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愛すべき人の場所へ

 先程までとは比較にならないほどの大きな跳躍だった。大きく開いていた酒呑童子との距離が一気に縮まる。だが相手も千年間生き続けた鬼だ。冷静に一歩後退し僕の一撃を、威力を殺しながら受け止めた。


 渾身の力を込めたが、やはり力では人では無い相手の方が勝っている。()り合いになるも、直ぐに弾き飛ばされ横薙ぎの攻撃が来る。紙一重でそれを避け、また攻めかかる。


 縦横斜めと縦横無尽に刃が空間を切り裂き、時に相手の得物と交わればそこからは鉄と鉄がぶつかる鈍い音が鳴り響いた。


 ――たった一人に捧げた『意志』。

 ――多くの人に捧げたい『意志』。


 二つの『意志』が刃を通してぶつかり合っていた。


 そこには一切の容赦や躊躇というものが無い。ただ自分の意志に従うままに対峙する相手に刀を振り下した。


 だが、酒呑(しゅてん)童子(どうじ)は純粋に強かった。僕の攻撃を冷静に見て、それを回避しつつもすぐさま反撃の一撃を加えようと金棒を振るう。だがこの強さは決して鬼の体の力だけではない。


 そう、それは多分『想いの強さ』だ。


 でも、その想いは間違っている。一方的に相手に突き付けただけの、独り善がりな好意だ。それは酒呑童子の主張する『愛』では無い。だから、僕はその考えを変えて見せる。それが例え力尽くであっても。


「はあああぁぁぁぁーーーーっ!」


『ぐっ!』


 僕の一撃を避けて間合いが空いた。先程とは攻守が一転して、酒呑童子は後ろへと後退していった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」


『ふー、ふー、ふー』


 長い戦闘を続けている為に、流石にお互い息を切らしていた。相手が攻めてくる気配が無いのを確かめてから、僕は構えを解いて呼吸を整える。その時だった。


『……ふっ』


 ふと、笑い声が洞窟内に響いた。酒呑童子が体勢を立て直しながら、まるで血を払うように金棒を一振りした。


『そうだ、そうでなくてはならない』


 目の前の鬼は、ただ笑みを浮かべていた。今この状況が楽しくて仕方が無いというような、純粋な笑みだった。


『そうだ、そうだそうだそうだ……』


 そんな言葉を繰り返し、酒呑童子は金棒を持っていない左の掌で顔面を覆った。指の間から、そのぎらついた目が僕をとらえた。


『小僧、貴様の強さは本物だ。その力も、その速さも、その技も、その心も。私はお前を見くびっていた。今のお前は光源氏と比べても遜色が無い』


 酒呑童子の目が僕の眼を射ぬいた気がした。そして、目を覆っていた掌を下ろした。


『だが』


 その声は酷く冷たいものだった。下ろした腕が再び上がり、その指が僕の腕を差した。


『その腕では絶対に私には勝てない』


「何を訳の分からない事を……」


 とそこまで言って、何か猛烈な違和感に襲われた。


 何かがおかしい。違和感はどこだ? さっきから普通に打ち合っていたはず。その中で何度か鬼の体に直接叩き込めたりもした。


 ――叩き込めたりもした?


 何故斬れなかった?


『気付いたようだな。その腕には私の呪いがかかっている。千年前からな』


「千年前……から」


 そういえば六条家で見た『若紫(わかむらさき)』には鬼が光源(ひかるげん)()の腕に噛みつく描写が有った。それが今になっても未だに効力を発揮し続けているというのか?


『呪いが無ければ光源氏のようにその刀が扱えただろう。だが、私も同じ刀で二回斬られたくはないのでな。まあ、今その効力が活きるとは思わなんだが』


 じゃあ、童子(どうじ)(ぎり)ではもうこの鬼は斬り倒せないっていうのかよ? 本当に万事休すなのかよ? ここまで追い詰めたのに、諦めて殺されろって言うのかよ?


 ――『絶対に帰る』って、約束したのにかよ?


 ……そうだ。僕は帰るんだ。僕を好きになってくれた人達が居る場所へ。だからこんな所で、こんな呪いなんかに負けてむざむざ死んでたまるか! 


 考えろ、解決策を。どこかに、どこかにヒントは有ったはずだ。


 ――それは立派な怪我です。見せて下さい、私の癒しの『力』で今直ぐ……


 有った。でも、僕の周囲には治癒(ちゆ)の『力』を持った者はいなかった。


 いや、そんなはずは無い。絶対に誰かに受け継がれているはずだ。

 

 考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ!



 待てよ、若紫さんは僕に力を渡す時に『私の力』と言っていた。つまり、今まで紫ちゃんのものだと思っていた霊視能力は彼女のものでは無かった。


 なら、紫ちゃんに治癒能力が受け継がれていても不思議は無いんじゃないだろうか?


