第24話
さてそれはさておき、村人たちと話し合い、ある程度の方針を橘花の中で固めた。
手抜きはせず、しかし手際よくイベントを進めたい。
同時進行、効率重視で。
さもなくばいつまで経っても帰れず、からあげが食べられない。
「病人の状態回復、周囲への予防、土壌改良、品種選定、村の中の整備……まずはこんなところか」
村に空き家が多いため、そちらも整備しようと付け加えた。
ザザンに大まかなプランを提案すると、彼はそれだけで泣いて喜んだ。まだ何もしていないのに。
最初に案内された畑は、病気で食べられない作物が多い。
――連作障害だ。
隠れ里のため道具が少なく、森を開拓できず場所もないのが致命的だ。
村の土は乾燥しており、塊を砕けば砂のようにさらさらとしている。すでに栄養が切れているのだ。
元は腐葉土などの栄養が豊富な土壌だったらしいが、今は底をついてしまったのだろう。
橘花は生産職もそれなりにできるが達人には及ばない。
それでも、自然現象までこだわり抜いたこのゲームの作り込みを感じている。
他の生産系もリアルと変わらず、温度や加工条件を考え、発明していくのは好きな人にはたまらないだろう。
(……脱線した)
最後に見た薬草畑は小さく、雨が少ない今年でもかろうじて三株だけ葉を伸ばして残っていたらしい。
しかし、掘り返された窪みだけが残る畑は見るに耐えなかった。
橘花の良心が痛む。
友人からランクアップ祝いで譲り受けた植物生育キットがある。
「もう使わないけど記念に」と押しつけられたものだが、こういう時に使えて助かる。
畑を再生し、薬草も作物も大量に育てられる土壌に戻すつもりだ。
今ある食べられる作物は収穫してもらい、食糧問題には橘花のアイテムから日持ちする野菜を取り出して渡した。
畑をいったんリセットするのだから、文句は言われないように。
キットを起動すると可動式の水撒きポンプが動き出し、畑全体に栄養入りの水が行き渡る。
小型耕耘機も決まった範囲を耕していく。
(確か耕耘が終わったらミミズを撒き、その後品種選定して種を蒔くって言ってたな、友人は。この土地にはトウモロコシが無難だと思うけど、大丈夫かな?)
薬草畑には水が少なくても育つ種類を重点的に選んだ。
数時間後には芽が出て育ち始めるはずだ。
待っていられないので、病人に使う薬草は自前のものを使うつもりだ。
これで万事解決!
――そう思っていたのは、ほんの数分前までのことだった。
病人たちの現状を目にした瞬間、橘花は絶句しかけた。
「あぁ……」「……うぅぅ」「いたいよ、おかあさん」
そんな声が、湿った空気の中を弱々しく漂ってくる。
ザザンに案内されて辿り着いた天然洞窟には、植物を編んだだけの粗末な敷き物の上に、やせ細った村人たちが呻きながら横たわっていた。
簡易な石造りの家はあるのに空き家が多かった理由はこれだ――畑を耕せる体力がある者だけが外で暮らし、病に伏した者は洞窟に押し込められていたのだ。雨風はしのげても、医療にはほど遠い環境。
薬草はあっても医者はおらず、煎じて飲ませる程度しかできない。健康な者への感染を恐れ、隔離するのが精一杯――ザザンは悔しさを噛み殺すように説明した。
(……こんな胸糞悪いクエスト、誰だよ作ったの)
耐えがたい悪臭が鼻腔を突いた。牛舎や豚舎の方がまだましだと思えるほど、濃密で重たい匂い。
橘花の胸の奥で、違和感がさらに膨れ上がっていく。道中も男たちの体臭が妙に生々しく感じられたが、視覚効果のせいだと自分に言い聞かせていた。
――これはまるで、本格医療体験型のVRプログラムにでも放り込まれたみたいだ。
一度、トラストラムの研修棟で最新機器をこっそり試させてもらったことがあるが、あれですら匂いの再現はしていなかったはずだ。
なんだこれ。絶対おかしい。
だって――ゲームをしていたはずだ。
姿はアバターそのまま。装備もゲームで手に入れた物。ショートカットアイコンだって使えたじゃないか。
中二病はとっくに卒業した。現実を見ろ、と自分を叱咤しながら、祈るような気持ちで口を開く。
「メニュー」
フォン――軽い効果音とともに、『メニュー』と記された透明なパネルが浮かび上がる。
(……ほら、やっぱりゲームだろ)
だが表示された項目は『ステータス』『装備』『アイテム』『スキル』『メール』『イベント・クエスト履歴』だけ。
フレンドリストは残っていたが、弟たちへのメッセージは何通送ってもエラーで返ってきた。GMコールも、先週追加されたはずの緊急コールもない。公式サイトへのリンクも、最新情報のポップアップも消えていた。
――ログアウトも、ない。
そして、視線を釘付けにしたのは、右下の簡易地図の上に浮かぶ現在地の文字。
『異世界ミレヴェスタ:元奴隷の隠れ里』
笑い飛ばそうとしたが、喉が詰まって声にならなかった。
頭が追いつかない。
もしドッキリなら、もう種明かししてほしい。
――ゲートの向こうは異世界に繋がっている。
(……冗談、だよな?)
かつて聞いた都市伝説の一節が脳裏に蘇り、即座に否定する。
確かめるように、腰の刀を半ばまで抜き、刃の部分に親指を押し当てた。
皮膚が裂け、赤い血が滴り落ちる。ジンジンと広がる痛み。傷口は驚くほど鮮明に、皮膚の層とその下の肉までをさらしていた。
――ゲームでは許されない行為だ。
自傷行為。
生々しい傷や血液の表現。
そして、この痛み――注射針程度で上限のはずが、明らかにそれを超えている。
決定的なのは、匂いだ。
味の再現は可能でも、臭いの完全再現はどの開発会社も実現していない。
こんな生々しく不快な匂いを再現できるなら、間違いなくニュースになっているはずだ。
「……ありえない」
理解の糸がぷつりと切れたように、橘花は呆然と自分の手を見つめていた。




