第16話
お久しぶりです。
なんとか書く時間ができたので、短いですが更新します。
目の前に現れた銀髪の鬼人族に剣を打ち上げられた衝撃は、ベルゼにとってそれほどではなかった。
しかし、次の動作から軽い体当たり程度だろうという予想とは違い、ベルゼの身体は数メートルを軽々と吹き飛ばされる。
予想と視覚からの情報とのありすぎる誤差に、ベルゼは脳内の理解が追いつかない。
体当たりを受けた酷い鈍痛で意識を戻したのは、身体が条件反射で防御の姿勢をとりつつ地面を滑る足に力を入れて停止したところだった。
「お、お前。一体、どこから……」
「私の質問に答えるのが先だろう」
刀を構え直した目の前の鬼人族の圧にたじろぎながらベルゼは負けじと声を出したが、意にも解さず返された言葉に今度こそ黙り込む。
一瞬、女と間違うほど中世的な顔立ちの鬼人族。身体は細身で、ベルゼと見比べれば厚みが違う。だが、目の当たりにする存在感はベルゼの比にならない。
なのに振り下ろされた大剣を防ぎ、弾き返すと同時に当身で吹き飛ばされるなど経験がない。
ベルゼとの見た目は大差あれど、場を支配するそれは真逆である。雰囲気に飲まれかけ、ゴクリと唾を飲み込む。
「……逆らった奴らに制裁を下していただけだ」
「そうか。で?状況からしてお前を賊として処理して構わないのだろうな?」
確認のように語尾が上がる相手の言葉に、状況をわかっていないものと判断したベルゼは、ニヤリと密かに嗤う。
「けっ、賊はこの村の奴らだ!俺はギルドのA級冒険者。どこのどいつか知らねぇが、これは立派な妨害行為だぞ!?」
「そうか。なら、この状況の判断を第三者に仰ぐか?」
そう言って鬼人族が軽く腕を上げて指さした上空に、ベルゼは罠を警戒しながら視線を上げ……瞠目した。
ホバリングしながら上空で停止している記録装置を見て、冷や汗を流す。
あれは不味い。あれに収められる映像は偽造不可で犯罪などの証拠能力としては、この世の何をおいても重要視される記録装置だ。
過去には国家間の紛争においても、他国の王族を処刑に追い込むまでの証拠提示に活躍した記録もある。
どうすべきか、頭の中で最良である答えを急いで探す。
記録装置は専用の機材でなければ記録を取り出せない。しかし、あのまま内蔵した記録をその場で確認として見ることもできる。
いや……だが、その見れる記録を消してしまえばいい。目の前にいる奴ごと消してしまえば何も問題はない。
そう思い直すと視線を鬼人族へ戻したベルゼは威圧的に言葉を発した。
「テメェ…俺を誰だと思っている!ベルゼ・ナトリュー!貴族にしてA級冒険者だぞ!」
「そうかそうか。それで?貴族を名乗る割に、子供でも知ってる貴族の義務すら知らないようだな?」
ベルゼの名乗りにまるで相手をせず、小馬鹿にした対応に青筋をこめかみに浮かべる。
「貴族である俺をコケにして生きていられると思うなよ?」
「なんだ。コケにされたぐらいで生死が関わるのか。ホーンボア並みに単純なんだな」
ホーンボアは一角猪で、初級モンスターだ。攻撃は猪突猛進のみ。
それと同等とされ、さらに頭に血がのぼるベルゼ。
貴族が平民如きにあしらわれるなど、未だかつて無い侮辱だ。
「殺す……。ブチ犯して男娼にでもしてやろうかと思ったが、テメェはここで切り刻んでモンスターの餌にしてやる!」
「おいおい、冗談は顔だけにしとけよ。そういうのは、ホーンボアのオスにでも相手にしてもらえ」
「まぁ、相手にしてもらえるならな」と言葉を付け加えられたところで、ベルゼは怒りに任せ一気に距離を詰めると大剣を振り下ろした。
だが。
スッと、体を軽くそらす程度で大剣を避けられる。
今度は大剣を横に薙ぐが、また服にすら触れない程度、紙一重で避けられる。剣圧を受けているにも関わらず、身体はブレていない。
何度やっても当たらず、ベルゼが手当たり次第に剣を振り我武者羅になってきた辺りで、避けていただけの鬼人族が、ふと剣を避けたかと思うと一気に距離を詰め、思い切りベルゼの顔面を柄頭で殴りつけた。
