三十九話 精霊の湖畔
「さて、行くか。」
「……。ねぇディン、ディンは帰ったら、私達の事を忘れてしまうの?竜神様って、何百万年って言う時間を生きていくんでしょう?なら、私達の事も、いつか忘れちゃうのかなって。」
「……。忘れる事はない。俺は記憶力が良い方だ、って言うのもあるけど、それは魂に刻み込んでる事だから。守護者の在り方、存在の証明、それは、俺にしか出来ない事だと思ってるから。」
精霊の湖畔に行く、という準備をしていた五人だったが、ふとアリナが不安げな顔をして言葉を零す。
それは、アリナという守護者、そしてアリナという一人の人間を、幾千もの世界を守っている竜神王が覚えている訳が無い、そのうち忘れ去られて、ディンはそれでも生きていくのだろう、という考えからだった。
ただ、ディンの答えは違った、ディンは、何があったとしても、アリナ達の事を忘れない、と決意していた、魂に刻み付ける、という事は、その在り方を生涯忘れない、という証左でもある、それをするだけの価値がある、アリナ達にはそれだけの意味がある、とディンは常々考えていた。
それはアリナ達に限った話ではない、ディンは、今まで赴いた世界の守護者達、もう何十人何百人になるであろう、今まで関わってきた守護者達の事を、ずっと覚えていた、それだけは忘れてはいけない、それだけは忘れたくないと願っていた、その結果が、今なのだ。
「存在の証明、ってディンがよく言ってるよね。それって、どんな事なの?私はお母さんの存在の証明になってあげるんだ、って言ってたよね?」
「存在の証明、それは生きたという証、確かに、そこにいたという証。誰かが覚えていて、それを語り継ぐ限り、その証明はされ続けるって事だな。アリサの存在の証明、それを出来るのがアリナで、アリナの存在の証明を出来るのが、俺だ、って言う話だ。それは、悲しい事かもしれない。失ってしまった存在に対する、執念と言い換えても良いのかもしれない。ただ、俺はそれをし続ける事が、報いになると思ってるんだ。皆、世界の為に生きて、世界の為に死んでいく、それは、守護者の在り方だ。そんな守護者達を、世界は時に拒絶する、人間は時に侮辱する。ただ、俺はそうしたくない、世界を守った事を、後悔して欲しくない。……。それは俺のエゴなんだろう、独りよがりで、独善で、そう言った感情なんだろう。ただ、俺にとってそれは、大切な感情なんだ。」
「ディンってむずい事言うんだな。俺ちんぷんかんぷんだぜ?」
「わからなくて当然なんだよ、ジン。これは、俺達竜神位しか持ちえない感情だ、と思ってる。その世界に属していて、その世界で生きていく上では、そこまで必要ではない感情だ、とも言えるな。なら、なんで俺達竜神はその感情を持っている、そして持っていて当然なのか。……。それは、守護者達に対する負い目でもあるな。」
負い目、それは何を意味するのか、それを四人は理解出来なかった。
世界を守るという大偉業の手伝いをして、サポートをして、支える立場にある竜神が、人間相手に、守護者相手に負い目に思わなければならない事がある、それが想像が出来ない、という顔をしている。
わからないのも無理はないだろう、それは、竜神としては当たり前に持っていなければならないと言われている感情だが、人間にとっては理解が出来ない感情なのだから。
「負い目、って言うのはどういう事なんだい?竜神様は世界を守る存在、同じ役割を持っている守護者は、ある種同種の存在だと思うんだけれど。」
「……。元来、世界の守護を担っていたのが、竜神の役割だ。それを、人間や他種族に任せる事になってしまった、先代竜神王が世界を分けた時から、その役割を他の種族に押し付けて、自分達は補佐の役割に徹する事になってしまった。その負い目だな。」
「元来の役割を果たせなくなったからー、その負い目って事ねー?でも、私達だって、守られてばっかりじゃ窮屈だったと思うわよー?私は前世の記憶なんて信じてないけどー。でも、人間って、守られるだけじゃないのよー?」
「……。そうだな。人間は、互いに守り合いながら、時に傷つけ合いながら、そして発展していく生き物だ。ただ、竜神としては、本来の役割を果たせなくなった、それに関しては悪い事だ、っていう認識なだけだよ。人間や他種族は、竜神にとっては守るべき対象だった、それを反故にしてしまった、それを悔いる意味合いでもあるな。さて、講義は良いけど、そろそろ湖畔に行こう。精霊達も待ってくれるとは限らない、そして何より、魔王がこれ以上待ってくれるとは思えない。」
