第1話_星の船へ
白麦原の夜が明けた時、空は朝にならなかった。東の山並みは薄く光り、村の屋根には露が降り、黒く焼けた畑の向こうで鳥が一羽だけ鳴いた。だが、その声はすぐに空の黒い星へ吸われ、短く途切れた。太陽は昇っている。光はある。けれど、空の中央に開いた黒い星が、その光の意味を変えていた。夜が去っていないのではない。夜とは別のものが、世界の上に置かれているのだ。
白麦原の井戸には、ハルナの組んだ仮封じの銀線が幾重にも巻かれていた。黒く濁った水は、それ以上村へ広がらない。テイルが夜通し霊脈を押さえ、イーサーが星図で反響を遅らせ、イリスが村人の名を一人ずつ記録し、アリスが子どもたちの夢に入りかけた黒い炎を弾いた。アリアは畑の端に立ち、黒い筋が新たな刃紋へ変わらないよう夜明けまで見張った。エノクは丘の上で聖剣を背負い、遠くから届くアリオンの弦の音を聞いていた。
勝ったのに、白麦の畑は白く戻らなかった。井戸も完全には澄まなかった。村人たちは生きている。名も多くは守られた。それでも、土には黒い傷が残った。大陸の各地にも同じ傷が生まれている。後の世で、この大陸は別の名を得るかもしれない。魔大陸。そう呼ばれる原因が、今まさに生まれている。エノクはその名を思い浮かべるたび、苦くなる。けれど、苦いからといって目を逸らすことはできなかった。
村の外れに、一行は集まった。荷は少ない。星の船へ行くのに、旅の荷などほとんど意味をなさない。ハルナは工具帯をいつも以上に重くし、霊脈鉱の針と黒星核遮断具を布袋へ詰め込んでいる。彼女は何度も数を確認し、そのたびに顔をしかめた。
「足りない」
「何が」
テイルが問うと、ハルナは即答した。
「全部。針も銀線も小鏡も浮遊石も、時間も睡眠も予算も足りない。あと安全確認も足りない」
「安全確認なんてできる場所なのかよ」
「できないから足りないって言ってるの」
アリアが横から言った。
「今さら安全を求めるなら、地上に残る?」
「残らない。残らないけど、言う権利はある。危険手当を三倍にしてほしい」
「誰に請求するの」
「世界」
テイルが鼻を鳴らした。
「世界が払うかよ」
「じゃあ、後世」
ハルナの声は冗談に聞こえた。だが、目は笑っていなかった。父トルクが追った黒星核の構造。ダイダロスの工房で見つけた未完の設計。星の船へ入れば、その答えに近づく。近づきすぎれば、父のように戻れなくなるかもしれない。それを彼女自身も分かっているのだろう。
イーサーは星図板を両手で持ち、空の黒い星を見上げていた。額の銀環には、ヨシュアから受け取った叡智と静寂の鍵が淡く光っている。彼の翼は畳まれているが、羽先が細かく震えていた。
「星外航路は、三つあります。黒星片を足場にして船へ引かれる道、霊脈を逆流して名層へ入る道、そして黒い星そのものの縁を渡る道」
「どれが一番安全?」
アリアが問う。
「安全な道はありません」
「じゃあ、どれが一番まし?」
「黒い星の縁です。黒星片を足場にすれば帰還者の器化に巻き込まれます。霊脈を逆流すれば大地の傷をさらに広げる。星の縁を渡れば、私たちだけが危険を負う」
テイルが腕を組む。
「つまり、地面を傷つけずに俺たちが傷つく道か」
「大まかには」
「分かりやすいな。気に入らねぇけど」
イリスは帳面を閉じ、胸に抱いた。昨夜、彼女は白麦原の全員の名を記録した。まだ父の名を思い出せない若者の頁には、空白を残している。いつか一緒に探すと約束した空白だ。
「地上の名を守るために、星の船へ行くのですね」
「はい」
イーサーは頷いた。
「ただし、船内では名そのものが攻撃されます。黒い炎よりも深く、帰還者の侵食よりも直接的に。特に、真名を持つ者、名を記録する者、王家の鍵を持つ者は狙われやすい」
