13-85 大局の揺らぐ地へ
アルトローゼ王国領西部。遠方海域。
ベルセリア帝国の軍艦無人機が大量に配備され、水平線を埋め尽くすように展開されていた。円盤を思わせる形状の戦艦タイプも複数混じっており、今にもアルトローゼ王国領へ攻め入ろうという、侵攻の気配を漂わせている。
その迎撃のため、ここ何週間か、アルトローゼ王国海軍の艦隊も対面展開していた。だが、陸伝いの隣国である四条院企業国に、北方から攻め込まれてからは、明らかに様相が異なっている。おそらくは内地の戦闘に兵力を裂いたのだろう。海上で睨み合っているアルトローゼ王国側の軍艦の数は、少しずつだが、日に日に明らかに少なくなっていった。
最前線に十分な戦力を配備できない状況。
海上兵力さえ、陸上兵力に裂かなければならない窮地。
アルトローゼ王国が弱っていることは、一目瞭然だった。
元々、ベルセリア帝国が海上に軍艦を配備していたのは、アルトローゼ王国が四条院企業国からの侵攻に満足な応戦ができないよう、戦力分散をさせ、弱体化させることが目的だったのである。つまり、アルテミア・グレインの目論見は見事に成功しているのだ。四条院とアルトローゼが潰し合って疲弊したところを、ベルセリア帝国が叩く。これは当初から予定された、作戦通りの展開だった。
今が攻め時である。
巨大な空戦艦が1機、ベルセリア帝国側の海域上空に現れた。
それは見るからにベルセリア帝国騎士団の“旗艦”である。
――――空戦艦ザハル。
その司令塔には、艦を動かすためのオペレーターたちが座しており、計器の管理や、操舵を担当していた。中央にある指揮官の席には、戦鎧を身にまとった、アルテミア・グレインが膝を組んで座していた。失われた右眼には機械眼が埋め込まれており、斬り落とされた右腕は、機械の義手になっている。再生治療を行えば癒やせる傷ではあるが、治療している時間がなかったため、負傷に備えて用意されていた義手、義眼で間に合わせている。満身創痍に見える姿ではあるが、健全であった。
全天球の巨大モニタ越しに、上空から海上の艦隊群を見渡して微笑む。
「ほう。妾の目論見通り、アルトローゼ王国の海上戦力は、だいぶ数を減らしておるのう。よほど、四条院に手痛くやりこまれていると見える。わかりやすい弱り様よ。この様子なら、こちらの軍勢で容易く捻り潰してやれるであろうな」
状況分析を口にしながら、頬杖を突いて苦笑する。
「……じゃが、あれらを殺してはならんのだろう?」
アルテミアは皮肉した。
「妾を打ち負かした男の言葉じゃ。従わざるを得ぬ。しかしそうするならば、このアルトローゼ王国騎士団の艦隊を、どう退けて上陸するつもりじゃ。こちらが“助けに来てやった”と申し出たところで、連中は敵の甘い言葉を信じたりはせぬぞ。戦わず、殺さず。この場を通り抜けられなければ、四条院が首都を落とすまでに間に合わぬのお、ケイよ」
指揮官席の横に、白髪の少年が佇んでいた。ダークコートを羽織り、その腰には騎士剣を帯びている。相対するアルトローゼ王国騎士団が、臨戦態勢をとろうとしている様子を見つめ、険しい顔で言った。
「お前の言う通りだよ、アル。けれどオレは、アルトローゼ王国の人たちにも、ベルセリア帝国騎士団にも、犠牲者を出したくない。……なんとか、説き伏せるしかない」
「なら口出しは不要じゃな。せいぜい、お手並み拝見させていただくとしようじゃないか、英雄殿」
アルテミアは腕組みをして黙り込んだ。
オペレーターが無線の暗号化を解き、海域全体へ呼びかける準備が整ったのだと、ケイへ告げる。静まり帰った空戦艦ザハルの司令塔で1人、アルトローゼ王国の艦隊へ語りかけた。
「オレの名前は、雨宮ケイ――――。あなたたちと同じ、アルトローゼ王国所属、アデル・アルトローゼに仕える騎士の1人だ」
公開無線での呼びかけ。ケイの声は、アルトローゼ王国騎士団に届いているはずだろう。だが予想通り、誰からも応答はない。構わず、語り続けた。
「オレのことを知らなくても、オレの名前をデータベースで照会すれば、すぐにわかることだろう。だから先に言っておく。空が落ちた日で起きた“血の結婚式”。その時、アデル王を救出したことがある。その功績で、アルトローゼ王国へ招かれたが……知っての通り、アルテミア・グレインに送り込まれたスパイなんじゃないかと疑われて、重要監視対象者として軟禁されていた」
自分が敵ではないのだと訴えたいのに、ケイは疑われるような情報を口にする。逆効果だと、わかっていつつも、敢えてそれを口にしたのだ。どのみち言わなかったとしても、すぐに調べられてしまう情報なのだ。黙っている方が、知られた時の印象が悪いだろう。なら、最初に暴露してしまった方が良い。
「そんなオレが、こうして実際に、あなたたちの敵国である、ベルセリア帝国騎士団の戦艦から話しかけてるんだ。信頼なんてできないだろうことは、十分にわかっている。けれど、それでもどうか聞いて欲しい。ベルセリア帝国騎士団はもう、アルトローゼ王国と争う意思はない。今は貴軍の味方として、一緒に四条院騎士団の侵攻へ対処するべく、力を貸してくれようとしているんだ。だから、この海域での睨み合いを終わらせて、共に陸地へ戻り、窮地にあるアルトローゼ王国の首都防衛戦に参加して欲しい」
情報戦の一種。
