第95話
翌朝。
「……ふああぁぁ」
寝ぼけ眼で起きてきた四人が、信じられないほどすっきりした顔をしている。
「おはよう、お前らも行っとけ。大浴場」
先に起きていた橘花がタオルを肩にかけ、のんびりと笑った。
案内された「大浴場」という名の空間は、本当に温泉宿の大浴場そのもの。
蒸気が立ち上る大きな湯船や磨き上げられた石造りの床。
日本人として、湯船に浸かる前に体を洗うのは当然の常識。橘花も特に説明していなかったが、ウェンツたち四人は各々、頭や体を洗う。
そして、本命とも言える湯船に入るとーー
「ああぁ……」
「生き返るぅ……」
「わぁぁ、風呂は心の洗濯って本当だねー」
「……俺ら……何しに来てんだっけ……?」
湯気が白く立ちのぼる中、体を湯に沈めた中でロイヤードがひとり声を上げた。
「くそっ、こういうの知っちまうと、もう風呂無しの安宿泊まれねぇ」
肩まで浸かりながら、しみじみと呟くその声は妙に切実だ。
「まぁ、確かにね」とウェンツが苦笑しつつも、頬は緩んでいた。
「オレ、お風呂で寝落ちする人の気持ち、今なら分かる」
隣でエレンはタオルを頭に乗せ、天井を見上げている。
「はぁ、もう一生ここに住みたい。お風呂もだけど、推しの拠点だもん!」
ソータがのんびり首まで浸かりながら笑うと、「温泉目当てかよ」とロイヤードが呆れたが、顔はどこか緩んでいる。
お湯に身を沈めながら、四人は心地よい温度の湯に「はぁ……」と再度ため息をつく。
昨日までの緊張感はどこへやら、ただの旅人に戻ったような、柔らかい空気が漂っていた。
とろけるようなリラックスに包まれ身も心もほぐれて風呂から上がる。家主である橘花から上がったら大広間に来るよう言われていたので、四人は気の抜けた状態で教えられた場所に向かった。
風呂上がりのぽかぽかした体で大広間に着くと、そこには橘花が用意した「ちょっとした朝ご飯」が並んでいた。
白身の焼き魚に卵焼き、味噌汁に漬物。スクランブルエッグ、ウインナーに厚切りベーコン。
それに、日本人と言ったら白米。
ご飯と味噌汁以外、ひと通りワンプレートに乗せてはおいたが、追加で食べる分は自分でよそうビュッフェ形式だ。
「すげー! これ、ちょっとした旅館の朝食じゃん!」とロイヤードが声を上げる。
「すごい、本当ホテルと変わらない」とウェンツも目を輝かせる。
席に着いたその次の瞬間から、若さという名の胃袋は暴走を始めた。
「白米最高!」
「このウインナー美味しい!」
「漬物、うまっ!」
「……味噌汁、ネギと油揚げ……良い」
四人の中高生は、文字通り遠慮なくかき込み、かき込み、かき込む。
気づけば、お釜はすっからかん。
「……え、ご飯もう無い!?」とウェンツが茶碗を持ったまま呆然とする。
「いや、六合炊いたんだよ……六合。くそぅ、見立てが甘かったか……」
橘花はお釜の底を見ながら、遠い目になった。
「中高生男子四人いる家庭って、エンゲル指数どうなってるのかな……」
ぽつりと漏らす呟きに、ソータだけが元気よく「推しが作ってくれるなら、いくらでも食べます!」と返し、橘花を苦笑させたのだった。
宿の心配は解決。安全に眠れる場所と、十分すぎる食事。
一晩明けて、落ち着いて情報収集の方針を話し合う余裕ができた。
「街を歩いてても警戒ばっかで疲れるだけだったけれど、これで聞き込みできるだろ」
橘花の言葉に、四人も力強く頷く。
こうして、旧ミヤコでの本格的な行動が始まったのだった。
「貴族を相手にするなら、まずは裏付けの情報が必要だよな」と、ロイヤードが言う。
「橘花さんが街を歩くと、背丈も頭巾もあって目立ちすぎ」エレンが真剣に言った。
「僕たち人間族アバターが動いた方が自然だろうから」ウェンツも頷く。
「聞き込み任せてください!」ソータはなぜか前のめりの乗り気で拳を握る。
橘花は静かに頷いた。
「頼んだ。私も少し調べることがある。また夕方に集合しよう」
こうして別行動で、それぞれが街へ散っていった。
