Warm Place
久しぶりに、キミと初めて出会った時の夢を見た。
大きな木の根元で眠っていた私を起こしたのは、まるでお人形さんのように愛らしい容姿の美少女。
美しい濡れ羽色の長い黒髪に真っ直ぐで力強い瞳が印象的で、何も言えずキミのことをずっと見ていた。
今まで話したことはなかったかもしれないけど……実はあの時、見惚れていたんだよ。
驚き半分、キミに惹かれていたのが半分だったんだ。
自分でも、ずっとずっと長い間気づいていなかったけれど。
なにせ自他ともに認める鈍感人間だから仕方がない。
拒絶されても頻繁に通ったのは、不愛想なキミの笑った顔が見たかったから。
何も答えてくれなくても一方的に話しかけたのは、無口なキミのことがもっと知りたかったから。
冷たくされても諦めなかったのは、私が底抜けのお節介人間だからじゃない。
キミのことを好きになったからだ。
一目惚れだったんだと思う。
恋を知らない子供の私は気付かなかったけれど、多分、それがキッカケだった。
キミに会って話すたびに、たくさんのことを知るたびに、どんどん想いは大きくなっていって。
成長しても恋を理解できなかった私はそれを友情だと勘違いしてしまったけれど、それでも凄く大事にしていた。
キミはよく「もっと自分を尊重しろ」と言うけれど、やっぱり自分の為に私は行動している。
自分にとって、少しでも明るい明日になるように。幸せな未来になるように。好きな人と、楽しく一緒にいられるように。
それがたまたま、キミの幸せやみんなの幸せと重なっただけのこと。
だからキミが思っている以上に、私は自分本位で我儘で、弱い人間なんだ。
酷く辛い思いをさせたし、困らせたこともあった。大変な時に、手を差し出すことができなかった。
キミを傷つけた人間を懲らしめることもできない、無力な子供だった。
傍に、居続けることすらできなかったのだ。
……それでもキミは、こんな私を好きだと言ってくれた。
この世を去ってしまった人間のことを、ずっと想い続けてくれた。
生まれ変わって別人になってしまったのに、私の傍に居たいと言ってくれた。
本当に、嬉しかったんだよ。幸せすぎて怖いくらいだった。
これまでのこと全部が夢なんじゃないかって思ってしまうくらい、今が幸せだ。
生まれ変わったことも、キミに好きだと言われたことも、ようやく辿り着いた『今』も、何もかもが夢だとしたら。
急に目が覚めて、今までの幸せも不幸も何もなかったことになる。
――――それは、嫌だと思った。
やりたいように進んできた道は、振り返れば悲しい出来事がたくさんある。
後悔も数えきれないほどあったけれど、歩んできた道のりは、決して不幸だけではなかった。
忘れられない辛い過去はある。無かったことにしたい過去もいっぱいある。
けど、進んできた道を間違いだとは思えない。絶対に、否定したりしない。
乗り越えたことも、立ち向かったことも、無駄にしたりしない。
だから全部を夢にするのは御免だ。
「日向さん?」
閉じていた瞼を開くと、想い人の愛娘が覗き込むように私を見ていた。
大切な友人であり家族でもある彼女は、ぼんやりしている私を眺めてふわりと優しく微笑む。
「此処にいたんですね。ごめんなさい、起こしてしまいましたか?」
「ううん、寝てなかったから大丈夫だよ。目を閉じて色々と考えてただけ」
今まで座っていた草の上から立ちあがって、背もたれにしていた大きな木を振り返る。
ここは陽織に初めて出会った場所だ。赤口椿が命を落とした場所でもあるんだけど、陽織と逢瀬を重ねた印象が強いせいか、よく忘れそうになる。それにしても、あれからもう数十年経つというのに、この木だけは昔から変わっていない様に見える。それに比べて隣にいる倉坂さんちの椿さんは、出会った時よりも格段に美しく成長しており、陽織に似て綺麗な大人の女性へと変貌しているのであった。私は、まあ、うん。そのまま大きくなりましたーって感じで、劇的な変化はない。
「天気も良いですし、お昼寝したくなりますね」
「そうだねぇ」
お空は快晴。心地よい風も吹いており、木の葉の揺れる音は優しい子守歌となるだろう。