「……。うん。ねぇディン、ディンは……。ううん、何でもない。行こう、頑張って、世界を守らないと。」
アリナは何かを言おうとして、そしてそれを止めた。
今のディンに話したとしても意味はない事、そして、人間と竜神という種族の壁がある以上、話しても意味がない事だと認識したから、だ。
アリナはディンに恋をしていた、だからこそ、その重荷を取り去りたいと願っていた、ただ、それを出来るのは、もう残っていないという竜神達だけなのだろう。
アリナに出来る事、それは世界を守る事だけだ、そう認識した。
「さ、ここが精霊の湖畔だ。」
「おー、なんつーか、俺達って場違いなんだな。」
「そうねー。魔力の質も全然違うしー、なんていうのかしらー、神聖な場所って言うのかしらねー?」
ディンの転移で向かった先、西の大陸の精霊の湖畔。
この世界は三つの大陸に分かれていて、西と東にそれぞれの大陸を統治する精霊がいて、そして南の大陸は魔王デモスが支配している。
精霊の湖畔も二か所ある、それはあまり違いはない、モートは東の大陸の湖畔に関しては聞いた事がある程度だったが、外見や様式にそこまでの差はない、という事は知っていた。
そんな精霊の湖畔は、湖畔というだけあり、湖の畔に白を基調とした建物が建っていて、それは魔力によって生み出されたのだろう、とソーラは認識した。
「懐かしい、というのには少し時間が経ちすぎたかな。」
「そっか、モートはここに暮らしてたんだもんね。」
建物の中央、城の様な建築に、ディン達は用事があった。
そこは、精霊の試練を受けるべき人間達が訪れる場所であり、現在の精霊の長が住まう場所でもある。
湖に網目の様に渡されている橋を歩いて、モートですら一度しか入った事が無い、そんな場所へと向かう。
「何者か。」
「守護者の一行だ。ここに用事がある人間って言うのは、そう言う事になるだろう?」
城の入口、城門の前まで来たディン達は、門番に話しかけて、そして中に入ろうとしていた。
ディンが感じている監視の魔力、それは精霊達が異物である自分達を警戒しているのだろう、とは認識していた、ただ、それを是とするつもりもなく、認識阻害の魔法を発動する。
「綺麗な場所だな。」
「そうだね、なんだか場違いって言うか、私達ってこういう所に縁がないと思ってたから。」
「そうねー。研究所も高いビルではあったけど、でもここまで綺麗ではなかったわねー。」
モートは人生で一度だけここに立ち入った事がある、だから新たな感想が出てくるという事もなかったのだが、森の中で生活していたアリナや、こういった場所に縁が無かった二人にとっては、新鮮な気持ちになるのだろう。
城門が開かれて、厳かな雰囲気の中に漂っている、湖の上の城、というのは、想像も出来なかっただろう。
「まずはどうするんだい?ディンの考えは?」
「そうだな、まずは長老に挨拶をしなきゃな。その後に試練を受ける事になる。」
長老、つまり精霊の長、その長がアリナ達に謁見を許すとは、とモートは驚いていた。
モート自身、回復魔法に幼少から長けていた、という理由で珍しがられ、一度だけ長に謁見をした事があったが、精霊と人間の混血であるアリナや、人間であるジンとソーラに謁見を許すとは、とてもではないが思えなかった、という感情だ。
基本的には政にも干渉をしない、王たる所以はそこなのだ、と言われていた長が、それを許すという事は、よほどの事態なのだろうとは理解出来るが、やはり、長が謁見を許すというのが信じられない、とモートは考えていた。
「竜神王様、王がお待ちでございます。」
「そうか、殊勝な事だな。」
城に入ってすぐの所で待っていた五人、その元に、アルファスが現れる。
モートと同じローブに身を包んだ白髪の老人、モートの記憶にも残っていた、精霊の中の重鎮、アルファス。
そんな精霊がわざわざ出迎えに来る、それもモートにとっては衝撃的だったのだが、それだけの交渉をディンがした、と言われると、納得は出来てしまう。
仮にも竜神王、それが不完全な状態だったとしても、それだけの権限や発言力を持っていてもおかしくはない、と。
「そちらが守護者か……。」
「お久しぶりです、王。拝謁を許可いただき、ありがとうございます。」
「貴方が……、王様?」
「そちは……。アリサの娘か……。」
城の中央、厳重に警備のされている玉座にたどり着いた五人は、長に謁見をする。
アリナは、この精霊が王なのか、と驚く、王は、薄い布切れに身を包んだ枯れ枝、という表現が正しいだろう、という風貌に、皺の刻まれた顔、そして蒼い瞳をしていて、何処かアリナに似ている、気がする。
