7-22
あたしは、勝ったのか?
地球を包む大気の層が蒼白く見える世界。頭上の月ははるかに大きくあざやかに輝き、あたしたちは地球と月とに照らし出される。戦闘の音が消え、空間は、しぃんと静まり返っていた。
……どこからかクリスタルの声がした。
「残念、ちょっとばかり遅かったようだな」
あたしは愕然とした。その声は、クリスタルの体から出ていなかった。気配が、肉体の向こうにあった。
「その体はけっこう使えるのに惜しいことをした。今回はそっちの勝ちってことでいいが、俺はずらかることにする。また別の星で別の体を作るさ」
……間に合わなかった、のか。
タイムリミットが、過ぎていたってのか。
この高度では、肉体の保持という制限は、もう彼らを束縛しないのか。
「じゃあな、レッドローズ。もう会うこともないだろうが、もしも会ったら、そのときは一瞬で粉砕してやる」
声が、上方へ、宇宙の彼方へと離れていく。
チキショウ。
抜け殻のようになったクリスタルの肉体があたしとほぼ同じ高さに漂っている。抜け殻だけ。
激しい虚脱感に襲われ、呆然と立ちすくんだ、そのとき。
「うそつき」小さく、どこかで聞いたことのある声がした。
「ぅひっ?!」
とたんに、クリスタルが奇妙な声をあげた。離れていきかけた声が、まだ一点にとどまっている。いや……押し戻されるように、クリスタルの気配が再び下りてくる。
あぁ、それは奇跡じゃない。必然だった。サンフラワーが言っていた追加支援って、このことだったんだ。
白く輝く月光の中に現れた、黒い影。周囲に広がる、青いきらめき。声が続けて聞こえてくる。
「ついに外道に堕ちたわね」
やがて姿が明らかになってくる───なびくブルーの長い髪。ブルーローズだ!
ブルーローズは、何かを抱きしめるようにしながらゆっくりと下りてくる。そうしているだけで、精神体のクリスタルはもう動くことができないのだった。……そうか、上位精神体同士なら、お互いを制御できるのか。
「ここはまだ地球圏内よ。この場所で精神体が物理的な肉体から離れることは、宇宙法に抵触する重大な罪過です。法を犯したものは罰を受けなければなりません」
「カタいこというなよ」クリスタルの声が、心なしか震えているように聞こえた。「法の目的は何だ? 地球の人間に影響を与えないことだろう? こんな周縁部で、厳密に法を運用する意味がどこにある?」
ブルーローズは一蹴した。「そうよ。だからロウシールドはその行為を制限しない。誰ひとりとしてそれで迷惑を被るものはいない。でもそれは法を破る理由にはならないと、私はあなたに伝えたはずです。誤った法があるならば、それを正す立法もあなたの権利。それを行使することさえできない惰弱な者が、勝手な理屈で法を歪めることこそ、最も唾棄すべき悪意、まさしく世迷いごと!」
「何が法、何が権利……!」クリスタルはうめいた。「権利で心が動くのか! 権利で未来が語れるのか! 権利で……」
「うぬぼれる確信犯ほど哀れなものはないわ。裁きを受けなさい」ブルーローズはそう断じた。……それから、今度はあたしに呼びかけた。「レッドローズ。この悪意をこの星の上で封じるためには、あなたの持つ新たな武器の力を借りなくてはなりません。私の肉体は未完成で、戦闘には耐えられません。今の私にできるのは、彼の精神体としての移動を許さないことだけです。彼が自分の座標を他に定める行為に干渉するだけです」
やがてブルーローズは、あたしと同じ高さまで下りてきた。さらに降下して、宙に漂っていたクリスタルの肉体をも後ろからそっと抱きかかえるようにした。精神体のクリスタルは、ブルーローズとクリスタルの肉体の間に挟まれた位置にいるようで、精神だけの存在でありながらその場所から移動できずにいるのだった。
「さぁ、クリスタル。法に遵いなさい」
「いやだ───いやだ!」
「法に遵ってこの体に戻るのです」
「───いやだいやだいやだいやだ!」
……クリスタルの気配から、激しい拒絶が溢れ出す。
宇宙法の基準などあたしに知る由もない。しかし、肉体を持たず地球上にいることとは、地球でいえば殺人や核爆弾に匹敵するくらいの罪悪なのだろう。クリスタルは自分が罪を犯したことを、そしてその重さが背負いきれないことをいま初めて自覚して、怯えているのだ。その姿は、未来を背負いきれなかったあたしの弱さと何ら変わりない。
「あ、あ、あああああああ!」叫び声。クリスタルの口が動いた。それはつまり、彼が肉体に戻ってきたということ。「いやだ、やめろ、やめてくれ!」あのキザで飄々とした彼の面影はもはやない。
「さぁ」ブルーローズが言った。「今です」
「でも」
もう一度ローズサイコパスで串刺しにすれば、クリスタルは麻痺するに違いない。でもいま、ブルーローズはクリスタルに背後から密着している。クリスタルを貫くことは、ブルーローズも刺し貫くこと……。




