13-81 設計者信仰
左眼の奥に疼くような痛みを感じ、トウゴは眼帯に触れて呻いた。
それに気がついたエマが、心配そうに声をかけてくる。
「どうかしたんですか、トウゴさん?」
「……何でもねえ。昔のことを思い出したせいかもな」
「?」
平気だとエマへ告げて、再び歩くことに専念する。
クラーク姉妹に、ザリウスとレオ。魔人族のパーティーに、1人だけ混じった人間が、トウゴである。レジスタンスの山小屋を離れた後は、4人の異種族の後に続き、雪山の中を進み続けていた。歩を進めるたびに、足は膝下まで雪の中に埋もれてしまう。まるで、まとわりつく泥土の中を進むようにしながら、少しずつ着実に進路を進んだ。
自分の前を歩く大きな背中。ザリウスへ、トウゴは声をかけた。
「大丈夫なのか? これからレルムガルズの大衆広場へ向かおうってのに、追放された身の、ザリウスのオッサンとレオもついてきてよ。俺やジェシカたちがブツを手に入れて戻ってくるまで、レジスタンスの山小屋に匿ってもらっていた方が、良いんじゃねえのかよ」
ザリウスはカッカッと笑って言う。
「そうしていたいのは山々なんだがなあ。それを言い出したら、お前さん方のツレの、アトラスたちと一緒に、獣人たちのキャンプに留まっていた方が良かっただろ。わざわざ、こうして帰国したからには、俺も一緒に行きたい理由があんのさ」
「まあ、そりゃそうなんだろうが」
「ザリウス様に危険が及ばぬように守護するのが、俺の役目だ。ザリウス様が行く場所なら、俺もついていくだけのこと」
「っつーわけだ。レオは、俺のわがままに付き合ってくれてるわけだな」
トウゴは、なんとなく理由を察し始めていた。
「ロビーについたら説明するって言ってたけどよ……。例の“王位を継いだ兄弟”ってのに関係があるんじゃねえのか?」
その問いに、ザリウスは寂しげに目を細めて答えた。
「そうだな……。ロビーについたら話す。というよりも、見ればすぐにわかるだろうから、口で言うよりも良いと思ってんのさ。現王の統治による、レルムガルズの状況ってのがな」
「?」
「ロビーエリアまでは、それほど遠くない。もう少し、このクソ寒い雪山エリアに付き合ってくれや」
ザリウスは、皆まで語らずにもったいぶる。
それに苛立ちはしたものの、そろそろ怒りを通り越して、呆れてきている。
トウゴは嘆息を漏らし、それ以上の追求は諦めることにした。
黙々と雪を踏みしめながら、ふとした時に、トウゴは背後を歩いているエマへ声をかけた。
「……エマが、また姿を持って目の前にいるってのが新鮮だぜ。いつもはジェシカの守護霊みたいで、声しか聞こえなかったんだがな。同じ情報知性体になってみると、こうして姿が見えるわけか」
メガネをかけた、赤髪ボブカットの少女。その顔立ちには、トウゴが最後にエマを見た時の面影が、たしかに残っている。眉をキリリとさせて、エマは胸を張って得意げにした。少しお調子者っぽい態度が、どことなくリーゼを彷彿とさせるが、もしかして影響されてるのだろうか。
「そうですね! 魂だけの存在って、つまりは情報知性体ですから。今までは実体世界と、EDEN世界の、異なる世界同士で通信していたようなものです。同じ世界にいれば、そりゃあ、お互いの姿を認識できるわけですよ!」
「俺が最後にエマを見たのは、たしか東京解放戦の時だったか? あの時はジェシカと同じくらいの、ちびっ子だったよな。しかも昔は内気そうで、いつもジェシカの後ろに隠れてる、大人しい印象だったのが、ずいぶんと明るい感じになったもんだ」
「どうですか、今の私は! さすがにアデルさんやお姉ちゃんたちほど美形じゃないですけど、私だってなかなかのものでしょう。えっへん!」
「いや、なんつーか。姉妹でも、ずいぶんと違うもんなんだと思うぜ……」
「?」
大きく育ったエマの胸。
生地の下で揺れ動いているのがわかるそれを見て、トウゴは視線のやり場に困っていた。
その泳いだトウゴの視線を見逃さず、話を聞いていたジェシカが、歯噛みして割り込んできた。
「そう。不公平なのよ……!」
「お姉ちゃん? 何の話?」
「ジェシカ……」
トウゴの憐れみを察したジェシカが、無念そうに俯いた。
そうして青ざめた顔で、自身の小さな胸元を見下ろしていた。
話題を変えるべく、ジェシカは咳払いをしてからトウゴへ言った。
