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Pandora Ark Online.  作者: ミッキー・ハウス
交錯の王都編
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第143話

監査官ロイドは、いつものように相手の動きを冷静に観察していた。その瞬間までは、すべてが予測の範囲だった。

だが、重い軋みとともに鉄扉が沈むように傾き、橘花ごと扉が落下した光景を目にした時、ロイドは思わず目を見張った。


「……な、なんだと?」


鉄製の開き戸が軋む音を残して落下していく。そんな事態、想定できるはずがない。だがロイドの頭に最初に浮かんだのは、驚愕よりも――“これは橘花の計算かもしれない”という疑念だった。

監視網をすり抜け、施設の弱点を突いた行動。偶然にしては出来すぎている。ロイドの警戒心は、静かに、鋭く研ぎ澄まされていった。

橘花が落下したと聞くや、ヘーゼルは真っ先に地下の入口まで駆け寄った。


「橘花! 無事か!」


わざとらしいほど強い声量。本当に心配したわけではない。声が届く深さを測るための演技だ――その意図はロイドにも読めた。

通路の監視者たちは息を呑み、ロイドも落下地点を凝視する。


「ヘーゼルさーん、ちょっと助けてー!」


地下から、橘花の軽い声が響いた。ヘーゼルは肩をすくめ、わざとらしくため息をつきながら階段を降る。


「待て!」


ロイドが制止の声を上げたが、ヘーゼルは意図的に聞こえないふりをして地下へ消えていった。ロイドは唇を引き結び、他の監視者たちに続くよう顎をしゃくった。


地下へ降りた瞬間、視界が広がる。

暗闇を抜けた先にあったのは――報告書には存在しないはずの、巨大な魔導実験空間だった。

天井から吊られた導管。床に張り巡らされた魔力回路。脈打つように光る魔導装置が壁際にひしめき、蒸気と魔力の匂いが混じり、空気そのものが不穏に揺らいでいる。


監視者たちは思わず息を飲んだ。

ロイドは混乱を押し隠しながら、鋭い目つきで空間を見回す。


「……報告と違いすぎる。こんな施設、聞いていない……!」


その声には、監査官としての怒りと、人としての驚愕が入り混じっている。

少し先で、ヘーゼルが落下した橘花に駆け寄った。


「大丈夫か?」


橘花は軽く息を吐き、穏やかに頷く。


「ええ、ちょっと演技をしただけです」


だがその目は、地下奥の一点を鋭く射抜いていた。ヘーゼルもその変化を感じ取り、低く問いかける。


「橘花、何を見つけた?」

「実は――」


橘花の言葉を背後で聞きながら、ロイドは心の奥に確信を抱いた。


(ヘーゼルめ、こんな手駒をいつの間に使役していたのか。この男は戦闘において味方なら有用だろう。だが、ここで放っておくのは危険だ)


監視官としての冷静な判断が働き、同時に嫌な予感が背筋を撫でた。

橘花は、ある一点――奥の位置へ向かって歩き出す。

ロイドは慌てて叫んだ。


「待て! 勝手に――!」


だが声が届く前に、橘花は走り出していた。ヘーゼルが追い、その後ろをロイドたちが続く。


そして――。


奥まった場所に、檻に入れられて鎖に繋がれた一人の人間族の少年がいるのが見えた。

首には隷属の首輪。手首は赤く腫れ、何度も拘束に逆らった痕がある。その光景を見た瞬間、ロイドは息を飲んだ。


「……人体実験……? 馬鹿な……!」


橘花の震える声が横で落ちる。


「ここ……軍の機密施設、だよね?」


先ほどまでの穏やかさは消え、声は冷え切っていた。


「ヘーゼルさん。これ……人間族の国ぐるみでやってるの?」

「こんな施設、査察局にも報告は上がっていない」


ヘーゼルの言葉に、空気が重く沈む。


「ロイドさんは、知ってたわけ?」


橘花の問いにロイドは唇を噛んだ。監査官としての立場では返答できない。知らなかったことが、逆に罪となる。

返答のないロイドのそれを答えととり、橘花は檻の方へ向けた目に、殺気を宿らせた。


「じゃあ――ここで刀を抜いても、文句はないよね?」


ロイドは反射的に声を上げようとした。だが、橘花の顔を見て、言葉が喉で止まった。

止める道理がない。


「――あそこの檻の子、うちの子なんだよ。経緯がどうあれ、ここにいる奴らは斬る!」


その言葉が爆ぜるように落ちた瞬間、橘花は動いた。

影が跳ね、刀が抜かれ、空気が裂ける。作業していた技術兵たちが慌てて動くが、防衛など形ばかり。橘花の一撃は殺さず、だが確実に戦闘不能に追い込む精度だった。

ヘーゼルも冷静に続き、技術兵を制圧していく。

現状の最善の選択をするため、ロイドは震える声で叫んだ。


「魔導通信を遮断しろ! 外部報告は一旦止める! ヘーゼル殿。虚偽報告の疑いに伴う証拠確保のため、査察局権限により、当面の現場指揮をあなたに移譲する」


ヘーゼルはうなずき、橘花の隣に立つ。だが緊張はそこで終わらない。

奥の部屋に続く魔導回路が不気味な音を立てた。誰かが遠隔で魔導装置を作動させたとわかる。

ヘーゼルの声が鋭く響く。


「全員、防御体勢を取りつつ、退路を確保しろ!」


橘花は刀を握り直し、静かに答えた。


「ようやくお出ましってところだな」


そして――。

暗闇の奥で、金属の扉が開く音がした。ゆっくりと。こちらに歩み寄ってくるように。

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