ルドルフ・ベニーニ
第30話です。宜しくお願いいたします。
マンションの中は、驚くほど静かだった。
……いや、正確には“落ち着いている”というべきか。
つい数日前まで、あそこは血と恐怖にまみれていた場所だ。
それが今は、普通の建物みたいに機能している。
1階では、住民たちがコンビニの棚を前に手を動かしていた。
まだ慣れていないのか、商品を置いては悩み、また並べ直す。
ぎこちないが、それでも確実に“生活”が戻り始めている。
共有スペースでは、椅子に座って休んでいる人もいる。
無理もない。
あの状態から生き延びてきたんだ。
体も、心も、まだボロボロだろう。
2階では、子供の小さな笑い声が聞こえた。
……いいな。
こういうのがあると、少しだけ安心する。
「……一通り見たが、問題はないな」
浮田がカルテを閉じながら言う。
診療所で、全員の状態を確認した直後だ。
「どうだ?」
俺は壁に寄りかかりながら聞く。
「命に関わる状態のやつはいねぇ」
「ただ――」
少しだけ間を置く。
「全員が万全ってわけでもない」
「衰弱してるやつも多い」
やっぱりか。
「……だよな」
俺は小さく息を吐いた。
このまま働かせるのは、どう考えても違う。
「今は休ませよう」
「無理させる必要はない」
未来も頷く。
「うん、その方がいいと思う」
「まだ人も少ないしね」
浮田も肩をすくめる。
「焦る必要はねぇよ」
「体壊されたら意味ねぇ」
俺は軽く笑った。
「だな」
視線の先には、ゆっくりと動き始めた住民たち。
焦らなくていい。
ここはもう、“生き延びる場所”じゃない。
“生きていく場所”なんだから。
その日の昼。
俺たちはリビングに集まっていた。
「……じゃあ、行くか」
俺がそう言うと、全員の視線が集まる。
「行くって……外?」
未来が聞いてくる。
「あぁ」
頷く。
「まだ、この街には生き残ってる奴がいるはずだ」
一拍置く。
「これからどんどん避難民を入れていくぞ」
未来が少しだけ表情を引き締めた。
「そうね」
「連れてくるメンバーは――」
俺は周りを見る。
・俺
・未来
・陸斗
・浮田
・チャン爺
「この5人で行く」
全員が頷いた。
「美咲たちは留守番な」
「えー!」
即座に不満の声。
だが俺は続ける。
「何があるか分からないからな」
「ここを守る役も必要だ」
少しだけ考えてから――
「……分かった!」
美咲が元気よく言った。
その後ろでメイド三人が一礼する。
「お任せくださいませ」
チャン爺も静かに頷いた。
「万事お任せを」
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃーい!」
その声を背に、俺たちは外へ出た。
ミニバンを走らせる。
外は相変わらず静かだ。
人の気配がほとんどない。
……この状況が、どれだけ異常か。
改めて実感する。
「未来、頼む」
俺が言うと、未来は頷いた。
「うん」
目を閉じる。
集中。
「動植物図鑑」
空間が揺れる。
黒い影が形になる。
カラスだ。
羽ばたき、空へ飛び立つ。
「共有」
その瞬間、未来の目の焦点が変わる。
「……見える」
「どうだ?」
「かなり広く見えるよ」
カラスが旋回する。
上空からの視界。
建物。
道路。
そして――
何かが映る。
「……いた」
未来の声が、少し低くなる。
俺はすぐに聞く。
「どこだ?」
「このまま真っ直ぐ……少し先」
一瞬、間が空く。
未来の表情が曇る。
「……一人」
その一言で、空気が変わった。
「倒れてる」
「血……出てる」
その瞬間。
浮田が即座に反応した。
「急げ」
声が変わる。
さっきまでとは別人みたいに。
「出血量によっちゃ、助からん」
「分かった!」
俺はアクセルを踏み込む。
エンジンが唸る。
車が一気に加速する。
時間との勝負だ。
助けられるかどうかは――
今の判断にかかっている。
車を止めると同時に、俺たちは外に飛び出した。
「こっち!」
未来が指差す。
その先――
道路脇に、一人の男が倒れていた。
近づいた瞬間、状況を理解する。
「……酷いな」
思わず口に出た。
男は仰向けに倒れている。
腹部から、大量の血。
服は真っ赤に染まり、地面にも血が広がっていた。
体格はかなりいい。
筋肉質で、ガタイがいい。
顔立ちから見ても――外国人だ。
「どけ」
浮田が前に出る。
すぐにしゃがみ込み、首元に手を当てる。
「……ある」
短い一言。
「まだ生きてる」
その言葉で、ほんの少しだけ胸を撫で下ろした。
だが――
状況はかなり危ない。
「時間がねぇ」
浮田の声が低くなる。
「手術室」
その瞬間。
空間が歪んだ。
次の瞬間には、そこに“手術室”が展開されていた。
白く無機質な空間。
手術台。
整然と並ぶ器具。
そして、周囲を覆う見えない“境界”。
外の音が、消える。
風も、気配も、何もかもが遮断される。
「……相変わらずすげぇな」
思わず呟く。
だが浮田は、もう完全にスイッチが入っていた。
「オペ開始」
無駄のない動き。
迷いがない。
腹部の傷を確認。
止血。
処置。
手術道具が、浮田の手の中で正確に動く。
速い。
だが雑じゃない。
むしろ、完璧に近い。
時間が流れる。
緊張が続く。
そして――
「……よし」
浮田が小さく息を吐いた。
「止まったな」
男の呼吸が安定する。
出血も止まっている。
……間に合った。
手術室が静かに消える。
空間が元に戻る。
そこには、さっきまでと同じ道路。
そして――
命を繋いだ男。
「すぐには目ぇ覚まさねぇな」
浮田が言う。
「しばらく安静が必要だ」
