聖女の条件 «後編»
安藤さんが、にゃあんんんーーっ!?って叫ぶ声が遠ざかる。
窓の縁ギリギリの所にいたから、さっきあたしが肩を蹴ったときに落ちたんだ。
わざとじゃないけど、でもごめんね。
エンジェルちゃんたちに連れられて強制退場になっちゃったけど、きっとそのまま避難所まで無事に連れてってもらえる筈。
ちゃんと安藤さんを守れたぞっ!
あたしは心の中でガッツポーズを決めた。
「くぉのぉぉぉーーーっ!!」
次の瞬間、あたしのお腹に野太い声が響き、大きな手の指がギリリと頭に食い込んだ。
ベリッと引き剥がされ、投げられる。鈍い音をたてて背中から何かにぶつかり、一瞬息が止まった。
痛みは後からやって来た。
目を眇め、痛みを堪えるあたしに男が近づく。
ていうか、あれ?よく見たらこいつ、もしかして近衛師団長のおっさん?
服に見覚えがあるし、顔もどっかで見たような。
国王と一緒に後宮へ逃げて、ゼスさんが追っかけて、みんなが後を追ったんだよね。
なんでこんなとこにいるの?
それに、そう!そもそも高田君はどうしてここに?
今更のような疑問がいっぱい。
そんな場合じゃないって事は分かってるんだけど。
「このくそ猫がぁぁーっ!」
あたしがほんの少し呆けてた隙に、キズだらけの顔の師団長が剣を構え、突進してきた。
いやいや、ちょっと待って!あたしまだ痛くて動けないんだからっ!
距離なんて殆どない。血走った目のおっさんが剣を振り下ろす。
あたしは恐怖に目をギュッと瞑って、身体を固くした。
ガキーン!!
顔のすぐ近くで甲高い金属音がして、ヒュッと息をのむ。
痛みが無いことに気づいて瞑った目をそっと開けると、高田君がいつも背負ってる剣を抜き、あたしを背に庇っておっさんと睨みあっていた。
高田君!
高田君高田君!!
あたしは動転して大声で彼の名を叫んだ。もちろんにゃあにゃあとしか聞こえないけどねっ!
そしたら彼は、おっさんから目を逸らさず、無事か?、とだけ口にした。
無事だよ!無事だけどっ!
高田君が剣を向けてる相手は人間だよ!?魔物じゃないんだよ?
高田君はそんなことしちゃダメだ、と必死でにゃあにゃあ鳴く。
「心配するな、お前が無事ならそれでいい」
……なんだか時々、まるで言葉が通じてるんじゃないか、って錯覚しそうになるんだけど。
思わず黙り込んで彼を見上げると、彼はその剣に魔物退治の時のような光を纏わせていた。
「怪我してないか?俺の肩に掴まれるか?」
こちらを向かずに問う彼。
あたしはモゾモゾと動いてみた。背中はズキズキするけど動けない程じゃない。
大丈夫!と一声鳴き、助走をつけて背中から飛びついた。
よじ登り肩にしがみつくあたしに視線を向ける事もなく、しっかり掴まってろ、と彼は呟いた。
この戦いはとてつもなく高田君に不利だった。
師団長は軍人だから当然剣の扱いに長けている。人間相手に剣を奮う事にも躊躇はない。
だけど高田君は違うもの。
あたしに出来るのは、高田君の邪魔にならないようにしっかりここにしがみついてる事。そしてもし高田君に万が一の事が起こるなら……。
安藤さんの時のように、あたしは何度だってこいつの顔を掻き毟ってやるんだ。
鼻息荒く彼にひっついていると、高田君はおっさんに剣を向けたまま、ジリジリと右へ移動し始めた。多分窓に向かって。けど足元が悪すぎるし、おっさんからは目が離せないしで進むに進めない。
高田君の代わりに、あたしはキョロキョロと部屋の様子を窺った。
気が合うのか、窓の外では黒い馬も中の様子を窺っている……ていうか、え!?まさか中に入ろうとしてんの?
それはダメでしょ!あんた入ってきたら絶対そこら中破壊するくせにっ!これ以上城を壊してどうすんだっ!くんなーっ!
