6-10
夕暮れ時だが、まだ帰宅ラッシュという時間じゃなくて、電車は空いていた。あたしはロングシートに腰掛けて、脚を通路に投げ出し、ぼてぼてと揺られてみた。少し、落ち着いている。さおりに吐き出したこと、サンフラワーに聞かされたこと、そんなもろもろが、けっこう効いている。
駅に着き、電車を降りて、改札を出た。
「みずきお姉ちゃん!」呼ばれてはっと立ち止まった。あたしのことをそう呼ぶのは、めぐみしかいない。彼女は、いまどき誰も使わなくなった伝言板にもたれていた。どうやらあたしを待ち構えていたようで、ぱたぱたと駆け寄ってきた。「遅いよ、もう!」
「遅いよ、って、どうしてあたしがここに来るってわかった?」「さおりお姉ちゃんが、メールで」あいつ、何でまたそんなこと、と思う間もなく、めぐみがあたしの手を引いた。
「どこ行くのさ」「お茶するの」「お茶?」「四人で」「四人?」あたしの疑問符におかまいなく、めぐみはあたしをぐいぐい引っ張っていく。
この駅に駅前広場と呼べる空間はほとんどなく、駅舎を出るとすぐ商店街になっている。買い物時で、駅前はごった返していた。商店街路を隔てて向かいは地元の信用金庫で、午後三時を過ぎて下りたシャッターの前に、何組か高校生がたまっている。───その中に、ゆきのとシトリンがいた。ふたりとも制服姿、学校帰り。
と、シトリンは軽くゆきのに手を振ると、こちらへ向かって歩いてきた。そしてめぐみに軽く会釈して、こう言った。
「ごめんなさい、お先に失礼するわ」
「えぇぇ……?」めぐみが口をとがらせ「みんなでお茶しようって……」
「忙しいの。またの機会にね」
めぐみがあたしをむりやり引っ張ってきた魂胆が読めた。めぐみは、そこにいるのが広島もえぎ、つまりあたしたち四人暮らしとは無関係のゆきのの友人としか思っていない。無関係な他人の前で、軋轢は表に出せないだろうと踏んで、彼女をダシにあたしとゆきのの関係を修復しようとしたのだ。
結局三人だけになってしまうと、また冷戦が起きるんじゃないかと思ってびくびくしているのだろう。……めぐみを、いつまでも居住まい悪いままにしておくのも気が引けるな。
そんなことを考えるうちに、シトリンがあたしの真横まで来ていったん止まった。───そして突然耳元に口を寄せてきた。
「アメジストは失敗したってことね」あたしは慄然とした。「気にしないで、わたしはあいつの命令なんて最初から聞く気ないわ」
そういえばそうだ。地球が滅亡しない可能性を一分でも残しておきたくなかったアメジストは、ローズフォースを標的にしていた。つまりあたしたち全員だ。そしてあたしとさおりは鈴木商事で攻撃を受けた。……めぐみとゆきのは眼中になかったのか? 違う。シトリンが攻撃するはずだったんだ。
しかしシトリンはそうしなかった。クリスタルではなくアメジストの指示だったから。それは、自分の学校生活を維持するための予定の行動だったのか、それとも───。
「……なぜだ? つまりおまえは、地球を滅ぼしたくないってことか?」
「知らないわ」シトリンは言った。「あたしには、この星がどうなるかなんて、どうでもいいことだもの。今が楽しければいいの。それだけ」
「崇拝さえされていればそれでいい、と?」
「まぁ、そんなとこね。あたし、今は学校の方がずっとキモチイイの。戦うよりキモチイイかも。本気でそう思う」
あたしはもう一度慄然とした。シトリンにとっての快楽が変質していることも驚くが、それよりも───どうやらシトリンは、「地球が滅びる」ことと「学校生活が終わる」ことがリンクしないらしいのだ。それが彼女の受容の限界なのだろうか。
「それより、何があったのか知らないけど、元のゆきのに戻してくれない? なんだか思ったとおりにいかなくなってるのよ」
……ゆきのは学校でもしゃべっていないのか。そりゃ、あたしがあんなにしてしまったんだし、元に戻してやりたいのはやまやまだけれど。
