彼はあたしの中に猫を見ない
今まで、あたしが猫に見えてた事がない。
そのような事を高田君は仰った。至極真面目な表情で。
それは、『実は犬に見えてたんだよ~』とか或いは『俺にはトカゲにしか見えなかった』とか、そういう意味じゃない。
だって彼は『にゃん』ではないあたしの名前を、『宮野あかり』っていうあたしの本名を口にした。
それって……、高田君の目には、あたしはずっと人間として見えてたって事?
「ええええーーーーっ!?」
いやいやちょっと待って!それってつまり、今まで高田君に散々抱っこされたり、毛皮スンスンされたりもふもふされたり…………。
ええええーーーーっ!?
ショックのあまり放心状態のあたしの腕を掴み、高田君はあたしを後ろに庇った。
「その話は後だ」
彼の緊迫した声に、あたしは漸く我に返った。
うん、確かに今はそんな場合じゃない。ていうか、考えたくない。現実逃避万歳だよ。
とはいえ、もう一つの現実も逃避したくなる状況だった。
眩しい閃光から立ち直った師団長が、まだチカチカしてるのかなーーー目を細めてこちらを睨みつけ、剣を構え直した。
雄叫びをあげ、上段から襲いかかるおっさんの剣を高田君はギリギリのところで受け止める。
けど、それだけだ。
軍人が鍛えあげた筋肉で振るう剣を高田君は受け止めるのがやっとで、跳ね除ける事ができない。
玉のような汗が彼の額に滲み、おっさんはニヤリと嘲笑った。
ハッとした。
あたしは……、あたしは彼を助けに来たのに、彼の後ろで何やってるんだ?
もう猫じゃないんだから。
あたしにだって出来る事がある!
身体がふわりと浮かびあがった。
おっさんがあたしに気を取られ、一瞬力が抜けた隙に高田君は体勢を立て直す。
宙に浮けば、足元の悪さは関係無い。
円を描くようにおっさんの後ろに回り込んだ。腰を屈めて拳大の瓦礫を拾い集め、腕に抱える。
あんまり大きすぎると投げられないからね。
それから少し考えて、ちょっとだけ高田君の方に戻った。
おっさんの真後ろから投げて高田君に当たっちゃったら大変だもん。
コントロール?何それ美味しいの?
片腕に抱えた瓦礫を見て意図を察したんだろう。おっさんの額に青筋が浮く。
あたしは構わずにおっさんに向かって投げつけた。
今までの恨みを思いしれ!
小汚い、って罵ったことはゼスさんに免じて忘れてやってもいいけどさ。
瓦礫は結構重く、ムカつく事にあたしが投げてもヒョロヒョロとしか飛ばない。
でもゴツゴツと音を立てて腹や足にぶつかる瓦礫はおっさんを苛立たせ、気を逸らせるには充分だった。
ていうか全力で投げてこの程度なら、おっさんの後ろから投げても全然OKだったよ。
あたしがおっさんに怒りという名の瓦礫をぶつけている間に、高田君はジリジリとおっさんの剣を押し戻しつつあった。
だけど腕の中の瓦礫はあっという間に無くなり、あたしはまたしゃがんで拾い始める。
正直油断してた。おっさんが身動き取れないと思い込んでて。
もっと警戒しながら拾うべきだった。
あたしがうつ向き、視線が外れたと見るや、おっさんは剣に込めた力はそのままに身体を捻り、さっきぶつけられて足元に転がったままの瓦礫を蹴り飛ばした。あたしに向かって。
下を向いてたあたしはのんきな事に全く気づいてなくて、おっさんの動きでそれに気づいた高田君が咄嗟に、宮野!と叫び、剣を投げ出して手を伸ばす。
支えていた彼の剣がなくなった事で、おっさんの剣はその勢いのまま高田君の左腕を掠めた。
ぐぅっ!と喉の奥でくぐもった声をあげる高田君。
高田君に呼ばれてハッと顔をあげたあたしの目の前で、飛んできた瓦礫が何かにぶつかり、足元に落ちた。
「間に合ったかっ!?」
懐かしい声が聞こえた。
同時に誰かが窓から入ってくる。
この声はユトさんだ。
「大丈夫か、タカダ。よく持ちこたえたな」
この声はゼスさん。
ユトさんが高田君に駆け寄り腕の傷を診ている間に、ゼスさんは師団長を拘束した。あっという間の早業で。
「お前、相当往生際が悪いからな。もう逃げられないようにさせて貰う」
ゼスさんは言葉と同時におっさんを転がし、手足を押さえつけ逆方向へねじ曲げた。
おっさんは苦痛の声を漏らす。
「両肩の関節と両方の股関節を外した。大人しくしてりゃあ、また後ではめてやるさ」
ひぃっ!ゼスさん、怖えぇです。
ユトさんは高田君の傷口を見て顔をしかめている。
「結構パックリいってるな。止血だけして、すぐに戻った方がいい」
大丈夫なのかな。あたしが油断したせいだよ。ホントにあたしってここぞって時に役に立たず、失敗ばかりだ。
ユトさんは服の袖を破いて傷口の上部を縛り、彼が落とした剣を拾ってきた。
そして。
「にゃん!無事だったか」
ユトさんがあたしを振り向く。
「結界が間に合ってよかった」
ああ、あの瓦礫があたしの手前で落ちたのは、ユトさんの結界のお陰だったんだね………じゃなくて『にゃん』!?
