喪明け前 二
「は? 何ですって……!」
私は紙を急いで見せてもらった。
そこには、「一部農地で不作が見込まれる為、やむなく市場強制権を発する」と書いてあった。
えっ、不作? それは一体どの村? 不足する作物は麦? それとも豆? まだ初夏だし、葡萄ではないと思うけれど。
何処かで何かが不作だったとか、全く耳にしていないのだけど。他の作物で代替えも出来ないの?
更に、「この地を通る商人は、五日間滞在し、市場にて積み荷を広げ、昨年の半値で販売せよ」と続いている。
ここで積み荷の商品全てを大幅に値引いて販売しろっていうの? しかも五日も足止めするの? 嘘でしょう……?!
市場強制権とは、商人の間で、強制寄り道権とも言われている。
交易の要所がある場所を通る商人がその対象で、『積んできた荷をその町で一度下ろし、決められた日数と決められた値段で領民に売らなければ、通過を認めない』という、変則通行税的な権利のこと。
主に、王都へ続くような大きな街道が通っている土地や、大河や港などの船着場がある場所ならではの、領主特権だ。
我が国の大きな船着場がある領でも、この領主権が振るわれている。
もし、そこで市場強制権に違反した場合の罰則は、船や荷馬車ごと商品の没収と多額の罰金、鞭打ちと晒し首、商業権の剥奪。
命までは取られなくても、社会的な死が待っている。商人として立ち直れないほど破滅する。
これは、領内を素通りする商人を足止めすることで、物資の確保を図る領地繁栄の策であり、商品の開示により密輸品の摘発と抑止も兼ねている。
同時に地元の商人が有利に取り引き出来るようにするためのものでもある。
一般的には、三日くらい市場で、その町の適正価格という名の安値で取り引きを強制する、のだが……。
この市場強制権があると、大抵の場合、余所から来た商人は品物を買い叩かれてしまう。
その上、鮮度が大事な野菜なんかは滞在中にすっかりしなびて売り物にならなくなり、本来の予定地への到着は遅れ、滞在費用がかさみ、大損害になる。
また、売れ残った不要な品物は積み換えて持ち去るよう義務付けしている上に、領を出入りする際にも、当然のように通行税を支払わせるのだ。
だけど、カシィコンはそんな命令を発しなければならないほど、物が無くて困窮しているようには見えない。
以前から街道が通る領だが、代々の領主は、余所から来る交易商隊に通行税を課していても、強欲な命令を出した事は無かった。
「……とんでもない、うちが干上がっちゃうわ」
つい、声が漏れ出てしまう。
アミーナさんとクロディア大奥方様は、ソストース様がこの命令を出すとご存じなのだろうか? 知っていたら私に教えるはずだと思うのだが。
ロフィーダが声をひそめた。
「思いますに、これはルフェイへの嫌がらせですわ。
私が見た限り、カシィコンはそれなりに賑わいのある土地です。ここを訪れる商人は、市場強制権が有ろうと無かろうと、ほぼここで商売しますわ。通過点ではなく、ここが目的地なんですの。
ですから、カシィコンを素通りして、王都付近で売るような品といったら、近隣の他領へ行くルフェイ産の塩、エクディキシ商店の調味塩や入浴剤くらいのものですわ。きっと、カシィコン産の葡萄酒は勘定に入れないおつもりでしょう。他にあるとすれば、ルフェイへ向かう同胞の商隊が運ぶ、帝国やバルニバ国からの輸入品ですわ」
確かにそうだ。
街道は主に、安全に王都へカシィコン産の酒類を運ぶため使われている。
そして、ルフェイ領から出た荷馬車や旅人は、街道へ出るためにカシィコンを通っている。
ルフェイへの嫌がらせ。というか、私の店に対する嫌がらせだ。
塩は腐らないし乾燥したハーブは日持ちするから、うちの商品を安値で買い占めて王都で売ればそれなりに儲かる。それと、私が仕入れる輸入品を横から奪いたいのだろう。
以前、クリスとソストース様が話し合った時、塩の値段を変えない代わりに、互いの領間の通行税を低く抑えると決めていた。
だから、片方が勝手に通行税を値上げすることは出来ないし、同時にルフェイ領はカシィコン領の特産物の優先権を得ているので、関税の変更もしにくい。
でも何故、こんな手を使ってまで嫌がらせをするのだろう。
……あ、アラゾーニアの件かな。罪人坑夫となった親戚の解放を断った腹いせで、とか。
(弔問に来たとき、あの不味そうな個体が、ティシアと話が出来なくて、つまらなかったからじゃない?)