あたしはこう答えた。「友達なんだろ、自分で何とかしようって思わないのか」
「わからないわ、言ってる意味が。あなたのせいなんでしょう、あなたが何とかしなさいよ」
「そう……か」
会話が途切れ、しばらくの沈黙の後、シトリンはぷいと横を向くと改札に向かって歩いていった。「それじゃ、ごきげんよう」……ごきげんよう、だってさ。
めぐみが不思議そうな顔であたしを見上げる。
「知り合いだったの?」
「入学式の日に、顔だけ合わせた」本当は殴り合いまでやったんだが、今言うことじゃないな。
「……じゃ、何を話してたの?」
あたしは少し考えてから、……こう言ってやった。「最近ゆきのの元気がないから心配だってさ。なんとかできないかって」あながち嘘でもない。それを聞いて、めぐみの顔が少しほころんだ。
めぐみとともに、街路を渡り、ゆきののいる場所まで歩いていく。めぐみは、四人でお茶にするつもりだったことを誰にも説明していなかったようで、ゆきのもこの展開におろおろしていた。あたしの顔を直視できていない。
だいぶん冷えた頭を、精一杯巡らせてみる。
なんて言ってやればいいんだろう。
いや───ここで使う日本語は決まっているよな。
「ゆきの、ごめんな」
ゆきのと、それからめぐみも、え? と顔を上げた。まっすぐな視線に少し照れて、あたしは鼻を掻いた。
「まだあたし、整理もケリも全然ついてない。でも、キライになりたいワケじゃないんだ。……ともかく、話はしようや」
ゆきのはわずかに顔を赤らめた後、小さくうなずいた。
「で、さ。お互い、話すことあるだろ」あたしはゆきのに言った。「財布に余裕があったら、マジでお茶せん?」
ゆきのは少し困った顔をした。「えっと……余裕がどうかより───私もまだ整理がつかないんです」
言って、駅の改札の方をしばし見つめる。それは、広島もえぎの去っていった先。そうか───ゆきのは、気づいているんだ。その正体に。
そのことも、自分の体の弱さも、あたしが彼女について悩んでいたことは彼女自身がちゃんと知っていた。あたしは、自分自身の都合をいろいろ考えるためにわざわざ彼女をパラメータにして、勝手に苦しんで、そのくせ、彼女自身のことは置き去りにして、その上に、手ひどい追い打ちをかけたのだ。
───いや。もう、思い悩むまい。ちょっとだけねじれていたひもがあって、引っ張ったら元に戻る、そんなものだと思おう、時間はかかるかもしれないけど、それだけの力は残っているし、なくても生み出せる、そんな気がする。誰に与えられることもなく、自分だけで作れる力っていうのは、きっとそれくらいのベクトルでしかないのだろう。
ゆきのもまた、はにかみながらも、はっきりと顔を上げて言った。「ごめんなさい、もう少しだけ時間が必要です。まだ何か、私にも、大事なことが残ってるんです……」ここでゆきのは、ぴっと指を立てて言った。「ほら、切り札は最後までとっておくものだって、カリオストロ伯爵も言ったじゃないですか」
……あたしは首をひねった。
「それって、なんか全然意味が違ってない?」
「そうですか?」
「てゆーか、ここで悪役出してどーするよ」
そのとき、腰のあたりが急に暖かくなった。「よかった……よかったよぉ」めぐみが、左手をゆきのの右手をあたしの腰に回して割って入るようにして抱きついてきて、間でほろほろと涙をこぼしているのだった。「心配……心配したんだよぉ」
あたしはめぐみの頭をなでてやった。「ごめんごめん、もう、大丈夫だから」
その夜も、あまり会話はなかったけれど、久々に食卓は暖かかった。めぐみは三杯お代わりをし、テレビもみんなで見た。
あたしは、自分の前に、ふうわりと答えが流れ着いてきたのを感じた。漠然としているけど、少しずつ、なんとなく。こうして心すりあわせる時間が、とてもいとおしい。その感覚はとても新鮮で、どこか懐かしくもあった。




