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「なにしてるの、聖」


「天国と地獄を味わってた」

「運動会かな」


 突っ込んではみたけれど、頭の中で流れるのはクシコス・ポストだった。切り替えてみたが、今度は威風堂々。あれ、天国と地獄ってどんな曲だっけ。


「で、なにしてるの聖」

「だから天国と地獄を」


「やめなさい」


 頭だけ布団に突っ込んだ聖を、無理矢理ベッドから引き剥がした。

 匂い嗅ぐなって言ったのに。


 というか布団の匂い嗅いで天国と地獄ってなに。天国は百歩譲っていいとして、地獄ってなに。


「って、瑞ちゃん!ななな、なにそのカッコ!」

「パジャマ」

「卑猥!」


 失礼な。

 ブラもパンツも見えてないよ。


 だるだるのオーバーサイズTシャツ。唯一のスウェットを除けば、部屋着は全てこんな感じだ。宅配便が来たときに少し慌てるくらいで、別に不都合はない。


「……えっちだ」

「見る?」

「捲らないで鼻血でちゃうから!」


 残っていた緑茶ハイを飲み干して、新しいものを開ける。氷も足す。

 聖のぶんも用意してから、化粧台の前に座り込んだ。髪乾かすの面倒くさいなぁ。


 ジャバジャバ使う用の安い化粧水を、手のひらにジャバジャバ出した。いいの、ジャバジャバ使う用だから。


 あぁー、化粧水が染み渡る。


 カシャン。


「今?」

「今しかない」

「じゃあ、はい。ピース」


 カシャン。


 化粧台の前であぐらをかいたまま、聖が構えるカメラに向かって指を二本立てる。


「すっぴんだ、私」

「最高に可愛いです」

「ふふ、ありがと」


 大きなレンズが、大きな目みたいに見える。なんだか、猛禽類に狙われる小動物になった気分。

 猫がカメラを怖がる理由が、なんとなく理解できた。


 指を立てた手を下ろして、猛禽類の目を睨む。食べられてなんかやらないぞっていう、威嚇。


 カシャン。


 身体の奥底まで覗かれるみたいで、ちょっと居た堪れない。

 目みたいなレンズを、逸らさずにじっと見つめる。


 カシャン。


 聖がカメラから目を離した。


「飲もう、瑞ちゃん」

「うん。満足した?」


 新しく注いだ緑茶ハイが冷たくて美味しい。さっきまで飲んでいたハイボールの何倍も、こっちのほうが美味しい。


「ぜんぜん」

「そか」


「いただきます」


 ぜんぜん、と言いながら、撮らないんだ。

 撮っているとき、聖はなにを考えているのだろう。


「私のこと撮ってて、楽しい?」

「それはもう、うん、最高に」

「顔?」


 それもある、と頷いて、緑茶ハイをひとくち。ポテトチップスは減らない。


 お風呂に入って、ふたりとも酔いが覚めてしまった。だから揃って、またアルコールを流し込む。

 お互い、お酒はそこまで好きじゃないのに。


 少しだけ、無音が流れた。


「本当はね、建物とか、景色とか、そういうのを撮るのが好きなの」

「うん」


「無機物の……お人形さんみたいに綺麗な子だって……気づいたら手が勝手に撮ってて……撮れば撮るほど、夢中になっちゃった。ごめんね」


 お人形さんみたい、か。可愛い子によく使う比喩だけれど、私はあまり言われない。小さい頃は言われてたようだけど、記憶にある中で一番多い褒め言葉は『モデル』みたい、だ。


 あぁ、喋るマネキンって言われたことはあったな。あれ、動くマネキンだっけ。


「どうだった?」

「え?」

「喋ってみて、名前知って……友だちになって……いま、撮ってみてどうだった?喋るマネキン、どうだった?」


 聖の目が、ゆっくりと見開かれた。


 コップの氷が、からんと鳴った。



「もっと」



 お風呂上がりの匂いがした。


 ほんの少し、香水の香りが残っていた。



「もっと、好きになった」



 スマートフォンが震えた。


 聖の唇が、震えた。



「マネキンじゃない。生きてる、感情のある……感情の乗った瑞ちゃんを撮って……わ、私に視線を向けてくれる瑞ちゃんを撮って、もっと……もっと、好きになった」


 そっか、と呟いて、聖に近づいて、正面から抱きしめるように肩に頬を置く。


 盗撮魔が、新本聖になった。


「私も。盗撮魔ちゃんが聖になって、好きになったよ」


 恐る恐る、聖の手が腰に触れる。薄い布越しに、柔らかいひとの肌。私と同じ匂い。

 ちょっと、ゾクっとした。


「い、いいにおいがする……やわい……や、やわこい、ほそい……はぁ、かわいい……いきててよかった、まじで……」


「ふふ、あはは、あはははは!台無し、聖!なんでこの雰囲気で変態発言するの!ほんと、あはははは!」


 カシャン、と鳴った。


 笑いが止まらない。また、カシャン、と鳴る。

 何枚か撮って、私の笑いがおさまった頃にようやく、聖が口を開いた。


「だって!推しが向こうから接触をはかってきたら、言わずにいられないでしょ!」


 あぁ、理解。なるほどね、わかった。

 推し、だ。どうやら私は、聖に推されていたらしい。アイドルかな。


 撮ってから言うところが、また聖らしくて好きだと、そう思った。



 シングルベッドに大人二人は、まぁ狭い。来客用の布団なんて気の利いたものはないし、母が泊まりに来る時は寝袋持参だもの。


 向かい合うと近すぎるので、お互いに背を向けてお休みなさいと言った。

 アルコールが頭をぐるぐるかき混ぜて、目を閉じているのに世界がぐらぐら揺れる。酔っているときのこの感覚、気持ちが良いんだよね。

 風呂上がりの血行が良い時にアルコールを追加したせいか、そう大した量でもないのに、ふたりそろってクラクラしていた。


 ちょっとずつ、意識が落ちていく。とろり、とろり。

 いつもよりひとつ多い体温が暖かい。

 他者、という違和感と緊張と心地良さ。とろり。


 背後の聖が寝返りをうった。太ももにスウェットが触れて、聖の足先がふくらはぎをつつぅとなぞった。わざとかな、わざとだろうな。

 うなじに吐息。暖かくて、冷たくて、湿っぽい。ひとの呼吸、肌に唇が触れそう。


 あぁ、眠い。


 腰を這うようにゆっくりと伝ってきた手が、私のTシャツを意図せず捲りながら緩く、緩く抱きしめた。

 力が入らずに投げ出された私の手に、する、する、と指が絡まる。


 握り返したいのに、もう力が入らない。


 寝ぼけてるのかと思ったけれど、存外意識のはっきりした声が聞こえた。夢かな、夢じゃないよね。



「こんどは、ネイルオフしてくるから……ヘタレじゃ、ないもん」



 音にできたかは、定かでない。でも、言葉に乗せる努力はした。


 落としちゃうの、ネイル。かわいいのに、もったいない。

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