第125話
ギルド本館の最奥、薄闇に沈む資料室。
厚く積まれた文書の山に囲まれ、ガンジは油の切れかけたランプを頼りに一枚一枚、黄ばんだ羊皮紙をめくっていた。
外はすでに夜が明け、窓の向こうには昼の光が窓から資料室内を明るく照らしている。
だが、ガンジの眼差しは紙の上から離れなかった。
「裁判を開かせる……か」
橘花の言葉を思い出し、彼は小さく呟いた。
たまたま疫病騒ぎの時に見知ったヘーゼルが本部にいるとわかったため依頼はしたが、心の焦りか、そこからの進展が遅く感じて仕方がない。
実際の経過時間は、まだ半日程度だろう。色々と手続きや書類作成、上との交渉も考えれば、全く遅くはない。むしろ、数日かかる方がザラなのに、ガンジは酷い焦燥感を感じていた。
実力者である橘花が抵抗すれば、王都の兵士や軍など紙切れのようなものだ。
ギルド本部に送った旧ミヤコでの記録映像を見た者は、わかるはず。
それを理解できず、排除に動いたと言うことは、プライドの高い貴族相手だと推測が立つ。
そして、橘花が抵抗しないのは、今回王都のギルド本部の要請とはいえ、連れてきたガンジに迷惑をかけないためであるとわかる。
別な種族の奴など放っておけばいいものを……。
全くもって仲間想いな奴だと思いながら、ガンジは百年以上前の記録を遡り、ついに一冊の古文書に辿り着いた。
【鬼人族に関する魔力適正調査報告】
古びた書類の一頁を開いた瞬間、ガンジの指が止まった。
そこに記されていた内容に、目を疑った。
◇
【鬼人族に関する魔力適正調査報告】
過去数十年にわたり、各地の魔導研究所および冒険者ギルド分室にて観測された結果、鬼人族における魔法行使能力(魔力適正)は認められないことが確認された。
以下に、その要点を記す。
一、魔法適正について
鬼人族個体に対し、初級から上級に至る複数の魔法行使試験を行ったが、いずれも発動反応は見られず。
また、魔力回路とされる内的循環路の形成が他種族に比べて著しく不完全であることが、解剖的観察からも判明している。
よって、本種族は魔法行使の適正を根本的に有しないと結論づけられる。
二、魔法耐性について
並行して行われた被験実験において、鬼人族は魔法干渉への抵抗値が極端に低いことが判明した。
他種族が軽傷で済む初級攻撃魔法(例:ファイアボール、ウィンドスラッシュ)においても、鬼人族個体は重篤な損傷あるいは生命維持困難な状態に至るケースが多数確認された。
このため、魔法防御具や結界の使用は必須である。
三、総括
上記の結果により、鬼人族は魔法体系において「非適応種」と定義される。
魔法行使不能であるのみならず、魔法被害に対しても脆弱な構造を有するため、
「魔法文明圏における戦闘・研究・行政運用には不向き」との見解が当時の中央評議会より正式に下された。
《ギルド中央記録庫・第十三章/異種族生態及び魔力適正に関する報告書抜粋》
記録番号:No.2871-A/編纂日:第六紀暦142年
筆録官:アスレイ・ドゥーン
◇
記録は今から約百八十年前のもの。
乾いた喉が鳴った。
読み進めると、さらに衝撃的な事件記録が続いていた。
ページの端を握りしめたガンジの手が震えた。
――そんな馬鹿な。
だが、文字は確かにそこに記されている。
「……じゃあ、橘花は――魔法が一切使えない上に、魔法を使われたらひとたまりも無いってことか」
声はかすれ、思考が止まる。
ギルドや軍の現在の認識では、鬼人族の存在は曖昧にされ、戦闘能力の高さばかりが伝説のように語られていた。
しかし、それは誤解だった。
彼らは“魔法を使えぬ者”。
魔導装置を使わないのも、呪文を唱えぬのも――単に、適正が存在しないからだ。
つまり、橘花に「魔導増幅炉のコアの私的使用」とする罪状そのものが、成り立たない。
――それどころか、逆に命を奪われかねない側だ。
唇を噛む。
これを証拠として提出すれば、冤罪は確実に晴れる。
だが、同時に“鬼人族がいかに脆弱か”という真実が、国中に知れ渡ることになる。
もし公になればどうなるか。
人間族至上の社会において、魔法を使えぬ者は――奴隷同然の扱いを受ける。
いや、既に一部ではそうなっている。
魔法で拘束し、服従させる違法な術式が、地下市場では高値で取引されていることも、ガンジは知っていた。
「……これを出せば、橘花の命は助かる。だが、鬼人族という種の自由は失われる」
握りしめた拳が震え、爪が掌に食い込む。
まるで正義と現実の間で引き裂かれるような痛み。
静かに目を閉じ、彼は息を吐いた。
「……ったく。どうしてお前は、いつもワシを悩ませるんだ、橘花」
微かな苦笑が漏れた。
それでも、橘花の無実を証明する糸口を掴んだのは確かだ。
だが、この記録は誰でも観覧できる棚にあった。今、この情報が橘花を消すことに躍起になっている敵に見られれば、結果は火を見るより明らかだ。
このページのみ抜き取るには綴られた紐を解くしかないが、そんなことをすればこれに秘匿したい書類が綴じられていたことが分かってしまう。
どこかに記録の目録は作られているはずだ。それを探せば、この書類の抜かれた部分が判明する可能性がある。
だが、隠すにも場所がない。
なんとかこの一枚のみを持ち出すのに知恵を絞りながら、ガンジは何かないかと探ると内側の胸ポケットにコツンと硬い物が爪に当たった。
見ると橘花が寄越した手に収まる程度の初級ポーションの入った小瓶だった。
それを見て、一つだけ思いついた方法。
馬鹿げていると考え直すが、すぐに代案が思いつかない。
そんな時、いつもは静かな扉を挟んだ廊下側から大勢が歩いてくる靴音が聞こえてきた。
状況的に考えられる最悪な事態になりつつあるらしい。
この情報が敵に渡って、橘花の命を脅かすよりはマシだと覚悟を決め、思いついた方法を実行する。
そしてガンジが扉へ向き直った、その瞬間。
――バンッ!
