偽りの喪に服す 三
一口飲んだ後、アレテと名乗る女性は手にしたカップをしげしげと眺めて言った。
「素敵な揃いの茶器ですね。凄くお高そう……。もしかして帝国製ですか?」
私の方を見て首を傾げる。
「いいえ、バルニバ国です」
この茶器は最近隣国で人気の陶器だ。特別な釉薬で仕上げた白地に鮮やかな模様を描く。私が手に入れたものは白地に青と緑で小鳥が描かれている。
これも先日、リンティナ達の商隊から仕入れた物だ。
女性は、ふうん、と鼻を鳴らし、男二人の方へ砕けた調子で話しかけた。
「ねえ。これ、甘いけど後味が少し苦くない?」
「いや、ハーブなんてそんなもんだろ。割と美味いと思うぞ」
大柄な男がハーブの茶をすすって言う。色黒で目つきの鋭い男は、ぼそぼそ低い声を出した。
「……酒の方が良い。青臭え」
「っくく、違えねえ。けど、お高いモンをタダで飲めるんだ、運が良いよな?」
無言で茶を飲み込む色黒な男を、女がクスクスと笑う。
人間達が勝手にくつろぎ出したので、私は静かにおかわり用の湯を沸かし始めた。
大柄な男は熱い液体をぐいっと飲むと、じろじろと店内を眺めた。棚の商品に目をとめる。
「お。あれが人気の調味塩ってヤツ? へえ。……うん? 入浴剤ってのは何だ?」
この男は、色褪せた茶色のチュニックと裾を紐で締めた膝丈ズボンに革靴という、平民の格好をしているが、説明書きの文字が読めるらしい。
もう一人の目つきの鋭い色黒の男は、小綺麗な生成りのチュニックとベルト、膝下まで折り返したズボンに革靴を履いて、腰に小物袋を下げていた。
彼はカップ越しにチラッと護衛を見て、次に侍女を見て、じっとりとした視線を私に据えた。
「あんたら、別嬪だな」
と、真面目くさって言った。
言い方が事務的で褒めている感じが全くしない。反応に困って苦笑してしまう。
アレテは、茶をすすりながらくるくる手の中で器の向きを変えて鑑賞し、飲み終わったらひっくり返してカップの底を撫で、「これ、いいなぁ、欲しいなぁ」とため息をついた。
(雌の個体、羨望と嫉妬と興奮、強欲な感じ。大きい雄の個体、愉悦と興味と期待、品定め中? もう一つの雄の個体、興奮と飢餓感と好奇心。何だろうこれ、戦意? 嫌な感じ)
フォスアンティピナは人間観察に忙しい。それにしても、伝えてくる内容が不穏だ。
滋養液が効いてくるまで、一体どれくらいかかるのだろう。やきもきする。
護衛が気安い様子で話しかけた。
「お客様方は長旅のようですが、どちらからお越しですか?」
「エレガーティスからだ。カシィコンまで真っ直ぐ来て、そこからルフェイへ曲がったんだ。思ったより遠かった。細道と荒れ地ばっかで町もねえし、ど田舎だな!」
大柄な男が肩をすくめた。ルフェイ領は塩関係の他はとても地味な土地だ。
護衛が驚いたように感心してみせる。
「それは凄い。遠いところをようこそ。こんな田舎にどんなご用で?」
男は大きな手を上向けて肩をすくめた。
「こいつが世話になった人に誘われてこっちへ来たんだが、残念ながら会えなかったんで、諦めて帰るところだ」
と、アレテを顎で指す。彼女は悲しそうな顔を作って首を振った。
「それはそれは。残念でしたね。ああ、そうだ。ここでお休みの間、走り通しで可哀想な馬に水を飲ませてやりましょうか?」
護衛の申し出に、色黒の男がちょっとうなずいた。それを受けて大柄な男が弾んだ声を上げる。
「お? おぉ、良いのか? ありがとうよ!」
護衛は侍女へ「行ってくる」と言って、口角を上げた。侍女が同じ笑みで「ええ、お任せします」と応える。
なんだか、魔族で無言のやり取りがあったようだ。
護衛が背を向けると、侍女は「若奥様、そういえば焼き菓子が有りましたわ。お出ししても良いでしょうか?」と、私の傍へ寄って来た。
見れば、侍女の茶碗の中に、いつの間にか新たな滋養液が。
私は笑顔を作ってうなずいた。
「ええ、お出しして下さい。……皆様、お茶のおかわりはいかがですか?」と、言いながらポットの蓋を開ける。新しい茶葉をポットにすくい入れ、湯を注いだ。
蓋を閉めるときには、隣に立った侍女の茶碗がもう空になっていた。
空中で賽子の向きを変えられるのが魔族だ。ポットに何か仕込むくらい造作も無いこと。
素知らぬ風で砂時計をひっくり返す。
侍女が皿に盛った菓子をテーブルへ持って行く。
あ。あれ、私の休憩用の焼き菓子だ。チーズ風味のやつ。
(えっ、そんな。私もお腹空いてるのに!)