単純に避けるしか能力がないと舐めていたベルゼは、その動作が見えなかった。
見えていたとしてベルゼ程度の身体能力では避けられなかっただろうが。
グシャリ、という音が一瞬だけ聞こえたが、続けてベルゼの体が吹き飛び、ボールのように地面をバウンドする度に装備が砕けていく音にかき消された。
「は、はひゅ……っ?」
歯と鼻と言わず顔の骨が砕け、変に顔面が崩れた状態だが、あまりに突然のことと意識が一瞬飛んだベルゼは自分に何が起きたかを知覚できずにいる。
ただ、衝撃で顎も外れ、口が閉じられない状態だ。
顎が外れて喋れないことに気づきアガアガと呻きながら、何とか外れた顎は戻せた刹那…ベルゼの顔面に激痛が走る。慌てて息を吸おうにも鼻からは出血で思うように呼吸ができず、口からも衝撃で折れた歯茎からおびただしい量の出血で咳き込み、のたうち回ることになった。
「A級だという割には、こんなものも避けられないのか?」
いつの間にか近くへ来て悪びれもない声をかけてくる声の主を睨もうと、ベルゼは視線をあげ……愕然とする。
翅を毟られた羽虫が逃げようと懸命に地面を這いずる様を見るような、無関心な瞳を向けられ、ベルゼはようやっと相手とのあり過ぎる力の差を実感した。
途端に震えがくる。
高ランク対象の討伐モンスターに遭遇した時のように、体を支える手足がガクガクと震え出した。
黙っていれば見た目は優男のような感じだが、相手は鬼人族。戦闘種族とも称されるモノだったことを思い出す。
だが、鉄の侵略者との激突から数年で鬼人族はほぼ姿を消し、実力を間近で見ることなどベルゼはおろか、貴族達はほとんど見ることはなかっただろう。
たとえ報告書という名の資料があったとして、一笑して捨てる程度だ。
魔法が攻撃手段として強いとされるのは常識であり、そう考える風潮が強いのが人間族である。貴族間では顕著にそう思われていた。
魔法耐性がない種族が、戦闘に秀でているなど誰が信じる?
鉄の侵略者の撃破は、他種族も協力した記録がある。その中で先陣を切ったのが鬼人族であるというだけのことだと、戦場から離れた安全な場所にいた貴き血を自負する者達は「誇張だ」と鼻で笑っていた。
そうした貴族の風潮の中にいたベルゼは増長していたこともあるが、本当の意味で鬼人族の戦闘能力を知らなかった。知ろうともしなかった。
希少な種族になっているのならば、捕まえれば奴隷でも娼館でも高く売れそうだ。その程度の認識しかない。
王都にいた頃、鬼人族に助けられたことがあるらしい地方貴族とそのことで衝突し、ベルゼ自身の言動が原因で貴族の品位を落とすとして家から反省を促すため出されたのだが、反省をすることなく冒険者となり親類のモリフン領へと流れてきた。
冒険者になり傍若無人に過ごしていた日々でも、ここに至るまでついぞ実物を見たことはなく、以前も鉄の侵略者を食い止める最前線にいてすでに退役した者が語る話をただの雑音として聞き流していた。
ーーその姿、鬼神の如し。
唯一聞き取ったその言葉を「鬼人と鬼神をかけたジョークか?」とベルゼが揶揄し、退役したとはいえ前線で活躍していた者にコテンパンにのされたのは、とりあえず事態が落ち着いた数年前。
目の前にいる鬼人族は話に出てきたような力の片鱗さえも見せていないが、圧倒的な壁のように思えた。
敵わない。
喧嘩を売る相手にしてはこの上なく最悪だということは、ベルゼが冒険者として生活してきたこの数年の経験がなくともわかるものだった。
どうにかして窮地を脱出するため召喚した魔人を充てがおうと、顔に走る激痛を堪えてそちらに顔を向ける。
だがしかし、新人を相手にさせていた魔人はすでに姿形が消え失せていた。
馬鹿な!
ベルゼはそう叫びたかった。
ありえない。新人が倒せるわけがない。最高位の魔人を召喚したんだぞ!?
懐の魔石に手をのばすと、砕けていた。
魔人召喚の魔石が砕けるのは、それの力より上位のモノに潰された時のみだ。
新人どもが俺の召喚した魔人より強いはずがない。
召喚した当初、苦戦していたのを見ている。
何が起こった。
一体、どうなっている!
