとも、トウゴたちの前から、敵の姿はなくなっていた。
勝利を悟り、生き残ったレジスタンスのメンバーが喜びはしゃぐ声が聞こえてきた。
レオは苦笑し、認める。
「雷火の魔女。彼女は、たった1人で戦局を覆す。もはや、剣聖や、死の騎士と同格。戦略級の戦力だ。……すでに現代最強の魔術師なのかもな」
溶岩の海と化した敵陣営を、ジェシカは鋭い視線で睨み続けていた。