『今』でなければ迷うことなく椿と一緒にレッツお昼寝タイムだったのだが、間違いなく怒られるので残念ながら諦めるしかない。また今度、時間がある時に陽織も誘ってのんびり此処でお昼寝しよう。
この場所はもう、私たちの家の庭なのだから、いつでも好きな時に来れるのだ。
昔みたいに秘密の入り口を通ってこそこそしなくていいし、鹿島に奪われた土地の権利書は陽織の手に戻ってきたから自由に居座れる。「土地と屋敷を貰ったんだけど管理するの面倒だからあげるね! お礼は遊びに来た時に美味しいお菓子を作ってくれるだけでいいから!」と言ってぽいっと雑に権利書を投げてきた光希には色々言いたいことがあるけれど、彼女が遊びに来てくれた時はとびきり美味しい自慢のお菓子を作ってあげたい。
そんなわけで、倉坂本家の屋敷だったここは、私と陽織と椿のマイホームになったのであった。
「もちろん、お昼寝はお店がお休みの日にしましょうね」
「ですよねー」
仕事をサボって此処で寝てたら陽織さん超怒ってましたもんね。
お店のお菓子を作り終えたからちょっと休憩しようと軽い気持ちで寝てたんだけど、中途半端は良くないって叱られたんだっけ。怠け癖のある自分の尻を叩いてくれる相方が居てくれるのはとても心強い。
念願叶って自分の店を持ってまだほんの少ししか経っていない。だいぶ軌道に乗ってきたところだけど、今が頑張りどころだろう。お菓子作りはもうただの趣味ではなく仕事の一部になっているのだから切り替えは重要だ。
ちなみにお店は屋敷をリフォームして、住居と店舗を併設した作りになっている。
最初は小さな空き家を借りて始めるつもりだったのだが、『ひなたんのお菓子はもっと広めるべき。というわけで金の動く気配がするので当社が出資します。あーっと、こんなところに劇的改造店舗計画の書類がー!』とかなんとか言って勝手にリフォーム云々をやってくれたので光希には言ってやりたいことが沢山あるのだが、大きな企業の社長をやっている彼女は多忙な日々を送っていてなかなか会う機会がなかった。今日は久しぶりに会えるので溜まりに溜まった諸々を吐き出すつもりだったが、今思えば光希にはたったひと言の感謝で十分な気がする。彼女はとにかく頭が回るのだ。同じ転生者だとしても、光希は元のスペックが高すぎるのでアホな私とは全然違う。
「あと少し時間に余裕はありますけど。……そろそろ、行きましょうか」
「うん」
さて。
今日は一生に一度の晴れ舞台。
私と陽織の―――――――――――結婚式だ。
「あ、上着に葉っぱが付いてます」
「ほんとだ」
自分には合っていない小奇麗な服を精一杯整えて、それなりの格好に見えるようにする。
こんな仰々しい服を脱いでよく馴染むパーカーを着たいと言ったら、陽織はどんな顔をするだろう。
呆れた目をして溜息を吐かれるか、それとも貴女らしいと言って苦笑されるか。
どちらにしろ怒られることは決まってる。ま、今日ぐらい、見栄を張って着飾るのも悪くないよね。
「落ち着く為にここで色々考えてたけど、やっぱり時間が迫ってきたら緊張してきた」
「ふふ。主役なんですから頑張ってくださいね」
「もー、プレッシャーかけるのやめてよー」
「日向さんは緊張してるくらいがちょうどいいんですよ。落ち着いてたら、途中で寝そうですし」
「さすがにそれはないよ!? 自分の結婚式で寝落ちって絶対ダメなやつだから」
入学式も卒業式も居眠りしてしまった私が言っても信用ないかもしれないけど。
さすがに結婚式は大丈夫……と思いたい。
夢を叶えて落ち着いたら身内だけの小さな式を挙げようと二人で決めて、ようやくここまで来れたのだ。
自宅で行うささやかなものだけど、ずっと記憶に残るような素敵な結婚式にしたいと思う。
「私、本当に日向さんの家族になれるんですね」
今現在この国では同性同士の結婚は法的に認められていない。
だから届け出は出せずあくまで形だけなのだが、大事なのは当人たちの気持ちだ。
周囲がどう解釈しようと、私たちのことは私たちが決める。
そういうわけで、陽織と結婚するわけだから椿はつまり私の子供になるということ。
同い年なんだけどなぁと複雑に思いつつ、嬉しい気持ちも、もちろんある。いや、本音は正直大歓迎です。
「日向ママだよー」
