14-2 殺戮深海
北海の底に沈む王国、レルムガルズ。
その周囲に展開された魔術障壁は、深海を泳ぐ異常存在たちの侵攻を阻んだ。
魔人族の王、ローガ・レルムガルズは、王座に腰を下ろし。その周囲へ展開された魔術のホログラムモニタを見つめ、頬杖をついて眺めていた。
赤い短髪。黒丸のサングラスをかけた、長身の優男。シルバーピアスとアクセサリを身につけており、チャイナ服を着こなしていた。その胸元には、桃色の禍々しい“花”が生え出ている。自身の身体に寄生させた設計者イアコフは、この有事であってもまだ、眠っているようだ。
「この程度の状況は、まだイアコフ様が出張るまでもないというご判断か……」
ローガは長らく、仮想世界に滞在していたこともあり、久しぶりに物質世界へ戻ってきての執務は、少し身体に堪えている。精神が肉体になじまない不快感はあるものの、それを気にしている場合ではなかった。
モニタへ映し出されているのは、怪物の大軍勢を率いる1人の少女の姿だ。
長い黒髪。一糸まとわぬ肌は、まるで木の皮のようにウロコだっている。
人の形をした、人ではない存在。
アークにそびえる全ての白石塔をハッキングして破壊し、世界を変えた。
――――“感染能力者”と呼ばれて恐れられる、妻川ミズキだ。
「来たんだね」
ローガは冷めた表情のまま、独りごちる。
王座の傍らに侍っていた配下、グラハムが口を開き始めた。
「ふむ……。魔国パルミラ。コーネリア・バフェルトという、化け物の企業国王によって支配された国。その尖兵たちが、我等がレルムガルズへ進軍しているという情報は聞いていましたが……ようやく、ご到着のようですねえ」
「私が予想していたよりも、遅い到着だ。道中、寄り道でもしてきたのか?」
「どうでしょう。ともかくパルミラは、地上で行われている、人間同士の戦争に参加しているように見せて、その戦力の何割かは、魔人族の国への侵攻に割いていた。人目につかぬよう、地底を進んできたわけですが、果たして人間の目に付かぬように我等を攻めるというのは、どういった了見なのでしょうね」
「どうでも良い」
ローガは頬杖を突いたまま、冷めた口調で応えた。
だが、その言葉の背後には、煮えた怒りの感情が含まれていた。
「私の治める国に、敵が攻め込んできた。事実はたったそれだけのこと。シンプルだ。ここは地上に居場所なき者たちの楽園。脅かすのならば、私は後悔させてやるのみだ。この国の“王”として」
ローガは王座から腰を上げる。
そうして、周囲に控えていた配下たちへ命じる。
「下等血統の兵を、海浜区画へ集めろ。純血種は中央区画へ避難。私も出て、感染能力者を迎え撃つ」
「王が直接、ご出陣なさるので?」
「魔国パルミラでも最強格の刺客が来ている。相応にもてなしてやらなくちゃいけないだろう」
言いながら虚空へ手をかざすと、召喚魔術によって武器が現れた。
無から生じ、手にしたそれは“槍”だ。
槍というよりも、異様に柄の長い、杖にも見える。先端の刃は円形になっていて、持ち手の部分には金の装飾が施されている。ところどこに宝石がちりばめられており、見るからに至宝と呼ぶに相応しい造りである。ローガの身の丈の倍はあるだろう、長物だった。
いつもニヤけているグラハムの顔から、笑みが消えた。
珍しく真顔になって、尋ねた。
「……使われるのですが、“槍”を」
「時の魔眼を欠いた未完成品ではあっても、イアコフ様に献上したこの槍の力は、アークの世を揺るがすだけの力を秘める。死の騎士が振るう“原死の剣”などよりも、さらに恐ろしい力だ」
サングラスを取り、ローガは不敵に笑んで答えた。
「そうさ。野良犬どもに、ここは贅沢な死に場所だ」
◇◇◇
およそ数千キロメートル。
万を超える異形の怪物たちを率いて、暗黒の地底を掘り進んできた。
主人であるコーネリア・バフェルトから、ただ1つ与えられた使命。
魔人族の国の“壊滅”を果たすために。
道中にあったダンジョンで遭遇した、魔人軍の兵士たちを掻き散らし、突破した先で、海に出た。光の差さないほどに深く冷たい、漆黒の海底だった。その海域を泳ぎ進めば、やがて見えてきたのは、ほの暗い光を灯した、黒鉄色の巨大球体だ。まるで海の底に沈んでいる小惑星。あからさまな人工建造物である。
それを見て、すぐに確信できた。
魔国パルミラの将の1人、妻川ミズキは、休むことも眠ることもなく進軍を続け、ついに到達したのだ。北海の底に沈む、神秘の小惑星。氷獄の王都レルムガルズへ。
「……」
長い旅路の果てに、目的地に辿り着いた。だが、ミズキの胸中には何の感慨も浮かばない。バフェルトの洗脳処理によって感情を抑制され、思考を支配されている今のミズキの胸中には、喜びも達成感もない。ただ淡々と、ここへ辿り着くまでに繰り返してきた、破壊と殺戮を継続するだけである。