あたしの心の叫びが通じたのか奴は少し後退し、不満げにブルルと鼻を鳴らした。
馬を撃退したあたしの視線は、次に部屋の隅へ。
そこには、おっさんと共に現れたヒョロ男が座り込んでいる。
でも何でだろ、ヒョロ男は動く気力もなさそうだ。それに顔が腫れてる?
あたしがヒョロ男を観察している時、高田君はおっさんとの距離を計りながら、安定した足場を探していたようだった。
足で探って漸く見つけたそこを踏みしめ、彼は構えた剣を横凪ぎに払う。
刀身に巻きついていた金の光が放たれ、おっさんの足元がバリバリと音を立て焼けた。
慌てて足を引くおっさん。
その一瞬を見逃さず、高田君は窓に向かって瓦礫を踏んだ。
と、同時に窓からゾワゾワと魔物が侵入してくる。
馬がやったのかな?それとも高田君が指示した?
あたしのすぐ脇を通りすぎる魔物たちは相変わらずグロい。思わず身震いして高田君にしがみついたら、彼はおっさんから目を離さないまま、剣を握っていない左手でポンポンと宥めるように頭を叩いてくれた。
お世話かけてすみません。怖くないのはわかってるんだけどね、気持ち悪くて……って言ったら怒る?
魔物のうち数体は、目を剥き騒ぐヒョロ男を無理矢理抱え、窓から飛び出した。
残りの魔物はおっさんに向かっていき、あたしはこれで終わりだ、と思った。
さっきのヒョロ男のようにおっさんは魔物が抱えて連れていってくれる。あたしたちもここを脱け出して、それで終わりだと。
甘かったね。うん、甘かった。
おっさんは腐っても軍人の長だったよ。
ゼスさんがいとも簡単に押さえつけてたもんだから、おっさんは弱いんだって思い込んじゃってた。
おっさんの振るう剣で魔物はたちまち数を減らしていく。
窓際まで来ていた高田くんは、あとを魔物に任せて、あたしと脱出するつもりだったんだと思う。
けど、一瞬で消えた魔物たちを見て、残った魔物たちを見て、考えを変えたのかもしれない。
肩にしがみつくあたしを高田くんは左手で引き剥がし、窓際に寄っていた馬の背に乗せた。
待って!待ってまって!怖いんだよ、この馬。でかいし、ツルツルするし、まさかこれで空を飛ぶの!?落ちる自信しかないんですけど!それに高田君はどうすんの!?
毛を逆立ててにゃーにゃー訴えるあたしに、彼は言った。
「いいか、こいつは絶対にお前を落とさない。絶対に、だ!だから心配するな」
いつかも聞いたよ、その言葉。
あれは、魔王城だった?
思い出した記憶に思考が途切れ、一瞬抵抗が止んだ。
その隙に奴が空を蹴り、駆け出す。
あたしは鬣に前肢を絡め、必死になって振り返った。
魔物を跳ね退けたおっさんが、高田君に襲いかかり、彼がそれを剣で受け止める。
馬はある程度距離を取って、城の反対側へ向かおうとしているようだ。
窓が遠ざかる。
もう見えなくなっちゃう!
凝視するあたしの前で高田君の剣が弾き飛ばされ、彼は倒れて窓枠の下に沈んだ。
おっさんが剣を振りおろす。
戻って!!戻ってよっ!戻れぇぇーっ!
あたしは馬に向かって叫んだ。
あんたは今見てなかったかもしれないけど、あたしは見てた!
高田君が危ないんだよ!早く助けにいかなきゃ!!
あたしが必死で叫ぶのに、馬は知らんぷりだった。
なんで?なんで戻らないの?
あたしの言うことなんて聞きゃしない奴は尚一層スピードを上げ、その背であたしは身悶えする。
間に合わない、このままじゃ間に合わないよっ!
高田君をっ!彼を助けなきゃっ!
今戻らなくちゃ、絶対に!
彼を見捨てるなんて、許さないっ!
身体がフワリと浮いた。奴の背に掴まったまま。
あたしの視界に映るのは鬣を掴む手。
肉球のついた猫の前肢じゃない、人間の手だ。
異変を感じたのか奴が止まり、振り返った。
ふわふわと浮くあたしの身体は仄かに発光して、ちゃんと足もあるし服も着ている。病院で着てた寝間着のまま、ってのが間抜けだけど。
でも人間に、……人の姿に戻ってる。
あたしには手もある。足もある。
何でかわかんないけど空を飛んでる。
高田君を助けに行ける!!