フォスアンティピナがそんなことを言う。まさかそんな。
いずれにせよ、対策が必要だ。
私はぐいと頭を上げた。
「いち早く知らせてくれて、ありがとうございます。出遅れずにすみそうです」
「お礼には及びませんわ。同胞の商隊の為でもありますから」
微笑むロフィーダに、こくりとうなずいた。
「また何かあったら、教えて下さいませ」
私とロフィーダが戻ると、護衛の膝の上にアピリーが乗っていて、侍女が匙で果実の甘煮らしきものを食べさせていた。
アピリーが満面の笑みで口を開けている。
「まあまあ、この子ったら。皆さん、甘やかすのは、ほどほどにしてやって下さいな。悪い癖になりますと良くないですわ」
母親らしくロフィーダがたしなめて、皿を遠ざけ苦笑した。
果実の甘煮は店のおごりらしい。皆の分がテーブルに置いてあって、私とロフィーダの皿だけ手付かずだった。
口の周りについたベタベタを母親に拭かれながら、アピリーが窓を指差して文句を言った。
「わたし、もっと食べる! 外でいい匂いしてるの、食べに行きたい!」
「駄目よ、いっぺんに食べ過ぎると身体に良くなくてよ。明日にしましょう?」
アピリーの指す先をつい目で追ったら、窓の外に人影が見えた。
「あれは……」
(あ、美味しそうな不要個体だ)
オストアルゴの母親のエラスティが、熱心に窓の内側に飾ってある異国風調味塩の瓶を凝視していた。
ちょうど日に当たって、さぞかし硝子が輝いて見えるだろう。
彼女は店の中に入る気が無いのか、窓の外から中をうかがっている。相変わらず派手な赤いチュニックワンピースを着ていて、通りで悪目立ちしていた。
と、彼女の傍へ身なりの良い男性がやって来て、何か一言言った。ぱっとエラスティの顔が明るくなり、男の腕に引っ付く。
金髪を撫でつけて口髭を生やした渋めの男性だ。丈の長い濃い青のチュニックに磨きぬかれた革のベルト、艶のある上着は帝国の物か。富裕層か貴族と分かる格好だ。ソストース様と少し似たきりっと整った顔をしている。
……恐らくあれが、ソストース様の父で、前のカシィコン伯爵のプロカッロ様だ。初めて見た。引っ付いたエラスティがしなを作っている。
自然と私の表情が固くなっていたらしい。護衛が私と同じ方向を見て、二人に気が付いた。
二人は少し言葉を交わし、エラスティが硝子瓶を指差す。プロカッロが鷹揚にうなずいて何か言った。エラスティが大袈裟に喜ぶ。
護衛が小声で言った。
「……大小全色揃えたい、と。もうすぐ全て手に入るから待て、と言っています」
「そう。……なるほどね」
私は決意と共につぶやいた。
つまり、プロカッロ様は市場強制権を行うと知っている、ということか。
全て? させないわ。
窓を離れていく男女の後ろ姿を睨みながら、美味しそうな甘味が乗った皿を、そっとロフィーダとアピリーの方へ押してやった。
「アピリーさん、気に入ったのなら、これも食べて下さらない? その代わり、お外のは諦めてもらえないかしら。……申し訳ないけれど私、用事を思い出しました」
(ごめん、アピリスティプロセフィ。私の『揺りかご』が目を付けてるんだ)
私の中からフォスアンティピナがぼそぼそ言う。
「んんっ、じゃあ、いいよ」
アピリーがニッコリ笑って小さな手で皿を引き寄せた。
(支店に行くの? 凄く怒ってる?)
