14-11 竜狩り
夜闇の中で、火を灯す。
黒塊の首都バロール周辺の一角。
草原地帯にかかる深い霧の中、煌々と灯る灼熱の炎が、闇を照らしていた。
「……本来、異常存在にはレベル4までしか存在せぬ」
燃えさかる炎の太刀を肩に掛けると、霧と闇のモノクロームの景色の中に、色鮮やかなアルテミア・グレインの姿が照らし出される。アルテミアは、霧に覆われた野を見渡して言った。
「レベル4は、帝国が人工的に製造し、特異能力を持たせた生物兵器。それが最上格じゃ。じゃが希に……本当に希に、野に放たれた獣の中から、それを凌駕する突然変異が顔を出す。レベル4を遙かに上回る戦闘能力を有し、人々から”戦略級生物兵器”と呼ばれ、恐れられる、天災も同然の化け物がな」
右を向いても、左を向いても。目の届く範囲の全てが、霧に覆われている。霧の中に紛れるように、生きたまま溶かされて食われた、アルトローゼ王国騎士たちの、無残な死体が転がっていた。
霧中の生物の肉体を溶かして喰らう、非常識な巨体の怪物。
今、視界に移っている全てが、自らの相対する敵。ドラゴンなのだ。
その渦中に留まっているのは、自ら化け物の腹の中に飛び込み、消化されている状況と変わらない。霧に触れたアルテミアの肌は、火傷をしたように、ひりついて感じる。自身の体表が少しずつだが、着実に溶解させられていることに、気づいていた。
「ほう。企業国王の血肉を守る、無敵の遅効装甲を貫く溶解効果か。元よりシールドは、理の中で起きる事象を防ぐ、理外の防壁。同じ理外の存在たるドラゴンの前では、意味を成さぬと見える。シールドで身を守れぬとは、原死の剣といい、近頃は、企業国王の命が安くなったものよ」
周囲を覆う霧に、変化が起きる。
白霧のあちこちに、濃淡が異なる場所が生じた。かと思うと、その濃い部分が、見る見る間に生物の形を成していき、霧の塊でできた人間のようなものを創り出した。その手には、霧でできた斧や槍、近接武器を手にしている。
まるで霧の亡霊兵士たちだ。
その兵士たちの数は、1つや2つではない。
数百が数千へと増えて、瞬く間に、大軍団と呼べる規模の人数になっていく。
「霧で創り出した、亡霊兵士たちと言ったところかのう。器用なことができるものじゃな、無形氷竜というモノは。なるほど。生物を溶かすフィールドを展開しながら、その内部で、こうした手勢をけしかけたりもできるわけじゃな。これではアルトローゼ王国騎士団も、手を焼いたであろうのう」
唇を舌で舐め、アルテミアは邪悪な笑みを浮かべた。
「永炎の刀の前では無意味。一切合切、燃やし尽くす」
アルテミアが頭上に戴く、光の王冠が輝きを増す。
手にした炎刀で虚空を一薙ぎすると、刀身から紅蓮が迸った。アルテミアの放った斬撃は、目の前に立ちはだかる霧の軍勢を、まるで藁のように、まとめて切り裂いた。斬られた者たちは、切断面から炎を吹き出し、見る見る間に全身を炎上させる。そうして活路を開き、アルテミアは霧の中を駆け出した。
「ハハハ! どいつもこいつも、止まって見えるのう!」
非常識な速度で移動するアルテミア。
その風圧により、彼女の周囲を覆う霧だけが弾け飛ぶ。
目にも止まらない疾駆の跡には、線状に燃える草と、斬られて燃える霧の兵士たちだけが転がった。
軍隊をけしかけられたというのに、アルテミアにとって雑兵の数など、驚異ではない。並の戦士であれば、大軍の兵を相手にしては、足を止めて1人ずつ撃破していく場面だ。しかし、アルテミア・グレインは強すぎるのである。霧の兵士たちは足止めすることさえできず、ただ棒立ちしている巻き藁であるかのように、なます斬りにされて霧散していくのみだ。
「こやつ等を、いくら片付けたところで意味はない。本体を討たねばな!」
あらかた敵軍を蹴散らし終えると、アルテミアは頭上に炎の太刀を掲げ、それを勢いよく振り下ろした。その斬撃の衝撃は、霧の景色を容易く両断してみせる。そして、その断面を紅蓮に燃やして染め上げた。
――――霧を切り裂き、焼いている。
端から見ればそれは、アルテミアが霧の中に炎の断崖を生み出したように見えるだろう。たった1人の人間が、作り出せるとは思えない、異様な光景である。程なくして、周囲のあちこちから、絶叫のような獣の咆哮が響き渡る。それは無形氷竜の悲鳴に違いないだろう。身体の一部を焼かれ、痛み、苦しみ始めたのだ。
実際、無形氷竜は困惑していた。
