14-3 カースグリフの槍
海浜区画は、レルムガルズの中でも“住居”と呼べる建物が多いエリアである。
魔人族の中にも上流と下流の暮らしがあり、その区画に住まうのは下流の人々だ。
上流とは主に“純血統”と呼ばれる者たちが送っているような、EDEN上にある仮想世界へ入り浸りながら、たいした労働をせずに悠々自適で暮らす生活のことを指す。逆に下流とは、主に下等血統と呼ばれる“外来”の者たちの暮らしであり、レルムガルズの設備保守や、危険な国防任務などの、物理世界に留まらざるを得ない生活のことだ。そうなれば下流の者たちが集う場所に、物理的な住居が必要になってくるのは必然である。魔人の社会は、睡眠カプセルに身を置いて仮想世界に住む者と、ハードウェアの限界に制限された現実世界に住む者とで、2極化していた。
異常存在たちに侵入された海浜区画は、地獄絵図と化している――――。
逃げるのが間に合わなかった下流の市民たちは、安全な中央区画へ避難しようと、巨大な隔壁扉の前へ殺到していた。まるで鋼鉄の分厚い巨壁。元々は開放されていたのだが、いつの間にか固く閉ざされていた。その扉の先は、純血統たちの肉体が眠る、睡眠カプセルがひしめく“上流市民”の住まうエリアになっている。
閉じてしまった扉が、開くことはない。
上流の魔人が、自分たちを守ってくれている防壁も同然の扉を、下流の魔人を救うために、わざわざ開いたりなどしないのだ。扉の前で大勢の下等血統たちが、怪物に生きたまま食い殺されていても、開放される様子は微塵もなかった。
そうなれば、残された人々は逃げ場所を失ってしまう。
通りを右往左往するように逃げ回りながら、着実に押しかけてきている異常存在の大軍に呑まれ、無残な血肉の残骸と化して絶命していった。怪物軍の足止めのため、緊急配備されていた下等血統の兵士たちも、敵軍の物量に圧倒され、ほぼ壊滅に近い状態にまで追い込まれてしまっていた。
「見苦しいね」
引き連れてきた数名の精鋭。その転移魔術によって、海浜区画へ姿を見せたローガは、街のメインストリートの惨状を見渡しながら呟いた。ローガを見るなり、襲いかかってこようとする怪物たちを、部下たちが応戦して撃退していく。騒がしい戦場の様子にため息を漏らしながら、サングラスの位置を直して続ける。
「血肉を喰らう異形どもも。誇りもなく、みっともなく悲鳴を上げて逃げ惑う下等血統も。どいつもこいつも。煩わしく、見苦しく。ここにいるのは、生きるに値しない者ばかりだよ。ここには静寂が相応しいと思わないかい――――感染能力者、妻川ミズキ」
メインストリートを少し行った先。相対する位置に佇む少女を、ギロリと睨みつけて問う。ローガが現れたのは、異常存在の軍を引き連れてきた将、ミズキのすぐ近くだった。
ローガとミズキは、互いに見つめ合い、沈黙する。
何も言葉を返さないミズキに、ローガは肩を落として言った。
「やれやれ。獣ごときに会話を試みたのは、愚かだったか。喋れないのか、こちらの言葉が理解できないのか。どちらでも良いが、我が国での蛮行は、即刻やめてもらう」
手にしていた杖のような槍。
その切っ先を天へ掲げ、ローガは宣告した。
「カースグリフの槍よ。命じる――――“絶命”させよ」
先端の刃が、まばゆい輝きを発する。
おぞましい鮮血の赤。
不吉を思わせる炎の色が、一瞬の間だけ世界を焼く。
紅蓮の閃光が迸った直後に――――異常存在たちの頭部が一斉に破裂する。
異常存在だけではない。逃げ惑っていた魔人族の一般人たちも同様。精鋭の部下たちだけを除き、ローガの周囲にいた全ての生きとし生けるものの頭部が、内部から爆ぜるように吹き飛び、脳症や眼球、頭骨の破片をまき散らして砕け散った。
瞬く間に完了した、無差別な虐殺。
その場にいた誰もが、何が起きたのかわからないままに、血の雨の中で倒れ伏す。
むせかえるような濃い血のにおいの中、ローガは返り血を浴びながら高笑いした。
「あっははははは! どうだい、我が国の秘蔵してきた秘密兵器の力は! この槍を使えば、邪魔者たちは簡単に死に絶えていく! どうしたのかな、感染能力者! 得意のハッキング攻撃の手が止まっているようだけど!」
ミズキはまだ生き残っていた。
両目と両耳から血を流し、酷い頭痛を耐え忍びながら、その場に俯き佇んでいた。