「お、お母さんって感じは、しないんですけど」
「じゃあパパ?」
「それはもっと違うような。姉? ……んん、言葉にするのが難しいです」
「あはは。ま、無理に言葉にしなくてもいいんじゃないかな」
――ねぇ椿。
君は知らないだろうけど、私は君が生まれてくることをとても楽しみにしてたんだよ。
誰かに望まれて出来た命ではなかったけれど。陽織に酷い負担を強いることになってしまったけれど。
私は……赤口椿は、早く君に会いたかった。
親でもないのに名前なんか考えたり、どんな子に育つか勝手に未来を想像したりして、馬鹿みたいに浮かれてたよ。周囲が反対するなら自分が育てる覚悟もあった。お金がないなら働くつもりでいた。子供を育てることがどれほど大変か知らなかった無知な子供だったけれど、今でもあの時の私の覚悟を、間違いだとは思っていない。生きていたら、きっとその意地を貫いていただろう。絶対に。
自分の子でもないのにどうしてそこまでするのかと問われれば、ただ、守りたかったからと答えるしかない。
好きな人も、その子供も。愛おしいと思ったから、自分の身を挺してでも守りたかった。
陽織と子供が幸せになってくれるのならば、自分の一生を捧げても後悔はない。
けど我儘を言えば、君が生まれた時に傍に居たかったな。
成長していく君を近くで見ていたかった。
君が寂しい時に、隣に居たかった。
「椿」
「はい」
気が付けば、君も立派な大人の女性だ。
彼女は念願叶って教師になり、未来ある子供たちを優しく指導している。
大変だけどやりがいがあると日々頑張っている姿を見ていると、家族として誇りに思うよ。
君は子供の頃に比べて随分と強くなった。誰かを見守っていけるほど成長した。
だから、そろそろ頃合いかもしれない。
「椿が知りたいこと、今なら何でも答えるよ」
「……………」
父親のこと。祖父母のこと。あの事件のこと。その全てを、まだ椿に打ち明けていないのだ。
彼女は何も聞いてこなかったから私も陽織も黙っていたけれど、いつか話すつもりでいた。
めでたい日に語るような明るい話ではないのだが、今がちょうどいい機会だと思う。
できれば話したくはない。でも彼女は知る権利がある。知りたいのであれば真実を伝えよう。
それで椿がまた違った未来を歩むというのなら、黙ってその背を押そう。
「じゃあ、聞いてもいいですか」
「うん」
陽織そっくりの椿を見てると、平常心を保って昔のことを話せる自信がない。
けれど、これは私の役目だ。悲しい過去を受け止めなければいけないのは彼女なんだから、私がしっかりしないでどうする。
腹を括って椿の言葉を待っていると、彼女はふっと口元を緩めた。
「日向さんは、私のことを大切に想ってくれていますか?」
「もちろん!」
即答した。
思っていた質問と違うけれど、迷うことなく答えた。だって当然のことだもの。
私の返答に満足した椿はそれはそれは嬉しそうに微笑んでいた。
えへへ、そんなに喜ばれるとこっちも照れちゃうな。
って、違う。そうじゃない。
「聞きたいことって、それ?」
「はい」
「いやほら、もっとあるでしょ? 昔のあれこれとか」
「どうでもいいです」
「いいんだ!?」
知りたくないなら、知らない方がいいことだけどね。
本当に気になってないのかな。
「私も大人なので、色々と察しはつきます。けど、私にとっては今が全てなんです。今を犠牲にしてまで過去を知りたいとは思いません。真実を欲しいとも思いません。私は血の繋がりがあるだけの父より、守って傍に居てくれた貴女がいいです。選べと言われたら、迷いなく他の誰でもなく日向さんの傍を選びます」
椿にそっと抱きつかれ、背中に回された腕に力が入る。
まるで、母親に縋りつく子供みたいだと思った。
「貴女に出会えて良かった」
「うん」
目頭が熱くなる。
私より少しだけ低い頭をそっと撫でて、長く柔らかな髪を梳いた。
私だって、椿に会えて良かった。だって会えるなんて思ってなかったんだよ。
それに、こうして君と家族みたいな間柄になるなんて、全く想像できなかった。
「貴女を好きになって良かった」
「うん……うん?」
そ、それって家族とか友人に向ける好意であってるよね?