アリスが自分の胸元を押さえる。
「器の中の名も?」
「はい。あなたも危険です」
アリスは少しだけ震えた。それから、小さく頷いた。
「分かった。怖い」
「怖いまま来るのか」
テイルが訊くと、アリスは彼を見上げた。
「うん。怖くないふりをすると、混ざりやすくなる」
テイルは少し困った顔をした。
「そうか」
「そう」
アリアは双剣の鞘を確かめた。
「怖いなら、名前を呼べばいいわ。イリスが」
「イリスだけに任せないでください」
イリスが少し怒った声を出す。
「皆さんも呼んでください。お互いに。名前は、私だけの仕事ではありません」
アリアは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
「そうね。じゃあ、アリス、混ざりかけたら呼ぶ」
「うん。アリアも剣になりかけたら呼ぶ」
「生意気」
「アリアが教えた」
「教えてない」
そのやり取りに、少しだけ空気が緩んだ。
その時、遠くから弦の音が聞こえた。
全員が振り向く。白麦原の黒くなった畑の向こう、朝の光と黒い星の影が交わる場所に、一人の男が立っていた。帽子を脱ぎ、竪琴を抱え、いつもの外套を風に揺らしている。アイオン。いや、アリオン。けれど、彼の表情にはまだその二つの名の間にいる者の揺らぎがあった。
「おはようございます」
彼は言った。
「こういう時、何と言えばいいのでしょう。お待たせしました、では遅刻を認めることになりますし、先に来ていました、では嘘が過ぎますし」
アリアが歩み寄った。
「黙って立ってなさい」
「はい」
アリオンは素直に黙った。アリアは彼の前へ立ち、しばらく見上げた。殴るのかと思ったテイルが半歩動いたが、イリスが袖を掴んで止めた。アリアは殴らなかった。ただ、アリオンの胸元を指で突いた。
「次に逃げたら、本当に怒る」
「もう怒っているのでは」
「もっと怒る」
「それは恐ろしい」
「冗談で逃げない」
アリオンは表情を改めた。
「はい」
イリスも彼の前へ来た。記録帳を開かず、ただ彼を見た。
「今日は、どの名で立ちますか」
アリオンは少し迷った。けれど、逃げなかった。
「星の船へ入るまでは、アイオンで。船内で名層へ触れる時は、アリオンで立ちます。どちらかを消さないと決めました。まだ、うまく持てませんが」
イリスは頷いた。
「では、両方で呼びます」
「ありがとうございます」
「感謝で済ませないでください」
「はい」
アリオンは苦笑しかけ、すぐにやめた。以前なら、そこで軽口を重ねただろう。今は、言葉を逃げ道にしないよう、彼自身が一つ一つ止めているのが分かった。
エノクは彼へ近づいた。背の聖剣が小さく鳴る。アリオンの竪琴も応えた。
「戻ってくれて、ありがとうございます」
「完全に戻ったわけではありません」
「それでも、ここにいます」
エノクの言葉に、アリオンは目を伏せた。
「はい。ここにいます」
「それなら、行きましょう」
アリオンは空の黒い星を見上げた。
「星の船は、城ではありません。魔王の玉座へ向かう道のように思って入れば、飲まれます」
「では、何ですか」
エノクが訊く。
アリオンは、しばらく答えを探した。
「墓場です。滅びた星々の墓場。帰る場所を失った者たちの倉庫。カオスが王となった棺。黒星核の鼓動で、死にきれなかったものを眠らせている船。そこに、私たちは入る」
白麦原の人々が、遠巻きに一行を見ていた。彼らは何が起きるのか分からない。ただ、自分たちの畑を黒くしたものが空の向こうにあり、そこへこの者たちが向かうのだとだけ理解していた。老農夫セルクが、黒い筋の残る土を握りしめ、エノクへ頭を下げる。
「戻ってこいよ」
それは王子へ向けた言葉ではなかった。聖剣の持ち主へでもない。ただ、自分たちの村で一晩を過ごし、名を守ると言った少年へ向けた言葉だった。