幼体がたずねてくる。
うん、行くわ。もちろん怒っている。
カシィコン伯爵家は、うちの商品を安く買い叩いて利益を奪い取るつもりなのだ。しかも、この地を通る旅の商人を巻き添えにして。
(あの臭くて不味そうな奴、遠回しにティシアを虐めるつもりってこと? なら、敵だね)
侍女に頼んで、全員の代金を支払った。
お金を受け取った若い女の店員が、「オストアルゴさんを呼びますか」と厨房の方を向いたので、「急いでいるからまた今度」と言って止めた。細かいおつりは取っておいてと握らせ、店を出た。
少し離れた所に馬車が止まっているのを見つけ、皆が乗り込んだ後で聞いた。ここなら監視が無い。
「……貴方達一族の力を借りることになってもいいかしら?」
(私の『揺りかご』を手伝って欲しいの。お願い)
幼体が私に同調してつぶやく。うかがうように見ると、侍女と護衛が微笑んだ。
「遠慮なさらないで、若奥様。仲間は助け合うものですわ」
「そうです。我らが長の子よ。何をしますか?」
「ありがとう。後でクリスにも話しますけど、これを見て」
言いながら、握りしめていたロフィーダの紙を再び広げた。
それから、私はカシィコン支店に寄って支店長を呼び出した。
中に入らず店の前に立って話をした。
「しばらく、本店で大がかりな在庫確認作業をします。その間、本店は閉めておき、落ち着いてから再開します。
もし商品が欠品したら、お客様には入荷未定とお伝えして下さい。さっき馬車に積んで持ってきた物が本店からの最後だと思って。
カシィコン領内で仕入れている物は、そのまま売り続けて大丈夫です。
異国風調味塩の硝子瓶は、見本棚から引っ込めて、予約していたお客様だけに販売して下さい。中味の詰め替え販売も、支店にある物が無くなったら、しばらく次の入荷はありません。追加予約はしないで下さい」
「かしこまりました」
言葉を切り、私は困った顔をして、ふうと息を吐いてみせた。
「伯爵様が、やむを得なく市場強制権を発すると聞きました。不作だった農民は大変でしょう。足りない作物が分かったら、手紙で教えて下さい。
お困りの方々のお力になれるよう、私達もお手伝い出来ることを探しましょう。……どうか女神様が御慈悲を下されますように」
「はい、店主様」
支店長が神妙な顔で大きくうなずいた。
「まだ私は、なかなかこちらへ来られないので、もし手紙で足りないような何かがあったら、そちらからルフェイ本店へ来て欲しいの。ごめんなさいね」
「分かりました。そのように致します」
支店長が頭を下げる。
私が支店長と話をしている間、護衛はカシィコン支店の用心棒達と小声でやり取りしていた。
彼等に、本店の荷馬車が襲われたことと、荷馬車を襲う計画を立てた男が捕まっていないことから、注意喚起をお願いしておいた。
私達はカシィコン支店からルフェイ家の本邸へ向かった。
帰って来てから、クリスに市場強制権のことを話すと、彼はふうん、と鼻を鳴らした。
「この夏から行う、ということは、恐らく登城している間に領主特権の実行許可を得て、王都から帰り次第すぐに始める予定でいるか、または、許可の知らせだけ返して、自分はわざと王都に長く滞在し、商人達の不満を直接受け取らないつもり、だろうね」
そう言って目を細めた。
「ほんの少し事前に命令の予定を公示することで、突然の命令ではないと周囲に示している。けれど、遠方から来る商隊には事前に知らせようもないくらい短い猶予期間、という絶妙さにする。抗議しようにも不在だから取りあわない。なかなか考えた時期だ」
意図を冷静に読み解くクリスに、私も同意した。
「ええ。それと、私の店が昨年、新製品の異国風調味塩を出した時期から予想して、何も知らずに来たうちの荷馬車が、領地の入り口で引っかかるようにしたんだと思うわ」
「うん。君の荷物を運ぶのは、一族の商隊のリンティナ達なんだろう? ならば、見過ごせないな」
魔族の長が、そう言ってくれるのは有り難い。
私は拳を握った。
「クリス、カシィコン領を避けて、ルフェイ領と街道を繋ぐような迂回路は無いのかしら? ルフェイの塩を積んで出た商人や、行商人の皆がルフェイへ来る時、カシィコンで積み荷を奪われないようにしないと」
「ふむ。無くはない。一族が使う山間の起伏が多い悪路だが、距離的には近道だ。ただ、道幅が狭いから荷馬車は難しいだろう」
「有るのね。それ、荷馬車が通れるように、こっそり整備出来そう?」
少し考えてクリスはうなずき、今日私に同行してくれた護衛と侍女、それから執事に言った。
「森の館へ行って、力仕事を手伝っても良いという者を連れて来るように」
「はい」
「それと、エレガーティス公爵領にいる同胞の行商人達に、カシィコン領の街道を迂回するよう、伝言を」
「かしこまりました」
魔族達がクリスの命令に従う姿勢を見せる。
「で、君はどうするつもり?」
こちらへ向き直り、興味深そうにクリスが聞いた。
「まず、本店を閉めて店員に在庫確認作業をしてもらうつもり。