ここに至って初めて、あたしは慌てて自分を見おろした。
……猫だし。
……いつもの、肉球もプリチーなもふもふアイドルだし。
あたしは困って高田君を見上げた。
ねぇ、あたしさっきまで確かに人間だったよね?
そう言ったつもりのあたしの言葉は、やっぱりにゃあにゃあとしか聞こえなかった。
「どうした?にゃん。怖かったのか?怪我してないよな?」
不安気に鳴くあたしを見てユトさんが心配してくれるけど、それどころじゃない。
さっきのは何だったんだろう。あたしの気のせい?
でも高田君も確かにーーー。
「とにかく、先ずはここを出よう。いつまでも居られる場所じゃない」
ユトさんの号令でみんな窓際へ移動する。
そこにはなんと黒い馬がいた。
「元魔王サマが俺たちを迎えにきてくれたんだ。さっきこの辺りが一瞬、物凄く光ったから場所を探してたんだけど、迎えにきてもらえて助かった」
と、ユトさん。
そうかそうか。いつの間にか姿が消えたと思ってたら、ちゃんと働いてたのか。
そしてエンジェルちゃんたちもいました。
ユトさんとゼスさんはエンジェルちゃんズに運ばれてきたらしい。
元魔王サマに乗せてもらうなんて畏れ多いのだって。
馬に跨がった高田君は身を乗りだし、あたしに右手を差し出した。
あたしは躊躇する。
左腕が痛そうだってのもあるし、彼のあの言葉。あたしが猫に見えてた事なんてない、って言ってたアレ。
もし今もそうなら、回りには猫を抱っこしてるとしか思われなくても、高田君にとっては人間のあたしを抱っこしてる、って事じゃないの?
躊躇うあたしに目を止めたユトさんが、にゃんは俺と行くか?、って声をかけてくれた。
でもそれも高田君からは、人間のあたしがユトさんに抱っこされてるように見えるんじゃないの?
そういえば、ユトさんやソルハさん、ゼスさんがあたしを抱っこするたびに凄い勢いで取り戻しに来てたのは、まさかそういう事だったのーーっ!?
今更ながら頭に血が上る。
猫だから赤くなっても誰にも気づかれないけどね。
……いや、高田君にはバレバレなのか!?
ああ、あたしもう独りになりたいよ。
けど、猫に戻ってしまったあたしは、もう飛ぶことはできなかった。
迎えに来てくれたエンジェルちゃんズはユトさん・ゼスさんとおっさんを運ぶので手一杯だ。
高田君はまだ辛抱強く手をさしのべてくれている。
不安げな面持ちで。
あたしはにゃあ!と。
乗せて!と鳴いて高田君の右腕に飛びついた。
ポスンと彼の足の間に収まる。
彼はホッとしたように、目を細め微笑った。
もう、猫でも人間でもいいや。彼と一緒にいたい。
避難所に着くまでの僅かな時間、彼と話をした。
あたしがにゃあにゃあ鳴いてた声は、全部日本語で聞こえてたんだって。
てことは、あたしが独り言のつもりで喋ってた事まで全部!?