途端にフォスアンティピナが空腹を主張してきた。
うん、後で何か食べるね。今は我慢。
人間達はすっかり気が緩んだらしく、勧める端から菓子をつまんでいく。
二杯目のハーブ茶を淹れていると、アレテが私の手を指して聞いてきた。
「その、貴女の薄い手袋って、ここで売ってるんですか?」
「いいえ、これは余所で注文したんですわ」
「なぁんだ。……とっても綺麗で高そう。もしかしてお金持ちですか?」
焼くような眼差しで、甲部分に小花の刺繍がある薄茶色の手袋を見ている。これは派手ではないが品があるので、喪中でも使えて重宝しているものの一つだ。
手袋は、私の安心を確保するため、着け続けていた。
建前は、働いているので荒れた手を人目に晒すのが嫌だから。だが本来の目的は、うっかり幼体が誰かを食べないように用心して、だ。
しかし、今ではフォスアンティピナも我慢を覚えたので、単なる習慣と化している。それに、幼体が宿っている身体は、常に手入れされるから荒れたりしない。
「手袋がお好きですの?」
侍女が聞くと、女は頬へ笑みを乗せた。
「綺麗な物は何でも好きです。誰でもそうじゃないですか? この茶器も素敵です。あと、貴女もそこの若奥様も、美人で素敵です。あの、ちょっとだけ見せてもらえません?」
そう言って近寄って来た。
私は新しいカップに淹れたばかりのハーブ茶を、木の盆に乗せて静かに差し出した。
「良いですよ。今、おかわりが入りましたから、少し待って下さいませ」
そう言うと、彼女は黙って滋養液入りのハーブ茶を受け取った。
おかわりにつられてか、男達もこっちへやって来た。彼等の分も新しく渡してやる。
それぞれが茶を受け取るまで、アレテはじっと待っていた。随分熱心に手元を見ている。さり気なく男達も気にしているようだ。
私は皆が飲み終えた方のカップを下げ終えてから、そっと手袋を外して手渡した。
受け取りながら彼女が言った。
「……いいわ、全然荒れてない白い手。お貴族様みたい。間違いなくお金持ち」
「そいつは良い。良い値がつく」
目つきの鋭い色黒の男が言った。
(危ない、ティシア!)
フォスアンティピナの警告と同時に、女の腕が私の首へ伸びた。
ぱしっ、と侍女の手が腕を叩き除ける。
「何の真似です」
叩かれたところをさすり、女が嗤う。ごっこ遊びを止めたようだ。
「何のって、そりゃぁねぇ? 美人は高く売れるから」
侍女が私を背中に庇うように立つ。
男二人も楽しそうにニヤニヤする。
「用心棒も向こうに行っちまって、しばらく戻ってこねぇだろ?」
「たった二人だけで店番とは。油断してるヤツが悪い」
嫌悪感も露わに、侍女が吐き捨てた。
「屑だわ。臭いし、不要な害悪ですわね」
馬鹿にされたと感じたらしい。大柄な男が拳を握り、いきなり侍女に殴りかかった。
「んだと、ごらあ!」
それを侍女が、ひょいと軽く避けた。
次いで、お返しの強烈な平手打ちを、相手の耳の辺りに当てた。
パァン、と割れるような音がした。
男の大きな身体が揺らぎ、女にぶつかって倒れる。
押された女がよろめいて膝をつく。
そして、床の男の姿を目にし、茫然とした。
床に伏せて伸びる男の耳から、赤い液体が流れていた。
「えっ、嘘……」
もう一人の男が、焦った顔でベルトに下げた袋から何か小さな物を出した。
空気を裂く音と、侍女の脇をすり抜け、ドッ、と壁にめり込む。
鏃にも似た尖った物体。石だ。
アレテが騒ぐ。
「もうっ、商品の身体に傷つけないでよ!」
「うっせえ、生きてりゃいいだろ。黙ってろ!」
男が怒鳴り、また尖石が侍女目がけて飛んで来る。
(しゃがんでティシア。テーブルの影へ)
幼体の指示に、私は慌ててしゃがみ込んだ。
怖い。
詐欺師で強盗で人さらいだ。
酷い。
勿論、投擲は魔族の侍女に当たらない。
が、磨きぬいた飴色の壁や、造り付けの収納棚に尖石が突き当たった。
やめて。暴れないで。
私の店を壊さないで!