エノクは頷いた。
「戻ります」
言ってから、その言葉の重さを感じた。戻ると言うことは、死なないと約束することに近い。アベルのように死ぬのではなく、エノクとして生きると決めたなら、その言葉から逃げてはいけない。
ハルナが空へ小型の星導杭を打ち上げた。銀色の杭は黒い星へ向かって弧を描き、途中で砕けて細い光の階を作った。イーサーが翼を広げ、星図でその階を固定する。アリオンが竪琴を鳴らす。完全な真名の真言ではないが、黒い星の縁を裂くには十分な音だった。イリスが聖印を掲げ、皆の名を一人ずつ呼ぶ。エノク。イリス。アリア。テイル。アリス。ハルナ。イーサー。ティンカーベル。アイオン。アリオン。呼ばれるたび、光の階に足場が生まれた。
ティンカーベルが腰で言った。
「未熟者。最後に確認だ」
「何ですか」
「怖いか」
「怖いです」
「よし」
「よしなんですか」
「怖くない者から呑まれる場所だ」
エノクは背の聖剣に触れた。
「では、怖いまま行きます」
「それでいい」
一行は光の階を上った。地上が下へ離れていく。白麦原の黒く傷ついた畑、ヴェルナ旧街道、ランバード城の廃墟、遠い龍神湖、空中庭園セラフィアの淡い影、ガルドベルクの山脈、シオゥルの死者の地。すべてが大陸の上にあり、その大陸には黒い点と線が増えている。魔大陸の始まり。けれど、そこには名がある。エノクはそれを忘れないよう、空へ上がりながら見つめた。
黒い星の縁へ近づくと、音が消えた。
風もない。光の階も、足裏の感触を失い始める。ただ、アリオンの弦だけがかすかに鳴っている。イーサーが星図を開き、羽を広げたまま言う。
「ここから先は、世界の外縁です。呼吸の感覚が変わります。自分の名を忘れないでください」
アリアが息を吐く。
「忘れようがないわ」
アリスが小さく言う。
「忘れたら、呼んで」
テイルが頷く。
「任せろ。大声なら得意だ」
「それは安心かも」
ハルナが工具帯を抱え直した。
「声が届くならね。届かなくなったら、工具で叩く」
「また工具」
「信頼できる道具だから」
黒い星の縁が開いた。
それは門ではなかった。口に近かった。星の船の破れた外殻が、世界の空に食い込み、そこから内側の暗黒が見えている。外殻は黒い金属と白い骨のような物質でできていた。ところどころに巨大な文字が刻まれているが、地上の文字ではない。文字というより、傷を並べたもののようだった。縁の奥では、星屑のような光がゆっくり流れ、遠くから心臓の鼓動が聞こえる。
黒星核。
一度聞けば忘れられない拍動だった。大地の霊脈とは違う。生き物の心臓とも違う。滅びた星々の残響を一つの炉へ押し込み、無理やり鼓動させている音。聞いているだけで、自分の輪郭が少しずつ緩む。
イリスが声を上げた。
「エノクさん。イリス。アリアさん。テイルさん。アリス。ハルナさん。イーサーさん。ティンカーベル。アイオンさん。アリオンさん」
彼女は全員の名を呼んだ。自分の名も呼んだ。すると、黒星核の拍動で緩みかけた輪郭が戻る。イリスの額に汗が滲んだ。ここでは、名を呼ぶだけでも力を削られる。
アリオンが静かに言った。
「ありがとう、イリスさん」
「まだ入口です」
「はい。分かっています」
一行は、黒い星の縁を越えた。
足元が変わった。光の階は消え、硬い床に降り立つ。床は黒い金属でできていたが、よく見ると金属の間に白い骨のような柱が埋め込まれている。壁はない。代わりに、無数の棺が並んでいた。透明な棺、黒い棺、機械の箱、石の繭、硝子の球。棺の中には、帰還者たちが眠っていた。人に似たもの、獣に似たもの、翼のあるもの、水のようなもの、機械と融合した魂、複数の影が一つの器に押し込められたもの。どの棺にも名札があった。だが、ほとんどは空白だった。
