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四季ほどの優美な幽姫が千佳と友達でいる理由。それを問われても千佳には答えようがなかった。容姿や服装や華のある雰囲気など、あらゆる点で千佳よりも四季の方がはるかに勝っている。四季が平凡な千佳をわざわざ相手にする理由が見出せない。
「わたくしが千佳と関係を保つのは貴女の特別な体質が気に入っているからですわ。幽姫の力を吸収して無効化してしまう、その奇妙な体質に興味を惹かれますの」
「特別な、体質……?」
「千佳の体質を応用すれば、その瑠璃という幽姫を救い出せるかもしれません。それよりも千佳。一つ、大事な忠告をしてさしあげますわ」
「な、何ですか?」
「この街に二頭の猟犬がやって来ました。十分に注意することですわね」
「猟犬ってどういう意味ですか? ……って、ちょっと四季さん! 待って下さい!」
「ごきげんよう」
四季は千佳達の横を通り過ぎ、気ままに道の向こうへ歩いて行ってしまう。呼び止める声にも振り返る様子はまるでない。
四季の向かう先には大量の不浄霊がうごめいている。千佳達は忍の能力で戦わずにやり過ごしてきたが四季はそうもいかない。ゆっくりと歩く四季に不浄霊達が気づきじりじりと距離を詰めていく。
周囲を囲む霊達を四季はまったく気にしていない。日傘を差したままスローペースで道の真ん中を歩き、「四季さん! 危ないですよっ!?」という千佳の叫び声も無視している。
四季の周りと進む先に花が咲く。暗い幽世を黄色く彩る花は寒菊だ。それがコンクリートの路面から一瞬で生え、四季の周り一面に花畑を形づくる。
寒菊はあっという間に散り、その花びらの群れがあざやかに宙を舞って竜巻のように旋回する。その中へ巻きこまれた不浄霊達が無数に切り刻まれて霧散した。花びらはその一枚一枚が鋭利な刃であり、花びら達が高速回転する中は大量の刃がからみ合う寸断地獄も同然だったのだ。
四季はついに一度も立ち止まることなく、不浄霊達に目を向けることさえなく道の先へと消えていった。四季にとっては狩りというよりも行き先に転がっている邪魔な小石を蹴飛ばしたくらいにしか思っていないのかもしれない。不浄霊などいくらたばになってかかってこようがものの数ではない。四季の背中がそう語っているようだった。そんな彼女の後ろ姿を千佳と瑠璃は声もなく見送ることしかできない。
「何なのよ、あのふざけた威力は……?」
瑠璃が千佳の両肩を痛いほどの力で握りしめる。ためこんだ呪いのせいで本来の実力を出せない瑠璃には四季の桁違いの力がなおさらにショックらしかった。落ちこんで言葉を失う瑠璃を背負い直し、千佳は帰り道を急ぐ。
道を歩くうちに少しずつ瑠璃の呼吸が荒くなり、千佳の肩をつかむ手からも力が失われていく。千佳の呼びかけにも満足に返事ができないほどに弱っている。千佳は恐れとあせりで心臓を高鳴らせながら家の前までたどり着き、忍の力で幽世から現世へと移動した。
階段を上がり千佳の部屋へと入る。背中の瑠璃が苦しげにうめき、それに気を取られたせいでドアの左側に盛っていた清めの塩の山を蹴飛ばしてしまう。塩がはでに床に散らばったが、今はそれよりも瑠璃を安静にさせることが重要だった。
瑠璃をベッドに寝かせ、毛布と布団を胸まで掛ける。すると千佳の肩の上に忍が現れた。
「忍……! どうしよう、瑠璃が、瑠璃が……!」
「創ってもらった幽姫にこんなことを言いたくはないけど、瑠璃はバカだ。弱った身体で無理をすればこうなることぐらい想像できなかったのかな。よほど千佳に言われたことがこたえたらしいね」
「分かってる! 瑠璃を現世の部屋から追い出した私が悪いんだよ。でも桃香に瑠璃のことを知られるわけにはいかなかったし、あの時はああするしかなかった」
「悪いのは無謀にも飛び出してしまった瑠璃の方さ。部屋に誰かが入ってきそうなときのためのルールも設けてあったのにそれを守れない瑠璃に非がある。そんなに心配しなくても、そう簡単に瑠璃は死なない。四季ほどではなくても瑠璃はかなり強い幽姫だからね」
一階から届く母親の呼び声に千佳は肩を震わせた。夕食の時間だと言っている。瑠璃のことが心配だったせいで一階の気配に気が回らなかったが、とっくに母親も父親も仕事場から帰宅していたらしい。
「瑠璃は僕がみているから千佳は食事を済ませてくるんだ。食事も摂らずに部屋にこもっていたら両親に怪しまれてしまう」
千佳は無言でうなずき、首に下げていた忍のペンダントを瑠璃の胸の上に置く。最後に瑠璃の肩にそっと手を触れて部屋を出た。閉めたドアの前に立ち、千佳は目を閉じて胸に手を当てて気持ちを整理しようとする。幽姫の瑠璃を部屋にかくまっていることを親に知られたら何を言われるだろう。多分、酷く怒られる。人助けをしていても褒められることはないだろう。なにしろ瑠璃は人ではない。
