14-8 王の魔術
早々にローガの護衛兵たちを倒し、リーゼはザリウスの援護に回ろうと転進する。
ビルの高所に陣取り、矢の雨を降らせようとローガを見下ろした。
そこで奇妙な光景を目撃し、眉をひそめる。
「何なの、あれ……!」
ローガの周囲に複数生じた、漆黒の塊。
まるで黒い水塊が、宙に浮いて漂っているように見えた。
それは凝縮された闇の塊である。
ローガは、冷め切った眼差しでザリウスを見つめながら告げた。
「ゆくぞ」
手にしたカースグリフの槍を杖のように振るい、ザリウスに向けて矛先を掲げた。途端、けしかけられた犬のように、闇の塊はザリウスめがけて、不規則な軌道で発射される。
それは――――避けられない速度ではなかった。
だからザリウスは、右へ左へ、大きな体躯を揺するように跳躍しながら飛来物を避ける。攻撃対象を穿てなかった闇の塊は、虚空を切って、周囲の建物や路上へ着弾した。弾けるでも消失するでもなく、闇は音もなく、ただ着弾点に付着してこびりつく。
立て続けに、ローガは虚空に闇を発生させ続け、次々と放ってきた。
そのことごとくをザリウスがかわすと、代わりに闇は、周囲の構造物に付着していき、隣接すれば結合しあって、次第に大きな塊になっていく。その性質は、巻き散らかされたシャワーの水滴のようである。そうして次第に、辺り一面が闇の水に濡れていく。路上は雨ざらしになったかのように、闇水によって覆われ、少しずつ、ザリウスが闇に触れずに移動できる範囲を制限していった。
高所から見ていて、リーゼは気がついていた。
ザリウスは徹底的に、飛来していくる闇に“触れようとしない”のだ。
戦っている2人は兄弟なのだから、おそらくその行動は、お互いが使う魔術の特性をよく理解しているための結果だろう。触れるのが良くないのだと、ザリウスは考えているのだ。まだリーゼには、ローガの魔術の性質がわからないが……あの闇に触れるのは危険だということだけは、見ていてわかった。
周囲が闇にまみれてきた頃、ローガは、ザリウスへ語りかけてきた。
「――――宇宙が暗く見える理由を知っているか?」
「?」
「光は物体にぶつかり、反射、拡散することで、輝いているように見える。けれど宇宙のほとんどは真空。光がぶつかるものなどない。故に、本来の光は、闇の中では大して輝けない。世間では、光は闇を払い、闇を打ち破るものだと考えられているが、違う。闇は光を“内包”している。光は闇の一部でしかないんだ」
「何が言いてえ」
「闇に比肩するものなど、この世になく。闇は何もかもを飲み込む。そして、その闇の中で何が起きるのかは、誰にも予見できない。だから皆、古来より闇を恐れ、怯えるのさ」
ローガは、リーゼが陣取っている最寄りのビルディングを見やった。
その足下の周辺には、すでに、ばらまかれた闇が湖のように広がっている。
「――――怯えろ」
その命令で、地面が、闇の湖の中へ引き込まれるように動き出す。
ビルディングが、闇の湖の中に“沈み”だしたのだ。
「な、なになに!?」
狙いはザリウスでなく、リーゼだった。
黒い底なし沼の中へ落ちるように、ビルディングは闇の湖面の中へ、見る見る間に沈んでいく。屋上に居座れば、リーゼもそのまま引きずり込まれてしまうだろう。たまらずリーゼは、陣取った狙撃ポイントを離れる決断をした。跳躍して、まだ闇に汚染されていない路上へ着地し、避難をする。その直後、ビルディングは完全に闇の中へ沈み込み、消えて見えなくなった。
――――途端、闇の湖が一瞬で消失した。
「え!?」
そこには初めから何もなかったように、忽然とビルディングが消えた空き地だけが残されている。ビルの存在が消されてしまったような現象を目の前に、リーゼは目を丸くしていた。
「闇に飲まれたものが、消滅した……!?」
『気をつけろ、リーゼ』
青ざめて驚いているリーゼの耳に、ザリウスの無線通話が届いた。
『言い忘れてたが、弟が使う“闇”の魔術は厄介だ。アイツがばらまく闇の内部がどうなっているのかは、外からは見てわからねえ。どういう構造になっているのかわからねえからこそ、あの闇の中では“何だって起こりうる”ぜ』
「何だって起こりうるって……それっていったい、どういう魔術なの?」
『さあな。とにかく、あの闇に汚染されるのはヤバいってことだけ、わかっていりゃ問題ねえ。あの闇に取り込まれちまったら、あとは闇の中で、弟の好き放題にされる。今のビルみたいに、消滅させられたりしてな』
「そんな魔術って……聞いたことないよ!? 土、風、火、水。いわゆる四属性に属さない特殊魔術?! でも、自然法則の理から外れていて、まるで企業国王たちが振るう、理外の力みたい……!」
『それが、魔人の“王族の血筋”が使える、魔術の特性なのさ』
「え……?」
『遺伝性なんとかって言うらしいが、難解なことは、俺にゃよくわからん。まあ、魔人の王族ってのは代々、何かしら“理外の特性を持った特殊魔術”の才能を持って生まれてるらしい。ローガも例外じゃねえってことよ』
