第91話 翁と小僧と、梟雄と
稲葉山の支配者と言えばこの人物。
下克上の申し子である。
「お久しぶりでございます。
道三さま。
――――お変わりはございましょうか?」
美濃は稲葉山に在る山城。
その主は近隣に名の知られた謀略のひと。
美濃の梟雄、
蝮こと斎藤 道三入道である。
この人も大概にデタラメな御仁である。
牢人の息子から坊主になり、なったにも関わらず
ソコから商人に転身。
油売りの行商となる。
銭の穴に油を通すというショー型の店頭販売で
見事に大成功を収める。
にも関わらず更に商人をやめて武家に転身。
美濃の守護、土岐氏にうまいこと気に入られながら
上司の家を様々な手法で乗っ取りを繰り返し。
終いには主家の土岐氏を追い出して
美濃を手に入れる。
メチャクチャだわ、この人も。
徹底的に生きることに、
上を目指す事に貪欲なのだと思う。
下克上の化身だ。
ある意味、戦国時代というものの象徴である。
ただしこの人、
ちょっと詰めが甘いところがあるともされている。
土岐氏を尾張へ追い出したために
尾張の殿、信秀の介入を招き。
強引すぎる成り上がりが裏で反感を招き、
後に息子に蹴落とされ殺される。
手法が無理矢理すぎたとも言える。
超短期の下克上のツケともな。
見た感じ、ずいぶんと眼力のエグい人だ。
潜った修羅場の次元が違うからなぁ。
生き様というヤツは顔に出るというが………
おかしな意味で"人を喰った様な"目だな。
つくづくに、こええ人だよ。
―――――――――――ふむ?
となると、隣の背丈のゴツイのが息子さん。
後に牙をむく高政さんこと義龍どのか?
―――――――――なるほどねえ。
…………ある意味レアな光景とも言えるな。
ちなみに平手さまがここに来ているのは、
同盟の関係強化と安定化のためだ。
尾張の殿とバチバチやっていたこの御仁だが、
ウチの殿は対今川に
こちらの梟雄どのは対浅井に。
其々の目的をもって同盟を結んだのが去年の話。
用いたのが三郎さまとお濃さまの政略結婚であり、
"一応"は斎藤と織田は義理の親戚となる。
立役者の平手さまとしては、
この同盟が揺るがぬように気を使うわけだ。
で、私はそれに便乗したわけだが。
別にそこまで心配する必要はないのですがねぇ。
少なくとも斎藤のほうから
同盟を破ることはないと思いますし。
道三入道が同盟を不要と思うなら、
自分からは反故にはしません。
こちらの反斎藤の連中に油を注いで火を付け、
弾正忠家の方から同盟を破る形に。
もしくはそうせざるを得ない形に持ち込みます。
なんせ元油売りですから。
油を操るのはお手のもの。
注意をすべきは斎藤家でなく弾正忠家の家中です。
少なくともどこかの山奥の名門よりは、
やり口はスマートな筈だよ?
比較的に近畿と近いから
世間に広がる悪評を止めるのが大変だからね。
――――と、後で平手さまに話しておきましょう。
今は斎藤家の只中ですからね。
わざわざ睨まれる必要もなし。
桑原、桑原。
「あいわかった。
弾正忠家とは末永らくまで
良い関係を続けられる事を願おう。
…………ところで、
その小僧はなんなのだ?」
季節の挨拶と手土産が済んだ所で、
こちらに話題が回ってくる。
今まで私が何をしていたか?
ボケッとした顔で末席に飄々と座り込んで、
斎藤の家臣団の好奇の目に晒されてましたね。
まあ、当然に
こちらからも観察させてもらいましたが。
深淵を覗くモノは何とやらってね。
「お初にお目にかかります。
私、村井家の小倅で妙見丸と申します。
…………………皆様には、
『村井の数寄者』の方がよくご存知かと。」
ピンと来た情報通が数名、
首を傾げる情報弱者が数名。
その度合いはキッチリと記憶しておく。
使い道は色々あるのでな。
息子どのはビミョーな反応。
これは武家のリアクションだな。
色物を見る目と多少の嫌悪。
武家が銭をかき集めるのは悪というご時世だから。
逆に元商人のヘビ殿は大層に興味津々。
色物を見る様子は変わらないが、
こちらはむしろ珍品を見る目といえる。
今日の私は色物で珍品ですからねぇ。
『数寄者』モードを全面に、全開で出しています。
そしてそれ以外のものを全面的に伏せている。
「此度に平手さまに同行したのは、
斎藤家に"儲け話"をお持ちしたのです。」
『数寄者』モードとはこれ即ち、商人なり。
さあ、これからは丁々発止にして喧々諤々たる
楽しい楽しい商いのお時間だ。
付き合っていただきますよ?
元油売りさま。
世相・時代を代表する成功者に、
商いで勝負(?)を吹っ掛ける主人公。
他の連中ならともかく、
ヘビ殿なら確実に乗ってくると確信している。
アンタも大概だよ。
マメ知識
『梟雄』
なんで"フクロウのような雄"であるかというと、
その昔、"フクロウは親鳥を喰い殺す"という
訳のわからない迷信が在ったためといわれる。
強烈な実力者であり
なおかつ残忍な人間がこうよばれる事が多い。
『桑原、桑原』
いわゆるお呪い。
平安最凶たる祟り神の一柱
天神サマこと菅原道真は、
御所に雷を落としたといわれる雷の禍津神。
※禍津神は、災いをもたらす悪神のこと。
この災いの落雷が、道真の領地である
現在の京都市中京区"桑原"町には落ちなかった。
(と、されている。)
そのためにそれに肖ったとされる。
別説としては井戸に落ちた雷様が閉じ込められ、
"桑が嫌いだからそう唱えよ"と言ったという
そんな民話もある。
そんな雷避けのおまじない。
『深淵を覗くモノは何とやら』
正式には
"深淵を覗く時、
深淵もまたこちらを覗いているのだ"という格言。
中二病くさくクトゥルフぽくもあるが、
実はコレは哲学者ニーチェの言葉。
悪と闘うなら自分も悪に墜ちぬように気を付けろ
という忠告の一説である。
『丁々発止』
丁々が、連続で打ちたたかれる擬音。
発止とは固い物通しをぶつけ合う擬音。
時代劇などのチャンバラの時などの効果音をさし、
物理戦闘か議論を激しくやりあうことをさす。
『喧々諤々』
四字熟語の"喧々囂々と""侃々諤々"。
("けんけんごうごう"と"かんかんがくがく")
これがゴッチャになって出来た造語。
"喧々囂々"は多くの人が煩い程に
騒ぎ立て喋る様を。
"侃々諤々"は正論を口にして屈しない様
もしくは率直な意見をもって議論する様をさす。
正式な日本語としては誤りであるが、使うなら
"多くの者が集まり、煩い程に議論する"となる。
今は造語で誤りだが、
いつかは正式になるかもしれない。
日本語の単語はだいたいそうやって造られてきた。




