父への手紙
酔っ払い子爵に絡まれた親子にもう心配はないと伝えてレイが薬草店に戻ると、オズワルドが書き物をしていた。
「それは何書いているの?」
「レイ様、お帰りなさい。これは今日出した薬の記録です」
店主が毎日記している帳面に、オズワルドが書き足していた。
「そうか。でもちょっと待って。その日の売り上げだけなら、そこまで詳しく書く必要ないよね」
オズワルドは店主にならい、客の名前、出した薬、詳しい症状まで記していた。どうしたら良かったか、少し困り顔になる。ヒントをあげようか。
「今日ここに入ってみてどうだった?」
「何人かにいつもの薬が欲しいと言われて困りました。症状を最初から聞かないといけなくて、渡すまでに時間がかかりました」
「慢性的な病気で薬をもらいに来る人には『いつもの』って言われること多いよね」
「いつものがわかるもの。雑貨屋と同じにすれば…」
「そういうこと」
レイの雑貨屋では売り上げ帳に症状までは書いていない。症状と出した薬、その後それが効いたか。ひとりずつ記録して、それを家族ごとにまとめて綴じている。合わなかった薬をまた出してしまわないように。それだけじゃない。かかりやすい病気も把握できるし、それがわかれば予防もできる。誰が店番をしていても『いつもの』に即対応できる。
「オズ、もう遅いよ。休みなさい。明日また手を貸して欲しい」
「はい。レイ様は?」
「店主を見てくる」
「僕も一緒に」
「だめ。先に休みなさい。それとも背中トントンするの待ってる?」
「僕は小さな子どもじゃありません!」
「隣に潜りに行くから、半分空けておいて」
「部屋がないんだから仕方ないです。双子には内緒にしてくださいね!」
薬草店の客間は一部屋。オズワルドは患者用の部屋で休む予定だったが、頭を縫ったばかりの警備兵を寝かせている。レイに客間のベッドなら2人で寝られるねって言われ、本当は楽しみにしていた。
***
「ゴードン、具合はどう?」
「レイモンド様、すいません」
「起き上がらなくていい。肺炎になりかけていたんだ。安静第一だよ」
白髪の老人がここの店主。結婚もせず長いこと1人で村を支えてきた。
「もうすぐ見習いを終わって1人立ちできる子がいるからここに寄越す。いいよね」
「ありがとうございます。独り身で子はいないし、弟子もいない。後継者がいなくて困っていたところでした。これで村は安泰だ」
「まだゴードンには現役でいてもらうよ。ところでさ。売り上げ帳の他に、個人の記録帳を作ることにしたから」
「ゴホッ!」
「急遽誰かが代わりに入った時でも困らないようにさ。とりあえず3年分くらいの記録を拾ってまとめておくといい。大丈夫。ここにくるベスは字が上手いし、事務仕事もできる子だよ」
「はあ。今までは私が覚えていればいいだけでしたが、今後はそうもいかないですな。レイモンド様の指示通りにします」
「今後は国中の薬草店で同じように記録してもらうことにする。じゃあお休み」
ゴードンは孫ができるようだと嬉しそうに布団に潜った。
***
客間はまだ灯りが付いていた。
「レイ様、お疲れ様です」
「まだ起きていたの? 少し喉渇かない? 寝る前にお茶を飲もうよ」
「僕が淹れてきます」
「オズ、今は2人きりだ。レイ様じゃないでしょ?」
「お…お父様。僕がお茶淹れます」
「ふふ。嬉しいな。待ってるね」
恥ずかしいのか人前で父とは呼ばない。パタパタと階下の台所にオズワルドが走って行く。普段は物静かで動作もゆっくりなのに。可愛いなと口元が緩む。ルーカスが成長して一緒に酒が飲めるようになるのを楽しみにしていたが、オズワルドが先に相手をしてくれそうだ。楽しみが増えた。
しばらくして盆にカップをふたつ載せたオズワルドが戻ってきた。
「お父様のお好きな茶葉がなくて」
「温かいお茶が飲みたかっただけだから、気にしないで」
ベッドの端に並んで座る。カップを両手で持ってフーフーするオズワルドがちょっと幼く見える。
「舌、火傷しないでね」
柔らかそうな頬にチュッとすると顔を赤くして嬉しそうにはにかむ。
「ヴィンさんは?」
「うちの小屋で休むよ。朝にはこっちに来る」
「いつもお父様と一緒にいるから、いないと変な気がします」
たぶんヴィンはアグネスを心配して眠れないだろう。1人で酒でも飲んでいるかな。でも今夜は付き合えない。横に座る息子を思い切り甘やかしたい。
先ほど絡まれた子どもの父親は貴族相手に一歩も引かなかった。あの子はそんな父の背中を見て育つ。あの父親のように自分も子ども達を守り、手本となり、導いてやりたいが自分自身がまだまだだなと思う。
