1話
私の心臓が、ドクンッと弾んだ。
銀髪に金色の瞳をもつ若者が私の手をとり、馬車から降ろしてくれる。
あっ。
ドレスの裾を踏んで倒れる!――と思ったら、
目の前に、鋭い瞳をこちらに向けた黒髪の若者が立ちはだかり、斧を私の首めがけて振り下ろした!!
イヤ――!!
と叫んでいたら、今度は、金髪碧眼の高貴そうな若者とくるくるとダンスしていた。
これは、夢なのだろうか――?
いや、また生き返っただけ。
◆ ◆ ◆
仕事で冷え切った身体を自宅の湯船に沈めた瞬間、私はようやく息をついた。
今日も終電――。朝から夜まで、笑顔と謝罪を顔に貼りつけて働き続けた一日だった。
私の名前は、羽根うぐみ。年は三十五才で独身だ。
「はぁ……」
白い湯気が視界をぼやかす。
何もせず、ただ天井を見上げる。
温かなお湯は私の体と心をほぐしてくれているみたいだ。あまりの気持ちよさに、目をとじる。
――寝ちゃ、ダメなのに……。
それが、最後だった。
次に目を開けたとき、私は湯船の中にはいなかった。
――冷たい。
背中に伝わるのは、硬い地面の感触。
耳に届くのは、水音ではなく、ざわざわとした葉擦れの音。
「……え?」
起き上がろうとして、私は息を呑んだ。
頭上には、真っ暗な夜空。
無数の星が、こぼれ落ちそうなほど瞬いている。
都会では絶対に見られない、異様なほど澄んだ星空だった。
ふわりと風が吹き、土と草の匂いが鼻をくすぐる。
コンクリートの上で感じる都会の匂いとは、まるで違う。
「ここ、どこ……?」
私はゆっくりと身体を起こし、周囲を見渡した。
見えるのは、太い幹を持つ不気味な木々ばかり。
人や動物の気配が一切ない。
静かすぎる……。
胸の奥が、ヒヤリとした。
「……私、死んだの?」
つい、そんな言葉が口をついて出る。
過労死の心配は、正直ずっとしていた。
このまま働き続けたら、いつか倒れるだろうな、と。
でもまさか、本当に——?
「労災……認定されるのかな?」
どうでもいい考えが浮かんで、すぐに虚しくなる。
死んでしまったら、意味なんてないのに。
死ぬ前に、もっと楽しいことしておけばよかった。
例えば、世界一周とか、美味しいものを体重気にせず食べまくるとか、あと、イケメンと恋愛とか……。
呆気なかったな――。
大きく息を吐き、私は地面に手をついた。
ふにゃり、
掌の下に、土ではない感触があった。
「……?」
もう一度、確かめる。
柔らかくて、わずかに温かい。
嫌な予感が背筋を駆け上がった。
ま、まさか……。
恐る恐る、視線を落とす。
「ヒィッ!!」
悲鳴が、森の静寂を切り裂いた。
私の身体の下には、人がいた。
長い金髪の、うら若い女性だ。
白い肌に、高価そうな赤いドレスを身に付けている。
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて飛び退き、彼女をゆする。
返事はなかった。
長い睫がかげる瞳も、細い指先も、ぴくりとも動かない!
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
私は震える手で彼女の首元に触れた。
脈を探すが、何も感じない。
「……うそ」
頭の中に、はっきりと浮かぶ文字。
――死。
私が落ちる前から、彼女は死んでいたの?
それとも——私が、殺してしまったの??
どちらにせよ、最悪だ。
改めて彼女の顔を見る。
整った顔立ちをしている。陶器の人形のような、壊れやすそうに華奢で美しい女性。
カシャン――。
「あれ?」
胸元の逆さ五芒星の銀のペンダント。
見覚えがあった。
数秒考えてから、私は息をのむ。
「ミア・ウォルター……?」
たしか、ウォルター公爵家の長女。
乙女ゲーム『薔薇色の乙女聖戦!』に登場する、悪役令嬢。
まさか、と思いながらも、確信してしまう。
この不気味な森、豪華な赤いドレス。
そして、この女性(死体)。
「私、ゲームの世界にきたの……!?」
頭が全く追いつかない。
けれど、ひとつだけはっきりしていた。
——このままじゃ、まずいわ。
私は震える足で立ち上がり、周囲を見回した。
「と、とにかく……今は、隠さなきゃ……」
自分が、“人殺し”になってしまったかもという恐怖を、必死に胸の奥に押し込みながら。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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