「そうそう。トウゴには言っておかないといけないんだったわ。このレルムガルズっていう仮想の王国は、見た目や物理エンジンが、現実世界に似せてデザインされているみたいね。滞在していると忘れそうになるけど、ここはEDEN世界。私たちのこの姿は、私たちの自我が“自分の姿だ”と認識している形を、象っているの。顔や身体の形を変えることは難しいけど、自分の一部ではない、たとえば服装とかは簡単に変えられるわ」
ジェシカが着ていたモコモコのダウンジャケットが、瞬く間に変色する。
青になったり、ピンクになったり。形状まで変化した。
「ざっと、こんな感じにね」
「おお、すげえな! 一瞬で服装を変えられるのかよ! 俺でも簡単にできるのか?!」
「いや。魔術の心得や、EDENに関する知識があればね。アンタには、たぶん無理なんじゃない?」
「……じゃあ何でわざわざ教えるんだよ、俺にできねえことを」
「アンタはEDEN世界に慣れていないだろうから、今のうちに理解しておいて欲しいのよ。一見して現実世界のように見えるけど、ここでは、いつでも物理的な常識が通用するとは限らないってこと。たとえば人は空を飛べるし、水の中で呼吸することだってできる。扉の先に空間があるとは限らないし、重力や慣性が働かないこともあるでしょう。暑さや寒さも偽物。そうね。VRゲームの世界だと思えば良いわ。ただし、ここで死んだらゲームオーバーになるんじゃなく、本当に命を落とすことになる、デスゲームだけど」
「さっき、ザリウスのオッサンからも聞かされた注意事項だろ、それ。魂ってのは、俺を示す情報の塊。それが直接、攻撃されて傷ついたり、破壊されれば、壊れたデータになっちまうんだろ?」
「ここで受けた魂へのダメージは癒えない。たとえ、かすり傷だって、傷ついた場所によっては、致命傷になるかもしれないわ。パソコンのソフトだって、少しでもデータやプログラムが壊れていたら、正常に動作しなくなるもんでしょ? 魂の壊れ方が悪ければ、肉体に戻った時に廃人化するリスクだってあるってことよ。物理的に死ぬよりも恐ろしいことなのよ、それって。よくよく注意してよね」
「お互い様だな……」
「ええ。アタシも気をつけるわ」
やがて、先頭を歩いていたレオが立ち止まる。
「ここだ」
何もない空間を指さして、レオは断言した。そのまま虚空に手を伸ばし、ドアノブを掴んで回すようなジェスチャーをする。すると、そこに見えないドアが存在していたように空間が裂けて、その向こうに街の景色が見えた。トウゴは思わず呟いてしまう。
「見えないドアとはな。たしかに、物理的な常識は通用しないってわけだ」
雪山の景色の中、人が通れるサイズの長方形に裂けた空間を、トウゴたちは通過する。見えないドアを抜けた先は、不可思議な大都会の景色が広がっていた。
「ここがレルムガルズの中枢エリア、“ロビー”って呼ばれてる場所なのね」
ジェシカが呻くように呟いた。
和、洋、中華。様々な国の特徴を持った建築様式で、所狭しと建造物が建ち並んでいる。そびえ立つ子超高層ビルの隣に、中華様式の繁華街や、和式の仏閣などが乱立していた。他の諸外国のテイストも含まれているだろう。あらゆる国の文化をごちゃ混ぜにした、統一感のない雑多な大都会に見えた。トウゴが感じた印象としては、サイバーパンクな雰囲気である。
「……!」
驚いたのは、その雑多な風景に対してではない。
大量の戦車やミサイル車両。そうした近代兵器の数々が、路上をゆっくりと通過している。それを市民と思わしき魔人族たちが、歓声をあげながら見送っているのである。なぜか、その場の人々からは、争いごとを望んでいるかのような、異様な熱狂のようなものを感じられた。
裏通りに身を潜めながら、トウゴたちはパレードを遠目に観察する。
最初に、状況考察を口にしたのはエマだった。
「これって……もしかして“軍事パレード”をやってるんですか?!」
「そのようだな」
冷淡に、レオがいつもの仏頂面で肯定する。
だがそれに、トウゴは疑問を感じた。
「でもおかしかねえか? ここは物質世界じゃなくてEDEN世界だぜ。つまり、ここにある近代兵器は、実体のない偽物ってことだろ。そんなもんでパレードして何になるよ」
答えたのは、やはり博識なジェシカである。
「たしかに実体はないけど、この世界で、兵器の象徴を象っている代物だということは、情報世界で使用できる兵器。つまりは“情報兵器”ってことでしょ。外観のない兵器は、物質世界を生きる生物には認識しにくいから、“見た目”だけ近代兵器の形状で現している、攻撃プログラムデータだと思うわ」