「お父様と2人で過ごすのってなんだか不思議。実家では父からお茶を飲もうなんて言われたことないし、いつも誰かいたから2人きりもなかった」
「僕も父上と一緒に過ごすことはほとんどなかったよ」
「それは王様なんだから仕方ないです」
まあ、国中で1番多忙だろう。父が病気や怪我以外でベッドに横になっているところを見た記憶がない。早朝から夜更けまで仕事三昧。行事か廊下で偶然すれ違うか、執務室まで行かないと会えなかった。用もないのに訪ねると嬉しそうに抱き上げてくれたが、すぐに事務官に呼ばれ仕事に戻される。少し寂しそうに笑う父に手をふってまたねと言う。もう少しとは言えなかった。幼児の頃、膝にのせて仕事をしていたと聞いたのはずいぶん後になってからだ。
国王だけでなく、国政を担う事務官、領主や一族をまとめる当主も同じように多忙で、家族との時間などなかなかもてない。下級貴族や平民のほうが家族団らん時間はあるだろう。
「代わりに兄様達と過ごしていたから寂しさはなかった。でもね。今は僕も父親になって気づいた。忙しくてなかなか双子と過ごせない時はすごく寂しい。病気の時なんか仕事が手に付かない時もあるよ。でも双子がいるから頑張れる。父上もそうだったかなって思うんだ」
「やっぱりレイ様のところに来てよかった。僕の父は…」
「スミスのお父上だって同じだと思うよ。一族のためにずっと頑張ってきた方だ。団らんはなくても師匠としてずっと指導してくれたのでしょう? 厳しい面もあったみたいだけど」
すごく怖かった。勉強ばかりさせられて、外にも出してもらえなかった。でも。
「そういえば、毒慣らしの時だけは夜中に必ず部屋に来てくれました。苦しんでいてもちらっと顔だけ見て出て行くんだけど、僕は父が何も言わないのなら、朝には良くなるって辛抱できた」
「そっか。たぶんお父上もそうやって過ごしてきたんだろうね。外に出さなかったのは君を守るためだったのだと思う。特に子どもは狙われやすいからね。僕も君のお父上は苦手だけど、嫌いじゃないよ。薬草士の先輩として尊敬している」
オズワルドが少し冷めかけたお茶を一気に飲み干す。
「今は自分で選んで薬草士の勉強をしているって手紙を書いてみます。返事が来なくてもいいや」
「きっと来るよ。さて飲み終わったから寝ようか。トントンする?」
「それはいいです。でも頭をなぜて欲しいです」
「いいよ。おいで」
ルーやアナのような甘い匂いはない。薬草の匂いが染みついた頭をそって何度もなぜながら、いつしか2人とも寝てしまった。
***
翌朝、ヴィンに起こされた。
「おはよ。オズは?」
「外走ってくるって出かけた。もう戻るだろう」
「起こしてくれればいいのに。僕も一緒に走りたかったな。着替え手伝って」
「お前は子どもか。騎士服でも貴族服でもないだろ。1人でやれ」
「今はヴィンに甘えたいのに。着替えは自分でするからオムレツ作って。すぐに支度して行くから」
「いくつ?」
「ふたつ食べられそう」
「わかった」
レイとオズワルドと店主と患者と俺の分で卵足りるか? パンは途中で焼きたてを余分に買ってきたから大丈夫。
「どれどれ。ソーセージも焼くか」
食料庫を開けると卵は12個あった。育ち盛りのオズワルドには沢山食べさせたい。そうだ、どでかいの作って朝から驚かせてやろう。レイもオズワルドも喜びそうだ。
ヴィンが支度をしているとオズワルドが帰ってきた。モリオンを腕に抱いている。
「途中から一緒に走ってたんだけど、すぐに疲れちゃったみたいで」
「普段からレイが甘やかしてるからな」
「ミャ~」
レイが支度を終えて階段を降りてくると、モリオンはオズワルドの腕を抜け出し、レイに駆け寄る。
「モリオンお帰り。アグネスのところにいたの? もしかしてあの親子のところ?」
「ミャ~、ミャ~」
「両方かな。ヴィン、サイラスは紳士だったみたいだよ」
「心配などしていない」
「そう? 眠れなかったのかと思ってた」
「朝まで本は読んでいた。それより飯が冷める。席に着け」
テーブルにフライパンがどんと置かれた。
「オズ、見て! すごく大きなオムレツだよ。やったね!」
「まん丸お月様みたい!」
「お前ら似たもの親子だな。いや兄弟か?」
オズワルドはやっぱりこの家の子になれて良かったと思う。父と可愛い弟と妹と猫達。それと叔父? 兄弟弟子に友達もできた。
スミスの父には体も大きくなって、毎日楽しく暮らしているから心配しないでって追加で書こう。