すると、私の心の叫びが分かったのか、侍女が木の盆を取り、盾のように構えた。
ガン、と固い音がして石が盆に当たる。
「こいつ……!」
憎らしそうに、色黒な目つきの鋭い男が歯がみした。
再び投げた尖石が同じく、ガコン、と木の盆に防がれる。
ふと、私のしゃがんだ先で、倒れていた大きな男の手指がピクリと動いた。
玉葱に似た匂い。この人、生きている。
大男の目蓋が動いた。
(あっ)
フォスアンティピナの危機感が伝わると同時に、血濡れた男の目と、目が合った。
瞬間、ばっ、と突如腕が伸びてきて、私のチュニックの裾をつかんだ。
ざっと血の気が引く。
「……くっ」
逃れたくて布地を引っぱるが、びくともしない。
男が倒れたまま、もう片方の震える手でズボンの横の何かを探している。
(ティシアは私が守る)
フォスアンティピナの決意に満ちた意思。
(狩る。触って)
そこにある、男の腕だ。……不要個体の。
でも私は、人間で。それは、人間の腕で。
けど、このままでは。
(早く!!)
強く急かされるままに、太い腕に触れた。
途端に幼体が、指先から何かを吸い上げていく。
あの、表現しがたい二度目の感覚。
満たされていく、飢えていた何か。
「っ、うぁ、あっ……」
大柄な男が目を見開き、驚愕と焦燥の表情で呻き声を漏らす。
もう片方の手に、抜き身の短刀が握られているのが見えた。けれど、振るう余裕などあるまい。
気のせいか、青菜が萎びるように顔色が悪くなっていく。
代わりに感じる、私の内部を満たしていく圧倒的な充足感。生命の核たる熱。
男の目蓋が重たげに閉じていく。
やがて力の無い手が、チュニックの裾布を離した。
(美味しくなかった)
満たされながらも不満そうな私の幼体。
獲物の匂いがしなくなった。男の身体から生気が抜けたせいだ。
やってしまった。二度目だ。
身を守るためとはいえ、幼体が食べてしまった。
もう一度、ガコン、という音と、色黒な男が発する太い声がした。
「ックソ、小賢しい!」
ついに侍女へ投げつけていた尖石が無くなったらしい。
テーブルの向こうで、色黒な男がバルニバ製のカップを振りかぶるのが見えた。
「ちょ、止め、あたしのお高い茶器!」
アレテの悲鳴めいた叫びと、飛んできたカップ。
けれど、侍女は難なくそれを片手で受け止めて、そうっとテーブルの上へ置いた。
「割れたら若奥様が悲しみます。それと、貴女の物ではありません」
アレテが震え声でつぶやいた。
「ひぇ……、化け物……?」
「チッ、やべえな。逃げるぞ」
元から色黒な顔を青くして男が言うと、女が床の大男を見た。
「でもテオドロス、ヘゲシアスが……」
「諦めろ」
無情な一言に覚悟を決めたのか、きゅっと唇を噛んだアレテは、立ち上がろうとした。
でも、それがかなわず、ガクッとまた膝をついた。
「あれ、なん、……で」
彼女の顔がこわばる。
「おい、どうした」
男は逃げかけた足を止め、アレテを見てぎょっとした。彼女の体が不自然に震えている。
彼女は、ガクガクと小刻みに震える足を手の平でぱしぱし叩く。しかし、動かない。
「立て、……な、い」
呂律も回らなくなってきたようだ。
魔族の滋養液がやっと効いてきた。
激高して男が叫ぶ。
「畜生、なんか飲ませたのかっ!」
侍女が品良く微笑んだ。
男は舌打ちすると、くるりと仲間に背を向けて、戸口へ走った。見捨てたのだ。
女の擦れ声が追い縋る。
「待っ、テオ……!」
だが、戸口を抜ける途中で、男の足もよろめいた。力が入らず、段々と覚束ない足取りになっていく。
それでも戸に手をかけて体を支え、外へ出た。
まだ意識のあったアレテが、男の後を追ってどうにか這いずろうとしたが、途中で気を失った。