扉が勢いよく開かれ、数名の衛兵と、鼻持ちならない笑みを浮かべたギルド幹部が踏み込んできた。
「ガンジ殿。大人しくご同行願おうか」
「……また厄介な使者が来たな」
ガンジの目が細く光る。
幹部の男は、どこか勝ち誇ったように肩をすくめた。
「橘花とかいう鬼人族を庇った件だ。あなたも“共犯の疑い”があるとか。ご理解いただけるでしょう?」
静かな怒気が、部屋の空気を震わせた。
だが、ガンジはただ一つの思考を胸に押し込め、唇を歪める。
「……そうか。なら、堂々と行こうじゃねぇか。――ただし覚悟しとけ。ワシは、真実を握ったまま黙って死ぬほど大人しくねぇぞ」
その声音は低く、鈍く、だが確かな威圧を帯びていた。
衛兵たちの一人が、無意識に喉を鳴らした。
⸻
ヘーゼルの執務室に、控えていた副官が駆け込んできた。
「報告! ギルド幹部たちがガンジ殿を拘束しました!」
その言葉に、ヘーゼルは一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに表情を戻した。
机上の報告書から視線を外さず、淡々と返す。
「……そう来たか。思ったより早かったな」
副官が息を飲む。
「想定されていたのですか?」
「当然だ。あの男が資料室にこもって動かぬ時点で、何かを掴んでいると誰かが察するのは時間の問題だ」
ペンを静かに置き、ヘーゼルは立ち上がる。
背後の窓から差す光に、その影が鋭く伸びた。
「問題は──奴らがどこまで理解して動いているか、だ」
「まさか、橘花殿の件と繋がって……?」
「繋がっている。だが、奴らはその本質までは知らない」
ヘーゼルは机上の地図を指でなぞりながら、冷ややかに息を吐く。
「ガンジ殿は不用意に暴れはしない。だが、ギルドの一部に“上”からの指示が降りているなら、いずれ証拠を握り潰される」
副官が息を詰めた。
「……どうなさいますか」
「動く。正式な命令はまだ下りていないが、私の権限で“監察局”を動かす」
「監察局、ですか? 軍内部の査察部門を動かすのは──」
「それが狙いだ。奴らに『こちらは監視している』と悟らせる。下手にガンジ殿を消すことも、証拠を処分することもできまい」
ヘーゼルは軍服の襟を正しながら、軽く舌打ちした。
「本来なら法の手続きで十分だったはずだが……やはり、貴族どもの根は深いな」
副官が不安げに尋ねる。
「局長の許可は……ヴァルモンド閣下に?」
その名を聞いて、ヘーゼルはふっと口の端を上げた。
「許可は後で取る。エルド閣下は“結果を先に出す男”を嫌いはしない」
その声に、部屋の空気が張り詰めた。
副官が姿勢を正すと、ヘーゼルは短く命じた。
「監察局第二班を出せ。ガンジ殿の拘束現場と、ギルド本部周辺の動向を洗え。証拠の改竄が行われる前に、すべて記録しろ」
「はっ!」
副官が駆け出した後、ヘーゼルは再び静かに独り言のように呟いた。
「橘花、ガンジ殿──お前たちを救うには、もう少し悪役を演じる必要がありそうだな」
そして、机の引き出しから古びた印章を取り出す。
それは軍務局でもごく限られた権限者のみが持つ、緊急介入の証だった。
ヘーゼル・カーヴィルはそれを懐に収め、無言で部屋を出た。
廊下の向こうには、政の腐臭と鉄の匂いが入り混じった、重い戦場の空気が待っていた。