 でも親父が言うには『力』を受け継ぐのは最初の子供のみ。紫ちゃんが受け継いでいる可能性は限りなく低い。でも、例えそうだったとしても。


『死の覚悟は、出来たか?』


 決めなければならない。もう迷っている暇は、無い。


「あぁ、覚悟出来たさ」


 出来たよ、ようやく。


 自分自身を。そして自分を好きになってくれた人を信じる覚悟がさ!




「【(さん)】!」


 六条(ろくじょう)さんの力を使い、光源氏の如く洞窟内に札を散りばめる。今からやる事は、出来るかどうかは正直分からない。でも、やってみないと何も始まらない。


『倒すことを諦め、再び私を封印する気か!』


 僕の行動を見て、過去の事を思い出したのだろう。酒呑童子は焦ったように僕へ向けて突進してきた。だが、今は相手をしている暇は無い。


 (あおい)の力を使い六条の守護霊を取り込んで円術式を展開させ、獣達の霊を呼び出して酒呑童子へと襲いかからせる。これでしばらく時間が稼げるはずだ。


 僕は目を瞑ると『六条』の知識の中から、とある秘術の知識を取り出す。これは陰陽道(おんみょうどう)とは異なるかもしれないけど、今は手段を選んでいる暇は無い。


 呪文は頭の中に有る。後は今一番逢いたい人を想い浮かべるだけ。そして幼い時からずっと彼女にへばり付いていた僕にとって、その行為は何よりも容易(たやす)かった。


(ゆかり)ちゃん!」


 僕がその名を呼ぶと洞窟内が眩い光に覆われ、目を開けた時には見慣れた顔があった。


「呼びましたか、お兄ちゃん」


 彼女の声は僕が今まで聞いてきたものより少し大人びていて、申し訳ない様な色を帯びていた。


『自ら【魂の器】を呼び出すとは、血迷ったか!?』


 霊獣を迎撃しながらも、酒呑童子はしっかりと僕の……恐らく予想外の行動を見ていた。


「別に血迷ってなんかいないさ。お前の言う通り、『覚悟』が出来ただけだよ」


『何!?』


 酒呑童子が驚きの声を上げたが。僕はもうそれを完全に無視した。今は目の前に居る小さくて大切な、僕の好きな女の子と話しがしたい。そして、謝りたい。


「紫ちゃん、ごめん」


「どうして謝るんですか、お兄ちゃん」


「ずっと気付いてあげられなかった。君が一人で抱え込んでいる事に」


「紫だって、お兄ちゃんとお姉ちゃんにずっと嘘をついていました」


 その答えを聞いて僕は、やっぱり紫ちゃんだなぁと思ってしまう。確かに今までとは少し雰囲気が違う。僕が思っていたよりもずっと大人びていた。でも、その根底には僕が小さい時から見ていた彼女の姿が有った。


「じゃあ、お互い『おあいこ』にしよっか」


「はい!」


 本当ならこんなずるい提案受け入れてもらえるはずないのに、それでも彼女なら受け入れてくれると思うから僕はここで自分の罪を帳消しにする。新たな関係を築く為に。


「紫ちゃん。一つ聞いてくれるかな?」


「何ですか?」


「僕は、紫ちゃんが好きなんだ」


 人生で初めて異性を意識しての告白。その言葉はあまりに単純で飾り気が無く、それでも僕の今の気持ちを伝えるには十分過ぎる言葉だった。


「ありがとうございます」


 そして返ってくる答えも予想出来ていた。自惚(うぬぼ)れかも知れない。自意識過剰かもしれない。それでも僕は『藤壺(ふじつぼ) (ゆかり)』という女の子が自分を好いてくれていると信じていたから。


「大好きですよ、お兄ちゃん!」


 だから僕はその弾けんばかりの笑顔を浮かべる目の前の女の子に、思いっきり口付けをした。作法なんて分からない。ただ唇と唇を当てるだけのキス。でも、それで満足だ。


 『力』を持っているかなんてもう些細な事だった。そんな事を聞いてからする打算の様なキスも嫌だった。でも彼女から伝わってくる優しさは、紛れもなく『癒し』の力だった。


 僕は新たに宿った力で自らの腕に触れる。すると、腕から瘴気(しょうき)の様な黒い煙が出てきて、宙に舞って消えた。これが僕にかけられていた呪いなのだろう。


「お兄ちゃん」


「何かな、紫ちゃん?」


「若紫さんから、そして紫からのお願いです」


「?」


「酒呑童子さんを、呪いから解放してあげて下さい」


「……うん、分かった」


 本当に紫ちゃんも若紫さんも、お人好しというか何というか。でも僕もその意見に大いに賛成なんだよね。彼もまた、愛を見失ってしまった一人の被害者なのだから。


『それが、四家(しいか)の力が全て集まった姿か』


 酒呑童子も、ちょうど霊獣達を全て退けたところだった。あれだけの数が居たのに、やはり彼の想いの強さもだてじゃないってことか。でも、その声色は既に自らの敗北を悟っているようでもあった。