「攻撃って……何を攻撃するんだよ」
「そうさなあ。タイミングからして、ここへ来る前にダンジョンで見かけた、魔国パルミラの異常存在たちへ、一斉同時の精神攻撃を仕掛ける準備かもしれん。目下の攻撃対象はそうかもしれんが……元々は“人間たちを攻撃する目的”で準備されていたもんだろうよ」
「人間たちを、魔人族が攻撃するって……。なんでだよ? 帝国から受けた差別への恨みか? けどここのレルムガルズに住んでる連中は、人間社会から隔絶されてんだ。迫害を受けていたってのは、少し違うように思うが……」
ザリウスは腕組みをして、嘆息を漏らして言った。
「ちょうど良い。見せたかった国の状況ってのは、この雰囲気だ」
「この雰囲気って……みんなが戦争ムーブメントに熱狂するような、この感じのことか?」
「――――“設計者信仰”だ」
ザリウスは奇妙な言葉を口にした。
怪訝な顔をするトウゴとクラーク姉妹へ、真顔で説明する。
「魔人族ってのは元々、設計者どもに奪われた、人工惑星アークの制御を取り戻すことを目的に集ったハッカー集団だった。けど今はもう、そんなのは大昔のことすぎんのさ。誰も事の始まりなんざ、憶えちゃいない。俺たちはいつしか、EDEN世界へ移住することを教義とする種族になっちまっていた。そして行き過ぎたそれは、EDENを支配する上位存在、つまり設計者たちへの畏怖と“憧れ”に変わっちまった」
「設計者たちへの、憧れだあ……?!」
「おうよ。自分たちがなろうとしていた存在。それを体現しているのが、設計者に思えているわけだ。EDEN上に存在する、高位の情報知性体になる。それこそが魔人の理想だ。考えてみりゃ、それを先にやってんのは、設計者じゃねえか」
ザリウスの話しに、トウゴたちは閉口してしまう。言われてみれば、たしかに設計者は、魔人たちの教義を、実現した存在だと言えるのかもしれない。そう思えたからだ。
「レルムガルズの現王、ローガ・レルムガルズは、設計者たちを“神”と崇めてやがる。それは多くの国民たちも同じだ。だからヤツらへ忠誠心を示すため、ヤツらを殺すため、先祖たちが代々に渡って開発してきた、カースグリフの槍を“献上”しちまった。そうして今じゃこの国は、設計者イアコフの、傀儡王国に成り下がってんのさ」
「ちょっと待ちなさいよ! レルムガルズの魔人たちは、じゃあ設計者の言いなりになることを望んで、忠誠を誓ったって言ってんの!? アタシたちのことを虫けらみたいに思ってる連中を神様扱いして?! バカじゃないの!?」
「そんなのありえない判断ですよ!」
憤るクラーク姉妹へ、レオが応えた。
「残念だが、現実にそうなっている。レルムガルズがこうなることを良しとせず、ザリウス様はかつて、弟君と王位を争ったのだ。そして、その政争に敗れて、追放者の身分となった……。さっき山小屋で出会ったレジスタンスたちは、現王の統治方針に、未だ納得できていない、少数派の隠れ勢力にあたる。かつて“ザリウス派”と呼ばれていた者たちだ。俺を含めな」
「……そういうことだったわけかよ」
「ああ、そういうこった。恥ずかしながら、これが我が祖国の現状よ」
ザリウスは腕組みをしたまま、苦笑で返す。
そうして話しを続けた。
「レルムガルズはもう、設計者たちと戦うどころか、付き従う勢力に成り下がってる。連中の文明実験とやらの手伝いのため、人間たちが地上でやってる戦争の裏に暗躍して、争いごとを盛り上げようとしてんのさ。現王が、設計者の野郎に“命令”されてな」
ザリウスは忌々しく吐き捨てるように、「命令」の言葉を強調して言った。
そうして続ける。
「もしかしたら……レルムガルズの暗躍にバフェルトが気付いたから、異常存在たちをけしかけて、攻めてきてんのかもしれんな。詳しい戦況はわからんが、そうだとしても我が国の自業自得ってもんだ。他所の戦争に、不用意に首を突っ込めば、その戦火に巻き込まれるのは道理ってもんだろ」
「……レルムガルズの軍が、異常存在たちの急襲対応に兵力を割いてるってんなら、予期せぬチャンスかも、か? 王宮の警備が、普段より手薄になってたりしないか」
「逆に警備を固めているかもしれんが、それは行ってみないとわかねえなあ。まあ、山小屋で説明した通り、俺たちのやることは変わらん。これから王宮に忍び込み、設計者礼拝堂に奉納されている、カースグリフの槍を盗み出す。もしも現王や、設計者に気付かれたら……そこで終わりだと思うこった」