殺戮の愉悦に酔うローガと、余裕がなさそうに身体を震わせて沈黙しているミズキ。自軍の将が脅かされていることを察知した、後続の異常存在たちは、その場に押し寄せてきて、ローガから庇うようにミズキの前衛を固めていく。怪物の兵たちに連れられ、ミズキは後退していった。
「憐れだね。ゴミカスたちを並べて盾にするしかないとは。こんなもので、私を阻めると思っているなら笑わせる。我が国に押し入り、呆気なく陥落させられると思っていたなら、当てが外れたねえ。君たちは見せしめとして、せいぜい無残に死んでもらうことにするよ」
敵の増援部隊に対しても、ローガは槍の力を行使する。
矮小な敵軍の頭部を、いとも容易く爆ぜさせながら、ローガはニヤニヤと不気味に笑んでいた。
◇◇◇
メインストリートを見渡せる中規模のビル。
その上層階へ避難し、怪物たちに見つからないよう、隠れている魔人の市民たちがいた。
息を潜めている老夫婦や、泣き声を上げてしまいそうになるのを堪えている子供。それを連れた家族など。悲壮感に満ちている戦争被害者たちに混じりながら、トウゴたちは、ローガとミズキの攻防を見下ろしていた。
「あれが、カースグリフの槍の威力なのかよ……!」
瞬く間に路上が血の河となり、頭部を失った死体が転がる、おぞましい光景。
それを遠巻きに観察して、トウゴは血の気が失せた顔で呻いた。
同じような表情をしているリーゼも、冷や汗をかきながら言った。
「いったい、あの槍の力は……何なの? 赤い閃光を発したと思った直後には、ローガ王の周囲にいた人たちが、頭を破裂させて……。でも引き連れてる精鋭の兵士たちは無事みたいだし。何が起きたのかな」
「……EDENを経由した、大量情報送信攻撃。人間が使うインターネットに例えて言えば、DDoS攻撃だ」
「DDoS攻撃って……いわゆるF5キーを連打して、ページリロードをしまくることでサーバーを過負荷で落とす、あの攻撃のことか?」
「ああ。今のはおそらく、数瞬の間に、相手の脳が処理しきれない膨大な量の情報を送りつけ、破裂させたんだ。あれは槍の使い方の1つであって、全力ではない。まだ序の口の力だろう」
レオが解説した。
「カースグリフの槍は、前にも言った通り“情報兵器”と呼ばれている。あの槍の有する物理的攻撃力は、たいしたことはない。だが、秘めている“機能”の方は、まさに戦略兵器級の恐ろしい力だ。この世のあらゆるものはEDENに接続されているがために、そのEDENを悪用して、あらゆるものへ影響を及ぼすことができてしまう。ようするに、生物の脳に対して、様々なハッキング攻撃を仕掛けることができる兵器ということだ」
「……クソ! 思っていたよりも、だいぶヤバい兵器みたいじゃねえかよ」
トウゴとリーゼは、説明を聞いてから、改めて眼下のメインストリートへ目を向けた。
後退したミズキを追撃するべく、ローガたちはゆっくりとメインストリートを歩き始めていた。その行く手に立ち塞がる異常存在たちは、容赦なく頭部を吹き飛ばされ、糸が切れた人形のように路上を転がり、死体を晒す。
問題なのは、そうして殺されているのが異常存在だけではないという点だ。
何も知らずに通りかかった、一般人たちまで巻き添えにして殺戮の限りを尽くしている。
「あれ見て、トウゴ! 市民の人たちが、大勢巻き添えになってる……!」
「なんて惨いことをしやがる……! 戦争に犠牲は付きもんだが、あれじゃあまるで遠慮している様子がねえ。市民の巻き添えを、気にもかけてないみたいじゃねえかよ」
自国民に容赦がない王を見ていて、トウゴは憤る。
「化け物軍を迎撃するためなんだろうが……かこつけて、ついでに下等血統の市民を虐殺してるみたいに見えるぞ。国王が市民の被害をガン無視とは、いったい何を考えてやがる。こんなのが、王様がやることだってのかよ」
「……“復讐”だろうな」
それまで腕を組んで黙っていたザリウスが、重たい口を開いた。
「復讐って……いったい何のことだよ、ザリウスのオッサン」
「俺たち兄弟の両親は、流行病にかかって病死した。そう思って疑っていなかったわけだが、後になって“暗殺”されたんだってことがわかってな」
「!?」
「下手人は下等血統。国外から来た難民たちの仕業だった。帝国の迫害を受けて行き場を失っていた、悲惨な境遇の連中に、オヤジは同情してな。この国へ受け入れてやったそいつらが、豊かなこの国を乗っ取ろうと画策して……恩を仇で返してきたわけだ」
