07. 王宮
「準備はいいかな?」
「ええ、もちろん」
五年ぶりの王都は夫婦で。
かつて貴族ばかりが通う学院では、王子や高位貴族に弄ばれかけた挙句、彼らの婚約者の怒りを買って殺されかけた。結果、たった数か月で領地に逃げ帰る羽目に。
でも今度は違う。
既に私は既婚者で、お相手は隣国の辺境伯家の子息。養子とはいえ甥だから出自はかなり良い。
学院を卒業しないと貴族の当主としての資格は得られないけれど、学歴自体はこの国のものでなくても問題ない。むしろ大陸最高峰、アカデメイアの学舎を卒業していれば、一目置かれるほど。
五年前――。
卒業を盾に我慢を強いたかと思えば、手を変えて自分の駒になりそうな男子生徒を使って、私を王子たちが手に入れようと画策していた。対価は我が家の爵位と領地。
そんな状況だった。
でもただ泣き寝入りした訳じゃない。
王子たちが手出しできないように改名して行方をくらまし、成人年齢の十八歳になった翌日に入籍済み。正確には書類提出だけど、問題がなければ遡って手続きをした日が婚姻日になる。相手とは政略が絡んでいるけれど、一応は恋愛結婚。
ほかにも色々と策を弄しているから、私を思い通りにするのは難しい。
いくら下位貴族とはいえ、一度は国王陛下の承認した結婚を、第二王子が勝手に棄却できないのだ。
隣には愛する夫。髪を独身令嬢のハーフアップから既婚者の完全に結い上げたそれへ。自身は夫の実家から贈られたティアラを始めとするパリュールと絹のドレスで完全武装済み。
「じゃあ行こうか、戦場へ」
「ええ、二人で頑張りましょう」
私たちは顔を見合わせると、ニヤリと笑い夜会の会場へと足を踏み入れた。
「王宮はどこも派手だな」
隣でエイレンが呟く。
「国力はどうであれ、国の歴史はこちらの方が百年ほど古いから、伝統的な物が多いのかもしれないわ」
隣国、エイレンの母国であるイルターニア帝国と、この国――ロナヴィエル王国は国力がほぼ同じとはいえ帝国に軍配が上がり、歴史は王国の方が古い。
我が家は下位貴族の子爵家だから権力に逆らえなかった。
でもエイレンの家は違う。権力的にも武力的にも力ある高位貴族なのだ。
虎の威を借るようだけれど、使えるものはすべて使うと決めた。
そのために頑張って告白して、結婚してもらったのだから。
蝋燭の光を浴びてキラキラと光る硝子の照明が、昼間のように広間を照らす。
ゆっくりと人を避けながら奥へと入っていった。
私たちが移動すると、近くで「どこの家の方かしら?」という声が囁かれる。
この国でデビュッタントを済ませていない上、学院を数か月で退学しているから、知り合いはすごく少ない。エイレンに至っては、今夜がこの国での初社交。アカデメイアにて学業を修めたため、帝国内でさえ顔は知られていなかった。
「踊るか?」
「良いわね」
目だけで語り合う。
今夜の私たちの仕事は顔を売ること。カルヴェント子爵家の新しい女当主と、武の名門ヘルンヴァール辺境伯家出身の夫。二つの国の君主が認めた夫婦として、ロナヴィエル王国での最初で最後の外交なのだ。
既に王子たちが手を回す時期は過ぎた。
これからは逃げたり隠れたりするのではなく、積極的に自分の存在を披露していく。
一曲、二曲と続けて踊る。
くるりとその場で回転すると、耳飾りが揺れて軽やかな音を立てた。
三曲目も手は離れない。
「アカデメイアで走り回っていたおかげで、続けて踊る体力がついたわ。三曲連続でも大丈夫だった」
「それは何より」
踊っている最中、あまり会話はしていなかった。でもお互いだけしか目に入っていないのは、周囲に見せつけられたと思う。
「終わったら休憩しよう」
「ええ、でもできるだけ人目につかないところは避けてね。何をされるかわからないから」
平気で人の頭より大きな花瓶を上から降らせるような人たちが相手なのだ。どれだけ用心してもし過ぎということはない。
私はエイレンを、エイレンは私だけを瞳の中に収めているとみせかけて、周囲に気を配る。
遠くからこちらに向かってくる男たちを見つけた。
それと会場の隅に陣取る令嬢たち。
誰に気を使ったのか、本来は踊っている人たちからは見えないはずなのに、細いとはいえ一本の筋ができあがっていた。
いよいよかと思っているころに曲が終わる。
エイレンにエスコートされながら、私たちは広間の中央を後にした。
「ローザ! 俺以外の男の手を取るな!」
王子たちが私たちの行く手を阻むように、前に立った。
五年の間に、傍にいる者たちの顔が半分以上替わっている。性格的に合わなかったか、能力的に問題があったのか。