店の外に出たものの、男は呆然と立ち尽くした。
視線の先では、荷馬車の間に居たはずの馬が、忽然と消えていた。
「っ、馬が?! くそ……!」
突然、ドン、と男の腹に、爪先が埋まった。
今しがた、風のように現れた護衛の足だ。
その足を、まるで抱える形で、男の身が半分に折りたたむ。
ガハッ、と口から液体が戻り出る。
「逃がさぬよ」
護衛がそう言って、ぐっと腹に埋まった足を押すと、玩具のように男の体が転がった。
既に気絶しているようで、ぴくりともしない。
「あら、もう戻ったの?」
侍女が話しかけると、護衛は蹴った足をぶんと振った。吐き戻しの雫が垂れる。
彼は嫌そうな顔をしながら答えた。
「本邸に伝言しておいた。そのうちオラニオが来る」
「あの方、後で説教ですわね」
ため息をついた侍女が、床に伏せた姿の大柄な男を足で押して裏返した。
からん、と男の短刀が落ちる。
「あらまあ。物騒ですこと。……はぁ。店員を呼び戻す前に、これを片付けませんと」
「ちょっと縄は無いか? おぉ、見事に空っぽになったな。……上出来です、ティー様」
店内に入った護衛が短刀を拾い、大男を検分し、私の中の幼体の仕業を褒めた。
私はまだテーブルの影で、息を荒くしてしゃがんでいた。
(ティシア、もう大丈夫だよ。心配ないよ)
フォスアンティピナの、達成感と満腹感が気遣いと一緒に流れ込む。
でも私は、割り切っていたはずの何かが、心の中で暴れ出しそうになって、動けずにいた。
(容器も無事。お店も無事。商品も無事。私、ティシアを守れたよ?)
慰めるように、幼体が伝えてくる。
うん、ありがとう。でも……。
(狩り、怖かった? ごめんね。けど、ティシアも私も、生きてる。……それが全て)
うん、生きてる。
どうしようもなくて、涙が溢れ出た。
夕方、ルフェイ男爵家に、オラニオが駆けつけた。
私の店で人間の後始末をするのは、諸々差し障りがあるということで、人間は生きてるのも死んでるのも、まとめて荷馬車へ積んで本邸へ運んだのだ。
あの後、私と侍女と護衛で店内を掃除して、茶器を何度もすすぎ、壁の穴は買ったばかりの帝国の綴れ織り布を飾って誤魔化した。
棚の傷はどうにもならなかったが、店員達には強盗を捕まえたと言ったので、それで納得したと思う。
楽しみにしていた土いじりは中止になり、代わりに店員が苗を植えることになった。残念だ。
今年の夏至の儀式に、オラニオは参加するつもりだったそうだ。
エレガーティスから契約者を連れて来て、一旦カシィコン領で宿を取った翌日、ルフェイ領へ入って森の館へ向かう予定だったという。
しかし、ルフェイ領に入り、ちょっと儀式用の衣装を取りに行って目を離した隙に、契約者が姿を消した。
……私は知らなかったが、魔族の儀式服を一手に引き受けている工房が、ルフェイ領内にあるらしい。作り手は当然魔族だそう。他にも色々と、魔族による魔族のためのお仕事があるようだが、教えてもらっていない。
それで、オラニオも契約者を探して右往左往していたのだが、護衛が本邸へ連絡を入れたので、急いでこちらへ駆けつけたという。
オラニオは開口一番、私に謝罪した。
「申し訳ありませんでした」
彼の美しい顔は、悲しみと怒りに歪んでいた。
契約者が彼を騙していたこともだが、同胞に襲いかかったことも許せないらしい。
知らない内に、アレテと、テオなんとかという男は、オラニオがきっちり狩って始末した。ヘゲなんたらという男のと、合わせて三人分の死体を、馬車の事故に遭ったとして領主のクリスが処理したそうだ。
私に会う前に、オラニオは既に侍女と護衛からたっぷり叱られたらしいが、怖い目に遭った私からも、しっかり叱ってやるように、とクリスから伝言が届いている。