「そんな……ひどいよ……!」
「ああ。酷い話だ。それを知って以来、弟は変わっちまったんだよ。下等血統と見れば容赦せず、排斥活動に近い統治に力を入れていやがんだ。トウゴの見立ては、おそらく正しい。敵軍を迎え撃つことを言い訳に、ローガは大義の下、大勢の下等血統を殺してやろうとしてるんだろう。その原動力は、恨みで違いねえ」
「戦時中なら、自国民を虐殺しても言い訳が立つってのかよ。国のリーダーとしては、正気じゃねえぞ……!」
それまでずっと神妙な顔をして考え込んでいたザリウスだったが、覚悟を決めた表情をする。
強い意志を宿した眼差しでトウゴたちを見渡し、告げた。
「人間たち。そして機人よ。魔人の1人として、恥を忍んで頼みがある」
ザリウスは深々と頭を下げて言った。
「この戦いをやめさせるために“協力”してくれ――――レルムガルズを救って欲しい」
「……」
「このままでは弟は……ローガは、取り返しがつかない。祖国をめちゃくちゃにしてしまう。たとえここで怪物たちの軍勢を追い払えたとしても、この戦いでローガが、下等血統たちを大量虐殺してしまったなら、この国に蓄積している血統差別への不満は、もう抑えきれなくなるだろう。レルムガルズは内部から割れて、国の体を保てなくなるのが目に見える」
ザリウスの見立ては正しいだろう。
ここへ来るまでの間、トウゴたちは何度となく、血統によって差別され、不満の顔をしている魔人たちを見てきたのだ。いまだに“ザリウス派”などと呼ばれる、反体制勢力が根付いているような状況である。レルムガルズの統治状況が、穏やかでないのは見てわかっていた。そこにきて、ローガは今、まるで愉しんでいるように敵もろとも自国民を殺し回っているのだ。
この戦いを乗り越えられたとしても、その後の市民感情は、穏やかでいられないだろう。
戦いで滅びるか。暴君によって滅びるか。
いずれかの違いだけで、レルムガルズに未来は望めない。
「俺はローガの兄であり、この国の元王族だ。この国に住む人々の命に対して、責任がある。だから俺は、この戦場に残っている市民を、怪物たちと弟から守るつもりだ。だが見ての通り、感染能力者も、カースグリフの槍も、その力は強大。俺の力だけじゃどうにもなんねえんだ」
「作戦は、あるの……?」
「長くは保たせられないだろうが……俺はここで、感染能力者とローガとの戦いに参戦する。第三の勢力としてな。俺がヤツらの注意をひいている間。トウゴにはもう一度、EDEN世界へ潜って、カースグリフの槍を手に入れてきてほしい」
ザリウスの案に、トウゴは眉をひそめた。
「そりゃあ……どういうことだ? 槍は今、あんたの弟が手にして使っているだろう。仮想世界へ戻ったところで、盗み出すなんて不可能じゃねえのか?」
「いいや。可能だ」
答えたのは、ザリウス同様に、腹をくくった様子のレオである。
「ローガが手にしているのは、カースグリフの槍の容器に過ぎない。中身の機能。つまり本体は、EDEN上に存在しているソフトウェアだ。そもそも俺たちが盗みだそうとしていたのは、そっちの方なんだ。今、ローガは物理世界へ来ている。つまりEDEN上の守備は、間違いなく手薄になっている。隙を見て王宮から盗み出すことは、さっきよりも容易になっているはずだ。……俺が同行して、案内しよう」
話の推移を聞いていたセイジも、苦笑して口を挟んできた。
「トウゴくんが仮想世界へ潜るなら、また俺の無死の力も、必要になるわけだよな?」
背負っていたジェシカの身体を下ろして寝かせ、リーゼは愛弓を手に取って笑みを返す。
「猪突猛進なザリウスさんだけじゃ心許ないし、私は仮想世界へ入れない。ならこっちの物理世界で、レオの代わりに“野良王族さん”を援護するよ」
全員が、ザリウスの申し出に答えるつもりの態度である。
皮肉っぽく、ため息を漏らしてから、トウゴも不敵に笑んだ。
「頼まれるまでもねえよ、ザリウスのオッサン。こちとらまだ利害が合ってる。協力関係も継続してる。それに“仲間”の故郷がやべえのを見過ごすほど、落ちぶれちゃいねえんだよ」
これまでに色々あった。
貸しもある。
だがトウゴは、共に旅をしてきたザリウスを、仲間であるのだと認めていた。
そのことが今、ザリウスには伝わった。
「我が友たちよ、恩に着る」
感無量の感情を目尻に滲ませるも、涙を流すことはしない。
ザリウスは決意の表情で、自身の手のひらを拳で叩いた。