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流産にあこがれて  作者: 実鈴
9/11

最後の晩餐

 無事に二日後に胚盤胞をお腹に戻すことが決まった。妊娠できるかどうかはわからなかったけれど、もうすぐ妊婦になる可能性がある。となれば、しばらくお酒が飲めないかもしれない。

 帰りの電車に揺られながら、わたしは幸一を外食に誘うことにした。


 スマホを開くと、さっき送ったメッセージが既読になっていて、親指を立てたキャラクターのスタンプが来ていた。


『今日、最後の晩餐はいかがですか?』

 すぐに既読になる

『いいよ!』


 人工授精や体外受精を幾度となく経験しているわたしたちの間で『最後の晩餐』と言えば『妊娠前最後と思ってお酒や料理を楽しもうの会』、であることは説明しなくても伝わる。

 最後の晩餐となれば、ワインがいいかな。生ものや生肉も食べられなくなるから…生ガキ、ローストビーフ、生ハム…食べたいものを思い浮かべて、以前にふたりで行ったことのある店の名前をあげる。


『サイジュはどう?』

『いいよ!』

 間髪入れずに返事がくる。


 幸一とは七時に駅で待ち合わせをした。予約をしないで店を訪ねると、平日なのに随分と店内はにぎわっていた。


「混んでるね、ここも人気店になったな~」 幸一がまぶしそうに目を細める。

 初めて来たときはお店ができたてで、ガラガラだった。あの頃が懐かしい。


空いているかスタッフに声をかけると、奥のテーブルに案内された。

「よかった!」

 席に座ると、お目当ての生ガキと、ローストビーフ、それから生ビールをふたつ頼んだ。

 一日仕事をしてきた幸一はおいしそうにビールを飲んだ。

 生ガキが運ばれてくると、幸一がお皿にふたつのったカキを両方食べるように勧めてくれた。


「それでは遠慮なく!」

 生ガキをほうばると、ひんやりと磯の香りが口に広がった。レモンの酸味がここちいい。

「赤ちゃんは欲しいけど、これがしばらく食べられなくなるのは残念だな」

 そう言って笑うと

「今日は実頼の好きなもの頼んでいいからね」

 と、幸一も笑う。不妊治療は大変なことも色々あるけれど、誕生日でもないのにこんな風に言ってもらえるのはうれしいことだ。


 それからワインのボトルを頼むことにした。

 ワインリストをもらって、ふたりで眉をひそめて選ぶ。

「重すぎないのがいいな」

「じゃあメルロあたりにする?」

 幸一がチリ産の赤ワインを指さす。

「それならこっちにしない?南アフリカのメルロ」


 果実味がしっかりとした…という文句が添えられていた。

「いいよ」

 少ないワインの知識でボトルを注文して、一緒に生ハムの盛り合わせも頼む。

 わたしと幸一は結婚してから早六年。わたしは三十五になった。

 子どもを望んでから、もう四年の日々が過ぎていた。検査や治療を長年受けてきて、特に体に異常がない一方、一度も妊娠した経験がなかった。


 不妊治療をしている夫婦を何組も見てきたけれど、幸一は比較的、治療に協力的な夫だと思う。自分の検査も早めに受けてくれたし、通院にも、できるかぎり付き添えるよう努力してくれた。

 

 ワインと生ハムが同時に運ばれてくる。幸一はボトルの写真を撮影した。飲んだワインを覚えておきたいから、記録用だそうだ。

 それから、わたしのグラスにワインをついでくれる。

 わたしも幸一にワインをつぎ返して、ふたりでワインを持ち上げて生意気に明かりに透かして色を見る。


 ふたりでワインを飲み始めたのは最近のことで、飲んで感想を言い合うのが楽しみのひとつだ。

 一口飲んで、幸一が慎重に感想を述べる。

「確かに果実味があるね、渋みもあるけど、口に残らない」

「タンニンね!」

「そう、タンニンが残らない、おいしいね」

 タンニンとはたしか渋みだったはずだ。続いてわたしの番。

「これは…洞窟の中に追い詰められておびえる羊が、出口を見つけて走り出した後の…」

「長いな!」

 幸一のつっこみが入ってふたりで笑う。ここまでが一連の流れだ。


「子どもが生まれたらさ、その年のワインを買おうよ」

『子どもが生まれたら』というフレーズを聞くのが久しぶりで、顔がほころぶ。陰性の結果が続くと、口に出さなくても「今回もだめかもしれない」という空気がどうしてもふたりの間に流れるようになってしまった。でも。幸一は今回の移植に期待をしているようだ。


「子どもが二十歳になったら開けるの?」

「そう」

「二十歳じゃまだワインの味わからないかもよ」

 わたしがワインをおいしく飲めるようになったのは三十三の時だ。

「子どもには飲ませないよ、ふたりで飲もう」

 そのセリフに思わずときめいてしまう。

「うん」

 幸一はこういうことサラッと言う。結婚して六年、付き合った期間は足掛け十年を超えているのに、こんな風に仲良くいられることがうれしくて「ふたりの生活も終わりかな」という言葉を飲み込んだ。


 わたしは幸一をお父さんにしてあげたかった。


 自宅に帰ると

「外で飲むと一本開けられるね」

 そう言って幸一がベッドにゴロンと横になる。

 確かに、お互いお酒が強いタイプではなく、家でボトルを開けると、リラックスしすぎてしまうのか、飲み切る前にどちらかが寝てしまう。

 栓をして別の日に飲めばいいので問題はないが。


 わたしはツイッターを開いて、二日後に移植が決まったことを投稿した。

 不妊治療の不満を言いたくて作ったアカウントだったが、いつの間にかフォロワーも増えて、画面の向こうにはよき相談相手がたくさんいた。すぐに「いいね」がいくつか押される。

 寝室を覗くと、幸一がいびきをかいている。

 いつの間にか服を脱いでいてパンツいっちょでだ。


「ちょっと、お風呂は?」

 問いかけると、満面の笑みで

「みーちゃん~」

 とつぶやいた。だめだ。だけどわたしも眠かった、お風呂は明日の朝溜めて入れはいいだろう。着替えて顔を洗うと、わたしもベッドへ入った。

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