隠れるうつけ姫
千代茶屋の行方の巻
雪の重みで垂れ下がった寒椿が、真紅の花弁を落とす頃。私は数えで12歳を迎えていた。駿府の館で出される朝晩の食事以外に千代茶屋や松平の屋敷でもご飯を食べているお陰か、背丈はぐんぐん伸びている。
竹千代と婚約してから数ヶ月が経ったが、なぜか関係は良好である。松平家臣団の皆は私が顔を出すたびに喜び、温かく迎えてくれるので駿府の館より正直心地がいい。竹千代とは共に書物を読んだり、馬で遠掛けをしたり穏やかに過ごしている。
特に甘酸っぱいことが起きることもなければ、亀裂が走ることもなく、心配していたよりも平和な日々であった。
「よもぎ茶二つと焼き唐芋一つ!あと、唐茄子餅もな!」
「おらも焼き唐芋三つ!持ち帰りでな!」
「はーい!熱いので気をつけて下さいね!」
千代茶屋にたくさんのお客さんの声が飛び交う。寒い冬は温かいお茶とお菓子を求めていつも以上に人が殺到する。店内に客が入りきらないのでテイクアウトも始めたが、土産にもなるとより評判が広まって行列が絶えなくなった。人を新しく何人も雇ったが、それでも忙しい時は私も着替えて頭に手拭いを巻きながら手伝っていた。
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
笠を被った武士を数名、店内に案内しようとすると男達が固まった。首を傾げると、男達が笠を取り私の目を見つめた。
「……瀬名姫様、どうしてこのような所におられるのですか?」
竹千代の近習の石川数正の細長い顔がそこにあった。恐る恐る彼の後ろを覗くと、竹千代が必死に笑いを堪えている。
「…騒ぎ立てるのはおやめください。今、答えられることではありませぬ。四名様ですね、中へどうぞ。注文が決まりましたら、お呼びくださいませ。」
私は数正の問いを無視して、店内へと押し込んだ。何か他にも言いたそうな顔をしていたが、無視して配膳や他のお客さんへの対応へと戻る。
「今日も美味かったよ、千代ちゃん、名奈ちゃん!また明日な!」
「ありがとうございました!またお待ちしておりまする!」
違う名前で呼ばれる私へと竹千代様御一行の視線が突き刺さる。竹千代は腹を抱え、数正はあんぐりと口を開けていた。菓子を食べ、お茶を飲んで帰るまで大人しくしてくれていたが、会計が終わり帰る直前に眉間に皺を寄せた数正に小声で告げられた。
「…明日、屋敷に来る際には詳しく話して頂きます。」
「…ありがとうございました!お気をつけて!」
「大変美味であったぞ、名奈ちゃん。」
くりっとした大きい目を細めた竹千代は近習を連れて去っていった。それから閉店までどう説明したもんか頭を抱えながら働いていた。仕事終わりに千代に相談してみても、武士の家のことは分からないと苦笑いされるだけだった。
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寒さから身を守るためにまんまるになったふくら雀がチュンチュンと鳴く午後。私は松平の屋敷の一室で竹千代達と向かい合っていた。石川数正が先に口を開く。
「……茶屋にはいつから働いておられるので?働く訳もお教え願えますでしょうか。」
「…息抜きです。駿府の館は息苦しかったので。働きはじめて二年になります。」
嘘をついてもしょうがないので全部正直に答える。焦らないように、あくまで冷静に対応しなければ。
「千代茶屋とのご関係は?」
「…用宗の下人の嫁です。店が潰れそうだったので金を出しました。」
私がそう答えると、正面に座っていた竹千代が笑いながらギョロっとした大きな目で私を覗いてきた。
「金以外にも口や手を出していそうだったがな。見た事がない食べ物に、丁寧な対応、中も外も客だらけなのに見事な捌きっぷり…他では見た事がないな。」
「…お褒め頂きありがとうございまする。」
軽く頭を下げて目を逸らす。褒め言葉とは名ばかりの探るようなその言葉から逃げる様に礼を言った。会話を嫌がる私の態度を見て、竹千代が小さくため息をついた後で直球の問いを投げかけた。
「本当の目的は何だ?…金か?」
私が答えをはぐらかさない様に、両肩を掴まれ顔を上げさせられた。
「…はい。お金です。何をするにも先立つものが必要ですから。」
逃げる事ができない私は諦めた様に頷いた。
「…ほう、武士の娘が商人の真似事か。…金を稼ぐなど卑しいとは思わぬのか?」