油断させてから攻撃するため、ベルセリア帝国がウソの情報を放送してきている。警戒を緩めれば、即座に壊滅させられ、艦隊は海の藻屑と化す。おそらく、ケイの話しを聞いているアルトローゼ王国騎士団は、警戒しながらそう考えている。
だが、そう考えるのは当然であり、ケイがアルトローゼ王国騎士団側の立場なら、こんな馬鹿げた話を信じたりはしないのも確かだ。大戦中の敵国が、急に脈絡なく味方になってくれて、しかも自国の首都防衛を手伝ってくれるなど。あまりにも都合の良すぎる話だ。
だが、そのあり得ないことを実現させ、ケイはこの場へ来ているのだ。
何か信じてもらうための証拠を出せないかと思案し、そしてアドリブを始める。ケイはオペレーターに頼んで、自分とアルテミアが2人、並んでいる映像も一緒に流し初めてもらった。
「……見えているだろう。オレの隣には今、アルテミア・グレインがいる。彼女とオレは決闘をした。彼女は右腕と右眼を。オレは左腕を失っている。そしてオレが勝利したからこそ、彼女は今、オレの指示に従ってくれているんだ。強き者こそが正義であり、それに従うのが、アルテミア・グレインの理念だ。彼女は彼女の信念に基づいて行動している。裏切ったりはしない」
アルテミアはククっと小さく笑い、ケイを助けてやることにした。
席を立ち上がると、ケイの傍へ歩み寄った。
「もどかしい弁じゃのう、ケイよ。そのような言葉だけで、昨日まで殺し合うつもりだった者同士、仲睦まじくなどできるはずもない。ソナタの言葉が真実であると即座に理解させるなら、妾がこうしてやるのが、一番、手っ取り早いであろう」
言いながらアルテミアは――――ケイの前に跪いて頭を下げた。
その行動に驚いたのは、ケイだけでなく、周囲にいたオペレーターたちも同様である。暴君たるアルテミア・グレインが、頭を垂れて他者に跪いている姿など、おそらくこの世の誰も見たことがない光景である。反応はわからないが、きっとアルトローゼ王国騎士団も大いに驚愕しているだろう。
「アル、そこまでしてくれなくても……!」
「今さら気を遣ってくれるな。敗北者とは、こういうものであるのだから、当然だ」
アルテミアは不敵に笑んで、ケイを見上げた。
『――――――――本当に、あの、アマミヤケイ殿なのですね』
長らく沈黙していた無線に、反応があった。
アルトローゼ王国騎士団の者の声であることは、すぐにわかった。
ケイが、よく知っている人物の声であったからだ。
「その声は……まさか“ダリウス”なのか?」
ダリウス。かつてケイが、東京解放戦で生き残った人々の安住地を探す旅をしていた時、出会った獣人の1人だ。ジェイドやステラと同じ里に暮らしていた、人狼血族であり、かつては人類を憎み、バイオテロを計画したこともある男である。今はジェイドの部下として、アルトローゼ王国騎士団の西部部隊を任されているとは聞いていた。
『久しくしております。昔、初めてお会いした時には、色々とお手数を。今はジェイド大佐にお仕えし、このアルトローゼ王国領の、西部海域防衛を任されている立場にあります』
「そうだったのか。……なんだか、話し方とか、ずいぶんと雰囲気が変わった?」
『ハハ。よく言われます。あなたがアルトローゼ王国へ戻っていることはお聞きしていましたが、こうして話すのは何年ぶりでしょうか。あなたが戻られた時、ジェイド大佐や、奥方のステラ様。アデル様が大変、お喜びになっていたことは、よく承知しておりました。かくいう私も、あなたが無事でおられたことを喜ばしく思っておりました。たとえ、ベルセリア帝国のスパイという汚名を着せられて戻ってきていたとしても、です』
「……ありがとう」
『あなたはアデル様と共に、首都におられるのだと思っていました。それがこうして突然、ベルセリア帝国騎士団の旗艦に乗って現れ、しかも強大な敵国を味方にして引き連れてくるとは……。相変わらず、あなたは予測できない方ですね』
アルトローゼ王国騎士団側からも、映像が送られてくる。
それがモニタに大写しになると、軍装姿のダリウスの姿が映し出された。
ダリウスはケイの顔を見て、背筋を伸ばす。
そして、敬礼をして見せた。
『――――私を含む獣人族は、あなたに返しきれないほどの“大恩”がある」
「!」
ダリウスの言葉と共に、アルトローゼ王国の軍艦は、一斉に砲塔を下げ始めた。攻撃態勢を解いた様子である。敵国軍を眼前にして、そのような行動を選ぶことが、どれだけのリスクなのか。それを全て承知の上で、指揮官のダリウスは、選択をしたのだ。
『アルテミアを信じるわけではありません。あなたの言葉だから、私は信じる。ご要望の通り、この海域での睨み合いは終わりにしましょう。陸地まで、我が艦隊がエスコートさせていただく』
「……こんなオレの話を、信じてくれてありがとう。ダリウス」
『当然のことです。我等が始祖、ジェイドからも言付けを預かっています。我等の“友”が戻ったのなら、友の力になれと。獣人は友を見捨てません』
「ダリウス……」
かつては人間を恨み、皆殺しにしようとまでしていた男。
ダリウスだけでなく、ジェイドだって、人間と共存することなど考えてもいなかったはずだ。
それが今は、人間であるケイのことを“友”と呼んでくれている。
『よくぞ無事に戻られました、アマミヤ殿。どうか、我等が王国の危機に、再びお力を貸してください』