裁きの口
第33話です。宜しくお願いいたします。
「……俺をあの時に刺した、亮太だな」
ルドルフのその一言で、場の空気が一気に凍りついた。
さっきまで“助かった”“住めるかもしれない”って空気だった避難民たちも、何が起こったのか理解できずに固まっている。
俺も、思わず息を止めた。
帽子が落ちて露わになった男の顔は、確かに他の避難民たちとは違う意味で血の気が引いていた。
逃げ場を失った顔。
誤魔化しきれないと悟った顔。
(……最悪だな)
助ける側として来たはずなのに、ここでルドルフの過去そのものをぶつけられるとは思わなかった。
亮太と呼ばれた男は、口を半開きにしたままルドルフを見ていた。
「な……」
声にならない声が漏れる。
だが、ルドルフの目は笑っていなかった。
さっきまで住民たちを見ていた時の理性的な目じゃない。
もっと冷たくて、もっと深い場所から怒りが滲んでいる目だ。
俺は横目で未来と陸斗を見る。
二人とも、状況を飲み込んだらしく表情が硬い。
浮田も口を挟まず、ただじっとルドルフを見ていた。
避難民たちの間でざわめきが広がる。
「え……?」
「知り合い……?」
「刺したって……何の話だ……?」
誰も事情が分からない。
けど、それでいい。
今は下手に余計な言葉を足すべきじゃない。
ルドルフが一歩前に出る。
亮太が一歩下がろうとした、その瞬間――
「……そのまま動くな」
低く、押し殺した声だった。
そして。
「――真実の口」
もがいても無駄だ。
逃げられない。
昨日、俺も体験したから分かる。
あの場に立った時点で、もう相手の土俵なんだ。
亮太の手が、真実の口の中へと無理やり押し込まれる。
亮太の顔がみるみる青ざめていく。
ルドルフはしばらく何も言わなかった。
ただ、亮太を見下ろしている。
その沈黙が、余計に怖い。
周りの避難民たちも完全に黙り込んでいた。
俺も何も言わない。
今は、下手に止めるべきじゃない。
……少なくとも、ルドルフの中でまだ整理がついていないのは明らかだった。
ようやくルドルフが口を開く。
「……他のやつらはどうしたんだ」
声は静かだった。
怒鳴っているわけでもない。
なのに、妙に重い。
亮太は喉を鳴らしながら、震えた声で答えた。
「……モンスターに食べられて死んだ……」
一拍。
「……俺は、その間に逃げて助かった……」
真実の口は反応しない。
つまり――本当だ。
その瞬間、ルドルフが小さく呟いた。
「……そうか」
そして、ほとんど独り言みたいに続ける。
「お前は、そうやって誰かを犠牲にしないと生き残れないんだな……」
その声に、俺は少しだけ眉をひそめた。
怒鳴りたいわけじゃないんだろう。
でも、怒りは消えてない。
むしろ、静かだからこそ余計に重い。
亮太は、怯えたままルドルフを見上げていた。
だが、次の瞬間。
「……何で」
掠れた声が漏れる。
「何で、お前が生きてるんだ……」
その一言で、ルドルフの表情が変わった。
亮太はなおも続ける。
「しっかり……深く刺したつもりだった……」
「なのに、なんで生きて――」
「俺はお前に答える義務はない!!」
ルドルフの声が、初めて強く響いた。
空気が震えた気がした。
避難民たちがびくっと肩を揺らす。
亮太も完全に竦み上がる。
「これは俺の質問の場だ!!」
いつもの理性的なルドルフとは違う。
完全に感情が出ていた。
当然だ。
刺された本人なんだから。
ここまで抑えていた方がすごい。
でも、だからこそ――
「ルドルフ」
俺は声をかけた。
ルドルフが、わずかにこっちを見る。
「もう、質問しなくていい」
亮太がどういうやつかなんて、もう十分分かった。
俺はそう判断した。
だが、ルドルフは数秒だけ黙った後、ゆっくり息を吐いた。
「……大丈夫です」
声は、もうさっきより落ち着いていた。
「しっかり質問した上で判断します」
そして、ほんの少しだけこちらに頭を下げる。
「すいません、脱線してしまって……」
その一言で、俺は少しだけ安心した。
感情に飲まれてはいない。
ちゃんと、自分を戻してる。
それが分かったからだ。
ルドルフは亮太を見据えたまま、改めて言った。
「では、質問を再開します」
その声は冷静だった。
さっきまでの怒りを、無理やり押し込めたような冷たさがある。
「貴方は、住民になった際」
「しっかりと与えられた役職を全うしますか?」
亮太の顔がひきつる。
手はまだ真実の口の中だ。
逃げられない。
答えるしかない。
「……は、い」
その瞬間だった。
真実の口の目が――赤く光った。
ぞわっとした。
次の瞬間。
「ぎゃあああああああああああ!!!!」
亮太が絶叫した。
聞いたことのないくらい大きな叫び声だった。
その場にいた全員がビクッとする。
「う、うわっ……!」
亮太は膝から崩れ落ちそうになりながら、腕を必死に引こうとしている。
「やめろ!!やめてくれ!!」
だが無理だ。
真実の口からは抜けない。
あいつには今、“手を食いちぎられている幻覚”が見えてる。
しかも、痛みまで本物同然。
……やっぱり、えげつない能力だ。
亮太の顔は涙と汗でぐしゃぐしゃだった。
「頼む!!もうやめてくれ!!」
「もういい!!俺はいい!!」
