エピローグ(1)
風が舞う。
ビルの屋上を。
静かな……、
奇妙なほど静かな、その光景に。
血溜まりに倒れる茜。
それに剣を突き立てる血みどろの楓。
そんな、凄惨な光景に。
しばしして、
楓が、口を開く。
「……どうやら、うちの思てた通りになったみたいやな……」
口元に笑みを浮かべ、そう話す。
顔面から溢れ出る血を滴り落とし、血染めの茜をさらに血で濡らしながら。
「……お前……」
読み取りづらい、混濁した感情を乗せた声で、紅葉がうなるような声を発する。
いつの間にか、楓の真横まで接近して。
そして茜は……、
地面に倒れ、
歯を、
鳴らしていた。
ガチガチと、与えられた強烈な恐怖で、体を小刻みに震わせている。
見ると、
茜の頭へ突き立てられようとしていた楓の剣は、刀身の半ばで断ち切られ、折られた断面が茜の顔に触れるか触れないかの距離で止まっていた。
一瞬の間に起きた事柄。
それは、
茜へ剣を突き立てようとした楓に向かい、瞬間的に飛びかかった紅葉が放った剣が、茜へ届く寸前で、その刀身を切り落としたのである。
間一髪。
紅葉が楓へ接近する速度もそうだったが、あと少しでも抜刀が遅れていれば、間違い無く茜の頭蓋には楓の剣が突き刺さっていただろう。
「音斬……とまでは、さすがにいかんかったか。さしずめ、(無影以上・音斬未満)ってとこやな。けど、及第点なんは確かや」
「そんなことよりお前……今、本気でその娘を刺し殺す気だったろ!」
「……ああ、本気も本気やったわ。全力で頭蓋骨に穴ぁ開けたろ思て、剣を突き下ろしたで。なんせ……」
そこまで言い、楓は紅葉に両断された自身の剣を抛り捨てると、
「あんたが確実に、この娘を助けるて、そう信じてたからな……」
ほっとしたような息をつきながら、話す。
と、
落ち着いたかに見えていた楓は急に屈み込むと、倒れたままの茜の胸ぐらを左手で掴み、強引に上半身を起こさせた。
「……えぅ……ぐっ……」
まさに満身創痍まで痛めつけられた体に、再び激痛が走る。
もはや動かすだけでも死ぬ思いがするはずだ。
それを分かっていて、楓は起こす。
茜を。
くぐもった苦鳴を小さく漏らすことしか出来なくなった茜を。
ベチャリ、と嫌な音がする。
血溜まりから起こされた茜の体が、地面が吸い切れなかった血から引き剥がされる音。
それも無視して、楓は引き起こした茜の顔へ自分の顔を近づけ、
「これがほんまの殺し合いや。情なんて無い。義理も、道理も、何も無い。真っ暗や。ただ、真っ暗なだけの世界。心ん中が芯の芯まで、染め付けたみたいに黒くなんねん。希望なんぞは無い。殺すだけ。殺されるまで殺すだけ。修羅道いうのはそういうもんや。そんな……道に、お前は……来たいんか……?」
楓の声が、静かに、怒気を帯びる。
続け、
険しい口調で問うた。
「こないな……どす黒い絶望ん中に身を置いて、いつか……こうして全身を血に染めて死んでいくのがお前の望みなんかて聞いてるんや……なぁ……どうなんや……?」
自分の切り裂いた右目の辺りから出血を続けながら、恐ろしい顔で話してくる楓に恐怖し、茜はもはや声すらほとんど出ない。
対照的なまでに怯えきった顔で、逸らすこともできない視線を楓に向けるのみ。
「早よ言えや……こうなりたいんか、答えろや……なぁ……答えろやぁっ!」
恫喝。
静かさから一転、凄まじい恫喝。
噛み付くほどに近づいた楓の顔を見ながら、茜は……、
決壊した。
今まで、
関井への恨みだけで、なんとか形を止めていた精神が、
砕けた。
粉々に、
砕け散った。
途端、
溢れだす。
涙が。
両の目から次々にこぼれ、血で濡れた顔を伝う。
力無く、
か細い声を上げて、
茜は、泣いた。
「……あぁ……う……ああぁ……ああぁあぁ……」
堪えきれず、
横にいた紅葉は、
「もういいっ!」
これも、泣き声に近い声で一声、
叫んで、茜を抱いた。
同時に、
楓は手を離す。
そして、
茜を抱いてひざまずく紅葉の肩をポン、と、軽く叩き、立ち上がった。
小さな……、
小さな茜の泣き声の中に、紅葉の押し殺したような泣き声が混ざって聞こえる。
それを聞きながら、楓は言う。
「……終わりや。これで……いい意味で、終わりにせえ……」
剣は表裏。
活人剣。
殺人剣。
東真の目指す士道も、楓の見せた剣も、どちらも同じ。
裏と表。
その代わり、
どちらの面で生きるかは選択できる。
光の道を行くか。
闇に身を染めるか。
楓は茜に本当の、剣の闇を見せた。
もう、こんな地獄へ向かわせないために。
表の道を歩ませるために。
「……あんたをこんな道へ送った影正は、時間っちゅう最大の苦痛がじっくりと……いたぶり殺してくれる……せやから、もう終わったんよ。あんたの仇討は……せやから、もう……」
言い止し、楓は口を閉じた。
もう大丈夫だろうと。
言わなくても、茜には分かるはずだと。
確信したから。
抱き合って泣く、紅葉と茜の様子を感じつつ、ふと安息から笑みがこぼれる。
その間も、
ふたりは泣き続けた。
茜は、
泣く声の合間を縫い、ささやくようにして、
「……返して……お願い……返して……お父さん……お兄ちゃん……返して……お願いだから……お願い……返して……返して……」
繰り返す。
それを、
紅葉は泣きながら聞いていた。
茜を抱きしめる手を強くし、
押し殺していた声が漏れる。
涙は、
止まることが無い。
血のように、
流れ続ける。
「……泣いたらええ。ふたりとも好きなだけ。気が済むまで。溺れるほど、泣いてええんよ。泣けるってことは……」
ひと間、息を吐き、
「血も……涙も、ある……人間やっちゅう証拠や……」
そう言って、楓は再び口を閉じた。
遠く、
風に乗って、どこからかサイレンの音が近づいてくる。




