タマの冒険日誌 page 11
「え?」私は眼をぱちくりした。深影さんは黒い線でできたマイタケちゃんを下がらせろという。けれど縄をひゅんひゅん回すように、マイタケちゃんはもう長い長い触手をスイングさせたあとだった。
緑の触手は小鬼を打ちつけて、出番が終わったのか墨のマイタケちゃんは流れ落ちた。ちゃんと攻撃してくれたし、深影さんには当たらなかったし、役に立てたと思うのだけれど。
「……何がダメだったんでしょうか」
「来るよ、何匹もっ。オウルまで全速力で走るっ」
渾身の袈裟斬りを受けた子鬼は消滅し、深影さんは私の手首を取る。
「何匹も来るって、なんでですか」
「ツタ払いは全体攻撃だ。範囲の敵を巻き込む。あの触手の長さをタマも知ってるよね」
自体はマズイことになっているらしい。技の効果も知らずにとんでもないことをしてしまった。
「ご、ごめんなさいっ」
「っとに世話のかかる」
私は必死に足を走らせた。が、草履でブレーキをかけた深影さんが急停止したので踏鞴を踏む。
「ど、どうし」どうしたのかと最後まで言えず、ひっと悲鳴を飲んだ。三角の両耳は怖じ気づいておじぎしているに違いない。
深影さんは眼球だけを左右にさっと走らせる。「——囲まれたか」
赤黒い皮膚の子鬼に周囲を取り囲まれてしまっていた。光る目玉がぎょろぎょろと気味悪く動く。暗闇の中でそれだけが浮かんで見えるようだ。いたぶってやるぞと言いたげにケラケラとせせら笑う。
「一、二……全部で四匹。思ったよりも少なかったね」
確か一対一でいい勝負だと言っていたはず。
「い、一度に四匹も相手にできるんですか」
深影さんは問いには答えない。眼つき鋭く、居合い切りでもしようというのか、腰許の柄を触れる。まるで牽制している猫だ。緊迫感を纏っている彼女を見ていると不安になる。
「み、深影さん。ど、どう思われますか、この状況」
「オウルまであと少しだっていうのに、ついてない」
がーん! 私の目の前は真っ暗になった。夜だから暗くなる必要はないのだが。でも待てよ?
「キャラクターが倒されちゃうとゲームオーバーになるんですよね? 本当に死ぬわけじゃないし、もしかすると、それをきっかけにゲームの世界から抜け出せるかもしれないですね!」
小鬼たちを威圧している視線を、深影さんは逡巡するように一瞬伏せてみせる。
「……深影さん?」
彼女を覗き込んだときだった。私の右肩に激痛が走る。
「痛っ」
骨を砕かれたような痛みに片眼を瞑る。肩を押さえて外側に顔を向けると、振り降ろされた棍棒の残像が視野に入った。握りこぶしのような顔をした小鬼を凝視する。ケラケラと歯を見せながら定位置に後退っていくのを信じられない面持ちで見届けた。
「なんで……っ。なんで痛いの……」
正面から回ってきた深影さんの後ろ手に、すