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「幽世なら雪は降ってない。それに向こうにちょっとした用事がある」


 乗り気でない氷菓の腕を引き、二人で幽世側へと移動する。

 もともと暗かった景色がよりいっそう薄暗くなる。それまで吹き付けていた風が止み、いまいましい雪も降っていない。寒さをまぬがれた代わりに不浄霊の気配がそこかしこから伝わってくる。


「あーー……。やっぱりいるなぁ、不浄霊が……」


「それが?」


 ぼけっと突っ立っている氷菓にいらいらしつつ、トラは隠していた猫耳としっぽを生やす。


「あたし達幽姫の役目は不浄霊狩りだろ? 瑠璃が表に出て来なくなったせいで不浄霊が増え始めてる。こいつらを始末しないと現世側に災厄が流出しちまう」


「狩りをしろって言いたいの? 嫌だよ、めんどうだよ」


「そんな無駄なことしてる時じゃないだろぉ?」


 あまりに無責任な氷菓とクマァにトラは目を閉じて左手で顔をおおい、膨れ上がった怒りを無理矢理押しこめる。

 ぎこちない笑顔を浮かべて必死で頼みこむトラに、氷菓はようやくその気になったらしい。「やれやれ」とつぶやいて前へ踏み出す。


「そろそろ幽霊ちゃんのストックも無くなってきたし、狩るか」


 クマァを両腕で抱いたまま不浄霊の群れに向かって平然と歩いて行く氷菓。トラは右手の爪を伸ばし、氷菓の後ろについて行く。

 戦いになれば能力を出さざるを得ない。だから氷菓と不浄霊をぶつけようというのがトラの考えだった。どんな能力かを見れば氷菓が呪いへの異常な耐性を備えている謎も解けるかもしれない。

 トラは氷菓と離れ、公園の入り口近くにたたずんでいる不浄霊達と戦い始める。何百回とくり返した戦いだから油断しない限り負けるはずがない。不浄霊の丸太のような太さの腕をかいくぐり爪で手足を斬り落としつつ、氷菓とつかず離れずの距離を維持する。戦いながらも視界の端に常に氷菓の姿をとらえ、彼女の動きや素振りに注意を払った。

 氷菓は電灯のそばにたたずむ不浄霊の前に立ち、じっと見上げる。あいかわず両手はクマァでふさがっていて、これから戦うとは考えられないほどの無防備だ。

 どうして氷菓は構えようとしないのか、トラの爪や瑠璃の剣のような武器をもっていないのか、トラの動きが疑問でにぶる。多少にぶってもトラはもともと素速いので不浄霊達の攻撃はかすりもしない。

 子どもの氷菓からすれば巨大な不浄霊との体格差がありすぎる。踏みつぶされればそれまでだ。氷菓は目の前の敵を見上げたまままったく動かず、次の瞬間……不浄霊が消えた。

 トラはたしかに見た。大きな不浄霊が小さな棒付きのキャンディーへ一瞬で変わり、氷菓の頭上から落ちてくるのを。トラは我が目を疑い、身体が固まった。その隙をつかれて不浄霊の殴打を受けたが、反射的に左手でガードし踏みとどまる。

 氷菓は落ちてくるキャンディーの柄をキャッチし、球状のキャンディーを口に運んでぺろぺろとなめる。

 氷菓の背後から迫る不浄霊の腕を振り返るまでもなく楽々とかわし、お菓子に変えてしまう。今度は小さなビスケットだ。元不浄霊のビスケットは地面に落ち、氷菓はそれを無視して公園の中を歩く。

 公園の奥の砂場に三体の不浄霊が立っていた。氷菓は地面を蹴って跳び、三体の中央に着地すると同時に全てをお菓子に変える。三つの小さなキャラメルは砂の上に落ちたままで、氷菓は見向きもしなかった。

 離された距離を詰めるためにさりげなく氷菓に近づき、鉄棒の前の不浄霊を斬り裂いたトラの全身に黒い霧が降りかかる。血しぶきにも似た黒い霧は不浄霊が内側にためている呪いそのものだ。酸っぱいような霧の異臭は何度かいでもトラには不快だった。

 黒い霧越しに氷菓の戦う姿が見える。不浄霊に近づいてはあっという間にお菓子に変えて殺していく氷菓は奇怪で不気味であり、まがまがしくさえある。トラはぞっとしつつ、同時になぜ氷菓が呪いに侵蝕されないのかを理解した。氷菓の身体が特別なのではなく、彼女はそもそも呪いを浴びないのだ。

 不浄霊を斬ったり叩きつぶせば嫌でも呪いの霧を浴びることになる。それをくり返せば幽姫の体内に少しずつ呪いがたまり、いずれはじけて死んでしまう。不浄霊を剣で斬る瑠璃や爪で裂くトラのような幽姫は霧を浴びざるをえない。

 しかし氷菓は違う。不浄霊をお菓子に変えてしまうから霧とは無縁でいられる。だからいくら戦っても身体に呪いをためることなく元気なままなのだ。

 敵をお菓子に変える氷菓の能力は一見すると可愛らしくて便利なものだ。しかし実際はかなり残酷でえげつない。氷菓がいつもうまそうに食べているケーキやチョコレートの正体は幽世で狩った不浄霊だ。そのことを知らず、トラは何度も氷菓からお菓子を受け取って食べてしまっている。トラは吐き気を覚えて思わず口をふさいだ。