多分、後者だろう。問題があるのは傍付きではなく王子本人だけれど。
「ローザ、こちらに」
王子の腰ぎんちゃくもとい側近が、そちら側に来るように言うけれど、従う気はない。
「夫以外の手を取る気はございません」
今日の装いを見れば、既婚なのは一目でわかる。
完全に髪を上げるのは既婚者の証。頭を飾るティアラも同様だ。
「無理矢理結婚させられた相手なんか、離婚させてやるから!」
王子が言い募るが、事実無根の冤罪である。
「私は夫を愛しております。恋愛を経て婚姻を結んだ、相思相愛の仲でございますれば」
言葉を一旦切ると、エイレンの顔をちらりと見上げる。一瞬にも近い短いものだったけれど、互いに視線を絡ませ笑みを交わす。
そして完全に笑みを消してから王子に向き直る。
「アカデメイアで勉強を教えていただいている間に、仲が深まり恋人になりました。幸い二人とも婚約が決まっていませんでしたから、両親の許可は簡単に降りました」
事実だけを簡潔に伝える。
実際、家庭教師をつけていたとはいえ試験の直前には、算術と幾何、天文を教わっていた。国内の学校を卒業できる程度の学力しかなかった私に、アカデメイアの授業は難しすぎた。無事に卒業できたのは家庭教師を勧めてくれた上、自らも教えてくれたエイレンのおかげである。
そんな事情があったとしても夫婦揃っての高学歴。
平野が広がる田舎の子爵家には不釣り合いなほどの。
アカデメイア卒であれば、どの国でも王宮に出仕できる。第二王子や取り巻き達が難癖をつけようと思っても無理だ。
もっとも帝国の皇帝と自国の国王が許可した婚姻に、ケチをつけられようもないが。
――面倒臭いし鬱陶しいわ。
短い学院生活の中で、日に何度も繰り返されたやりとり。
「俺を裏切ったのか!」
「いいえ」
王子の言葉を間髪を容れず否定した。
「元より殿下と私の間には何もありません。お約束をしたことは何一つございませんでしょう?」
後半、確認のような疑問形で言葉を投げたけれど、答えを期待したものではない。
「殿下には婚約者がいらっしゃいます。私と何かあろう筈がございません」
もし本気で愛を告げるならば、その前に結んだ繋がりを解消するのが先。この国は一夫一婦制なのだから。
一応、公妾が黙認されているとはいえ、王妃が外交を行えないなど事情があるときのみであり、国王ただ一人に許されたもの。
何より第二王子はまだ独身。ただでさえ日陰者の愛人を公表するのは、外聞が悪すぎる醜聞になる。
――つまりはそういうこと。
「嫡子である私が、妾になることはありません、絶対に」
跡取りでなくても、まっとうな貴族令嬢であるならば日陰者になる道はない。両親を始め親族一同が猛反対するから。
たとえ相手が王族であっても変わりはない。
「田舎の子爵家など! 王子妃の地位と比べるまでもない」
「周囲の誰もがどう思おうが、私はその子爵になる将来を望んでおりました」
全否定の言葉に噛みついたのは言われた本人ではなく、取り巻きの面々だった。
でも仕える主人が無能なら、側近たちも無能だ。私が過去の話のように言うのに、誰もツッコミを入れなかったのだから。
私は既に爵位を譲られて子爵本人なのだ。下位貴族とはいえ既に家を継いだ当主を妾にする道はない。
「王子の寵愛を無碍にする気か!」
「望まれているのに何様だ!」
言葉の一つ一つが神経を逆撫でする。
そして……。「王子の妾」という部分は不都合らしく無視だった。
「何事か!」
王子と私たちの会話を遮ったのは、兄君たる第一王子だった。
人ごみの中から出て来た時には、怒り心頭といった風である。
――出来の悪い弟を諫めるというよりも、騒ぎが収まれば良しとしそうね。
頭の出来がイマイチな弟に苦労しているらしい、とは噂で聞いた。疎んでいるとも。
だからと言って下位貴族でしかないカルヴェント子爵家側に有利な対応をするとは考えられない。王族や高位貴族が力のない弱い立場を慮ることはないから。
「騒動の関係者はこの場から去り、謹慎しろ!」
一見、喧嘩両成敗的な感じではあるけれど、実際は言いがかりを付けた方も、付けられた方も同罪という、やらかした側の罪を軽くするようなものに思えた。
でもこの場は「黙って立ち去る」の一択だった。
挨拶をするような友人はいない。顔を売る方法と言えば、会場をさり気なく歩くか、広間の中央で踊るくらいしかなかった。
目的を果たしたとは言い切れないけれど、やるだけはやったのだから良しとしようと思っている。
そして――。
翌朝、今期の社交を禁止すると第一王子の名前で通達があり、その日のうちに私たちは領地に戻ったのだった。




