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 飲み会が始まったのは十九時過ぎ、まだ二十一時を回ったところだ。

 翌日は日曜だと言うのに、人通りは閑散としている。


 都心であればまだ余裕のある時間だろうけれど、田舎を舐めちゃいけない。終電の時間が馬鹿みたいにはやいのだ。


 店を出てツカツカ歩き続ける聖を力づくで止める。


「しょ、聖!どこ行くの!」

「ど、どこ行こう!?」

「無計画!」


 そんなことだろうとは思った。


 十月も半ば過ぎ、もう十一月が目前に迫っている。今夜はコート一枚だと寒い。

 お酒を飲んでいると血管が広がって、寒さを感じやすいんだっけ。


『二橋瑞は新本聖がお持ち帰りします』


 なんか、じわじわ面白くなってきた。


「あはは!いきなり飛び出すからびっくりした!」

「だって!瑞ちゃんが可愛いこと言うから!」

「言った?」


 言った!とそこそこ大きな声で怒られる。酔っているな、これは。

 アルコールはこれくらいが気持ち良い。意識はハッキリしたまま、でも身体中の毛細血管がドクンドクンと脈打つ。身体の芯がジンと熱くて、でもちょっとだけ物足りない感じ。


「どうしようか、これから」

「ど、どうしよう」


 ヘタレ、と酔いに負けた脳が聖を詰って、そんな自分にまた驚く。

 ヘタレ。ヘタレか。


「ヘタレ」

「へ!?」


 あ、声に出た。


 ゆるく繋いだままだった手を、強く握りなおす。

 震えた指先が、じんわりと離れようとする。離してやるもんか、このヘタレ。


「うち、くる?」


 私のことが好きなくせに、家に誘えないのだから。ヘタレだ、聖は。

 一年生の頃から、話しかける機会なんてたくさんあったでしょ。この、ヘタレ。


 私は、聖の好意がわからない。

 あの子たちのような神格化とは違う気がする。付き合おうと言った男たちとも違う。マスターのような絡みつく視線でもない。


 ひとつわかるのは、その好意が"普通"の友人に向けるものではない、ということ。


「い、い、い、いく!」


 聖の瞳の奥には熱があって、私はその正体を知りたいのだと、いま始めて気がついた。


 理想の『ハジメ』を押し付けられるわけではない。性的に搾取されるわけではない。友情と恋情を履き違えたわけではない。


 でも、聖は私に何かを求めている。

 貴女は私になにを求めているの。友だち?被写体?わかんないよ。


 そんなことをつらつらと考えながら、アパートの最寄りに向かう電車に乗っていた。

 お互い黙っていたけど、手だけは離してやらなかった。



 古くもないけど、新しくもない。オートロックはないが、駐輪場と駐車場完備のアパート。三階の角部屋。

 母親はオートロックのあるマンションが良いと最後まで言っていたが、候補がどれも大学から遠かったのでやめた。


 バストイレ別。自炊はしないけど、ガスコンロは二口。

 田舎らしく、家賃の割に部屋は広い。


「どうぞ、なにもないけど」

「お、じゃま、します」


 あ、靴の箱積みっぱなしだ。あ、カーテンレールに下着干しっぱなしだ。あ、ベッドに部屋着のTシャツ置きっぱなしだ。


 ま、いいか。


「適当に座って」


 促して、自分は台所へ。


「すぅーーーーーーはぁーーーーーー」

「え!?なに!?」


 なんでもない!と聞こえたが、なんでもないわけがない。なにいまの深呼吸。


 コップに氷をつっこむ。ドーナツ屋さんのオマケで貰ったものと、百円均一で買ったプラスチック製のもの。


「すぅーーーーーーはぁーーーーーー」

「ちょ、え、匂い嗅いでる!?やめて!!」

「嗅いでない!」


 酔っていらっしゃる。