熱の籠った好きって言葉にどきっとしてしまったので、茹で上がった思考を戒める。
ふぅ、危うく勘違いするところだった。
「こんな私ですが、これからも末永くよろしくお願いします」
「こちらこそ」
なんだか私と椿が結婚するかのような会話になってる。
誰かに見られたら間違いなく誤解されるなぁと心の中で苦笑いを一つして、彼女から体を離す。
こうして慕ってくれるこの子も、いつか誰よりも好きな人が出来て結婚する日が来るのだろう。
それは多分、もう遠い未来じゃない。いや、付き合っている人がいるとは一度も聞いたことがないけど。え、大丈夫だよね? 椿、美人だし優しいし家事も完璧だからモテないわけがないし。でも今まで、そういう話がなかったのは何故だ……。余計なお世話かもしれないけど、ちょっと心配になってきた。いや、ずっとうちにいてくれてもいいんだけどね。
「やっぱり、日向さんって暖かいです」
「あ、よく言われる。普通の人より体温高めみたい」
だから冬は暖を求めて家族や友達がくっついてきてたっけ。
夏はすぐ暑くなるから困るんだけど。
「ふふ、そういうことではなくて。居心地がいい、という意味です」
「え、そう?」
「はい。貴方の傍にいると、心が暖かくなるんです。まるで陽だまりのような心地良い暖かさで、ずっと傍に居たくなります」
ええと、つまり信頼されているってことでいいんだろうか。
実感はないけれど、椿にとって私がそういう存在になれているのなら嬉しいな。
疲れた時や困った時は遠慮しないで真っ先に頼って欲しい。
大事な人を守れる力があるのなら、できることを全力でやりたいのだ。
「……貴女は本当に、日向なんですね」
「えっ?」
早瀬日向なので、日向で間違いないです。
椿に初めて呼び捨てで呼ばれてドキッとしたけれど、どうやら名前を呼ばれたわけではなかったらしい。
「私だけじゃなく、みんなにとっても日向さんは日向……『暖かい場所』なんです」
椿は何故か私の後ろに回り込む。
そして両の手で、優しく私の背中を押した。
日陰から日向へ出た私は、前を向く。
「でもその場所の中心に居られるのはたった一人。貴女が用意した特等席に座る人は、もう決まっていますよね」
「……うん。ずっと前から決まってるよ」
視線の先には私の特等席に座ることが出来る、この世でたった一人の大切な女性がいる。
瑠美と一緒に一生懸命選んでいた綺麗な純白のドレスは恐ろしく似合っていて、直視するには勇気が必要だった。フルアップに纏められた長い黒髪には白い花の髪飾りが添えられ、整った顔は丁寧な化粧でより美しくなっている。
私は今日、こんなに綺麗な人と結婚するのだ。
やっぱり夢なんじゃないかと頬を抓りたくなるけど、しっかり彼女を見て歩き出す。
私が傍によると陽織は恥ずかしそうに微笑んだ。
「この歳になってウエディングドレスを着るとは思わなかったわ」
「遅くなってごめんね。でも凄く綺麗で似合ってるよ、陽織。私には勿体ないぐらい」
「貴女以外の人と結婚するつもりはないわよ」
「んんっ、そ、そっかぁ」
愛されてるなぁ。何十年も一途にずっと想い続けてくれてたし、これからもその想いに報いていきたい。
ほんと、私なんかには勿体ないくらい素敵な女性だ。
「えっと、大切にします」
「……ええ」
手を差し出すと、はにかんでその手を取ってくれた。
包み込むように握りしめて、温もりを逃がさないように優しく力を込める。
「みんな揃ったみたいだから、屋敷に戻りましょうか」
「そうだね。椿ー、みんなの所に行こう」
少し離れた場所にいる椿に声をかけたけれど、何故か彼女はその場から動かない。
「椿?」
「どうしたの、椿」
不思議に思って二人で呼ぶと、椿は一歩だけ前に出て、私たちを見た。
なんだろう。何か、気になる事でもあるのだろうか。それとも、遠慮して変に気を遣っているとか。
とにかく彼女の元へ行ってみようとしたところで、彼女の口がひらいた。
「あのね」
かつて、椿という名の少女がいた。
彼女にはとても大切な幼馴染がいて、その全てを守ってあげたいと思っていた。
でも、子供で何も力がなかった少女には、全部を守ることなんて到底無理な話だった。
守れる力があっても、ひとつ残らず守るなんて、きっとできなかった。
でも。
「私を生んでくれてくれて、ありがとう」
彼女は守った。
一番失ってはいけないものを、二つも守った。
「大好きだよ。お母さん、日向さん」
誇るといい、赤口椿。
お前が守った一つは、今、こんなにも幸せそうに笑っているのだから。
胸を張るといい。
お前が守ったもう一つは、隣で幸せそうに、涙を流しているのだから。
「結婚おめでとう。どうか末永く、お幸せに」
そして早瀬日向は、守り続けていく。
陽だまりの中にある幸せを、これからも、ずっと。
end