18
飲み会が始まったのは十九時過ぎ、まだ二十一時を回ったところだ。
翌日は日曜だと言うのに、人通りは閑散としている。
都心であればまだ余裕のある時間だろうけれど、田舎を舐めちゃいけない。終電の時間が馬鹿みたいにはやいのだ。
店を出てツカツカ歩き続ける聖を力づくで止める。
「しょ、聖!どこ行くの!」
「ど、どこ行こう!?」
「無計画!」
そんなことだろうとは思った。
十月も半ば過ぎ、もう十一月が目前に迫っている。今夜はコート一枚だと寒い。
お酒を飲んでいると血管が広がって、寒さを感じやすいんだっけ。
『二橋瑞は新本聖がお持ち帰りします』
なんか、じわじわ面白くなってきた。
「あはは!いきなり飛び出すからびっくりした!」
「だって!瑞ちゃんが可愛いこと言うから!」
「言った?」
言った!とそこそこ大きな声で怒られる。酔っているな、これは。
アルコールはこれくらいが気持ち良い。意識はハッキリしたまま、でも身体中の毛細血管がドクンドクンと脈打つ。身体の芯がジンと熱くて、でもちょっとだけ物足りない感じ。
「どうしようか、これから」
「ど、どうしよう」
ヘタレ、と酔いに負けた脳が聖を詰って、そんな自分にまた驚く。
ヘタレ。ヘタレか。
「ヘタレ」
「へ!?」
あ、声に出た。
ゆるく繋いだままだった手を、強く握りなおす。
震えた指先が、じんわりと離れようとする。離してやるもんか、このヘタレ。
「うち、くる?」
私のことが好きなくせに、家に誘えないのだから。ヘタレだ、聖は。
一年生の頃から、話しかける機会なんてたくさんあったでしょ。この、ヘタレ。
私は、聖の好意がわからない。
あの子たちのような神格化とは違う気がする。付き合おうと言った男たちとも違う。マスターのような絡みつく視線でもない。
ひとつわかるのは、その好意が"普通"の友人に向けるものではない、ということ。
「い、い、い、いく!」
聖の瞳の奥には熱があって、私はその正体を知りたいのだと、いま始めて気がついた。
理想の『ハジメ』を押し付けられるわけではない。性的に搾取されるわけではない。友情と恋情を履き違えたわけではない。
でも、聖は私に何かを求めている。
貴女は私になにを求めているの。友だち?被写体?わかんないよ。
そんなことをつらつらと考えながら、アパートの最寄りに向かう電車に乗っていた。
お互い黙っていたけど、手だけは離してやらなかった。
古くもないけど、新しくもない。オートロックはないが、駐輪場と駐車場完備のアパート。三階の角部屋。
母親はオートロックのあるマンションが良いと最後まで言っていたが、候補がどれも大学から遠かったのでやめた。
バストイレ別。自炊はしないけど、ガスコンロは二口。
田舎らしく、家賃の割に部屋は広い。
「どうぞ、なにもないけど」
「お、じゃま、します」
あ、靴の箱積みっぱなしだ。あ、カーテンレールに下着干しっぱなしだ。あ、ベッドに部屋着のTシャツ置きっぱなしだ。
ま、いいか。
「適当に座って」
促して、自分は台所へ。
「すぅーーーーーーはぁーーーーーー」
「え!?なに!?」
なんでもない!と聞こえたが、なんでもないわけがない。なにいまの深呼吸。
コップに氷をつっこむ。ドーナツ屋さんのオマケで貰ったものと、百円均一で買ったプラスチック製のもの。
「すぅーーーーーーはぁーーーーーー」
「ちょ、え、匂い嗅いでる!?やめて!!」
「嗅いでない!」
酔っていらっしゃる。
コップをふたつ手にキッチンから戻ると、ローテーブルの前でカチンコチンになった聖が正座をしていた。
「いや、姿勢良すぎでしょ。楽にしなよ」
「精神統一してるからちょっと待って」
コンビニで買った缶の緑茶ハイを空けて、コップに注ぐ。ツマミはお肌の天敵、ポテトチップス。相方がコーラじゃないだけ良いでしょ。
「ベッドの匂い嗅いで良い?」
「ダメに決まってる」
「御無体な」
いや、ダメに決まってる。
「化粧品見て良い?」
「いいよ」
「やったぁ!」
ゴソゴソと動いて化粧台の前に移動した。真っ先に手にとったのが、マスターからもらった高級品のあいつら。
いいでしょ、うらやましいでしょ、五万円だぞ。
「お風呂入ったら使うかね、聖殿」
「よ、よろしいのか、瑞殿!」
「よかろう、よかろう!拙者、風呂を沸かしてくるなり!」
あ、待って、私も酔ってるわ。
恥ずかしさを押し殺し、お風呂場に向かう。酔っているときに風呂は危険というが、泥酔しているわけでもあるまい。
というか、居酒屋特有の酒と煙草の匂いを纏ったままベッドに入りたくない。
風呂の栓を確認して、自動のボタンをピッと押すだけ。
『湯張りします』
よろしくお願いします。
十分ほどで風呂に入れる、文明の利器。最高。
部屋に戻ると、聖はいまだ熱心に化粧品を見ていた。
「香水……」
「アナスイ」
「嗅いでいい?」
頷くと、速攻で蓋を外した。
それはバーのお客さんからプレゼントしてもらったもの。常連のカワタという男だ。
「う?ん?違う?」
「いつも使ってるのソレじゃないもん。いつものはこっち」
「ティファニーだ!」
母から小瓶でもらったやつを気に入ってから、自分でも買い続けている。ちょっと高いが、消費量が多いわけでもない。
それに。
「かわいい〜」
「だよね〜」
瓶が可愛い。並べておくだけでもテンションが上がる。
「聖のは?甘い匂いするよね」
「気になる?」
「気になる!」
リュックを漁って、小さいスプレーボトルを取り出した。
あのイカついリュックから可愛いものが出てくるの、本当に不思議。
「手首出して」
「ん!」
「ぅゔん!」
いや、発作は香水のあとにして。
悶えたまま、シュッとひとふき。フローラルだけど、甘い香り。甘いけれど、大人っぽい。
「これね、ブルガリ。移し替えてるの」
「ブルガリ!え、こういう形のやつ?」
「そう、こういう形のやつ」
両手で形を作ると、一発で通じた。メビウスの輪みたいな、可愛いけど無駄に芸術的な形をしているやつ。
手首から聖の匂い。でも、聖の匂いじゃない。
「あれ、どうやって開けるの?」
「下の部分もって、上の部分をこうして、引き抜く」
「え、あれ蓋になってるんだ」
手首をスンスン嗅いでいると、膝の上にスプレーボトルがぽとりと落とされた。
「あげる」
「ま?」
「ま」
やったー!