 コップをふたつ手にキッチンから戻ると、ローテーブルの前でカチンコチンになった聖が正座をしていた。


「いや、姿勢良すぎでしょ。楽にしなよ」

「精神統一してるからちょっと待って」


 コンビニで買った缶の緑茶ハイを空けて、コップに注ぐ。ツマミはお肌の天敵、ポテトチップス。相方がコーラじゃないだけ良いでしょ。


「ベッドの匂い嗅いで良い?」

「ダメに決まってる」

「御無体な」


 いや、ダメに決まってる。


「化粧品見て良い?」

「いいよ」

「やったぁ!」


 ゴソゴソと動いて化粧台の前に移動した。真っ先に手にとったのが、マスターからもらった高級品のあいつら。

 いいでしょ、うらやましいでしょ、五万円だぞ。


「お風呂入ったら使うかね、聖殿」

「よ、よろしいのか、瑞殿!」

「よかろう、よかろう!拙者、風呂を沸かしてくるなり!」


 あ、待って、私も酔ってるわ。


 恥ずかしさを押し殺し、お風呂場に向かう。酔っているときに風呂は危険というが、泥酔しているわけでもあるまい。

 というか、居酒屋特有の酒と煙草の匂いを纏ったままベッドに入りたくない。


 風呂の栓を確認して、自動のボタンをピッと押すだけ。


『湯張りします』


 よろしくお願いします。


 十分ほどで風呂に入れる、文明の利器。最高。

 部屋に戻ると、聖はいまだ熱心に化粧品を見ていた。


「香水……」

「アナスイ」

「嗅いでいい?」


 頷くと、速攻で蓋を外した。

 それはバーのお客さんからプレゼントしてもらったもの。常連のカワタという男だ。


「う?ん?違う?」

「いつも使ってるのソレじゃないもん。いつものはこっち」

「ティファニーだ!」


 母から小瓶でもらったやつを気に入ってから、自分でも買い続けている。ちょっと高いが、消費量が多いわけでもない。


 それに。


「かわいい〜」

「だよね〜」


 瓶が可愛い。並べておくだけでもテンションが上がる。


「聖のは?甘い匂いするよね」

「気になる?」

「気になる!」


 リュックを漁って、小さいスプレーボトルを取り出した。

 あのイカついリュックから可愛いものが出てくるの、本当に不思議。


「手首出して」

「ん!」

「ぅゔん!」


 いや、発作は香水のあとにして。


 悶えたまま、シュッとひとふき。フローラルだけど、甘い香り。甘いけれど、大人っぽい。


「これね、ブルガリ。移し替えてるの」

「ブルガリ!え、こういう形のやつ?」

「そう、こういう形のやつ」


 両手で形を作ると、一発で通じた。メビウスの輪みたいな、可愛いけど無駄に芸術的な形をしているやつ。

 手首から聖の匂い。でも、聖の匂いじゃない。


「あれ、どうやって開けるの?」

「下の部分もって、上の部分をこうして、引き抜く」

「え、あれ蓋になってるんだ」


 手首をスンスン嗅いでいると、膝の上にスプレーボトルがぽとりと落とされた。


「あげる」

「ま?」

「ま」


 やったー!


 ちょっと待って!と言って、化粧台の引き出しを開ける。ここにあったはず。


 あった。


 未使用の小さいボトルを取り出して、普段使いの香水を移し替える。百均の可愛くないやつだけど、許して欲しい。


「はい、お返し」

「謹んで頂戴いたします!やったー、瑞ちゃんの香りゲット」

「人によって匂いかわるけどね」


 それ、と言って聖が笑うから、私も笑う。

 風呂場から愉快な音楽が聞こえた。


『お風呂が沸きました』


 お客様からどうぞ、いえいえ家主様から、のやりとりを経て、聖を風呂場に押し込んだ。

 買ったはいいけど下ろしていなかった上下セットの下着。ブラのサイズ知らないけど、そんなに体型も変わらないし良いでしょ。上下セットなのにブラジャーだけ手元に残すのもアレだし。

