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聖女の条件 «前編»

あたしは怖い。


平和な日本で、真綿にくるまれたようにふわふわと暮らしてきたあたしは、こんなにも生々しく痛い思いを、辛い思いを目の当たりにするのが怖い。

それこそ足が震えるほどに。


でもそれ以上に、誰かが痛い目に、辛い目にあってるのを見過ごす自分が嫌いだ。


あたしなんか聖女さまになれる器じゃなかった、って事は今自覚した。

だけどね、もうわかったから。

こんなあたしだけど、あたしは自分を嫌いになりたくないし、何よりあの親切で優しい元気な騎士さんを無事に助けたいよ。


怖いからって立ち竦んでたらダメだ。

ただの猫だから無理、だなんてもう言わない。

あの騎士さんを助けるためには今動かなきゃ!今度こそ動け、あたし!




あたしは女の人の腕の中でじたばた暴れた。

猫の手も借りたいっていうでしょ!

近くまで行ってみたら、何か出来ることもあるかもしれない。

怖いけど、がんばるから。

だから、はーなーしーてーっ!


がむしゃらに暴れたら、一層強くホールドされてしまった。

苦しい。

あたし今まで脱け出し放題だったけど、あれ甘やかされてたんだな。


がっくりしたあたしは作戦を変えてみた。

前肢で騎士さんや安藤さんの方を指し、にゃあにゃあと訴える。

あっちに行きたいんだよ、あたしも助けに行きたいんだよ。


「……向こうに行きたいんじゃないか?」

そうだよ!わかってるじゃん、誰だか知らないけど。


女の人は困ったように言う。

「でも聖女さまに頼まれたもの」

そうだったね!確かに安藤さん、来るなって言ってたね!

でもどうしよう、じゃあどうしたらいい?

結局あたしは何もできないの?

「!?」

その時、女の人の手がビクリと震えた。

力が緩み、その隙にあたしは腕からシュルンと抜け出す。

なに?何があったの?


見上げると、女の人も他の人も呆然とあたしを見てて、あたしはあたしを取り巻く淡い金の光に気づいた。


振り向けば、倒れた壁のところで不安定な姿勢で、悪戦苦闘している安藤さんの身体も仄かに白く光っている。

それはとても淡い光で、安藤さんもその近くの騎士さんたちも気づいていない。


離れた所にいるあたしたちには、ぼんやり見えるっていう程度の。


その光はやわやわと全てを包むように拡がり、あたしの金の光を捲き込み、埃が渦巻く室内にほんのりと満ち、壊れた窓から外へあふれだした。


浄化の光とはまた違うこの光が何なのか、あたしにはわからない。もしかしたら安藤さん自身も知らないのかも。

今だってまだ何も気づかず、懸命に救出作業を続けている。



安藤さんは、回復の力はない、って言った。

確かに光を浴びても、みんなの怪我が治った様子はない。


だけど、この光はみんなの心に間違いなく何かをもたらしていた。



文官の男性が一人立ち上がった。

「聖女さまじゃ、力が足りないだろ。俺も行く」

それを皮切りに、次々と壁へ向かう男性の文官さんたち。

そして倒れた壁の方から、指が動いたぞーっ!と叫ぶ声が聞こえた。

どよめきがあがり、また女性を含めた数人が立ち上がる。

あっという間に壁の回りに集う人数の方が多くなって、あたしたちの横に最後まで残ってくれてた騎士さんは諦め半分喜び半分の顔で、我々もあちらに向かいましょう、と言った。