ちょっと待って!と言って、化粧台の引き出しを開ける。ここにあったはず。
あった。
未使用の小さいボトルを取り出して、普段使いの香水を移し替える。百均の可愛くないやつだけど、許して欲しい。
「はい、お返し」
「謹んで頂戴いたします!やったー、瑞ちゃんの香りゲット」
「人によって匂いかわるけどね」
それ、と言って聖が笑うから、私も笑う。
風呂場から愉快な音楽が聞こえた。
『お風呂が沸きました』
お客様からどうぞ、いえいえ家主様から、のやりとりを経て、聖を風呂場に押し込んだ。
買ったはいいけど下ろしていなかった上下セットの下着。ブラのサイズ知らないけど、そんなに体型も変わらないし良いでしょ。上下セットなのにブラジャーだけ手元に残すのもアレだし。
あと、一着しか持っていないスウェット。
ザーザーと聞こえるシャワー音に向かって声を張り上げる。
「しょーちゃーん!タオルとか洗濯機の上に置いておくからー!下着はプレゼントー」
「はぁーい……え!?ゲホッ、ゲホッ」
「ちょ、大丈夫!?」
なんかむせる音したけど。
「な、なんでもな……は、は、瑞ちゃん!」
「なに?ゴキブリ?」
「ちが、ちがう!」
ガララ、と扉があいて、ずぶ濡れの聖が顔を出した。
「これ!」
「しゃんぷー」
「一万円くらいするやつ!!」
一万円はしない。八千円くらい。トリートメントも同じくらいする。
「高級ヘアケアセット、存分に堪能したまえ」
「やったー!ちなみに私のは四千えーん!」
「ふふ、酔ってる」
陽気に戻っていった。
思春期の頃、肌や体型をおいてなによりも髪質の変化に苦労した。変なうねりは出るわ、毛根が貧弱だわ。
だから、髪だけはぜったいに妥協しない。
高ければ良いというものでもないから、面倒なのだ。
マスターから貰った試供品は、いま使っているものよりもずっと高かった。けれど、残念ながら髪質が合わず、レギュラー入り出来なかった過去もある。
水音をBGMに緑茶ハイを飲みすすめる。スマートフォンが震えた。メッセージの表示は晃太郎。
『ハジメ、いまどこ?』
『いえ』
『盗撮魔ちゃんと二軒目じゃねーの?』
『お持ち帰りした』
「おっと……もしもし?」
『なにごと!?』
「いや、晃太こそ何事?なに?飲み会終わったの?」
背後でガヤガヤ。うわ、誰か吐いてる音がするんですけど。
『座敷で吐いたやついてさー。店に居づらくなったから別のとこ行こうぜーってなって。んで、ハジメたちと合流するー?みたいな流れになったんだけど』
「最悪じゃん。私が店員ならそいつブン殴るわ」
『で、マジで家?』
立ち上がってバスルームに近づく。音、聴こえるかな。
「瑞ちゃーん、ドライヤー借りていいー?」
「いいよー。アイロンも使って良いよー」
『は!?マジで家!?』
「うん。だからお持ち帰りしたって言ったじゃん。と言うことで、合流は諦めて」
晃太郎の返事は聞かず、通話をぶった切った。
座敷で吐くとか、うわぁ……
……さ、私もお風呂入ろう。
「わ、聖、スウェット似合わな」
「あ、うん、知ってた。というか下着、あの、サイズぴったりなんだけど」
「それは良かった。あげる」
ピッタリと言うことはアンダーもトップも同じと言うこと。良かった、ブラだけ残されることがなくて。
自分の下着と部屋着のTシャツを洗濯機の上に置いて、髪を拭いている聖にヘアオイルを渡す。使うならどうぞ。
シャツのボタンをはず……
「ちょ、ちょ、ま!瑞ちゃんストップ!」
「なに?」
「脱ぐ?」
何言ってるの、この人。
「脱がなきゃお風呂入れないんだけど」
「ソウデスネ」
「あはは!いいよ、べつに、見ても」
自分はシャワー中に扉開けたくせに、私が脱ぐのは気にする。
「中学生男子かな?」
「……心臓がとまりかねないので、ダッシュで脱いでお風呂場にいってくださいぃ……」
耳まで真っ赤にした聖が可哀想だったので、ご要望通りダッシュで脱いでお風呂場に入った。あ、脱いだ下着おきっぱなしだ。
今度はドライヤーの音をBGMに思う。
そこまで意識されると、こっちのほうが恥ずかしいから。