人として生きている千佳は両親をだまし、裏切っている。そして家族の一員として生きる以上、瑠璃にも協力しきれない。両親と瑠璃のどちらも裏切っているようだ。そんな自分が千佳は嫌でたまらなかった。
憂鬱に取り憑かれているせいで食欲がない。母親が帰りがけにスーパーで買ってきた出来合いのおかずとごはんをろくに味わいもせずに口に運び、千佳はできる限りの早さで食事を終えた。
急いで部屋に戻り、瑠璃が寝ているベッドの前に座る。ベッドで落ち着いて眠ることで乱れていた瑠璃の呼吸はずいぶん落ち着いたが、それでも顔の色は青白く生気がない。
「ねえ、忍。四季さんの言ってた、私の特別な体質ってどういうこと? 私の体質で本当に瑠璃が助かるの?」
ペンダントを首に下げながら問いかける千佳。忍は瑠璃の枕のそばに出現し、ベッドの縁に腰かけた。そしてあごに左手を添えて何やら考え事をしている。
「……そうか! 勝手に部屋に運ばれて怒った瑠璃が幽姫の力で千佳を気絶させようとしたことがあった。しかしそれは千佳には通じなかった。千佳は体質的に幽姫の力が効かない。幽姫の力を吸収して無効化してしまう。そのことを四季は言っていたんだ。たしかに千佳の特殊体質なら瑠璃を助けられるかもしれない」
「どうして私の体質で瑠璃が助かるっていうの……?」
「幽姫の体に溜まった呪いは時間をかけて幽姫自身と混ざり合う。そのせいで幽姫は苦しめられるけれど、それは同時に呪いが幽姫の力に変質するということでもある。瑠璃を苦しめている呪い……幽姫の力と化したものを千佳へ移動させて、それを千佳の体質で吸収し無効化させれば理論上は瑠璃の負担が軽くなる」
希望と恐怖が等しく千佳の胸に満ち、息苦しさに千佳はうつむいた。人間よりもはるかに強い幽姫をこれほどまでに苦しめる呪い。瑠璃の細い体に押しこめられた計り知れない呪いの量とそのまがまがしさに千佳は悪寒を覚えずにはいられない。
瑠璃の顔に浮かんだ汗と血の気が引いた顔色。そして今にも止まってしまいそうな浅い呼吸は、瑠璃が不浄霊を斬って穢れを浴び続けたことの結果だった。千佳が暮らしている街の平和の代償が瑠璃の苦しみなのだ。瑠璃に命を救われた者として、平和を与えてもらった者として、どうして恩のある瑠璃の危機を見て見ないふりができるだろうか。
うつむいたまま迷い続けた時間は千佳が思うよりも長かったのかもしれない。千佳は覚悟を決め、顔を上げて忍を見つめた。
「できるんでしょ? 瑠璃を苦しめてる呪いを私に移すこと」
「できるけど、本気なのかい? 理屈の上では瑠璃の負担はずっと減るし、千佳にも悪影響は無い。しかしそれはあくまで理屈の話だ。実際にどうなるのかは僕にも分からないよ。下手に瑠璃の身体を刺激して抑えていた呪いが一気に飛び出すかもしれないし、君も無事ではすまない可能性だってある。今まで君にとって当たり前だった何かを失うかもしれない」
恐ろしいことを平然としゃべる忍からも千佳は目をそらさない。不動の意思を目で訴える千佳に忍も根負けし、あきれたように肩をすくめた。
「今から瑠璃の体と千佳の体の回路をつなぐ。そして千佳側に流れこむ幽姫の呪いの量と勢いを千佳が耐えられる程度に常時調節する。その作業に全力で当たるから僕は今夜、ほとんどの機能を休止する。話しかけられても応えられないし、姿を現すこともできなくなるからそのつもりでいてね」
「ごめんね、忍……。こんな無茶なお願いをして」
「千佳と瑠璃の負担に較べたら、これぐらいなんてことないさ。道具の僕にとっては主人に活用してもらえることが一番の喜びだよ」
忍に指示され、千佳は瑠璃の左手を両手で握った。そのまま目を閉じ、祈りを捧げるような姿勢で瑠璃の胸に頭を当てて意識を集中させる。
もちろん恐れと不安はあった。なにしろこれから忍にも予想のつかない前人未踏の領域へ冒険しようというのだ。緊張で指先が震える。それでも瑠璃を大切に思う気持ちが、逃げたいと思う恐怖心よりも強かった。
初めは指先がじんわりと温かいような感覚だった。それが瑠璃とつないだ指から手に、手から腕へと伝わり、何か熱くてドロドロしたモノが胸から全身へと少しずつ広がっていく。
痛みはない。だが自分のものではない異物が体の内側へ侵入していく感覚は決して良いものではない。異物である呪いを外へ排出しようとする反応は吐き気となって千佳を苦しめた。
……内側に広がる熱さと吐き気に耐え続け、瑠璃の手を握ったままどれくらいの時間が経ったのか千佳にはよく分からない。ふと気がつけば、手の中にあるはずの瑠璃の感触が、ない。
「瑠璃……?」
顔を上げてベッドの上を見つめるが、そこには瑠璃の姿がなかった。布団の人型の膨らみが平らになり、瑠璃が寝ていた場所には千佳が貸したパジャマが横たわっているだけ。