あたしを預けられた文官さんは安堵のため息をついた。

彼女も早く壁の方へ行って、救出活動を手伝いたがってたのは素振りでわかってた。

けど、安藤さんに……聖女さまに直接あたしを頼まれてしまったから動けなかったんだ。

彼女はもう一度あたしを抱っこしようとして躊躇した。

今はもう光ってないけど、聖女さまならともかく光る猫なんてやっぱり気持ち悪いのかもね。


あたしなら大丈夫。危ないことはしないし、ちゃんとついていくから。

だから早く、一人でも多く手を貸して赤い上衣の騎士さんを助けてあげて。


あたしがジッと彼女を見つめ、クイクイと前肢で向こうを示すと、多分通じたのかな。

彼女は小さく頷き、みんなのあとを追った。

あたしもその後ろについてそっちへ向かい、崩れ落ちた壁を越えたところでふと何かの気配を感じて窓を見上げた。窓といってももうガラスも枠もない只の穴だったけど。

そして窓の外から大挙して押し寄せたそれを見て、あたしはポカンと口を開けたのだった。





天使、エンジェル、色んな呼び名があって色んな姿で知られているその存在は、いったい何体いるんだろう。数えきれない程の数が今、あたしたちの目の前でふわふわと、昔ながらの名画を彷彿させる姿で飛び交っていた。


うん、いわゆる金髪クルクル巻き毛の愛らしい赤ちゃんの背中に羽根が生えた姿ですね。



気づいた人は、あたしと同じようにポカンと口をあけて見上げてたけど、大半の人は気づいてなかった。壁を持ち上げて、下敷きになってる騎士さんを引き摺り出そうとしてたんだけど、足場が斜めで不安定な上に、何処か引っ掛かってるのか腕を引っ張っても全然身体が動かなくて、みんな必死になってたから。




この国の宗教観はあたしたちの世界とは全く違う。

旅の途中ソルハさんが分かりやすい言葉で色々教えてくれたその中に、天使が出てきたことはない。

大天使といわれるミカエルやその他の天使たち、堕天使ルシファー的な存在でさえ。

そもそも地獄っていう概念すらない。近いものは魔界になるのかな。魔王はそこから来ると思われている。

そんな世界だから、ましてやこんなチビ天使なんて想像された事もない筈。

この国にもし『天使』的な者がいるとしたらそれは『神の御使い』、つまり聖女や勇者の事だ。




エンジェルたちを見たときあたしには、彼が来てくれたんだ、ってすぐにわかった。

だってこのエンジェルたちは、あたしたちの世界のものだ。

こんなことができる人なんて、他に知らない。


来てくれた。助けに来てくれた!

