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Pandora Ark Online.  作者: ミッキー・ハウス
沈黙の盾編
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第124話

――王都・ギルド査察局


厚い帳が下りた王都の夜。

その静寂を切り裂くように、ひとりの男が早足で廊下を進んでいた。

査察官ヘーゼル・カーヴィル――軍時代は中佐まで昇りつめた人物。

正義感の強さゆえに、上層部の不正を糾弾し、結果として左遷された男。


彼の歩みは迷いがない。

今、動かなければ取り返しがつかなくなる――そんな確信が、その瞳の奥で燃えていた。


「橘花が“禁制品の使用”で拘束……?」


報告を受けた瞬間、眉ひとつ動かさなかった。だが、内心は静かに沸騰していた。

橘花という鬼人族の男が、どれほど筋を通す人間か、彼は知っている。

口数は少ないが、誠実で、誰よりも現場に立ち続ける――そういう男だ。


「ガンジ殿の話に虚偽はないな」


短く呟き、ヘーゼルは机の上に置かれた“封蝋つきの文書”を手に取る。

査察官としての職務権限を使い、王都軍務局に正式な“再審査要請”を出すためのものだった。


その裏では、もうひとつ別の動きが始まっていた。


王都西区にある軍務局。

夜明け前にもかかわらず、門前に数人の兵が並んでいた。

そこに、ヘーゼルの姿が現れる。


「……お久しぶりです、中佐」


最初に声を上げたのは、今は少佐の肩章をつけた青年。

ヘーゼルの元部下だった男だ。


「久しいな、カイン。顔つきが逞しくなったな」

「いえ、中佐の背中を見て育っただけです」


短い言葉に、互いの信頼がにじんだ。

周囲の兵士たちも敬礼を忘れない。

左遷されてもなお、ヘーゼル・カーヴィルの名は軍の中で“正義の象徴”として語り継がれていた。


「軍務局長に面会を申し込みたい。“査察官権限”でな」

「……例の鬼人族の件、ですね?」


カインは一瞬、鋭い目をした。


「王都に不穏な噂が流れています。あなたが動かれるのは、やはり――」

「ガンジ殿が来た。証拠も面白いほど揃っている」


短い応酬の後、カインは無言で頷いた。


軍務局長室。

権力者たちの象徴のような部屋に、ただ一人、ヘーゼルが入る。

入って目に飛び込むのは、扉から直線上に配置される巨大な窓。

その向こうには王都の灯が揺らめいており、まだ朝日も見えない暗い窓を背にして立つ男がいた。

白髪の混じった短髪は、戦場よりも政の修羅場で削られた年月を物語る。


「久しいな、ヘーゼル・カーヴィル査察官」

「お久しぶりです、エルド閣下」


整えられた口髭の下、真一文字に結ばれた唇が動くたび、室内の空気がひとつ緊張する。

皺の刻まれた目元から放たれる眼光は、怒りでも苛立ちでもなく――ただ冷ややかな洞察の光。

互いに形式的な挨拶を交わすが、室内の空気は硬質な硝子のように張り詰めていた。


「鬼人族の男――橘花。奴の件で動いているそうだな?」

「はい。ギルド査察の権限に基づき、拘留理由の再審査を要求します」


ヘーゼルが差し出した書類に目を通すと、彼は短く息を吐いた。


「……君も面倒なものを掘り当てたな」


その声は低く穏やかだが、底に潜む圧力は尋常ではない。

軍務局長エルド・ヴァルモンド。

正義を振りかざすことも、腐敗に染まることもない。

あらゆる潮流の真ん中に立ち、秩序という名の薄氷を渡り続ける男。

その存在がある限り、まだこの国の天秤は傾き切ってはいなかった。


「……あれは上層部の決定だ。撤回はできん」

「では、正式な調査書を見せていただけますか?」

「機密だ」

「では、その“機密”を暴くのが査察官の仕事ということになります」


沈黙。

刹那、エルドの口元にわずかな笑みが浮かぶ。


「……お前は相変わらずだな、ヘーゼル」

「変わるつもりはありません。正しいことを正しいと言えない組織なら、もはや軍ではない」


その目に宿る炎に、エルドも押されるように言葉を失った。



翌日、王都・査察局前。

そこに並ぶ十数人の兵士。

皆、かつてヘーゼルの下で働いた者たちだ。


「中佐、命令を」

「よし、聞け。私たちは“事実確認のため”に動く。決して戦ではない。だが、もし正義が踏みにじられるなら――その時は剣を抜け」


「了解!」


声が一斉に響いた。

その瞬間、ヘーゼルの背筋にあの日の感覚が蘇る。

腐敗した命令の中で、ただ真実を信じて立ち続けた日々。


王都の夜を切り裂くように、風が吹いた。