もう恥ずかしくてやってられないよ。
高田君には、最初からあたしが『宮野あかり』に見えていた。
だから初めは皆が自分を揶揄ってるのかと思ったそうだ。
だけど、そんなことあり得ないよね。何より安藤さんもあたしを猫だって信じてる。
次に、自分が幻覚を視てるんじゃないか、と疑った。
だけど彼は一緒に旅してるうちに、あたしが猫の身体でトリップしてきた、と結論づけたらしい。
どうしてそう思ったのか、までは聞けなかった。避難所に着いたから。
お城は王都を見下ろす小高い丘の上にあって、そのなだらかな丘陵の王都寄りの所に避難所が作られていた。
あちこちから寄せ集めてきたような不揃いなテントが並んでいる。
その中の1つでは、安藤さんが大変な事になっていた。ソルハさんにすがってボロボロ泣いていて、………逆だった。泣きながらあたしたちの元に向かおうとする安藤さんを、ソルハさんが必死に宥めていた。
安藤さんはあたしと高田君を見るなり、にゃんんんーーーっ!まごぢゃんんんーーーっ!!と駆け寄ってきて、思いきり抱きついた。高田君は左腕を庇いながら、まこちゃん言うな、ってボソリとこぼしていた。
あたしは高田君の名前も知らないんだな、って思った。
なんだか心が重い。
お城にいた人たちは全員避難出来たって話だった。
但し重症者が三名。内一人は赤い上衣の騎士さんだ。
でも意識ははっきりしていると聞いた。それ以上の事は今は分からない。
骨折や強度の打撲は数十名。
軽度の怪我に至っては数えきれない程。
避難所内に設置されたその仮設の診療所で高田君も治療してもらった。
城に通いで勤めていた人達は、支障がなければ一旦帰ってもいいことになった。
住み込みだった人達と、ユトさんに味方してくれた軍人さんや騎士さんたちは、街の人たちが差し入れてくれた食料を食べて、交代で仮眠を取り事後処理に当たるのだそうだ。お風呂も街の銭湯を貸しきりにしたから、順番に入っていいんだって。みんなドロドロだったからホッとしてた。
あたしたちも同じように差し入れの食料を食べ、銭湯は混んでて時間がかかるからって理由で、街の人たちが勇者様御一行にと提供してくれた民家のお風呂をありがたく順番に使わせて貰い、さっぱりしたところで、お城の大広間で別れてからの事をお互いに報告しあった。
男チームの話は何故か、あのときゼスはこんなだったぞ、とか、ユト殿はこんなでしたねぇ、とかお互いがどんなだったかの突つき合いみたいな報告になってて、まるであたしや安藤さんもその場にいたかのように、臨場感たっぷりなものになった。
高田君が後宮に残った時にユトさんに指示されたのは、救出した女性たちを無事に避難させるための方法。
ユトさんが言うには、魔物は最悪。
うん、分かる。みんな気絶しちゃうよね。
だから女性たちが怖がらないような可愛い見かけで、空を飛べるのは必須。しかも虫系や鳥系はダメって、……ユトさん細か過ぎっす。
虫嫌いな人も多いし、鳥は足の鱗っぽいとこを嫌がる女性が割りと多いって事らしい。
それで困った高田君が作ったのが、あのエンジェルちゃんたちなのだそうだ。
それしか思いつかなかった、と彼は言ったけど、思いついただけ大したもんだよ。
あたしたち側の話は、安藤さんがサクサクッと終わらせてくれた。あたしはまた猫になっちゃったからね。
赤い上衣の騎士さん……カインさんについては最上級のベタ誉めだったけど、もちろんあたしに否やはない。
彼は実は騎士さんではなく、正確には『騎士見習い』さんだったらしい。制服をよく見れば違うんだって。
あたしたちにはそんなの分からないし、関係もないけどね。
言えるのは、あの騎士さんたちはみんなとても素晴らしい人たちで、中でもカインさんには言葉にできない位とても感謝してるって事だよ。
それからは、また男チームの話に戻った。
女性たちを救出し、師団長たちを確保して避難所に着いた彼らは、あたしたちがまだ避難していない事に愕然としたらしかった。
うまく切れず中途半端になってしまったので、続きは今晩か遅くとも明日には……。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。




