28.瀬名の縁組
婚約の巻
秋から冬へと変わる風が枯葉を吹き飛ばし、カラカラと音を鳴らす。館の常御殿で今川義元様と私が向き合う。官位を表す紫縁の畳に座る義元様が、扇子を閉じて畳の縁を叩いた。
「其方の希望は聞いておる。竹千代と夫婦になりたいのだろう?母上から聞いておる。」
義元様が知っているとでも言うように片側の口角をあげた。寿桂尼様が誤解して報告してしまったのかもしれない。やってしまったと思った私はすぐにその言葉を否定した。
「…いえ、私は京へ嫁ぎたいと思うております。」
本当は細川藤孝様が良いと言いたかったが嶺姫様に必死に止められた手前、言葉が詰まっていい出せなかった。でも、三河や駿河や武田や北条には嫁ぎたくなかった私はせめて京へと逃げたかった。
「…京か…。山科の嫡男など相手を見つけようと思えば容易い…が、京に瀬名をやれば今以上に他の公家からも金蔓にされるのは目に見えておる。偶にの献金や公卿の保護ならば良いが、やれ行事だ、やれ有職故実だと毎日のように金をせびられてはかなわぬ。」
公卿相手でも駄目なのかと私は奥歯を強く噛んだ。であれば、同様にお金や力がない幕府のものに嫁ぐのは嫌がられるだろう。
「京との繋がりは母上や雪斉が受け持っておる故、瀬名を無理に娶らせる必要はあるまい。…京のことより尾張をものにする事が先決じゃ。それには三河を上手く使いこなさねばならぬ。」
淡々と説明を続ける義元様の姿を見て、察してしまった。私にこの話をする時点で、結論は決まっているのだと。身体が縛られているかのように硬直する。
「安祥城の戦いでは三河の松平軍がよう働いてくれたが、将もよう死におった。だが、まだまだ三河は強く死ぬ気で働いて貰わねば困る。そのためにも竹千代を今川に繋ぎ止めねばならぬのは分かるな?」
「…はい。その大事な今川と松平の架け橋に私が選ばれたのでございますか?」
義元様の含んだ笑顔には、擦り切れるまで使い潰してやるという心が透けている。私は松平家が逃げないように、逆らわないようにするための楔として使われるだけのようだ。
「そうじゃ。良き年頃が瀬名しかおらぬからのう。竹千代は暗愚に育て上げたかったが、案外に聡明という。そこで、余が烏帽子親となり、瀬名を嫁がせる事で余の息子として扱うことにした。さすれば今川の為に粉骨砕身し、氏真を支えてくれるであろう。」
綺麗に整った顔で当然のように笑う義元様がとても怖い。それは強者だからこそ出来る笑みであった。言葉が出ずに固まっていると、義元様が前のめりになって私に問い詰めた。
「……何か不服か?武田に行った嶺より随分良い待遇であろう?会おうと思えば氏興や名奈にも会える、慣れた駿府で好きに過ごすことが出来るのだ。そして其方は今川家と松平家の名誉を得るのだぞ?」
駿府の館の侍女や他の姫達は義元様の養女となった私を羨む。皆、おめでとうと褒めそやしてくれるが、私にとって嬉しい事は何一つなかった。家族と引き離され、自由を制限され、結婚も勝手に決められる。
「…竹千代殿以外の方でよければ、どなたでも構わないと申しても竹千代殿に嫁がねばなりませぬか?」
「駄目だ。武田には嶺が、北条には姉が嫁いでおる。後は三河よ。ここを抑えるにはそこらの姫ではつとまらぬ。それに、瀬名には駿府に留まり余の幼い娘らの教育もしてもらわねばならぬ。今川一門同士で嫁ぐよりも意義のある婚姻じゃ。…関口家の誉にもなろう。断れば汚名にもな。」
私の希望も速攻で否定され、持船の家族も出されてしまえば、もう何も言えない。私は必死に笑顔を作って答えた。
「…そんな誉を与えて頂き、光栄でございます。」
「まずは氏真の婚姻を纏めるのが先になる故、竹千代と瀬名がすぐに夫婦になるわけではないが、婚約者として先に松平の屋敷に通っておけ。並行して下向してくる三条西や山科の身内の歓待も頼んだぞ。」
「…承り仕りました。精一杯努めさせて頂きます。」
子供の頃は箏や歌に秀でていい女になれば、自由に生きていくことが出来ると思っていた。でも、今川家一門であり家臣の娘として生まれた以上、今川家の為に尽くすのが当たり前で意見する事も逆らう事も出来ない現実を知ってしまった。反感を買えば家族が戦地の前線に送られたり、壁際に追いやられるだけだから。私は義元様の言葉に粛々と請け負うしかなかった。
(どうしても我慢できないときが来たら、逃げて自由に生きれるようにお金貯めよう…。)
用件は以上だと言われた私は、冷えた床から立ち上がり奥座敷へと下がっていった。
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数日後、松平の屋敷から竹千代の近侍である石川数正という男が迎えに来た。摩耶と一緒に連れ立って屋敷へと挨拶に向かう。北条の屋敷の隣のため、いつも通ってはいた道だが、入るのは初めてなので心なしか緊張していた。