「おいおい、氷菓。全部お菓子に変えちまったらまずいだろぉ?」


「あ、そうか」


 クマァの指摘に氷菓はうなずき、残りの不浄霊達へ歩みよる。襲いかかってくる不浄霊達に氷菓はまったく動じず、落ち着いた様子でクマァを向けた。

 クマァの口が大きく開き、その中へ不浄霊達が吸い込まれていく。ちょうど掃除機に吸引される塵のような具合だった。クマァは公園の中に残っていた不浄霊を吸い尽くし、最後にげっぷをして口を閉じる。

 幽世の不浄霊を捕らえてクマァの中に保存し、必要に応じてストックしておいた不浄霊をお菓子に変えるためだ。クマァの口の中に手を突っこんでは自在にお菓子を取り出していたのを何度も見ているトラには氷菓の意図が簡単に読み取れた。

 公園の中から不浄霊が一掃された。不浄霊のうなり声も足音も消えた静かな公園の中央に氷菓が立っている。氷菓が片付けた数に比べればトラが始末した不浄霊はずっと少ない。のんきにキャンディーをなめている氷菓に、トラは右手を元に戻しつつゆっくりと歩みよった。

 トラが見るかぎり、氷菓の動きはとろい。呪いで力が半減している瑠璃や猛獣並の速度で動くことができるトラよりもずっと劣っている。だが身体能力が低い代わりに氷菓のもつ能力が異質で凶悪すぎる。


「……変わった力だね。そんな幽姫の力、今まで見たことないよ」


「素敵な力でしょ? この力がお菓子の氷菓の二つ名の理由。この力で瑠璃を倒すんだ」


 無邪気に笑う氷菓に寒気を覚えつつ、トラは一番気にしていた疑問を口にする。


「その力で……瑠璃の奴もお菓子に変えるの?」


「ううん。それは無理。生き物は変えられないの」


 トラはほっとし、宙で固まらせていた二本の尻尾をやわらく動かす。もしも幽姫までお菓子に変えられるのなら瑠璃に勝ち目はない。それどころかこの場でトラがお菓子に変えられる可能性すらあったからだ。

 氷菓の能力も、身体に呪いをためこんでいない理由も分かった。あと一つ、氷菓について知りたいことがある。それは氷菓が隠している真の動機だ。調べてほしいと頼まれた三つの謎をすべて解き明かせば瑠璃の所へ報告に行ける。

 氷菓とは別行動をとっているから会って話す機会が少ない。そのうえ、戦いとは無関係な時にいきなり瑠璃を狙う理由を聞いても不自然で怪しまれてしまう。今のチャンスを逃さずに何としてでも本当の動機を聞き出したかった。

 氷菓が瑠璃に個人的な感情を抱いているのは分かっている。ならば瑠璃の名前を何度も出して氷菓の反応をうかがい、瑠璃をどう思っているのかを知り、そこから本当の動機を推理するのが上策だろう。


「氷菓がこれだけ強かったらさ、きっと瑠璃の奴も簡単に倒せるだろーね」


 後頭部で両手を組んで笑うトラに氷菓もにこりと笑う。そしてトラのすぐ前まで走り寄ってきた。


「ねえねえ。トラはさ、瑠璃よりも氷菓の方が強いと思う?」


「ああ、もちろんさ」


 こうやって氷菓をおだてて話に乗せていくべきだ。そうすれば口をすべらせるかもしれない。トラはややひきつった笑顔で恐怖の氷菓と向き合った。


「やっぱりさ、氷菓の方が強いんだよ、きっと! 瑠璃は呪いでくたばりぞこないって感じだったし、この前の戦いでもトラに押されてたし。氷菓の楽勝だよ、うん」


 クマァの首をつかんで嬉しそうに振り回す氷菓にうんざりしつつも、使命を帯びたトラは笑みを絶やさない。これだけ氷菓が話に食いついてきているのなら、多少は深く聞き込んでも問題はないだろう。むしろ氷菓の方から喜んで話すかもしれない。


「……やけに瑠璃にこだわるんだね。何か理由があるの?」


「氷菓と瑠璃のどっちが上か、はっきりさせたい」


「どういうこと?」


 なめ続けて縮んだキャンディーの端を氷菓は噛み砕く。がりがりという音がトラにも聞こえてきた。


「剣の瑠璃と、お菓子の氷菓。どっちも名のある幽姫でしょ?」


「ああ」


「でも隣の街から瑠璃の名前ばっかり聞こえてくるの。氷菓よりも瑠璃の方が有名なんだ。氷菓にはそれが許せない」


 がり、ぼり、という甘いキャンディーを粉々に噛み潰す音がとどく。棒についていたキャンディーを残らず食べてしまった氷菓は棒を落として踏みにじった。


「だから氷菓が瑠璃を殺すの。お菓子の氷菓の方が上だって他の幽姫達に証明するの。瑠璃が呪いで弱ってるって噂を聞いたからちょうどいいと思ったわ」


「お、お前、まさか……最初から瑠璃を殺したいだけだったのか……!?」


「うん、その通り」


「あーあぁ、とうとう言っちまった」


 無邪気に微笑む氷菓の腕の中でクマァがため息をつく。


「瑠璃がはじけそうだから街を呪いから守ろうって話は……嘘だったのか?」

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