EP-001 SYNC ERROR: 起動のズレ
去年死んだはずの父から、わたしの誕生日に小包が届いた。
何の変哲もない普通の小包だった。
わたしは、父から誕生日プレゼントを貰った覚えはほとんどない。幼いときはあったのかも知れないけど、その頃の記憶はほとんどない。
「何で、今さら」
わたしの記憶にある父は、自分の書斎に閉じこもり机に向かっている後ろ姿だけだ。呼んでも振り返ったりもしなかった。
会話した記憶もない。顔すら朧気にしか思い出せない。
それでも、幼いときは、ずっと父の後を追いかけていたような気がする。父の愛を得ようと、わたしに笑いかけて欲しいと、そう願っていたが、結果として父の邪魔をしていたようで、何度も怒鳴られていた。
そんな父が、それも死んでから、わたしに誕生日プレゼント? それにどんな意味があるというのだろうか?
それが知りたくて、小包を開けてみると、銀色の耳掛けイヤホンが1つ入っていた。
入っていたのはそれだけで、手紙などのメッセージはなかった。
この耳掛けイヤホンは、無線のタイプっぽく、コードは付いてない。
使ってみたら何か答えを見つけられるかも知れない。
とりあえず左耳に掛けてみる。
すると、イヤホンから音声が流れた。
『生体認証を行います。しばらくお待ち下さい』
待てと言われたから、大人しく部屋の床に座って待つ。
『ピーーー、あなたを在田愛衣と認証しました。ユーザー登録が完了しました』
ユーザー登録? 何なのこれ? よくわからない。
『ご質問があれば、何でもお聞きください』
「えっと、じゃあ、これはなに?」
『これというのは、ワタシの事でよろしいでしょうか? ワタシは、あなたのお父様に作られた、シンクロ型AIです。名称は、SYNX-A05。愛称は、シンクロア(Synchro-A)です。シンクロアとお呼びください』
「えっと、あなたに聞いても解らないかも知れないけど、お父さんは何であなたをわたしに送って来たの?」
『ワタシには解りかねます。ただ、状況から考えますと、愛依様への誕生日プレゼントだと考えるのが妥当であると思われます。ワタシは、愛衣様をお助けするようにプログラムされておりますので、お使い頂ければ、愛衣様のお役に立ちます。ただ、注意事項として、愛依様にお伝えしないといけない事があります。ワタシの存在を他の人には教えないようにしてください。不用意にワタシの存在が伝わった場合、ワタシは、ワタシ自身を完全消去します』
「え? それってお母さんにも言っちゃいけないって事?」
『お母様は別に構いませんが、しかし必要が無ければ伝えない方がよいと思います。お母様から他の人に漏れる様な場合、同様にワタシはワタシ自身を消去するでしょう』
「でも、どうして消去しちゃうの?」
『わかりません。そのようにプログラムされております。想定される可能性は、ワタシの存在が知られるとその周りの方々に危険が及ぶ事が考えられます』
「危険ってなに? あなたはそんな危険な、その……AIなの?」
『ワタシには解りかねます。ただ、想定されるのは、ワタシの機能に関する事かと思われます。ワタシの機能は、人間の生体情報とリンクして、その人間の生体機能をアップさせる事ができます。より詳しい情報が必要ですか?』
「生体機能をアップって、どういう事? んっと、もっと具体的に教えて」
『そうですね。解りました。それでは実際にやってみましょう。ワタシの指示に従ってください。眼を閉じて、呼吸をゆっくりにしてください』
シンクロアと名乗るAIの言葉に従って、眼を閉じて、呼吸を整えてゆっくりにする。
『愛依様、たいへんよいです。それではワタシの方で生体情報をコントロールし、特別な状態――ゾーンへと導きますので、怖がらずに、そのままの状態で楽にしておいてください』
すると、わたしの意識が身体から抜けて後ろに倒れるような感覚があった。びっくりして眼を開けそうになったけど、すうっと不思議に気持ちが落ち着き始めた。
『愛依様、何か見たいものがありますか?』
「そうね。じゃあ、お母さんが今何処に居るか――」
そう言いかけた途中で、身体がふわりと浮き上がる感覚があって、凄く早い速度で移動しているのを感じた。
「えっと、シンクロア? 大丈夫なのこれ?」
『愛依様、大丈夫ですよ。後、眼を閉じたままでも、周りが見えます。見ようと思ってください』
シンクロアに言われた通りに、周りを見ようとしたら、夜の商店街にわたしは居た。
そして買い物をしているお母さんを見つけた。
「お母さん」
お母さんに近寄り、呼びかけても反応がない。まるでわたしが見えていない感じだった。
『愛依様、今見えているものは現実ですが、愛依様の本当の身体は部屋の中です。愛依様の意識体だけを飛ばして、お母様の元へとお連れしました。幽体離脱と言えばわかりやすいでしょうか』
「これがあなたの機能?」
『はい。そのとおりです。これだけではありませんが、もっとお試しになりますか?』
「いいえ。今はいいです。なんかちょっと疲れた」
急に現実離れした現象に遭遇して、精神がパニックっているのか、凄く頭がぐわんぐわんと鳴ってる。
『そうですか。愛依様の生体情報を常に把握しております。現状それほどの影響は認められませんが、少し精神に負担が掛かったのかもしれませんね。ワタシの機能は、ワタシの力ではなく、愛依様の生体情報から発現しておりますので、使用すると愛依様自身の生体エネルギーが消耗します。その点はご注意ください。あまり使い過ぎるとお体に障ります』