懐かしさ、ではないが、そう言ったものを感じる、とアリナは一瞬感じていた、そして、母アリサに習った、王に拝謁する時の作法として、膝をつけて跪く。
ジンとソーラも、知らないなりにそれに倣って、ディンは頭を上げていたが、王に対して頭を下げている四人、という構図が出来上がる。
「アリサ……。我が血族の、末裔……。精霊と、人間の禁を破った、愚かな娘……。さぁ、面を上げよ……。我が血族、その末裔よ……。」
「血族……?末裔?」
「王、それは本当なのですか?アリナは王の血族の末裔だと?」
王がか細い声で話をすると、モートが衝撃だという声を上げる。
モートは、王は子を成していない、精霊としては次世代への継承を行っていない、と聴いて育っていた為、そこまでは知らなかった。
勿論アリナも、自分が王の血族だとは知らされていなかった、知る由もなかった。
「アリナって、王様の親戚なんか?」
「凄いじゃないー!でも、誰も知らなかったのー?」
ジンとソーラも、面を上げろという言葉に従って顔を上げて、アリナの方を見ている。
確かに、瞳の色は同じ、ソーラから言わせれば、魔力の質も少し似ている部分があるかもしれない。
ただ、アリナの魔力は、デュオという人間の魔力を継承している為、精霊のそれとは少し毛色が違う、どことなく似ているかもしれない、程度の認識だった。
「王、その話は……。」
「良い……。我が末裔……、愚かな娘……。さぁ、顔を良く見せよ……。」
「は、はい。」
王が緩慢な動作で、アリナに近づけと手振りをしてくる、アリナはそれに従い、王の玉座まで近づき、顔を王に見せる。
「……。懐かしき……、魂……。ドーガン……、その……。」
「王様?」
「良い……。下がれ、愚かな娘よ……。」
ドーガン、その名前はアリナも聞いていた、先代の守護者、精霊の中でも異端とされていた、人間に寄り添うという形を取った、精霊の守護者ドーガン。
ドーガンはアリナの祖父、という事は、王にとっても末裔の一人であるとは言える、ただ、王は何かを言おうとしてその言葉を止めた。
「精霊の試練を受ける、それは王の許しが無ければならぬ。竜神王様、それでよろしいのですね?」
「ああ、構わない。精霊の王よ、アリナ達守護者に精霊の試練を受けさせる、それが約束だ。竜神と精霊の約定、竜神王が世界を分けてから三代目の王よ、その約定を果たしてもらおうか。」
「竜神王……。ふむ……、相分かった……。」
「では守護者達よ、精霊の試練に向かうが良い。」
言葉を発さなくなった王に代わって、アルファスが仕切って精霊の試練を受けるべく案内をする。
王の玉座から離れ、厳重に警備をされている場所から立ち退いて、アリナは何かを聞く前に追い出されてしまった、とも言えるだろう。
ただ、ディンとしては目的はそれで果たした、だから良いのだ、という感覚で、モートやジン、ソーラはこれ以上の緊張をしなくて良い、というのは安心材料なのだろう、ホッとした様子を見せて、アルファスに従う。
「私が、精霊の長の血族……。」
アリナは、それについて行きながら、驚きと戸惑いの中にいた。
それだけの血族と言っても、精霊の禁を破った事は許されなかった事なのだろう、アリサは現実として、精霊の湖畔を離れている、つまり、その場にいる事を許されていなかった、と言い換える事も出来るだろう。
王の血族だったとしても、それは絶対的な禁だった、ともとれるが、それでも、王が権限を持っているのであれば、それを防げた可能性もあったのではないか、とも考えらえれたが、それが出来ない理由もあるのだろう、と考えをまとめた。
「ディンは知ってたの?私が、王様の親族だ、って事。」
「そうだな。守護者に関する情報は、隅々まで調べるのが常だからな。ただ、黙っておかないと大変な事になる、とも認識してたから、黙ってたんだよ。向こうがそう言ってくる、とまでは思えなかったな。」
「そっか。」
試練の間に向かいながら、ディンは考える。
以前の時間軸でも、長はアリナについて言及していた、ただ、それは血族である事に関してではなく、アリサが剣になってアリナの為に魂を変質させた事、についてだった。
ディン自身アリナの出自自体は知っていたが、以前の時間軸では言及されなかった事実に関して言及された、それ関しては内心驚いていた。
ただ、そうなったからにはそれには意味があるのだろう、とは感じていた、時間軸による歴史の違い、歪み、それがあるからには、何某かの意味があるのだろう、と。