あたしの中に、歓喜がグルグルと渦巻く。



だから。

壊れた窓の向こうに、エンジェルたちに続いて黒い馬に跨がった高田君が現れたとき、あたしは不覚にも涙をこぼしてしまった。


これでもう大丈夫。きっと大丈夫。



なんだろう、この絶対的な安心感はーーー。






この部屋は大広間とかではなく、ちょっと大きめの普通の部屋で、だから窓のサイズも普通サイズだった。

崩れているとはいえ、奴がそのまま入るには小さ過ぎる。


高田君は奴を窓際まで寄せ、崩れた外壁を掴み、奴から飛び降りて室内に侵入した。この時にはさすがにもうみんなエンジェルたちに気づいて呆気に取られていた。

ふわふわ、ふわふわと飛び交うたくさんのエンジェルちゃんたち。


天使の概念がない世界で、赤ちゃんに羽根が生えて空を飛んでるのはシュールだよね。

それを言ったら奴の存在も、それこそあたしや安藤さん(せいじょ)高田君(ゆうしゃ)だってそうなんだけどさ。



高田君は驚く人々には構わず室内を見渡し、みんなが手をかけている倒れた壁と、その下から覗く血の気の失せた腕に目を止めた。


「みんな下がって!」

高田君の声に、彼らは一斉に手を引く。

その声には何か逆らえないものがあった。命令?号令?しなれてる、って感じの。


みんなが息をのみ見守る中、20体程のエンジェルたちが壁を取り囲み持ち上げていく。


なにこれ、小さい身体で凄い力持ちだ。


下に人が潜り込めるだけの隙間ができたとき、騎士さんの一人が中に頭を突っ込んだ。

「意識が、ある……っ!」

聞こえてきた声にみんなが歓声をあげる。

もう大丈夫だからな、あと少し頑張れ、と彼の耳元で励ます声が小さく聞こえた。

別の騎士さんが、少し離れた所に転がっていたクローゼットのドアとおぼしきものを、鞘のままの剣で叩き割って運んでくる。



エンジェルたちの手によってゆっくりと運び出された騎士さんは、担架がわりにそこに寝かされ、エンジェルたちに支えられて窓からふわふわと避難所へ向かっていった。


良かった。これでもう、きっと大丈夫だ。


高田君は運ばれていく騎士さんを見届け、まず安藤さんを探した。

小さく手を振る安藤さんに、怪我はないか?と尋ね、次には……恐らくあたしを探してくれた。

定位置の安藤さんの所にいなかったからね。

そしてすぐにあたしを見つけ、ホッとしたように微笑んで手を伸ばしてくれたんだけど、あたしは逃げちゃった。


だってさっき、うっかり泣いちゃったからさ。まだ目が潤んでると思うんだよ。高田君を見て泣いちゃった、なんて照れ臭いじゃない?


あたしがスススッて逃げたもんだから、高田君はちょっと目を瞬かせたんだけど、避難するのが先だと判断したんだろう。

テキパキと文官さんたちに声をかけ先ず女性たちを、そのあとは男性陣を順番に窓際へ誘導していった。


「空から避難します。すぐに着きますが、怖ければ目を瞑っていて下さい」

そんな風に声をかけられ、口々にお礼を言いながら、二体のエンジェルに両脇を抱えられて窓から翔び立って行く人達。

助かった喜びを噛み締めてる人、好奇心を隠せない人、ギュッと目を瞑った人など様々だった。


エンジェルたちはたくさんいたから、全員が窓から出ていくのに然程時間はかからない。

その僅かな時間、安藤さんは放心したように座り込んでいて、あたしはあたしで平常心に戻るために、心の中で『春はあけぼの』を唱えていた。

中学で暗記させられたんだよ。本当は般若心経とかがいいんだろうけど、最初の一行しか覚えてないんだ。あたしが読んだ漫画にはそこまでしか載ってなかったから。



文官さんたちがみんな窓から飛び立って行って、最後まで残ると言い張った三人の騎士さんたちも無理矢理高田君に送り出されたあと、安藤さんは立ち上がり、笑顔であたしに手を差し延べた。

「さあ、にゃん。私たちも行こう」

もちろん全力で駆け寄りましたとも。






あたしはもう、あたしをこの世界に連れてきたのはこの世界の神様だと確信している。

この世界の、この国の神様はサプライズや悪戯が大好きだ。

『神の祝福』なんてものを授けてみたり、聖女さまや勇者さまを召喚させて色々な能力を与えてみたり。

……あたしを猫に変えてみたりねっ!




だけど、だけどね。

これはちょっと意地悪が過ぎるんじゃないかな。




安藤さんがあたしに手を差し延べて、あたしはそちらに駆け寄り、彼女の上衣に収まって胸元からにょっきり顔を出した。まるでお母さんの胸にしがみつく赤ちゃんのようにさ。


もう残ってるのはあたしたちだけで、安藤さんも天使たちに両脇を支えられ、腰を屈めて窓枠に足をかける。高田君も安藤さんの横で、窓から身を乗り出して奴に乗ろうとしてて。



二人とも視線は窓の外だった。



だから、それに気づいたのはあたしが最初。


安藤さんの肩越しに見ていた室内の空気が突然たわみ、二人の男が現れた。

何もないところから唐突に。




現れたのは大柄な男とヒョロリとした男。


ヒョロリとした男はその場にガクリと膝をつき、大柄な男は血走った目をギラつかせて抜き身の剣を振りかぶった。


獣のような唸り声。その目は安藤さんを見据えていて。


高田くんが異変に気づき、振り返ろうとしてるけど間に合わない。



あたしは未だかつてないスピードで安藤さんの胸元を脱け出し、彼女の肩を蹴って、貴様のせいだーーっ!とかわめいている男の顔面めがけて飛びついた。

必死だったから、そいつの持ってた剣なんか目に入らなかった。

渾身の力でそいつに張り付き、爪を立ててしがみついた。





恐怖なんて、感じてる余裕もなかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


後半は、遅くとも明日には……。

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