霧の巨体内に取り込んでいる、アルテミアという異物。簡単に消化できないそれを始末するため、霧の兵隊たちをけしかけたものの、そんなものではアルテミアを倒すことなどできなかったのだ。攻撃を仕掛けた無形氷竜としては、完全に予想を上回った存在である。
「妾の永炎の刀は、妾の望む全てを焼き尽くす。天であろうが、地であろうが。実体のない霧であろうが、例外なくのう。無形氷竜と言えど、燃やし尽くして殺すことなど簡単じゃ。……しかし」
言いながら、アルテミアは面倒そうに嘆息を漏らした。
「やれやれ。本当にデカすぎる化け物だ。これまで確認されてきたドラゴンは、どいつも体長が数キロメートルに及ぶものばかりと聞くが、こやつは、50キロ四方はあると言われる、バロールを取り囲むサイズときている。こんな巨体をどうにかするには、骨が折れそうじゃ」
アルテミアは視線を転じ、自らの足回りに目を配る。
周囲は草原。手近な草の一本をちぎり、それを観察する。
「水分を多く含んだ青草。燃やすのに適さぬが、問題ない。作戦変更じゃ」
ニヤリと笑み、地面に燃えさかる刃の先を埋めた。
刃が突き立った場所が、灼熱に焼けて、赤熱の色を発し始める。
その赤は周囲へ広がっていき、程なくして草原を、広域にわたって燃やし始めた。
「バロールの周囲を囲んでいるのは、無形氷竜の霧だけではなかろう。この草原も同じ。ならば草原を燃やしてやれば、その上に漂う無形氷竜ごと、丸焼きにできるのではないか?」
すさまじい速度で延焼していく草原。アルテミアを中心に、世界はまるで、炎の海と化していく。本来であれば、水分の多い草木を燃やすことは、困難なことである。だがアルテミアの炎刀は、この世の理など無視し、なんであれ火を点けることが可能なのである。水分どころか、たとえ水であっても、燃やせないものはないのだから、草原を燃やすことなど造作もない。
白煙と紅蓮の光を放つ野は、無形氷竜の身体をあぶり、傷つけ、痛めつけていく。先ほどとは比べものにならない大量の咆哮が生じ始めた。まるで大勢の亡者たちが、地獄の底で火に焼かれ、もがき苦しむような声にも聞こえる。おぞましい怪物の悲鳴である。
「ククク! 世界よ! 我が意によって燃えよ! 全て灰燼となせ!」
火炎地獄と化した野で、アルテミアは愉悦の笑みを浮かべていた。紅蓮の光の上でもだえ苦しむ無形氷竜の霧は、うねり、歪み、徐々に霧散して掻き消えていく。アルテミアの狙い通り、草原の延焼に伴い、その上に展開していた無形氷竜へ、多大なダメージを与えることに成功したようである。
「……?」
戦略級生物兵器を圧倒する勢いのアルテミアだったが、そこで違和感を感じた。
勘に従い、上空を見上げる。
――――気配がしていた。
炎が織りなす、紅蓮の海の景色。その上を覆っていた霧は晴れていき、無形氷竜は、今にもかき消されようとしているように思えた。だが、その認識が間違っていたことを、アルテミアはすぐさま理解した。
「……これは驚いたの。霧は霧散していたのではなく”凝縮”しておったわけか」
炎から逃げるよう、空へ向かっていく霧は、そのまま掻き消えるのではなく、一点に集まろうとしていた。そして、いつの間にか作り上げていた。虚空に浮かび佇む――――白い”人影”。
「よくよく思えば、実体のない、霧の身体を持った無形氷竜に、生物と同じ肉体の”サイズ”などという概念は、当てはまらなかったのかもしれぬな。元は、四条院アキラの持つ宝剣、聖遺物に封印されている存在。こうして凝縮体になることも可能か」
顔のもない、髪もない。人間の形をした、人間サイズの、白い霧の塊。そうとしか呼べない存在が、ゆっくりと天から降りてくる。アルテミアと対峙するような位置取りで着地すると、人影が降り立った場所を中心に、一瞬で地面が凍り付いた。今さっきまで激しく燃えていた草が、真っ白の霜を伴って凍結する。霧人間の周囲が、考えられないほどの低温になっているのは、見て取れた。
霧人間の身体が、氷によって覆われていく。
まるで氷の鎧を身にまとったような姿に変貌していった。
「広域に展開して、パワーを分散していては、妾に勝てぬと判断した、と言ったところかのう。逆にパワーを一点に集め、妾に対抗できる本気の形態になったと見える。ではこれが、無形氷竜の真なる姿と考えれば良いのか」
アルテミアは炎の太刀を構え、不敵な笑みを浮かべて挑発した。
「竜狩りは退屈だと思い始めていたところじゃ。そんなことはないのだと、証明して欲しいものじゃのう。さてソナタは、どの程度、妾を愉しませてくれる?」
刃を構え、アルテミアは燃えさかる野を疾走した。