「!!?」
再びローガが闇を放ってきたたため、リーゼと話している余裕はなくなる。
飛来してくる黒い塊を、ザリウスはかわした。
「さっきから逃げ回っているだけだね、ザリウス」
ローガは皮肉する。
その皮肉に、ザリウスは不敵な笑みを浮かべて返す。
「これから反撃するところだ!」
それまで飛来物を避け続けていたザリウスは、一転してローガへ向かい、駆け出した。
回避行動をやめて、接近することにしたのだ。
ザリウスの戦い方は“肉体強化”の魔術を使っての、接近戦。
敵に近づかなければ、攻撃できないスタイルである以上、そうするしかない。
その背に向かって、リーゼが悲痛な警告の声を上げる。
「ダメ! 危ないよ、ザリウス!」
売り言葉に、買い言葉。
リーゼには、ザリウスが安い挑発に乗って、無謀な突撃をしたように見えた。
ローガが飛ばしてくる闇の塊は、その1つ1つの大きさが、車のタイヤほどはある。銃弾よりもはるかに大きい。そんなものを避けようとするなら、回避運動は大げさな動きにならざるをえないのだ。それなのに回避を軽視した行動に出れば、いくつかの直撃は避けられない。
案の定。避けられない位置とタイミングで、闇の塊の1つがザリウスの頭部めがけて飛来してきた。だがザリウスは動じず、視線を鋭くしながら、深く息を吸い込む。
そうして――――正拳突きを繰り出した。
「おっらああ!」
気合い一発。
固められたザリウスの大拳が、闇の塊の真芯を打ち抜く。
強烈な一撃によって、闇の塊は弾け飛んで消滅した。
「えええ?!」
リーゼは素っ頓狂な声を上げて驚いた。
得体の知れない闇の塊を、ザリウスは殴りつけて打ち消した。
そうとしか見えない光景だったのだ。
ザリウスは親指で鼻を撫で、強気な眼差しでローガを見やる。
「闇だろうが、なんだろうが、関係ねえ」
両拳を固めると、ファイティングポーズになった。そうしてザリウスは、ボクシングスタイルの連打で、次々に飛来してくる闇の塊を殴り消し、前進を開始する。
「この世にあるものは全部、殴ってぶち壊す! それが俺の拳! “破壊”の魔術だ!」
リーゼは誤解していた。
ザリウスの使う魔術は、単純な肉体強化のみであるのだと。
だが、そうではなかったのだ。
考えてみればザリウスは、聖人の放った毒の魔術を、拳で殴り消すという非常識なことをして見せていたではないか。今になってリーゼは、その原理が理解できた。
「王族の血筋が使う、理外の魔術。ザリウスの場合は、拳で殴ったものを“破壊”する才能があるってこと……!?」
リーゼの推察は正しい。
元よりそれを知っていたローガは、呆れた口調で漏らしてしまう。
「……相変わらず、デタラメな力だ」
「お前に言われたかねえんだよ! どおらあ!」
一気に間合いを詰めてきたザリウスの豪腕が、ローガの間近に迫る。
あまりに速い、その動きに驚き、ローガの攻撃の手が一瞬止まった。
それまで一方的な攻撃を仕掛けていたローガだったが、今度はザリウスの方が優勢になる。ザリウスの放つ拳打の雨を、ローガが回避する一方になった。
ビルディングの壁際に追い詰められたローガ。その頬をかすめ、ザリウスの剛拳が壁面へ叩きつけられた。途端、拳が突き立った場所を中心に、壁面はクレーター状に歪み、ひび割れた。建物は急所を突かれたかのように、呆気なく倒壊を始めてしまう。
「……チッ!」
ローガは舌打ちをしてしまう。接近戦が不利であることを、改めて思い知ったからである。つかず離れず、遠距離から攻撃を浴びせるのが、対ザリウス戦でローガが優位に立つ方法だ。
ザリウスから離れなければならない。
「!」
ザリウスは気がつく。肉薄しているローガ。その身体のあちこちから、闇がにじみ出してくるのが見えていた。まるでローガが、闇の衣を身体にまとうかのような光景。近くにいれば、その闇はザリウスに伝播し、汚染してくるだろう。
離れるしかない。
ザリウスは慌てて、ローガの傍を離れて間合いを開けた。
「……わかってはいたけれど。やはり手強いね、ザリウス」
崩れ落ちていくビルを背に、ローガは衣服についたホコリを払い落として言う。
そうして冷ややかな視線を送り、ザリウスへ警告した。
「お互いがどんな戦闘スタイルで、どんな魔術を使うのか。私たちは手の内がわかっている。それこそ、私たちは、お互いの好物や秘密だって知っている間柄なんだ。まったくもって、無駄に付き合いが長すぎるのさ。よくわかっている者同士、こうして普通にぶつかっていても、埒があかないだろうね」
「なら、降参するか?」
「まさか」
ローガは、かけていたメガネの位置を正しながら宣告した。
「あなたの知らない、想像を超えるモノを見せてあげようと、言っているのさ」
「俺の知らないものだって?」
「ああ。まだ見せていなかったよね? 私たち魔人族が長年の時をかけて生み出した、この究極の戦略兵器の威力を」
そう言って、ローガはカースグリフの槍を掲げる。
その矛先には、禍々しい赤い光が灯り始めていた。