アリスが立ち止まった。
「多い」
声が震えていた。
棺は通路の両側だけではない。上にも下にも、遠くの暗闇の中にも続いていた。星の船は軍勢を運ぶ船ではなく、墓場だった。滅びた星の民、肉体を失った魂、器だけ残された者、名を失って黒星核に縛られた者。それらが、死にきれず、眠りきれず、帰ることだけを命令として保持されている。
テイルが低く唸る。
「こんなの、軍隊じゃねぇ」
アリアが答える。
「でも、戦うことになる」
「分かってる。だから嫌なんだよ」
ハルナは棺の一つへ近づきかけ、すぐに手を止めた。中には、黒い機械の腕と人の魂が絡み合った帰還者が眠っている。彼女はその構造を見たい衝動を必死に抑えていた。
「……父さんが見たら、どうしたかな」
小さな声だった。
イーサーが星図を展開する。だが、星図はうまく広がらなかった。船内の空間は地上の距離に従っていない。通路はまっすぐに見えて曲がり、棺の列は遠く見えてすぐ隣にあり、上と下が時折入れ替わる。
「内部空間、非地上式。城でも迷宮でもありません。棺の配置が航路を兼ねています」
「分かりやすく」
テイルが言う。
「死者の並びが道です」
「最悪だな」
「はい」
その時、棺の中の一つが光った。
中に眠っていた帰還者の顔が、エノクの顔に変わった。エノクは息を呑む。棺の中の自分は、聖剣を胸に刺し、穏やかに眠っている。アベルのように死んだ未来。地下聖堂で見た幻と同じ誘惑が、船内で再び形を取った。
ティンカーベルが鋭く鳴る。
「見るな」
「見ています」
「なら、名を言え」
エノクは歯を食いしばった。
「僕は、エノク・ランバード。死ぬために来たのではありません」
聖剣が背で光り、棺の中の死んだエノクは白い霧となって消えた。
別の棺では、アリアがヴェルナの玉座に座っていた。手には赤黒い剣。すべてを斬り、敵を倒し、復讐を終えた顔。だが、その目に人の光はない。アリアは双剣の柄を握り、吐き捨てた。
「雑な誘惑」
彼女は鞘の上から双剣を鳴らした。
「アリア・ヴェルナ。剣を握ったまま人でいる。そんな人形みたいな剣にはならない」
棺の幻は割れた。
テイルの前には、龍神湖が黒く染まり、竜王ザッハが沈む幻が現れた。テイルは一瞬硬直したが、すぐに大地のない床へ竜剣を突き立てた。
「テイル・ザッハリオン。親父の影で止まるかよ。湖は俺が守る。まだ死んでねぇ」
幻は咆哮に砕かれる。
ハルナの前には、父トルクが黒星核の部品となっている幻が現れた。彼女の手が伸びかける。父の声が言う。直せ。見ろ。知れ。ここまで来たなら、最後まで分解しろ。ハルナは歯を食いしばり、自分の工具を胸に押し当てた。
「ハルナ・ミャウレン。直すために見る。飲まれるために見るんじゃない。父さんが本当にそこにいるなら、あたしが勝手に決めない。まず、止め方を探す」
父の幻は、黒い歯車の音を残して消えた。
イーサーの前には、星図が広がった。地上のすべての名を切り捨てれば、黒星核への航路は閉じる。美しい解がそこにあった。大陸の一部を消せば、大多数は助かる。彼がかつて選びかけた答え。イーサーは羽を震わせながら、星図へ手を伸ばし、そして止めた。
「イーサー・セラフィム。見えるからといって、聞かずに線を引かない。別の道を読む」
星図は崩れ、空白を含んだ新しい線だけが残る。
アリスの前には、巨大な玉座があった。無数の魂と器が混ざり合い、その中心に黒いアリスが座っている。寂しくないよ、と声がする。アリスは震えた。イリスがすぐに彼女の名を呼ぶ。
「アリス」
アリスは泣きそうな顔で頷いた。
「アリス。混ざらない。寂しくても、アリスでいる」
玉座は遠ざかった。