「……いない、だと?」


数刻後、報告書を読み上げた元部下の声に、ヘーゼル・カーヴィルは眉をひそめた。

視線が冷たい氷刃のように、部屋の空気を切り裂く。


「衛兵詰所の記録では、昨夜の巡回で牢の点検も済んでいる。だが、橘花の名は留置台帳から消えている。加えて、署名の筆跡が一致しません」


淡々と報告する部下。

だが、ヘーゼルの脳裏ではすでに線が繋がり始めていた。


――公文書偽造。

――証拠隠滅。

――そして、権限外拘束。


「……あぁ、やってくれたな」


口の端がわずかに歪んだ。

笑った、というよりも、呆れを通り越した愉悦に近い表情だった。


「確認を急げ。詰所の副長を拘束、関係書類をすべて押収しろ。軍の規定を盾にする輩には、軍律で返す」


短く命じ、コートの襟を正す。

その目はすでに、次に訪れる場所を定めていた。


――魔法局。


軍でも滅多に足を踏み入れぬ場所。

公文書の改ざんに“魔力痕跡”が残る場合、最終的な真偽判定はそこに委ねられる。


(いいだろう。そこまで腐っているなら、根こそぎ釣り上げてやる)


そう思うと、不思議なほど心が軽かった。

久しく感じたことのない高揚――正義という言葉の温度が、再び彼の血を巡っていた。


「中佐、魔法局への通達を? 本気ですか」


横に控えた部下が戸惑う。

ヘーゼルは淡々と答えた。


「“公文書偽造の疑い”だ。魔法局は動かざるを得ない」


その声には、冷たさの中に確かな炎があった。


「まったく……馬鹿らしいにも程がある。だが――」


口の中で笑いを噛み殺す。

この一件がどれほど大物を炙り出すか、もう察していたのだ。


「ここまでくると清々しいな。腐った魚を一網打尽にできる。これほど愉快な仕事は久しぶりだ」


静かに立ち上がり、外套を羽織る。

その背は、夜明け前の闇を裂くように堂々としていた。


「……正義の行使、か」


誰にともなく呟いたその声は、冷たい石壁に反響し、やがて消えた。

だが、その言葉の残響は、彼自身の胸に深く刻まれていた。


――今度こそ、正しい剣を振るうために。



王都・魔法局 本棟地下 検証室


青白い魔導灯が、天井の魔術紋を鈍く照らしていた。

無機質な石壁と硝子の魔導筒。整然と並んだ机の上に、問題の文書が置かれている。


ヘーゼル・カーヴィルは、そこに立っていた。

軍服の上から黒の外套を羽織り、硬い表情のまま検証官の報告を待つ。


「……この印影ですが、魔力痕跡の波長が合いません」


若い検証官が恐る恐る言う。

ヘーゼルの目が、冷たく光った。


「つまり――偽造だな」


静かな声だった。

だがその一言が、部屋の空気を一瞬で張り詰めさせる。


「そ、そうと断定はできませんが……同名の魔法陣で複写した痕が――」

「言い訳は要らん」


ぴしゃりと遮った声が、石壁に反響した。

ヘーゼルは文書を手に取り、光の下で透かして見る。

紙に刻まれた符号、署名、押印。

一見完璧な命令書――だが、魔力の線は微妙にずれている。


「“局長補佐の署名”にしては、随分と荒い仕事だな」


唇の端に、冷たい笑みが浮かぶ。


「これほどの魔導複写が可能な者は限られている。しかも印影の重ね痕を見るに……複写魔術を使ったのは、魔法局の内部だ」


検証官たちが息を呑んだ。

ヘーゼルの言葉は、確信に満ちていた。


「衛兵詰所の記録改ざん、そしてこの拘束命令の偽造。――橘花という男を陥れるため、複数の権限が使われている。これは一介の文官の手に余る。背後に“貴族階級”がいるな?」


誰も答えない。

ただ、重苦しい沈黙が支配した。


「……いいだろう」


ヘーゼルは文書を封筒に戻し、背を向けた。

外套の裾が、ゆっくりと揺れる。


「魔法局に正式通達を出す。“軍務監査局の名において、文書偽造及び権限濫用の容疑”で調査を開始する。協力を拒めば、そちらを先に拘束する」


その言葉に、検証官の一人が青ざめて口を開いた。


「ちょ、調査令状の発行には、上層部の許可が――」

「その上層部が腐っていると言っているんだ」


静かな一喝。

ヘーゼルは扉に手をかけ、ふと振り返った。


「……私は、証拠があれば動く。ただそれだけだ。あとは腐った連中が勝手に自滅する」


扉が閉まると同時に、検証室の空気が重く沈んだ。


廊下を歩きながら、ヘーゼルは低く笑った。


「公文書偽造、魔力複写、そして権限外拘束――いいな。三つも罪状が揃えば、誰の首でも取れる」


彼の歩調は軽く、足取りは確信に満ちていた。

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