「オラニオさん。貴方が『贄』生まれで、人の世に少し不案内なことは知っております。また、商隊と店舗では違う事も多々ありますから、大変なこともあるでしょう」
彼は最初から、どこかずれた感覚の持ち主だった。
私には、魔族の観点から注意出来ないが、人間目線での注意ならば出来る。
私は噛んで含めるように丁寧に言った。
「でも、私のフォスアンティピナでさえ、初見であの女性の偽りを察知して忠告してきたのに、何故、嘘を丸ごと信じてしまったのですか。聞けば、典型的な同情詐欺師だったそうではないですか。
まず、何処の紹介も無く店を訪れて、自分の不幸な身の上を泣きながら話し、雇って下さい、だなんて、怪しい所しかありません。あからさまに狙ってやっているではありませんか。
もし、そのまま雇っていたら、きっと金庫だけでなく商品も根こそぎ盗まれていましたよ。他の店員は、貴方を止めなかったのですか?」
うっ、とオラニオは痛いところを突かれた顔をした。
「いえ、止められましたので、後日に再度面談を、となりました……」
彼は、しおれた野菜のようにしょんぼりした。
「そうでしょう?
だいたい、婚約してくれるなら好きなだけお金を渡す、となどと言うのは、よほど悪い条件の嫁入り先でもなければ、普通は有り得ません。
もし、良く知りもしない男の、金をちらつかせるような言葉に乗る女がいたとしたら、嫁ぎ先でいびり殺されても構わないほど覚悟が決まっているか、自分はどうなろうとも、なんとかしたい問題があるなど、死ぬほど切羽詰まっている状態のはずです。
本気で相手の身の上を可哀想に思っているなら、貴方のそれは馬鹿のやり方です。親身になってあげるなら、安易にお金を渡すより、問題解決のために力を貸す方が親切です。
あるいは、貴方が高位貴族並みの財産持ちで、借金をはした金程度にしか感じない高名な人物だとかなら、そういうこともあるかも知れませんが、そんな奇特な慈悲と奉仕の人でお金持ちなどおりませんし、嫁いだ後で何か良からぬ事があるかもと、勘ぐるのが普通です。
そもそも、政略結婚が必要な貴族や、女神様の罰を受けた奴隷ならばともかく、人を人がお金で買おうとするなんて、平民相手なら悪魔の所業です」
オラニオは神妙に「はい、すみませんでした」と、うなだれた。
「あの人の何が気に入って選んだのか、分からな……いえ、わかります。とても美味しそうだったのですよね? でも、それが全てじゃありませんでしょう?」
「それは、皆にも注意されました……」
オラニオが背中を丸めて小さくなっている。
すっかり気落ちしているようなので、この辺で勘弁してあげようと思い、言った。
「では、今後、よくよく気をつけて下さいませ」
「はい」
オラニオは、ふっと顔を上げて聞いた。
「あのう、店主様。後学のためにお聞かせ下さい。貴女は何故、長と契約したのですか?」
私は努めて静かに答えた。
「死にかけているところを、クリスに救われました。契約したのは、領主が処刑した義父母の冤罪を晴らし、二人をお墓に埋葬したかったからです。『揺りかご』が何か知った後も、命には命の対価を、と思ったのです」
「そうでしたか……」
何に感心しているのか、オラニオは、うんうんと何度もうなずいている。
(ティシア、疲れた?)
フォスアンティピナが私を案じてくれている。
そうだ、私は疲れているのだろう。
今日は色々あった。もう休みたい。
だから。
この身体の、不自然に力満ちた感覚が恐ろしく感じるのは、私が疲れているせいだ。
そうに違いない。
2026,04,17 一部訂正しました