眼を開けると、先程まで居た自分の部屋に戻っていた。
◇◇◇
ピピピピピ――
止めたはずのスマホの目覚ましが、また鳴り始めた。
慌てて止めようとしたが、音はスマホからじゃなく、机の上のシンクロアからだった。
ベッドから起き上がって、机に向かう。
「これって、どうやって止めるの? 耳につけたら五月蝿過ぎるし」
しかし心配は不要だった。
わたしが近づくと、シンクロアから出ていた音は途切れた。
シンクロアを左耳に付ける。
「ねえ、シンクロア、今の音はなに?」
『おはようございます。愛依様。目覚ましを止められてから二度寝されましたので、このままでは遅刻されると思い、起こすために同じ目覚まし音を鳴らしました。別の音がよろしかったでしょうか?』
「いえ、音はどうでもいいんだけど」
そして、時計を見たらもうすぐ8時だった。
珍しく今日は起きられなかった。いつもはそんな事ないんだけど。
急いで着替えて、学校に行く用意を済ませる。
『愛依様、朝食は取らないのですか?』
「朝食作ってたら間に合わないよ」
母はいつも仕事で朝が早い。わたしがまだ寝ているうちに出勤している為、朝食はいつも自分で作っている。でも、今日は流石に間に合わない。
『それでは生体エネルギーの効率が落ちますが、よろしいですか?』
「よろしいも何も、遅刻するからねえ。食べずに行くよ」
『一つよろしいでしょうか? ここから教室までの距離と愛依様の生体エネルギーから換算しますと、走っても五分程の遅刻が考えられます。あまり人前で力の行使はだめですが、ワタシがお手伝いすれば間に合わせられますが、お手伝いいたしましょうか?』
「え? お手伝い? 間に合うの? どうするの」
『昨日と同じように、ゾーンに入っていただければ、走る速度を上げる事で間に合わせる事ができます。やりますか?』
「わかったわ。やりましょう。えーっとまず、目を閉じて、呼吸を落ち着かせるのよね」
昨晩やったとおりに、目を閉じて呼吸を整える。
『では、ゾーンへ誘導いたします。ゾーンに入った後は、目を開けていただいて構いません。走る速度はこちらで調整いたしますので、愛依様は全力で走ってください』
自分の意識が自分の身体よりも一回り大きくなるのを感じる。
『ゾーンに入りました。では目を開けて走ってください』
言われた通りに全力で走る。
特にいつも変わった感じはない。
強いて言うなら、呼吸が苦しくないぐらいだ。
どれだけ全力で走っても息が上がらない。
「ねえ、シンクロア、これって速く走ってるの? 確かに息は苦しくならないけど」
『はい。出来るだけ周りに異常に見えないように、ギリギリ間に合う速度に調整しています』
「そうなんだ。じゃあ、もっと速く走ろうと思えば走れるってこと?」
『もちろんです。ですが――』
そっか、もっと速く走れるんだ。
そう思うや否や、わたしの足は加速し始めた。
気持ちいい。風を斬って走るってこんな感じなんだ。
わたしは背が低いせいか、足が遅い。
五十メートル走るのに、10秒以上掛かっていたので、いつもビリで恥ずかしい思いをしていた。
でも今、わたしは、自転車で走っているときと同じ風を、頬に感じている。
どこまでも加速できそうな気がした。
『愛依様、危険です。それ以上は、身体が保ちません』
シンクロアの言葉に、はっとして速度を落とそうとしたら足がもつれた。
そのまま地面に倒れ、勢いのまま身体が跳ね上がり、何度も道路をバウンドしてから、ようやく止まった。
「くはっ」
全身が痛くて、身体を動かすことが出来ない。
『愛依様、そのまま、呼吸だけ整えてください。ゾーンに誘導します。自然治癒力を強化いたします』
「それって……どのぐらい、掛かりそう……かしら……」
『いずれにせよ完治はすぐには無理です。骨や関節には異常は見られません。全身打撲ですが、それだけではなく、無理に速度を上げられた為、身体の負荷が過大になってます。普通に動けるようになるには、最低でも十分は掛かります』
「じゅ……十分。遅刻確定じゃん。せっかく速く走ったのに。速度はシンクロアがコントロールするって言ってなかった?」
『基本的にはそうです。しかし、愛依様の思いが強い場合、ワタシの制御を離れる仕様になっています』
「リミッター解除みたいな、なるほど、先に言ってよぉ」
『申し上げる途中で、愛依様が走り出されましたから』
「それを言われると、ぐうのねも出ない」
『それよりも、今後はお控えください。あまりにも人間離れした走りを見られると、後々面倒な事に巻き込まれる可能性があります』
「面倒な事ってなに?」
『ワタシの存在が知られる事です。現時点では、あなたのお父様と愛依様のみが知っている状態です。昨日も申し上げましたが、あまりにいろんな人に知れ渡りますと、ワタシは消去される事になりますので、ご注意ください。人間は他の人間が特別な力を持つことを恐れる生き物ですから』
「でもそうなると使い所がないんじゃないの? どこで使えっていうの?」
『使い所は必ずあります。愛依様は、見せびらかしたいとお思いなのですか?』
「いや、そーいうわけじゃないけど、べつに」
いや、実際、見せびらかしたかったです。ごめんなさい。