イリスの前には、黒い炎で焼かれた無数の帳面が積まれていた。名が多すぎる。呼びきれない。すべてを記録することなどできない。なら、最初から諦めろ。そう囁く声が、黒い炎の中から聞こえる。イリスは帳面を抱きしめ、涙を浮かべながら言った。
「イリス。全部は呼べないかもしれません。でも、呼べないことを理由に、一人目を諦めません」
黒い帳面の山に、白い空白の頁が一枚生まれた。
最後に、アリオンの前に棺が開いた。
中には、千年前の彼自身がいた。封印の場で声を失ったまま、竪琴を抱えて膝をついている。黒星核の拍動が彼の喉を締め、カオスの声が囁く。
また欠ける。
また黙る。
言葉の英雄よ、お前の言葉は世界を壊す。
アリオンの顔が青ざめる。指が弦に触れるが、音が鳴らない。イリスが呼ぼうとした時、彼は片手を上げて止めた。
「大丈夫です」
声は震えていた。
「いいえ、大丈夫ではありません。でも、逃げません」
彼は竪琴を抱え直した。
「アイオン。アリオン。どちらも私。言葉から逃げない」
弦が鳴った。完全ではない。だが、棺の中の沈黙した彼が顔を上げる。その幻は消えず、アリオンの背後に影として残った。まだ完全には越えていない。けれど、彼はそれを背負ったまま立った。
船内の奥から、声が響いた。
それは言葉ではなかった。だが、全員の頭の内側で意味になった。
帰れ。
混ざれ。
名を捨てよ。
境を捨てよ。
我は、名なきものの王。
我は、帰れぬものの帰還。
我は、カオス。
黒星核の鼓動が強まる。棺の列が一斉に光り、帰還者たちの影が身じろぎした。星の船そのものが、一行を認識したのだ。
エノクは聖剣を抜いた。白銀の刃が暗い船内を照らす。ティンカーベルも腰で鋭く鳴る。
「みんな、名前を」
エノクが言うと、イリスが頷いた。だが、彼女だけが呼ぶのではない。全員が互いの名を呼んだ。
エノク。イリス。アリア。テイル。アリス。ハルナ。イーサー。ティンカーベル。アイオン。アリオン。
名前が船内に灯る。滅びた星々の墓場の中で、地上の名が小さな火のように並ぶ。黒星核の拍動は強い。帰還者たちの眠りは浅くなっている。カオスの声は奥から呼んでいる。だが、一行はまだ立っていた。
アリオンが静かに言った。
「ここから先が、本当の墓場です。カオスの肉体へ至る道、魂魄の眠る棺、名層の王座。その三つは別々であり、同時に一つです」
エノクは頷いた。
「なら、全部へ行きます」
「簡単に言いますね」
「簡単ではないと知っています」
エノクは聖剣を握り直した。
「でも、ここまで来ました。地上の傷を見ました。帰還者たちにも名があったことを知りました。アリオンの名も、アイオンの名も消さないと決めました。だから、ここで止まりません」
アリアが双剣を抜く。
「墓場なら、弔う。玉座なら、叩き落とす」
テイルが竜剣を担ぐ。
「大地に刺さった根を引っこ抜く」
ハルナが工具を握る。
「黒星核の止め方を見つける。分解は、たぶん後」
「たぶん?」
ティンカーベルが突っ込む。
「努力する」
イーサーが星図を広げる。
「星外航路を読みます。切り捨てるためではなく、帰すために」
アリスが胸元を押さえる。
「混ざらない。混ぜさせない」
イリスが帳面を開く。
「名を呼びます。呼べるところから」
アリオンが竪琴を構える。
「言葉から逃げません」
エノクは、黒星核の鼓動が響く奥へ一歩踏み出した。
星の船は、城ではなかった。勝利を飾る玉座も、魔王を斬れば終わる舞台もない。そこは滅びた星々の墓場であり、帰還者たちの眠る棺であり、カオスの名が再び世界へ戻ろうとする暗い子宮だった。
その墓場の奥で、黒い王の声が笑った。
名を持つ者たちよ、来るがよい。
名は、砕かれるためにある。
エノクは聖剣を前へ向けた。
「違う」
彼は言った。
「名は、帰るためにある」
その言葉を合図に、一行は星の船の奥へ進んだ。