少し日が傾き始めた頃に、街へ散っていった仲間たちが橘花の拠点へ戻ってきた。
四人の顔はどこか曇り、橘花に聞かせづらい内容だと推測はできた。
「……聞いてきた」ウェンツが椅子に腰を下ろすなり言う。
「街の中央にある高層ビルみたいな建物、あれ街の人たちは"摩天楼"と呼んでいて、貴族たちの本拠地らしい」
「それ、オレも聞いた」とエレンが続ける。
「屋上に飛行船の発着場があって、出入りは全部そこ。荷物の搬入も全部」
「地上の出入り口は?」
「ない」
ロイヤードの問いにも、エレンは短く答えた。
「本丸はそこか」と橘花が唸る。
話が止まりそうになったところで、ロイヤードが続けた。
「あとさ、その話とは違うんだけど、メインの通りから路地裏に入ってすぐのところに廃寺がある」
「廃寺?」橘花が小首を傾げる。
「ただの廃寺じゃない。入れないんだ」
ロイヤードの声は低い。
「兄さん、さっきぼくにも話してくれたけど、それ普通だと思うよ? どういうこと?」
「いや、そうじゃねぇ」
ソータが訝しげに眉を顰めて聞くのに対し、ロイヤードが首を振る。
「入ろうとすると、必ず入口に戻されるらしい。方向を変えても、壁を乗り越えようとしても同じ。何度挑んでも、気づけば元の門前に立ってる状態になるって話だ」
「それ、ぼくに話す時、省いたよね」
「いいだろ、簡潔に話したんだから」
兄弟のやり取りに「話す内容、弟に精査されてるのかロイヤード」と他の全員が心の中で呟く。
橘花が咳払いをして「なぜその廃寺情報を聞いてきたのか」と聞くと、ロイヤードは得意げに続けた。
「何度も衛兵や役人も調べに行っている。けれど壊そうとしても弾かれて、火を放っても鎮火しちまう。どうにもできないから、結局“廃寺”のまま放置。んで、そこに人が消えた噂もあるが、確かめる方法もねえ。住民の誰も寄らなくなって、今じゃ不気味な名所扱いだ」
そこまで言い終えたロイヤードが肩をすくめるが、何か悪戯っ子のような顔になった。
「なんでそんな廃寺、役人や衛兵が躍起になってるかって聞いたら!」
「兄さん」
「……あー、その、なんか探し人がいるらしい」
言いかけたところでソータが静かに嗜めると、ロイヤードは一度考え、続きを話した。
妙な沈黙が落ちたが、「でもよ、ソータ」「そのまま伝えたら、ぼく怒るよ」と小声で兄弟間ではやり取りをしている。
何を二人の間でやり取りしているかはわからないが、おそらく良い言葉ではないから止めたのだろう。
橘花はじっと耳を傾けていたが、やがて緑の瞳に微かな光を宿した。
「……不可侵領域か。だとしたら、余計に怪しいな」
その言葉に四人は顔を見合わせた。廃寺として放置された建物。人を拒むように閉ざされた領域。理由も解けず、ただ恐れられている存在。
「普通ではないですよね」ウェンツが呟く。
「うん、ゲームみたいな仕様……」ソータの言葉に、誰も否定はしなかった。
橘花は立ち上がり、窓の外の夕日を眺める。
「まずは廃寺を調べてみるか」
短い一言に、全員が頷いた。背筋に寒気を覚えつつも、その違和感を放置できる者はひとりもいなかった。
「そういえば、橘花さんは何を調べていたんです?」
橘花も出かけていたのは知っているが、どこで何を調べていたのかは知らない。ソータが流れで聞いてみる。
「隠すこともない。ミブロの拠点」
「あ、”お西さん”ですね!」
ソータが声を弾ませた。
もしかしたら、今なら個人拠点のように見せてもらえるかも!という俗物的な希望があったからかもしれない。
「そっちはダメだった」
静かに橘花は言葉にした。
「全部取れるもの取られて、廃墟になってたよ」
膝の前で握りしめた拳は硬く、寂しさからなのか怒りなのか、感情を抑えているのがわかった。
ミブロの全員で作り上げた拠点。それがいいように奪われ、捨てられている事実。
仲間も見つからず、仲間の繋がりとも言える拠点を荒らされ、当然のように異種族への圧政を敷く人間族の貴族。
橘花の秘めた怒りの炎が、静かにロイヤード達にも灯り始めていた。




