第206話 潤んだ瞳
「ふぅ……やっぱり、落ち着くなぁ」
「リッタ、お代わりいる?」
「ありがと、もらおうかな」
ネリネのテラスで海を眺めながらお茶を啜るのは、最高だね。
これがまさに、仕事のあとの一杯ってやつなのかも?
欲を言えばゆったりお風呂に入って、フカフカのベッドにもぐりこみたいところだけど。
さすがに今は、そんなことやってる場合じゃないからね。
「前から思っていたのですけど、どうやったらこんな状況になるのですか?」
「何か変なところでもあったかな? シルビアさん」
「この状況に違和感を覚えてない時点で、変よ!!」
そう言った彼女の視線は、テラスのテーブルに腰を下ろしているプルウェアさんたちと、対面に座ってる人物に注がれてる。
と、そんなシルビアさんを一瞥したその人物―――ライラックさんが、お茶を啜った後、口を開きました。
「確かに、この状況は異常と呼んで差支えがないであろうな」
その口調と声音は、私の知ってるライラックさんのものとは全然別物だね。
つまり、今ここにいる彼のことはレヴィアタンって呼んだ方がいいかもしれません。
「うへぇ。なんか、変デス。早く彼に体を返したらどうなのデスか?」
「ふん。貴様らの言いなりになるわけがないであろう?」
「負けた分際でよくもそんな口をきけますね。消滅したいのデスか? だったら今すぐにでも―――」
「ほらほら、二人とも。ここで私たちが暴れてしまったら、リグレッタに悪いデスよ?」
プル子ちゃんとプル姉は、ライラックさんの体をレヴィアタンが操ってることが許せないみたいだね。
プル婆が冷静でよかったよ。
多分、プル婆にも思うところはあるはずだから。
少なくとも、話はできそうな空気でよか―――。
「やるなら後にしましょう。その方が、ゆっくりとしつけることができるはずデスからね」
全然よくないよっ!
かなり怒ってるじゃん。
笑顔なのに、目が笑って無いもん。
まぁ、事情が事情だから理解はできるけど。
このまま喧嘩を再開しちゃったら、せっかくこうやって集まってもらったのが無駄になっちゃうよ。
「こ、こほん。えっと、喧嘩はやめてほしいかな。それよりも、話をしたいと思ってるんだけど、いい?」
「あなたがそう言うのであれば、仕方がないデスね」
「ふん……」
まだまだわだかまりが消えてなくなったってわけじゃないみたいだけど、耳は貸してくれるみたい。
今のレヴィアタンは、さっきまでみたいに暴れることはできない状態だから、迂闊に喧嘩はしないでしょう。
というのも、レヴィアタンが取り込んだっていう沢山の魂を、私が没収したからね。
今の彼にできるのは精々、この場から逃げ出すことくらいでしょう。
逃げられちゃったら話もできないから、しっかりと見張っておかなくちゃ。
「それで、わざわざ私を捕らえてまで話したいこととは、なんなのだ?」
「うん。まずはね、お互いに思ってることを話したほうがいいんじゃないかなって思ってさ。レヴィアタンさん。あなたは何が望みなの?」
「世に蔓延る愚かな人間に裁きを下すことだ」
「そのために、嵐とか地震とか大波を起こしたんだね。おまけに、魔物たちまで連れてきちゃってさ。大変だったんだよ?」
そのせいで、ソレイユさんと盗賊団のみんなは、いまだにけが人の治療で街中を駆けずり回っているのです。
話が終わったら、レヴィアタンさんにも手伝って貰わなくちゃだよ。
「ちなみに、裁きを下した後って、どうなることを想定してたのかな?」
「裁きを下した後だと?」
「うん。だって、レヴィアタンさんが言ったじゃん。愚かな人間にって。ってことは、愚かじゃない人間には裁きが下らないってわけで、その後も続いてくハズだよね?」
「えっと、リグレッタ? おそらくコイツは、全ての人間が愚かだと思っているのデスよ」
「全ての人間が?」
プル姉の言ったことは正しかったのか、レヴィアタンが大きく、そして深く頷いたよ。
それにしても、全ての人が愚かかぁ。
「私はそうは思わないけどなぁ」
「そう思うのであるならば、貴様も愚かだということだ」
「そっか、私も愚かなのかぁ」
「リッタは愚かじゃないと思う!」
「えへへ~。ハナちゃんがそういうなら、私は愚かじゃないかもねぇ」
「そうだよっ!」
「貴様ら、愚弄するつもりか!!」
「愚弄って、別にそんなつもりはないよ」
「腹立たしい。そもそも、貴様もそこの駄神どもも、考えが足りぬのだ! 人間なんぞに誑かされおって。そのようなことだから、愚かだと言っているのだ!」
「べ、べ、別に私は、誑かされてなどいないのデス!!」
プル姉。分かりやすいなぁ。
まさか、ライラックさんの口からそんなことを言われるなんて、思ってもなかったはずだよね。
中身が違うとはいえ、きっとダメージは大きいはずだよ。
っていうか、ライラックさんの意識はあるのかな?