「……連れて帰るか」
俺が言うと、
「あぁ、それがいい」
浮田も即答した。
ここに置いておく理由はない。
むしろ危険だ。
陸斗とチャン爺が男を持ち上げる。
慎重に、丁寧に。
そのまま車へ運び込む。
「戻るぞ」
ドアが閉まり、車が走り出した。
拠点に戻ると、すぐに男をベッドへ寝かせた。
広い部屋。
清潔なシーツ。
この世界とは思えないくらい整った空間。
メイドたちが、すぐに対応する。
「お任せくださいませ」
一葉がそう言い、男の様子を確認する。
二葉と三葉もそれぞれ役割を分担する。
「容体は安定しております」
報告を受けて、俺は軽く頷いた。
「頼む」
そのまま、しばらく時間が流れる。
静かな時間。
そして――
男の指が、わずかに動いた。
「……ん……」
ゆっくりと、目が開く。
ぼんやりとした視界。
見慣れない天井。
「……ここは……?」
その声に、メイドがすぐ反応する。
「お目覚めになられましたか」
優しく声をかける。
「少々お待ちくださいませ」
すぐに浮田を呼びに向かう。
それから間もなくして――
俺たちも部屋に入った。
男は上半身を少し起こし、周囲を見回している。
完全に混乱している様子だ。
「……ここは、どこですか?」
俺は答える。
「俺たちの家だ」
一拍置いて続ける。
「お前は倒れてた」
「腹から血を流してな」
その言葉を聞いた瞬間。
「……っ」
男の表情が変わる。
震え始める。
そして――
「……思い出した……」
何かを思い出したように、呟いた。
「……あの時……」
その言葉と共に。
彼の過去が、語られようとしていた。
「……あの時……」
男は震える手で腹を押さえた。
もう傷は塞がっているはずなのに、記憶が痛みを呼び起こしているようだった。
「……俺は……何人かの生き残りと行動してい
た……」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「全員……見ず知らずの他人だった」
「でも……こんな状況だ……」
「協力するしかなかった」
俺は何も言わず、黙って聞く。
未来も、陸斗も、浮田も。
誰も口を挟まない。
「モンスターから隠れて……」
「何とか……やり過ごしていた……」
一瞬、言葉が止まる。
「……でも」
その一言で、空気が変わった。
「見つかった」
短く、重い言葉。
「逃げた……必死で……」
「でも――」
男の手が、強く握られる。
「……一人が……言ったんだ」
「“すまない”って……」
その瞬間。
俺は、何が起きたか理解した。
「……腹を、刺された」
静かな声。
だが、その言葉は重かった。
未来が息を呑むのが分かる。
陸斗も、わずかに表情を変えた。
「……そのまま、逃げていった」
「俺を……囮にして」
男は俯く。
「……俺は悔しかった。」
「ここで、訳も分からず死んでしまうのかと……」
だが――
「……でも」
ゆっくりと顔を上げる。
「モンスターは……俺を見なかった」
「……あ?」
思わず声が漏れる。
「……笑っていた」
男の目が揺れる。
「……そして」
「俺じゃなくて……逃げていくあいつらを追った」
一瞬、誰も言葉を発さなかった。
「……数が多い方を選んだんだろうな」
皮肉みたいな結末だった。
「……その後は……覚えてない」
「気づいたら……ここにいた」
男は、そう言って力を抜いた。
少しの沈黙の後。
男は、ゆっくりとこちらを見る。
「……改めて」
一呼吸。
「助けてくれて……ありがとう」
はっきりとした言葉だった。
俺は軽く手を振る。
「いや、いい」
そして、横にいる浮田を親指で指す。
「礼なら浮田に言ってくれ」
「お前を治したのは、この胡散臭そうなおっさんだ」
「誰が胡散臭ぇんだ!」
即座にツッコミが飛んできた。
「まぁ、俺のスキルで助ける事が出来てよかったよ」
少しだけ空気が緩む。
男も、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……ルドルフ・ベニーニ」
静かに名乗る。
「イタリア出身だ」
「……浮田さんは」
ルドルフがゆっくりと口を開く。
「超人族……ですか?」
その言葉に、少しだけ驚く。
「……あぁ、そうだが」
浮田が答える。
俺はルドルフを見る。
「知ってるのか?」
この世界の“変化”を。
ルドルフは小さく頷いた。
「はい……」
一拍。
「……意識を失う直前に」
「覚醒しました」
その言葉に、空気がわずかに変わる。
……なるほどな。
「じゃあ、お前もか」
俺は軽く笑った。
「超人族ってやつだな」
ルドルフは、自分の手を見る。
まだ実感がないのかもしれない。
「……そう、みたいです」
部屋の空気は、もうさっきまでとは違っていた。
警戒ではなく、
拒絶でもなく、
“受け入れるかどうか”を考える空気。
だが、少なくとも――
敵ではない。
それは、全員が理解していた。
俺は軽く息を吐いた。
「まぁ……今はゆっくり休め」
「話はそれからだ」
ルドルフは少しだけ驚いたような顔をした後、
「……はい」
静かに頷いた。
部屋を出た後。
俺は廊下を歩きながら、ふと考える。
助けた人間。
増えていく仲間。
そして――
この場所。
「……また一人、増えたな」
小さく呟く。
未来が隣で笑った。
「うん」
その一言だけで、十分だった。
この世界で。
こうして、生きていく。
少しずつ。
確実に。
俺たちは、“日常”を取り戻していく。
とうとう30話です。
ここまで、読んで頂いた方ありがとうございます。
ルドルフ・ベニーニという名前はイタリアの俳優を混ぜて命名しました。




