第126話
その日は、昼間だと言うのに空は薄暗く、雨雲がかかっていた。
静かにしかし素早く、その一行はアルミルの街へ堂々と入ってきたのだ。
「我らは王都における重大な犯罪者の身内とされる者を捕らえに来た。その者も旧ミヤコでの工作活動をしていたと報告が上がっている」
「何かの間違いでは? この街にそのような者が入った記録はありません」
「隠し立てするなら街ごと取り調べの対象になること、分かっているだろうな?」
入口の衛兵に公文書を見せると、職務上素直に案内をする衛兵隊長。
「しかし、その者というのは誰ですか?」
「ギルドに潜り込んでいると住民からの密告があってな。報告が来て驚いた。有事の際、治安維持の要であるところにいるとは……。まぁ。ギルドも知らずに入れてしまったのだろう? まさか知っていて匿っていたなど、馬鹿な話はあるまい」
わざとらしく一行を率いてきた隊長らしき人物は、案内で先頭を行く衛兵隊長へ問いかける。
脅しのような言葉に衛兵隊長は「まさか」と掠れる声で答えた。
この時、一行を率いてきた隊長の男は、さすがに公文書を突きつければ、いうことを聞くのは当たり前のことだと思っていた。
しかしアルミルの街を歩き進めるたび、奇妙な違和感が皮膚の裏を這う。
それは冷気ではない。息を潜めて街路を進む彼らの感覚が、まるで見えぬ膜に阻まれているかのように鈍っていた。
ここは、王都とはまるで空気が違う。
(妙だ……)
市場で立ち話をしていた老人たちも、通りを掃除していた子供も、こちらの視線を感じればすぐに笑顔を作る。
怯えてはいない。
だが、誰一人として口を割らない。
つい先日潜入した部下の報告では、情報を引き出そうとすれば、無関係を装い、互いに目配せをして背を向けていたはず。
まるで、街全体が一つの生き物のようだった。
外敵を拒む免疫反応。そう形容するのがふさわしい。
この街へ公文書を持って入る前、報告に戻った部下の声が低く響いた時のことを思い出す。
「女物の日用品を買っていた男の情報を得ましたが……あとを追っても、影が途絶えました。ギルドにも該当する宿泊記録はありません」
「女はいなかったんだな?」
「はい。しかも、その男……以前、鬼人族と行動を共にしていたとの報告が」
報告を聞いた瞬間、刺客率いる隊長はわずかに眉をひそめた。
指先でテーブルを叩きながら、静かに呟く。
「鬼人族、か……」
その単語を口にした途端、周囲の空気が重くなる。
人間族至上主義の王都で育った彼らにとって、異種族とは“異形”であり、“劣等”であり、そして“脅威”だった。
だが、報告に上がる街の姿は、それがまるで逆転しているように見えた。
子供たちが異族と笑い合い、商人が平然と取引し、酒場では人間と獣人が同じ卓を囲んで笑っている。
その光景を目にしてきた部下の一人が吐き捨てた。
「どうなってやがる、この街は。まるで……呪われている」
「呪い、か……」
隊長は口角を歪めた。
「――いや、あり得る。鬼人族には古来より呪術の系統があると聞く。奴らが民を惑わし、服従させているのかもしれん」
彼らの脳裏には、炎と血の残像が浮かんでいた。
かつて王都で耳にした古い逸話――。
“鬼人族は、瞳で魂を縛る”
“微笑めば、心を盗む”
そんな荒唐無稽な伝承でさえ、今の状況を見れば現実味を帯びて映る。
「この街の結界のような静けさ、住民の口の堅さ。全部、奴らの呪いのせいだ」
「では、まず鬼人の首を落とす。それで術が解けるかもしれません」
「いいだろう」
隊長は立ち上がり、外套の下に仕込んだ短剣の柄を確かめた。
金属音がわずかに鳴る。
「目的は二つだ。――鬼人族の女、“茶々”の捕縛、もしくは殺害。そして、奴らを庇う者がいれば、同罪として処理しろ」
命令を受けた部下たちの表情に、一瞬の迷いが過る。
しかしその迷いもすぐに、訓練された沈黙に飲まれた。
ーー「ここがキルドになります」
案内をする衛兵隊長の声に意識が、現実に戻される。
「ご苦労」と一言、そして向かうのはギルドのロビー。受付の者に同じように公文書を見せ、責任者を呼ぶように言いつける。
対応した女職員は慌ててはいるが、普通の反応に見えた。
公文書を見せて責任者の呼び出しなど、滅多にはないからだ。
しかしーー。
(おかしい、なぜこんなにも静かに対応をしている?)
