入社式
四月。俺は内定先の大手商社の入社式にいた。
結局、俺が選んだのは、一番仕事のやりがいがありそうで、一番給料のいい会社だった。二度目の人生の大事な食い扶持だ。妥協はしない。福利厚生も財務体質もじっくり見比べて決めた。中身は営業二十四年。会社を見る目には自信があった。就活生の憧れだけで会社を選ぶほど、俺は若くない。
真新しいリクルートスーツに身を包んだ、大勢の新入社員。その中で俺は一人、妙に落ち着いていた。当たり前だ。入社式なんぞ、中身の俺には二十四年ぶり、二社目だ。緊張する要素がどこにもない。むしろこの初々しい空気が、少し懐かしかった。
そして式が始まってすぐ。
「新入社員代表、挨拶。――熊沢さん、お願いします」
俺は代表に選ばれていた。内定者の中で成績も面接評価も、頭一つ二つ抜けていたらしい。壇上に上がる。数百人の社員の視線が、一斉に俺に集まる。
俺はマイクの前で、淀みなく挨拶を述べた。ありきたりな決意表明じゃない。会社の今期の経営課題に軽く触れ、その上で我々新人に何ができるかを、具体的に簡潔に力強く。営業二十四年の中身が、そのまま言葉に乗った。新人の挨拶とは思えない、地に足のついた言葉。
会場がしんと静まり返り、そして――どよめいた。
「……なんだ、あの新人」「代表挨拶のレベルじゃないぞ、あれ」「というか……綺麗すぎないか?」「うちにあんな子が」
壇上から会場を見渡す。俺はそこで、嫌な既視感を覚えた。腹の底がすうと冷えるような。
最前列に並んだ若手の男性社員たち。その目が一斉に色めき立っていた。頬を赤らめ、姿勢を正し、俺から目を離せずにいる。それは大学の入学式で。就活の説明会で。内定者懇親会で。雀荘で。俺がこの三年、そしてこの一年、嫌というほど浴びてきた、あの目だった。
嫌な予感がした。いや、予感ですらない。確信だ。
俺はまだ、この会社の誰とも深く関わっていない。仕事も一つもしていない。名刺すらまだ刷られていない。なのにもう、この空気だ。
*
入社式が終わった。
早速、俺のもとに若手社員が何人も挨拶に来た。歓迎会の幹事がやたら張り切って、日程調整を始めている。同期の女子社員たちの俺を見る目が、早くも複雑になり始めている。俺の配属先の上司になるという課長が、なぜか廊下の窓ガラスで、こっそり前髪を直していた。いい歳をして。
俺はそれらを遠い目で、ぼんやりと眺めた。
大学のサークル。就活の戦線。そして今度は会社。舞台は変わった。何もかも。だがこの体が行く先々で勝手に巻き起こす、あの騒動の匂いだけは、まったく同じだった。同じ地獄が、また幕を開ける。
「……また始まるのか。これから」
俺は天を仰いだ。
中身はおっさんだ。俺はただ、まっとうに働きたいだけだ。真面目に数字を追って、給料をもらって、静かにこの体で生きていきたい。それだけなのに。それだけのことが、なぜかこの体では許されない。
この身体は、俺の意思とはまったく無関係に、行く先々を勝手にひっくり返していく。俺は何もしてない。今回だって、まだ何もしてない。
――また、会社がひとつ大変なことになりそうだ。
原因はたぶん俺だ。ああ、そうだよ。今度も俺のせいだ。何もしてないのに俺のせいだ。もう慣れた。文句あるか。
二千万と、恒久的な女の体。二度目の人生の三つ目の戦場が、今、静かに、そして盛大に幕を開けた。
俺の無自覚なクラッシュは――どうやら、まだまだ終わっちゃくれないらしい。
(第2部・完)




