第1章:丑三つ時の迷い客 第1話:午前二時の黄金きつねうどん
初の試みです!記念すべき第1話!読んでいってください!
チーン、コーン、カーン……。
柱時計が午前二時の訪れを告げる。
その、三つ目の音が夜の静寂に溶け切った瞬間だった。
ガタガタ、と店の裏口の引き戸が不自然に揺れた。風のせいではない。まるで、何か大きな生き物が身体を擦り付けているような、重い音だ。
「……はい、今開けます」
私はエプロンをきゅっと結び直し、すりガラスの戸を引いた。
夜の生ぬるい空気と共に、すうっと滑り込んできたのは、人間ではない「何か」だった。
それは、背丈が私の胸ほどまである、大きな大きな狐だった。
しかし、ただの狐ではない。毛並みは燃えるような美しい黄金色で、尾がふさふさと二本、不機嫌そうに左右に揺れている。何より、その双眸は切れ上がった琥珀色で、知性の光を宿していた。
「……随分と待たせるではないか、人間」
狐が、口を開いた。低く、どこか気品のある男の声だ。
私はごくりと唾を飲み込んだ。祖父が亡くなり、この古い定食屋を継いだ時、遺品の中にあったノートの記述を思い出す。
『丑三つ時の鐘が鳴ったら、裏口を開けろ。腹をすかせた客が来る』。
本当に、来たのだ。あやかしが。
「あ、あの……お腹が、空いているんですか?」
「当たり前だ。わざわざこの『隠れ穴』の暖簾をくぐったのだからな。何か、腹に溜まるものを出せ。異界の飯は冷えていて、味も素っ気もなくて敵わん」
狐はドサリと、厨房の丸椅子に器用に腰掛けた。
「腹に溜まるもの」……。
私は急いで冷蔵庫を開けた。夜食といえば、やはりあれだろう。
祖父から叩き込まれた手順を思い出しながら、手際よく出汁をとる。昆布と鰹節の香りが、湯気と共に厨房に広がっていく。
「ほう……いい匂いだな」
狐が、ふんふんと鼻を鳴らした。その姿は少しだけ普通の犬や猫のようで、私の緊張がほんの少し解ける。
茹で上がったうどんを器に盛り、熱々の出汁を注ぐ。その上に、じっくりと甘辛く煮含めておいた、大ぶりの油揚げをぽんと載せた。仕上げに刻みネギ。
「お待ち遠さまでした。きつねうどんです」
「フン、直球だな」
狐はそう毒づきながらも、出された箸を前足の肉球で器用に挟み、うどんをすすった。
ズズッ――。
「っ……!」
狐の身体が、ビクリと強張った。琥珀色の目が、こぼれ落ちそうなくらいに大きく見開かれる。
「何だ、これは……。出汁が、身体の芯まで沁みていくようだ。それにこの油揚げ、噛むたびに甘い汁が溢れて……熱い、熱いが、箸が止まらん!」
狐はハフハフと息を吐きながら、猛烈な勢いでうどんを平らげていく。人間界の「火」を使って丁寧に作られた料理。そこに含まれる温かさは、異界の住人にとって至高のエネルギーなのだ。
あっという間に、汁の一滴まで飲み干された。
狐は「ぷはぁ」と満足げなため息をつき、ふさふさの尾を嬉しそうにパタパタと振った。
「見事だ、人間。久々に本物の『飯』を食った」
「お口に合って良かったです」
私が微笑むと、狐は少し照れくさそうに顔を背け、
「……まぁ、合格点をやろう。これは代金だ」
と言って、前足を差し出した。
コトッ。
カウンターの木目の上に、小さな音が響く。
狐が置いたのは、コインでもお札でもなかった。それは、夜の闇をそのまま閉じ込めたような、深い群青色の小さな結晶だった。
見つめていると、内側からじんわりと、星のような淡い光が瞬いている。
「それは我が妖力の一部、そしてお前の料理への『満足』が形を成した結晶だ。人間にとっても、悪いものではあるまい」
狐は立ち上がり、最後にもう一度私を振り返った。
「私は琥珀。気が向けばまた来る。……次は、あの黄色くて丸い、甘い卵の焼き物が食べたい」
そう言い残すと、黄金の狐は裏口の闇へと、溶けるように消えていった。
残された私は、ぽつんと置かれた結晶をそっと拾い上げる。手のひらに載せると、まるでお風呂上がりのように、じんわりと温かかった。
時計の針は、午前二時半を回ろうとしていた。
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