言葉とは裏腹に、彼の目に蔑みはなく素朴な疑問を浮かべる竹千代の手には力はない。私の肩を掴む彼の手を取って、彼自身の膝へと下ろしながら答えた。
「…ええ。思いませぬ。金があれば米が買えます。武具が買えます。兵も買えます。戦で村々を襲い金や米を奪ったり、攫った人を売るのも金のためでしょう?やり方は違えど武士も金稼ぎはしておりまする。」
「……その通りだな。では、商売で稼いだ金は太守様に献上しておるのか?私財として蓄えているのか?」
すんなり納得した家康だが、今度は金の在処や使い道が気になるらしい。彼の人差し指がトントンと膝をうっている。
「瀬名、個人の蓄えとしております。太守様にも誰にも告げてはおりませぬ。」
「…それは何故じゃ。米も武具も兵も買えぬではないか。其方の性格からいって贅沢品が欲しい訳でもあるまい?」
「いざという時の備えでございます。太守様のお陰で駿府は繁栄しておりますが、未だ世は戦国。何が起こるか分からぬ故、日頃から備えておくに越したことはありません。」
私が言い切ると、石川数正があっぱれと目を細めて手を叩いた。
「なんと素晴らしき心構え。松平家の嫁に相応しき風格でございますな。……ですが、太守様が耳にすれば不興を買う事になりましょう。」
鋭い目が私を刺す。確かに、太守様が聞けば今の待遇に不満を持っていたり、今川家の未来を信じていないように思われてもおかしくないだろう。素直に話しすぎてしまったと気づいた私の背中に冷や汗が流れた。
「……そんな顔をするな。太守様に言うわけがなかろう。」
「ええ、この事は松平家だけで内密にしておきましょう。瀬名姫様の商売を止めるつもりはありませぬが、今後は店のおもてに立つのはおやめ下さいませ。人を動かすのも出来るだけ間接的にするように。」
秘密を守ってくれる事にひとまず安堵する。しかし、竹千代や数正達の判断でお忍びで働く事を制限され肩を落とした。
もし、太守様や寿桂尼様に知られていれば即刻に店を取り上げられ、駿府の館で閉じ込められてもおかしくなかったらしい。
駿府の武家の棟梁である太守様の娘が、町で商売をやっているなど、うつけ姫と呼ばれて評判が下がるのは必至だそうだ。
「……信長殿も瀬名姫のように民草に混じっては商売をしたり遊んでおった。其方をみると懐かしい気持ちになる。」
私の目の奥を見つめる竹千代は、心なしか嬉しそうに微笑んでいた。私と信長を重ね合わせているようだったが、信長がいつか私を殺すかもしれないと思うと複雑な気持ちになった。
「織田…信長殿のこと、お好きだったのですか?」
「熱田の屋敷や寺に幽閉されていた時、よく遊びに来てくれておったからな。嫌なことも言うお方だったが、聡く、鋭く、面白きお方だった。」
敵方ですぞとたしなめる数正。そんなことは気にせずに語りたい竹千代。
「ふふ、意外と楽しんでおられていたのですね。」
思った以上に織田家では丁重に扱われていたらしい。寺ではたくさんの書物を読み、僧侶から教養も学んでいたそうだ。衣食住保証され、信長と遊び、とても充実していたように聞こえた。苦しみや弱音を語らない竹千代だからかもしれないが。織田家での人質時代の話は止まらず、日が暮れるまで続いた。信長の名前が何度も何度も出てきたのがとても印象的な宵だった。
その三日後、織田信長の守役であり、織田家の将としても活躍していた平手政秀が自害した。うつけと呼ばれた信長の評判はさらに落ちることになった。
お久しぶりです。
ほんっっっとうに長らく更新が止まってしまってごめんなさい。
実家や個人の事情と日本一周とがいろいろ重なり、大変間が空いてしまいました。
だいぶ落ち着いて今の生活に慣れてきたのですが、毎日自転車を漕いでることと、他の作業もしていることもあり、今後も更新は前ほどはいかなくなると思います。
それでも、私の大好きな徳川家康と瀬名の物語は絶対に完結させたいので、ゆっくりゆっくりでも投稿していきたいと思います。
前までの更新を楽しみにしてくださった方には本当に申し訳ないです。
それでももし読んで頂ける方がいれば、応援して頂けるととっても嬉しいです。
私の個人的な旅のことはプロフィールに載せておきますので、今後自転車の旅の話は出しません。
長くなってごめんなさい。ここまで読んで頂きありがとうございました。
感謝、感謝です!