あたしはさっき出てきた、崩れかけた城を見た。
中に居るときはただ傾いてるとしかわからなかったその城は、外から見るとまるでホールケーキを床にべちょりと落としたように、土台部分が潰れ全体が斜めに歪んでいた。
あんな危険な場所をあたしたちは今までさ迷っていて、そんな場所に彼は助けに来てくれたんだ。
今度はあたしが助けに行く!
絶対助けるから!
飛び方なんて知らない。
だけど、城の方に意識を向ければ、そちらに向かって身体が動いた。
歩くでもなく走るでもない、不思議な感覚。
早く、もっと早く!
逸る気持ちのまま、城に向かって飛ぶ。どんどんスピードは加速する。
城がまた大きく揺れ動いた。
あたしは大声で、高田君!と叫びながら、さっきの部屋へ頭から飛び込んでいった。
瓦礫に足をかけ、剣を構えたまま振り返り、凍り付いたようにあたしを見る近衛師団長のおっさん。
その前に対峙する高田君も似たり寄ったりの表情だ。
手には弾き飛ばされた筈の剣を握り、さっきはまだ数匹残っていた魔物は一匹も残っていなかった。
そしてよく見れば彼は左足が瓦礫の隙間に挟まっていて、身動きがとれなくなっているみたいだった。
よかった、間に合った。
ホッとするあたしに向かって、おっさんが怒鳴った。
「何者だ!?貴様はっ!」
「うるさいわっ!よくも今まで好き放題してくれたねっ」
可愛いもふもふアイドルを投げたり、剣で追いかけたりさ。
安藤さんや高田君にしたことも忘れてないよ!
ぶち切れた女子高生なめんな。
あたしにはもう猫の爪はないけど、人間の爪だって相当痛いよ!前に痴漢が涙目になってたんだからね。
あたしが精一杯威嚇しながらおっさんを睨んだ時、高田君が声を張り上げた。
「ばか!お前なんで戻ってきたっ!」
「なんでって…?高田君が危ないと思って…」
あれあれ?あたし今人間だよね?
高田君、今「戻ってきた」って言った?
彼にはあたしがまだ猫に見えてる?
けどあたしには考えてる暇はなかった。
動けない高田君が、焦れたように瓦礫から足を引き抜こうとして、おっさんはそれを見逃さず切りかかっていく。
あたしは無我夢中で二人の間に突っ込んでいた。
光が溢れた。
ほんの一瞬だったけど、あたしを取り巻く光が爆発的に輝き、直視したおっさんは喚きながら剣を持たない方の腕で眼を庇う。
あたしは本能か?咄嗟に目を瞑っていたので無事だった。
高田君は下を向いていたから、おっさんよりはマシなようだったけど、唸りながらやっぱり腕で目を覆っていた。
夢中だったんだよ。意識してやった訳じゃないから、予告もできなかったんだよ。謝ってばっかだけど、なんかもうホントにごめん!
でも今のうちだ!
あたしは高田君の方へふわりと飛び、その足元の瓦礫をゴロゴロと転がし、持ち上げ退かしていった。
ああ、手が使えるって凄いね。素晴らしいね。
ちょっと力仕事だったけど、あっという間に彼の足を無事救出できた。
達成感で満面の笑みを浮かべ高田君を見上げると、あれれ?
何故かそこには憤怒の表情の高田君が……。
彼は左手であたしの手を取り、立たせるとグッと腰を引き寄せた。
え!?ちょっとなんか近いっ!
焦るあたしに、彼は言った。
「なんで戻ってきた!」
それ、さっきも言ってた。こっちがなんでって言いたい。あたし今、人間だよね?
「あたしが……、誰か分かってるの?」
そう訊くと、彼は微妙に首を傾げた。
「にやん……。いや、宮野…。宮野あかり」
「えええーーっ!なんであたしのフルネーム知ってるの!?安藤さんは、みゃんちゃん、としか言ってないのに!
それになんであたしだってわかるの?あたし今猫じゃない、よね?」
言いながらもう一度自分の身体を見下ろした。
うん。やっぱり人間だよ。
そしたら高田君は、あたしの目を見て怒ったようにこう言った。
「俺には、お前が猫に見えてた事なんて、一度もない!」
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