通された間には、竹千代の家臣達が三十名ほど揃って座っていた。庭にはさらに五十名ほどの人も頭を下げて控えている。想像以上の人の多さと歓迎ぶりに面くらいながらも私は床に座り込む。
「瀬名姫様、よう参られました。此度、太守様の勧めで松平家に嫁ぐ事を決めた由、伺っております。駿府だけでなく京まで名が知れた瀬名姫様を迎え入れる喜びを松平家一同、感謝を申し上げまする。」
竹千代の隣に控えていた二十後半くらいの薄い髭に落ち着いた声が特徴の男が、代表して私に礼を述べた。
「いえ…揃って迎えて頂き、かたじけのうございます。」
結婚もまだなのに三河家臣団の気合のいれようが凄くて、呆気にとられそうになる。中央に座する竹千代は北条家で一緒に学んでいた無邪気な少年ではなく、一端の当主の顔をして座っていた。
「元服が済んでない身であるが、其方を先の妻として大事にすると誓おう。いずれこちらに移る故、少しずつ松平の屋敷に慣れると良い。」
そう口にする竹千代の顔は笑ってはいるが、何を考えているかは見えてこない。だが周りの三河家臣団達は嬉しさから破顔し、手を叩き、三河の踊りや歌まで見せてくれた。今川家の養女が松平の屋敷に来た事実に皆が沸き立っている。これが私の役割かと、どこか他人の様にその一部始終を眺めていた。
日が少しずつ傾き始め、青く高かった空が少しずつ色褪せてきた頃。竹千代が人払いをして床の間で二人きりになった。外には近習と摩耶が控えている。
「…お話とは何でしょうか。」
沈黙が二人を包む中、破ったのは私だった。伏せていた目を合わせ、わざわざ二人になった理由を聞いた。
「…瀬名姫は私を怖がっておったし、嫁に来たくは無かったであろう?…恨んでおらぬか?」
正面から私を見据えて竹千代が言った。寿桂尼様は私が竹千代に恋していると勘違いしていたが、竹千代は私の感情を正しく読み取っていたようだった。
「…太守様の御意向ですから。恨むなど無礼にございます。」
前の様に怖がってないと否定するべきか迷ったが、もう気持ちがバレているようだったので開き直って義元様を恨んでいると暗に告げた。
「そうか。ではその怖がる訳を教えてくれぬか?其方は私を恐れてはいるが、嫌っているようではない。一緒に学び、笑顔も見せてくれる。ただ、ふとした時に私に対してだけ怯える理由を知りたい。」
竹千代が真剣な目で私を見つめる。夫婦になる前にどうしても聞いておきたいのだろう。私が目を逸らして誤魔化さない様に、その目は瞬きをする事もなく私を写していた。その圧に降参した私は、重い口をゆっくり開けた。
「…竹千代殿…いえ、これからは竹千代様ですね。…竹千代様に殺される夢を見たのです。…それが…正夢になってしまわないか恐ろしくて…避けておりました。」
そう言い切った後、竹千代の顔を恐る恐る覗き見ると、彼はポカンと口を開けていた。そして急に腹を抱えて笑い出した。
「……っふ…っ…ふふ…ふははっ…ふははははっ!!…あはははっ!」
竹千代はお腹を抱えて涙目で笑っていた。こんなに笑った顔を見るのは初めてである。前世のことを言うと頭がおかし過ぎるので、夢として話して見たが、ここまで笑われると自分が恥ずかしくなってきた。
「…ふっ…くっ…ふはっ……其方…そんな可愛らしい理由で……ふふっ……ずっと悩んで…避けておったのか…っふははっ!!」
「…いやいや……正夢になるやもしれませんよ?…関わらぬ方が吉と思うのは普通でございましょう…!」
耳を真っ赤にしながら私が反論すると、余計にツボに入ったらしく、バンバンと床を叩きながら笑っている。
「…ふっ…くくくっ……私も殺される夢などこれまで何度も見たが…ふふっ…死んでおらぬし…夢を信じた事もないぞ?…ふふっ…ふははっ…先の事など分からぬし…如何様にも変わっていくものを……くくっ…。」
余りにも笑われるので、バツが悪くなってしまった私は竹千代の笑い声が収まるのを俯きながらただじっと待っていた。
「…私が瀬名姫を殺すなど、そのような事は起きぬ。…家臣にも起こさせぬ。共に手を携えていこうではないか。」
やっと笑いがおさまった竹千代が涙を拭いながら私に言った。その声には強い意志が乗っていた。私は何も言わずに、小さく頷くだけだった。
読んで頂きありがとうございました!
タイトル通り、徳川家康の嫁になります!早く桶狭間やその後のゴタゴタが書きたいです!
ただ、投稿が遅くなってごめんなさい!これから自転車で日本一周のため更新頻度が少し落ちますが、のんびり楽しんで貰えたら嬉しいです!
ブクマ・評価・感想ありがとうございます!とっっても嬉しいです!!