もし聞かれてたら、恥ずかしいだろうなぁ。
なんか、プル姉が可哀そうになってきたよ。
それが理由ってわけじゃないけど、ここは1つ、話を逸らしてあげましょう。
「考えが足りない、かぁ。なるほどね。私とレヴィアタンさんの考え方にあるズレは、きっとそこなんだね」
「何の話だ?」
「私が考える愚かな人ってさ、全く何も考えてない人のことなんだよね。でも、レヴィアタンさんは、ちょっと考えるだけじゃ足りないって思ってるんでしょ?」
「当たり前だ!!」
「そっか。でもそうなら、レヴィアタンさんも考えが足りないんじゃない?」
腰かけてるレヴィアタンさんの顔が、怒りに染
まってく。
でも、ここでやめるわけにはいかないかな。
「だって、全ての人間が愚かなんだって、よく考えもせずに決めつけちゃってるじゃん」
「考えていないだと!? 貴様、やはり私を愚弄するつもりだな!!」
「そんなにいうなら、人間が愚かだっていう根拠があるの?」
「そのようなもの、挙げればキリがないほど無数に存在する。貴様らに関わるところで言えば、まさにこの男こそが、愚かな人間の代表とでもいえる存在であろう!」
そう言ったレヴィアタンは、その場に立ち上がって自身を指さした。
つまり、ライラックさんのことかな?
「ライラックさんのどこが愚かなの?」
「この男は愚かにも、永遠の命などという世迷言を信じたのだ。その結果、こうして私に体を乗っ取られている。これほど無様で愚かな男は、そうそう見ることはできないぞ」
彼の言葉に真っ先に反応をしめしたのは、プル姉だよ。
よっぽど怒ってるのかな。
拳を握りしめて震えてる。
隣でプル子ちゃんが笑いをこらえてるのは、黙ってておいてあげよう。
「なるほどね」
って私が口にした途端、プル姉の鋭い視線が飛んできました。
ちょっと落ち着いてほしいな。
ちゃんとフォローするからさ。
「つまり、レヴィアタンさんはそうやって、いろんな人間を試してきたってことなんだね」
「その通りだ!」
「それは分かったよ。でも、それって単に、ライラックさんが失敗しちゃったってだけだよね」
「失敗しただけ? 貴様はまだ理解できていないようだな。その結果―――」
「ライラックさんは死んじゃうかもしれなかった。ってことでしょ? 分かるよ。愚かなことを享受する人は、命を落としやすいよね」
やっぱり、結局はそこに行きつくんだ。
レヴィアタンさんと話してて、プルウェアさんたちから聞いてた印象と全然違うって思ってたけど。
その理由がちょっとわかった気がするよ。
嫉妬深い魔神レヴィアタンは、ライラックさんを騙してイゼルの街を海に沈めた。
それはつまり、ライラックさん達に肩入れするプルウェアさんのことが信用できずに、裁きと称して皆を試した。
ってことなんじゃないかな?
国ごと全部を試すってのは、規模が大きすぎる気がするけどね。
もしかしたら、今も私は彼に試されてるのかもしれないよね。
「ふふふ。やっぱり、話を聞いてよかったかな」
「リグレッタ? それは一体どういうつもりなのデス!? まさか、今の話を聞いて、コイツと分かり合えるなどと考えてはいないデスよね!?」
「分かり合えれば、そりゃそれが一番いいんだけどね。できないならできないで、考えるべきことがあると思うよ」
「考えるべきこと? 正直アタシは、コイツと話をしても、意味なんかないと思ってるデス!」
「意味ならあるよ」
そもそも、私がこの話し合いの場を設けたかった理由。
それは、プルウェアさんとライラックさんの喧嘩を仲裁することでも、分かり合うためでもないのです。
「私はね、私に何ができるのかを判断するために、この話し合いをしたかったんだ」
そうして私は、つい今しがたたどり着いた答えを、その場にいた皆に話しました。
まぁ、少し前から考えてはいたことなんだけどね。
これで、父さんや母さんから託されてたことも、果たせるかもしれません。
思い残すことがあるとすれば、それは……。
そんな思いを込めてハナちゃんを見た私は、彼女の潤んだ瞳を目にしたのでした。
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