レルムガルズを滅ぼす。
ただその命令を実現する人形として、配下の異形たちへ命令を下した。
<――――さあ、始めるよ>
声を発する必要はなく、思考を全軍へ伝えることができる。EDENを経由した直接思考伝達によって、ミズキは攻撃を命じる。その令によって、配下の異形存在たちは、一斉に行動を開始した。
レルムガルズの外壁に穴を空けて潜入しようと、水の中を泳ぎ進む尖兵隊。
ほどなくして、その進軍が妨げられる。
行く手に、見えない壁があるようだ。
魔人の王国の周囲に、魔術の防御障壁が張り巡らされていたのだ。
機人族の国ほどの歴史はなくとも、長い歳月の間、繁栄してきた王国なのだ。外敵の侵入を防ぐための備えは当然、準備されているだろうと予想はしていた。それが案の定である。障壁に飛び込んだ異形存在たちは、身体の内側から爆ぜたように、四肢をバラバラに弾けさせて絶命した。漆黒の海底は、怪物たちのおぞましい血肉の色で濁る。
侵攻の妨げとなる敵国のシールドを前に、異形存在たちは動きを止めた。
為す術がなく、万策尽きたからではない。
待つためだ。
ミズキは静かに海底の大地へ着地する。地に着けた足の裏から、見る見る間に根が伸びて、そこへ根ざした。今のミズキの身体は、他の異形存在たち同様、植物に近い性質を有している。人の形を有した、生きた樹木とも呼べる存在だ。異常な成長スピードで根を拡大させていき、レルムガルズ周辺の大地に、独自の通信網を張り巡らせて構築する。
そうして始めた。――――EDENへの“侵入攻撃”である。
ほんの数ヶ月前、ミズキはバフェルトの命令を受けて、世界中の白石塔の制御システムへ、一斉同時の大規模侵入攻撃を仕掛けたのだ。たった1人で、である。プログラムによって性質を変幻自在に変えることができる、史上最強のウイルスを感染させることで、それを実現させることができたのである。“感染能力者”と呼ばれるミズキは、その恐るべきウイルスを保有し、操る力を持った存在だ。言い換えれば、アークで最高のハッカーであるとも呼べるだろう。
レルムガルズの魔術障壁を、真っ向からの侵入攻撃で打ち破るのは容易い。
張り巡らせた根の通信網。その各箇所から、海中へウイルスの散布を開始する。周囲一帯へ専用回線網を展開し、氷獄の王都を守る見えない壁を、瞬く間に分解していった。溶解するように障壁が消え去ると、ミズキの配下の異形存在たちは、再び行動を開始した。
レルムガルズの球体状の外殻へ取り付くと、力尽くで装甲を剥がして、そこに風穴を開けようとし始めた。ここまでの道中、固い岩盤地層を掘り抜いてきた力は伊達ではない。怪物たちの鋭い爪や牙、非常な剛力によって、レルムガルズは“解体”され始める。まずは1つ、大きな風穴を開けるため、最も装甲が薄い部分を見繕って、ミズキは異形存在たちをそこへ集めた。
すさまじい速度で、見る見る間に外殻を抉り、破壊していく怪物の大群。およそ半時ほどの時間で、分厚い金属の装甲に穴を空けてしまった。蟻の一穴。ひとたび、穴が空いてしまえば、そこからの崩壊は容易い。深海のすさまじい水圧によって、貫通した小さな一点は、すぐに大きな穴に広がっていった。
外殻を突き抜けた先にあったのは――――海浜区画。
レルムガルズの中枢機能がある、中央区画の周りを取り巻く区画の1つだ。シースルーの巨壁によって、王国外部の深海を臨める展望エリアとなっている。物理世界に常駐している、下等血統の魔人たちにとって、そこは居住区である。
風穴が空いても、深海の水圧で即座にレルムガルズが圧壊することはなかった。内部は魔術による気圧コントロールが機能しているため、王国内へ海水が流れ込んでくることもなかった。
人々の頭上に生じた、黒い水の壁。
王国内部の魔人たちは、自分たちの居住区の天井に空いた大穴を見上げ、青ざめていた。そこから間もなく、おびただしい数の異形存在たちが飛び込んできて、着地と共に咆哮を上げ始めた。それに負けない大声で、一般魔人たちの恐怖の叫びと、応戦を始める兵士たちの雄叫びが響き渡る。
雪崩れ込んでくる怪物たちの群れに混じり、ミズキもレルムガルズの地へ降り立った。周囲を見渡すと、逃げ惑う者たちと、立ち向かってくる者たちが、自分へ向けている奇異の目に気付いた。
「……」
ミズキの心には、さざ波1つ立たない。
無表情に、冷徹に。
魔人の軍隊に向けて手をかざした。
「1人残らず、食い殺して」
命じられた異形存在たちは、残虐の限りを始める。魔人たちを引き裂き、ちぎり、噛み砕いていく。絶叫と血肉が飛び散る悪夢のような戦場を、ミズキは平然とした顔で歩き進んだ。
「……」
何も感じないはずの胸中に、小さな痛みを感じた気がした。
その正体がわからないまま、命じられた通りに、ただ王国の壊滅を継続する。
向かう先は、この国の中枢。
中央区画である。