「そこには住まなくていいから!!」
完全に本音が出た。
つまり、最初の“はい”は嘘だったってことだ。
避難民たちの空気が変わる。
恐怖だけじゃない。
“あいつは嘘をついていた”という理解が、全員に広がっていった。
ルドルフは亮太を見下ろしたまま、静かに言った。
「いや」
「最後まで、俺は質問する」
その言葉は、あまりにも冷たかった。
まるで合法の枠の中で、きっちり裁きを下しているみたいだった。
亮太は涙を流しながら首を振る。
「もう嫌だ!!」
「答えたくない!!」
だが、ルドルフは一切表情を変えない。
「俺の質問には、必ず答えなければならない」
一歩、近づく。
「答えなければ、自動的にもう一度噛みちぎられるぞ……?」
亮太の顔面が、一気に真っ白になった。
目が見開かれ、呼吸が浅くなる。
唇が震える。
そして――そのまま、白目を剥いて倒れた。
気絶だ。
真実の口が、ゆっくりと消えていく。
張りつめていた空気も、少しずつ元に戻っていく。
ルドルフがぽつりと呟いた。
「……情けない」
誰も何も言えなかった。
誰も、すぐには動かなかった。
亮太が気絶して倒れている。
さっきまであれだけ響いていた叫び声の余韻だけが、まだ耳の奥に残っていた。
避難民たちは、完全に言葉を失っている。
無理もない。
あんなものを目の前で見せられたら、誰だって固まる。
助かると思っていた場所が、ただ優しいだけの場所じゃないと理解したはずだ。
……それでも。
逃げる者はいなかった。
むしろ、全員が静かにその場に立ち尽くしている。
覚悟を決めた顔もあれば、恐怖に押し潰されそうな顔もある。
だが、共通しているのは――
“ここで生きるなら、ルールに従うしかない”と理解した顔だ。
ルドルフがゆっくりと顔を上げた。
少しだけ、息が荒い。
だが、声は落ち着いていた。
「……審査は、終了です」
その一言で、全員の視線が集まる。
「亮太以外は……全員、嘘をついていませんでした」
静かに告げる。
事務的な報告。
そこにさっきまでの感情はほとんど残っていない。
それが逆に、この場の重さを際立たせていた。
「……分かった」
俺は短く答えた。
一度、避難民たちを見渡す。
さっきまでの浮かれた空気は完全に消えていた。
だが――
それでも、目は死んでいない。
恐怖の中でも、まだ希望を捨てていない目だ。
(……いい)
この状態なら、問題ない。
甘いだけの集団じゃない。
現実を理解した上で、それでも来ると決めている。
それなら――受け入れられる。
視線をルドルフに戻す。
「ルドルフ」
「はい」
「……大丈夫か?」
一応、聞いておく。
あれだけのことをやった直後だ。
何もないわけがない。
ルドルフは少しだけ目を伏せてから、ゆっくりと顔を上げた。
「……えぇ」
短く答える。
「個人的に、色々すみませんでした」
少しだけ苦笑する。
「でも、もう大丈夫です」
その言葉に嘘はない。
少なくとも、さっきみたいに感情が暴れる状態ではない。
ただ――
少しだけ、疲れている顔をしていた。
(……まあ、当然か)
完全に割り切れるような話じゃない。
それでも、自分で制御した。
それだけでも十分すごい。
「そうか」
俺はそれ以上は言わなかった。
「一度戻る」
俺が言うと、避難民たちがざわつく。
「え……?」
「戻る……?」
不安そうな声。
それに対して、俺はすぐに続けた。
「この人数を一度に運ぶのは無理だ」
「車が足りない」
現実的な理由だ。
こればっかりはどうしようもない。
「だから、一度拠点に戻る」
「ミニバンを用意して、迎えに来る」
代表者の男が、一歩前に出た。
「……本当に、来てくれるんだな?」
その問いに、俺は迷わず答える。
「あぁ」
「約束する」
一言でいい。
余計な言葉はいらない。
男はそれを聞いて、ゆっくりと頷いた。
「……分かった」
「待ってる」
その声には、もうさっきまでの疑いはなかった。
完全に信じたわけじゃないだろう。
でも――信じるしかないと決めた声だった。
俺はそれで十分だと思った。
「じゃあ、少し待っててくれ」
それだけ言って、俺たちは車に戻った。
亮太はそのままにしておく。
……少なくとも、今はそれでいい。
車に乗り込む。
エンジンをかける。
発進する。
いつもと同じはずの動作なのに――
車内の空気は、まるで別物だった。
誰も、喋らない。
未来も。
陸斗も。
浮田も。
ルドルフも。
ただ、エンジン音だけが静かに響いている。
窓の外の景色が、ゆっくりと流れていく。
壊れた街。
人のいない道路。
変わらない世界。
なのに、さっきまでとは見え方が少し違った。
(……これが現実か)
助ける。
守る。
そう簡単な話じゃない。
人を集めれば、問題も集まる。
綺麗事だけじゃやっていけない。
それでも――
(それでも、やるしかない)
俺はハンドルを握る手に、少しだけ力を込めた。
隣を見る。
ルドルフは、静かに前を見ていた。
その横顔は、どこか疲れていて。
でも――逃げてはいなかった。
(……いい顔だ)
そう思った。
車はそのまま、拠点へと向かって走り続ける。
誰も言葉を発しないまま。
ただ、それぞれが何かを考えながら――
久し振りに少し緊迫した回になりました。