 あと、一着しか持っていないスウェット。


 ザーザーと聞こえるシャワー音に向かって声を張り上げる。


「しょーちゃーん!タオルとか洗濯機の上に置いておくからー!下着はプレゼントー」

「はぁーい……え!?ゲホッ、ゲホッ」

「ちょ、大丈夫!?」


 なんかむせる音したけど。


「な、なんでもな……は、は、瑞ちゃん!」

「なに?ゴキブリ?」

「ちが、ちがう!」


 ガララ、と扉があいて、ずぶ濡れの聖が顔を出した。


「これ!」

「しゃんぷー」


「一万円くらいするやつ!!」


 一万円はしない。八千円くらい。トリートメントも同じくらいする。


「高級ヘアケアセット、存分に堪能したまえ」

「やったー!ちなみに私のは四千えーん!」


「ふふ、酔ってる」


 陽気に戻っていった。


 思春期の頃、肌や体型をおいてなによりも髪質の変化に苦労した。変なうねりは出るわ、毛根が貧弱だわ。

 だから、髪だけはぜったいに妥協しない。


 高ければ良いというものでもないから、面倒なのだ。


 マスターから貰った試供品は、いま使っているものよりもずっと高かった。けれど、残念ながら髪質が合わず、レギュラー入り出来なかった過去もある。


 水音をBGMに緑茶ハイを飲みすすめる。スマートフォンが震えた。メッセージの表示は晃太郎。


『ハジメ、いまどこ?』

『いえ』

『盗撮魔ちゃんと二軒目じゃねーの?』


『お持ち帰りした』


「おっと……もしもし?」

『なにごと!?』

「いや、晃太こそ何事?なに?飲み会終わったの?」


 背後でガヤガヤ。うわ、誰か吐いてる音がするんですけど。


『座敷で吐いたやついてさー。店に居づらくなったから別のとこ行こうぜーってなって。んで、ハジメたちと合流するー?みたいな流れになったんだけど』

「最悪じゃん。私が店員ならそいつブン殴るわ」

『で、マジで家?』


 立ち上がってバスルームに近づく。音、聴こえるかな。


「瑞ちゃーん、ドライヤー借りていいー?」


「いいよー。アイロンも使って良いよー」

『は!?マジで家!?』

「うん。だからお持ち帰りしたって言ったじゃん。と言うことで、合流は諦めて」


 晃太郎の返事は聞かず、通話をぶった切った。

 座敷で吐くとか、うわぁ……


 ……さ、私もお風呂入ろう。


「わ、聖、スウェット似合わな」

「あ、うん、知ってた。というか下着、あの、サイズぴったりなんだけど」

「それは良かった。あげる」


 ピッタリと言うことはアンダーもトップも同じと言うこと。良かった、ブラだけ残されることがなくて。


 自分の下着と部屋着のTシャツを洗濯機の上に置いて、髪を拭いている聖にヘアオイルを渡す。使うならどうぞ。


 シャツのボタンをはず……


「ちょ、ちょ、ま!瑞ちゃんストップ!」

「なに?」

「脱ぐ?」


 何言ってるの、この人。


「脱がなきゃお風呂入れないんだけど」

「ソウデスネ」

「あはは!いいよ、べつに、見ても」


 自分はシャワー中に扉開けたくせに、私が脱ぐのは気にする。


「中学生男子かな?」

「……心臓がとまりかねないので、ダッシュで脱いでお風呂場にいってくださいぃ……」


 耳まで真っ赤にした聖が可哀想だったので、ご要望通りダッシュで脱いでお風呂場に入った。あ、脱いだ下着おきっぱなしだ。


 今度はドライヤーの音をBGMに思う。

 そこまで意識されると、こっちのほうが恥ずかしいから。

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