後はそうね……、先々代のカシィコン伯爵夫人、クロディア大奥方様に不作のお見舞いの手紙を書くわ。どちらの村が大変なのですか、もしや私の故郷では、と。
それで、お返事が来たらカシィコン領の教会に寄進をしたいわ。天の御使い像か何かを積んで持って行かせようと思う。
……だから、巫女ヘロニア先生を頼っても良いかしら?」
(当て付けだね。それ、上手くいったらすごく面白い)
私の中で、フォスアンティピナがうきうきしている。
クリスはクスクス笑い出した。
「良いね。後で教会に寄進がありますと伝えてあげよう」
翌日、クリスに言った通り、ルフェイ本店の在庫確認作業を店の皆に命じた。
突然の事だけれど混乱も無く、売り子も調合師も総出で、在庫と帳簿の突き合わせにかかった。
私もその間、店主として作業に加わって忙しく働いた。
保管庫の品物を整理していると、隅の方から正体不明な草束が出てきたり、古い布袋から岩塩の塊と銀貨が出てきたり、いつの物か不明な塩漬け魚が見つかったりして、誰が置いたの、とか、臭いから捨ててきて、だのと、色々なことがあった。
帳簿と数が合わないものもちょいちょい出て来て、追加の出荷と入荷が抜けていたり、廃棄品の修正漏れがあったりと、皆は冷や汗をかいていた。
最終的には勘定が合ったが、私のこめかみは何度もぴくついた。
私は、またそのうち、抜き打ちで確認作業をするかも知れませんね、と笑顔で脅しておいた。
一方で、魔族達はクリスから事情を聞くと、一族の為と快く力仕事をしてくれた。森の館から、ほぼ全ての魔族が交代で手伝いに来ていたようだ。
ありがとうと言うと、昨年お土産に布小物をいただきましたから、そのお礼ですよ、と返された。本当に義理堅い。
……本邸の裏手で、巨大な丸太を抱えて軽々と歩く嫋やかな女性型魔族を見た。その丸太を物凄い速さの斧さばきで切り分ける男性型魔族も見た。彼ら魔族の手によって、杭や柵がみるみるうちに量産されていた。
少し怖かったので見なかったことにした。
そうして、店の在庫整理と確認が終わったのと時を前後するように、魔族が利用する近道は、荷馬車も通れる新しい道となった。
今後、魔族の商隊はカシィコン領を迂回してこちらを通ってやって来る。
ただし、山あいの坂道で、登り降りの起伏の激しさは変わらないから、費用を惜しまなくて良いなら、人間は従来通りの街道を使った方が疲れないと思う。
夏の暑さが増してきて、ルフェイ領にファゴピルムの花が咲く頃になった。
そろそろエレガーティス領から、リンティナとスタヴローノ達の商隊が戻って来るはずだ。
かなり前に、先々代カシィコン伯爵夫人のクロディア大奥方様宛に、不作を心配するお手紙を送っていたのだが、その返事がやっと来た。
「ティピナさん、ご心配ありがとう。市場強制権のことは、私も夫も長く領政から外れていましたので存じませんでしたが、夫がソストースから、春小麦の穂付きが酷く悪い地がかなり有ると聞いておりました。詳しく確かめてはおりませんが、取りあえず貴女の生まれ故郷ではなさそうですから、ご安心なさいませ。何処の村が被害に遭ったのか確認してみましょう」と、書いてあった。
本当に不作の兆候があったのなら仕方が無いが、そんな場所など存在しないのでは、と私は思っている。
だって、詳細をちゃんと言わないまま領地を離れるなんて、変ではないか。
ソストース様とアミーナさんが王都から戻った様子はまだ無い。
私は、しばらく伯爵夫妻が戻らないと考え、カシィコン支店へ出す荷馬車を用意した。
在庫整理で出た余剰品ということになっている、いつも支店へ送るくらいの量の商品を荷台に乗せ、それと一緒にルルディア様から譲り受けた金色の天の御使い像も積み込ませた。
この荷馬車の護衛を、クリス経由で複数の強そうな男性型魔族にお願いしている。
そして、荷馬車に付き添うのは巫女姿のヘロニア先生だ。
「この度は、無理を言って申し訳ありません、先生。ありがとうございます」
(ありがとう、ブロヘロスウラノス。手伝ってくれて嬉しい)
頭を下げて幼体と共に深くお礼を言うと、巫女ヘロニア先生は優しい微笑みを浮かべた。
「よろしいのですよ。若奥様の慈悲深い行いは女神の御心に叶うものです。私が仲立ちした方が話が早いですし、あちらの教会にも事情がお分かりいただけるでしょう。喜んでお役に立ちましょう」
私は先生に、教会宛の寄付についての手紙と、カシィコン支店宛に指示を書いた手紙を手渡した。
「どうか、道中お気をつけて」
「まあ。ほほほ。教会からの私達を襲う不遜な輩の方が、危険な目に遭いましてよ」
軽く答えて、彼女は荷馬車に乗り込んだ。
巫女ヘロニア先生の役目は、カシィコンの教会が受け取った残りの積み荷を、支店へ渡してもらうこと。
名目は、教会の依頼で代わりに保管し、必要に応じてお渡しするため。もし不要になったら、そのままカシィコン支店がお下がりを頂戴するのだ。
寄付予定の品は、商品ではない。
私は喪中で出歩けないので、ルフェイの教会を通じてカシィコンの教会へ寄付する品を託し、巫女様に仲立ちをお願いした、のである。