訝しんだ時、潜り込ませていた部下の姿が見え、すぐに側へ来て報告にきた声が、焦燥を含んでいた。
「茶々たち、ギルドにも宿舎にもいません! 昨日の夜以降、誰も姿を見た者がいないと!」
報告に舌打ちをした。
「やはりな。あの時の撤退判断……見事なものだ」
負け惜しみではなかった。
敵ながら、あの判断の速さと冷静さには軍仕込みの臭いすら感じる。
だが、称賛している場合ではない。
踵を返し、外へ出ようとした。
そこへ入口から入ってきたパンを抱えた老女が、「あらあら大勢の人だこと」と、こちらに微笑みかけてくる。
次に用事を頼みにきたらしき男が、「お。あんたら街に泊まるのかい? いい宿を紹介してやろうか?」と声をかけてくる。
次から次へ後ろから、入ってきた扉を塞ぐように人が集まってきた。
併設の食堂にいた冒険者たちも「なんだなんだ。こんなに仰々しく王都から来たって奴は久しぶりだな!」と周りを固めるように囲み始める。
――それは、明らかに異常だった。
昨日まで、石のように無表情で、こちらを避けていた住民たちが、まるで芝居でもするように笑顔を浮かべている。
笑顔の奥にある、無言の敵意。
それを見抜くには、長年の暗殺稼業で培った直感が早かった。
「……気づかれているな」
隣の部下が首を傾げる。
「何を、です?」
「俺たちが“探していること”だ。そして、こいつらは――奴らがここから脱出し、遠くにへ逃げるための時間稼ぎだ」
隊長は低く唸った。
逃げ込むとすれば、使者とぶつかる街道を使うより森に逃げ込む方が姿を隠しやすい。
「全員、準備しろ。出発は今だ」
「ですが、隊長。街の出入り口は仲間が見張っており――」
「抜け道はいくつもある。ここの連中が俺たちを街に留めようとしている時点で、もう臭うんだよ。笑顔を貼りつけたまま“引き止める”ってことは、時間稼ぎ以外にない」
吐き捨てるように言って、隊長は外套を翻した。
住民や冒険者を押しのけて建物の外へ出て、街の中心から少し離れた場所……路地裏を抜けると、そこには馬を引いて待つ部下たちがいた。
それぞれが無言のまま、短弓や短剣を確認している。
「逃げた鬼人族とその仲間を捕らえろ。抵抗するなら殺しても構わん。……いいか、必ず“茶々”の首を持ち帰れ」
部下たちの瞳が、一斉に鋭く光る。
風が吹き抜け、街の鐘の音が響く。
その音の下、彼らは一斉に動き出した。
背後の街では、住民たちが穏やかな笑顔を浮かべながら、通りに立ち尽くしていた。
まるで、静かな祈りのように。
彼らは何も言わない。ただ――“時間を稼ぐ”。
刺客の隊長は、その微笑の意味を最後まで理解しなかった。
その笑みこそ、鬼人族が呪いではなく信義で繋いだ絆の証であることを知らぬまま。
そして、風に舞う砂塵の中、黒い影は森へと駆けていった――。




