第15話 世界樹を枯らしているのは
「……ミサキ?」
口から出た名前に、俺自身が驚いた。
知らない。
そんな名前の人間を、俺は知らない。
少なくとも、この世界では。
いや――。
元の世界でも、記憶にない。
「ミサキって……誰?」
後ろからリナの声がした。
「分からない」
「分からないのに、名前が出たの?」
「ああ」
俺はもう一度、世界樹に手を当てた。
だが、今度は何も見えない。
ただ、手のひらにかすかな鼓動が伝わってくる。
ドクン。
ドクン。
まるで巨大な生き物の心臓だ。
「さっき、何か見えた」
「何を?」
「ここじゃない場所だ」
俺は言葉を選んだ。
「巨大な部屋だった。白い光があって……装置みたいなものがあった」
「装置?」
「ああ。それと女の子」
「その子がミサキ?」
「分からない」
また同じ答えになった。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
あの少女を見た瞬間、俺は懐かしいと感じた。
初めて見たはずなのに。
「……変だな」
「何が?」
「この世界の人間を見て、懐かしいと思ったことなんてないのに」
リナは黙った。
俺も黙った。
しばらくすると、森の中を風が抜けた。
枯れた葉が舞う。
その一枚が、俺の足元に落ちた。
拾い上げる。
黒い。
普通の枯葉とは違う。
表面に細い黒い筋が走っている。
「これ……」
俺が指で触れた瞬間。
頭の中に、また映像が流れ込んできた。
今度は短かった。
世界樹。
その巨大な根。
根に絡みつく黒い何か。
そして――
人間。
いや。
人間だけじゃない。
魔物もいる。
魔王軍の兵士もいる。
だが、その誰もが黒い根を攻撃している。
「……何だ?」
映像が切り替わる。
今度は別の場所。
白い建物。
何かを操作している人間たち。
その中央に、あの少女。
「ミサキ……」
少女が振り返る。
口が動いた。
声は聞こえない。
だが、俺には分かった。
――逃げて。
「……え?」
次の瞬間。
映像が消えた。
俺はその場に膝をついた。
「大丈夫!?」
リナが駆け寄る。
「……ああ」
「顔色が悪いよ」
「大丈夫だ」
俺は息を整えた。
さっきの映像。
あれが何なのかは分からない。
だが、ひとつだけ分かった。
「世界樹を枯らしているのは……魔王軍じゃない」
リナが俺を見る。
「でも、人間でもない」
「じゃあ……誰?」
「それを探す」
俺は立ち上がった。
そのときだった。
「!」
世界樹の幹に、一本の黒い筋が走った。
今まで見えていたものより、明らかに太い。
しかも――
上からではない。
地面から伸びている。
「リナ」
「うん」
「これ、下から来てる」
「……地下?」
俺は頷く。
「世界樹を枯らしている何かが、根を通って入り込んでる」
リナが世界樹の根元を見る。
「じゃあ、地下に原因がある?」
「たぶんな」
俺は地面に手を置いた。
修復能力を使う。
光が地中へ広がっていく。
世界樹の根が見える。
何本も。
何十本も。
大地の下を縦横無尽に走っている。
そして、その根に絡みつく黒いもの。
それは虫のようにも見えた。
だが、虫ではない。
煙のようで。
植物のようでもあり。
生き物のようでもある。
「……なんだ、これ」
黒いものが根を蝕んでいる。
少しずつ。
確実に。
俺はその先を追った。
森の外へ。
さらに遠くへ。
山を越え。
人間の住む土地を越え。
そして――
地図にもない場所へ。
「……ここだ」
「分かったの?」
「いや」
俺は首を横に振った。
「見えたんだ」
そこには巨大な空洞があった。
地下深く。
世界樹の根が集中している場所。
その中央に。
黒い塊がある。
それを見た瞬間。
俺は言葉を失った。
「……これ」
形。
大きさ。
そして周囲にある装置。
さっき見た白い部屋と、どこか似ている。
「リナ」
「何?」
「この世界に……古代文明ってあるか?」
「古代文明?」
「昔の人間が作った、大きな建物や装置だ」
「あるけど……」
「そうか」
俺は立ち上がる。
「だったら、そこを調べる」
「どこへ?」
俺は遠くを見る。
「世界樹の根が集まっている場所だ」
「危険じゃない?」
「危険だろうな」
俺は苦笑した。
「でも、もう分からないまま放っておく方が怖い」
その日の夜。
魔王軍の兵士が俺たちの前に現れた。
「どこへ行くつもりだ?」
「地下遺跡だ」
兵士の表情が変わった。
「……なぜ、それを知っている?」
「やっぱり知ってるんだな」
兵士は黙った。
俺は一歩近づく。
「魔王軍は、あそこを調べているのか?」
「……」
「答えてくれ」
長い沈黙のあと。
兵士は低い声で答えた。
「我々は、あの場所を封鎖している」
「なぜ?」
「魔王様の命令だ」
「何がある?」
「分からない」
「またそれか」
俺はため息をついた。
だが、兵士は続けた。
「ただし、一つだけ分かっている」
「何だ?」
「そこには、世界樹より古いものがある」
「……世界樹より古い?」
「ああ」
兵士は俺を真っ直ぐ見た。
「そして、それを掘り起こそうとした者たちは、誰一人として戻っていない」
俺は黙った。
リナも言葉を失っている。
世界樹を枯らしているのは、魔王ではない。
人間でもない。
その正体は、まだ分からない。
だが――
世界樹の根の先に、何かがいる。
そして俺には、その場所へ行かなければならない理由があった。
あの少女。
ミサキ。
俺が知らないはずの名前。
なぜ俺は、その名前を知っているのか。
なぜ世界樹は、俺にだけ記憶を見せるのか。
そして――
なぜ、この世界の出来事が俺の元いた世界と繋がっているのか。
「行こう」
俺はリナを見る。
「世界樹を枯らしている奴を探す」
そして俺はまだ知らなかった。
その先で待っているものが――
魔王よりも、この世界よりも、俺自身に近い存在だということを。
――第15話 終わり