息苦しさに喘ぎながら、ベルゼは理解し難い状況に混乱していた。
その行動を感慨もなく見ていた鬼人族から、ため息まじりに声が漏れる。
「何かするつもりだったのだろうが、あの趣味の悪いモノは斬ったぞ」
「……ひっ、た?」
召喚した魔人を斬るなどといった芸当は、できないはずだった。
ベルゼの知る方法で、もっとも確率が高いのは最高ランクの魔法を浴びせられれば流石に消滅する可能性があるということだ。
それも可能性というだけで、実際に消滅したことなどなかった。
魔法が得意と自慢していた中堅冒険者が死に物狂いで魔法を打ち込もうとも、ダメージはほぼなく魔人が嬲り殺しにした時に実証したはずだ。
中堅冒険者はA級昇格を控えていた。実力は申し分ないと言われていた奴が手も足も出せないまま、魔人の暗い悦びの叫声の中、絶命していく様を見て「俺様と並び立とうなんざ思うからだ」とベルゼは結果に満足し、愉悦に浸った。
頂点は唯一、自分のみで良い。
そうして何度か排除をしていくと、ようやく昇級できる実力者は出て来なくなった。
なのに、なんだこれは……。
華々しく、または雄々しく頂点にいる自分を思い描いていたはずだが、結果とのあまりの乖離に茫然自失になりかけた。
視界の端には悠々と空から記録装置がこの状況を記録し続けている。
なんとか起死回生の一撃を仕掛けなければ、終わる。終わってしまう。
腰のアイテム袋にあるのは、閃光弾、モンスター誘引弾、目潰し粉…。
吹き飛ばされ転がった時にあちこちばら撒いてしまったらしく、それしか残っていなかった。
目潰し粉を鬼人族にぶつけ、怯んでいる隙にモンスター誘引弾を撒きながら、追ってくるだろう残りの村人や新人に向けて閃光弾を投げつける。
記録装置は広範囲の遠隔操作ができない。ならば、ここへ誘われてやってきたモンスターに踏み荒らされて証人がいなくなった後で、浮遊しているか動力がなくなり墜落した記録装置内部を消去すれば、まだ巻き返せる。
そう思いこっそりと利き手を腰へ伸ばした。
しかし。
「アッ、ガァアアア……!!」
「私はお前のように嬉々として相手をいたぶる様な趣味は持ち合わせていない。……が、抵抗するなら死なない程度に削ぎ落とす」
利き手とその下に位置していた右の二の足が同時に、鬼人族が持つ刃で貫かれた。
削ぎ落とすとは何をとは皆まで聞かずとも理解できる。
だが、顔面の痛みに加え、なんとか無事だった片手足が使い物にならなくなったベルゼには、矜持を保つことができないほどの痛みになりふり構うことができない。
生きてきた今までで経験したことがない痛みの数々が、すでにベルゼの理性も矜持も削り取っていた。
トドメだったのは刀を引き抜かれる痛みに、体から出せる液体という液体を出し、グチャグチャになった状態でヒィヒィと頭を下げる。
その様子に顔を顰めたのは、相対する鬼人族だけではないはずだ。
「ずみ、ぁぜん…ごえんあざい……。い、いのひ……いのひ、らげは…」
「……そう言って命乞いした者達をお前はどうしてきた?」
鬼人族の一言に言葉を失い、完全に沈黙したベルゼ。
その無言という答えに、スゥッと周囲の気温が下がった気がした。
「命はとらん。自分が何を仕出かしているのか、きちんと理解し償わせてやる。それこそお前が声高らかに言った、貴族に生まれた者について回る貴族の義務だろう」
静かに言い放たれ、黙ったままのベルゼを置いて鬼人族は離れていく。
ビクビクしながら絶対的強者の気がかわらないように祈るしかないベルゼは、何をするのか目を離さず成り行きを見ていた。
「遅くなった」
そう声をかけながら子供の亡骸を抱きしめている少年の側へ行き、泣きつかれるまま少年を抱き止めていた鬼人族がおもむろに懐から薬瓶のようなものを出す。
掌に持った手拭いに中身の液を出すと、少年の顔を優しく拭う。
すると魔法でも使ったように、折れた前歯も腫れた顔も見る見るうちに回復していく。
最上級の高価な回復薬であろうことは見てわかった。
驚愕させられたのは、同じ効能のものであろう高価な回復薬を追加、つまり二本目を開けて少年にゆっくり飲ませている。
そんなものをその辺にいる冒険者が、しかも平民が持っていることの方がおかしい。
王族に何か遭った時の緊急用で保存されているような高価な回復薬を、ほいほい村人程度の怪我に使うこともベルゼにとって理解し難かった。
ただわかっているのは、絶対に手を出してはいけないモノだったということだけ。
「…なぃ…もん…だ…」
鼻というかほぼ顔面が潰れたせいでキチンとした発音ならない言葉を呟き、白目を向いてがくりと崩れ落ちるベルゼ。
それを何の感慨もない瞳で振り返りながら、鬼人族はいま気がついたとばかりに口を開いた。
「ああ、そういえば名乗っていなかったな。私は橘花。お前がトドメを刺そうとしていたこの子の師だ」
泡を吹いて倒れるベルゼに、名乗りが聞こえたかは定かでは無い。
【ホーンボア】
PAO序盤のモンスター。
攻撃は猪突猛進のみ。
しかし小回りが利く上に、かなりしつこいのでスタミナ切れで初心者は体当たりを食らった後、突進のままに転がされてマップ外に押し出されるか、HP切れで街に死に戻りしたりと色々歓迎されない初級モンスターだ。
スタミナか回避を上げれば安易に倒せる。