『もう勝負は着いた。四家全ての力と、光源氏並みの討ち手に勝てないのは承知済み。悔しいが、私の意志は間違っていたという事だ』


「……」


 確かにその通りではあるが、彼の境遇を考えると真っ向から否定も出来なかった。


『光源氏の血を継ぎし者よ』


「僕は(ひかる)(みなもと) (ひかる)だ」


『そうか。では光よ、頼みが有る。その童子切を(もっ)て私に教えてくれんか? 真に人を愛するということを』


「元よりそのつもりさ。若紫さんと紫ちゃんの頼みでもあるしさ」


『そうか、あの娘の……』


 既に金棒を手放した酒呑童子の手がだらんと弛緩した。その目は虚空を見つめ、どこか昔を懐かしんでいる様に見えた。そして、戦う前に身の上話をした時の様に地面に座った。


『あの世から見ているぞ、源 光。貴様が言う真に人を愛するという事を』


 僕は黙って頷き、童子切を正眼に構えた。そして、


「今こそ真価を発揮せよ、童子切安綱!」


 酒呑童子に対して最強の武器になるその刀を、万感の思いを込めて振り下した。




「あっ!」


「どうしました、お兄ちゃん?」


 酒呑童子が完全に消滅し、夜の真っ暗な洞窟に戻ってから気付いた。今まで()えていた発光する霊体が全く視えなくなってしまったのだ。


「霊視が出来なくなった」


「若紫さんも行ってしまったんですかね」


 多分そうだろう。僕も分かっていたはずだった。呪いをかけた元凶である酒呑童子を斬れば、彼女が成仏してしまうことくらい。でも、心のどこかで認めたくなかったのかも。


「お別れくらい、言いたかったな」


「そうですね。でも若紫さんも帰るべき場所がありますから」


 若紫さんは無事に帰れただろうか? 愛すべき光源氏の元へ。今はただただ、彼女が天国で最愛の人と無事に再会出来ている事を願うしかなかった。


「それに、僕達も帰るべき場所が有るしね」


「そうですね。でも、その前に……」


 僕達も帰ろうかと言おうとしたが、紫ちゃんが何かを言いたげにこちらに向き直った。


「な、何?」


 やっぱり、いきなりキスしたこと怒っているとかかな?


「お兄ちゃん、やっぱりごめんなさい」


 戦々恐々としていた僕に発せられたのは、まさかの謝罪の言葉だった。なんで謝られたのだろう。若紫の存在を黙っていた事はさっきあおいこにしたのに。


「やっぱり『あおいこ』になんて出来ないよ。だってあんなに紫のことを大事にしてくれたお兄ちゃんとお姉ちゃんに黙ってたんだもん……」


「でも、それってやっぱり理由があったんでしょ?」


「それは……」


 答えに詰まる紫ちゃん。まあよっぽどな理由が無い限り彼女が秘密だったり嘘だったりを持てる子じゃないのは十分分かっている。


「お母さんとの、約束だったの」


「えっ、おばさんとの?」


「うん。信じてもらえないかもしれないけど、紫はお母さんのお腹の中に居た頃からずっと言われていたの。『貴方はもう一つの魂を持って生まれる事になるけど、それを出来るだけ長い間隠していなさい』って」


 そういえば前に紫ちゃんが寝言でおばさんの事を言っていた気がする。あの時は彼女におばさんの記憶は無いはずなのにどうしてだろうと思っていたけど、そういうことだったのか。今思えばおばさんも『力』を持っていたはずだし、出来なくはないのか?


「やっぱり信じられないよね、こんな話」


 黙っていたのが悪かったのか、紫ちゃんは僕の反応を見てしゅんとしてしまう。まずい、これはなんとかせねば!


「大丈夫、信じてる!」


「本当に?」


 その問いに、僕は首が千切れんばかりの勢いで縦に振る。


「でも、おばさんも無茶言うよね。ずっと隠してろだなんて」


 僕の反応が面白かったのか、それとも他に笑う要素が有ったのか、紫ちゃんは面白そうにお腹を抱えて笑った。えぇと、何が面白かったんですかね?


「ふふ、お母さんこう言ってたんだよ。『隠していたら、その内に光くんって男の子が全部なんとかしてくれるから』って」


「えっ!?」


 さすがにこの答えは予想していなかった。という事はつまり、おばさんは全てこうなる事を予見して僕にあのサインを送ったっていうことか。もしかして、おばさんは未来予知の『力』とかも実は持っていたりしたんじゃなかろうか?


「さすが紫のお母さんだね。言った通りになっちゃった」


 嬉しそうに今は亡き自らの母親を褒め称える紫ちゃんを、僕はただただ呆然と眺めるしか出来なかった。もう本当に色々と敵わない、藤壺家には。


 がっくりとうなだれる僕の手を、小さな手が包み込んだ。


「さ、帰ろう。お兄ちゃん。私達の帰る場所に」


 その手は今の僕にとって、何よりも大切で愛おしいものに思えた。

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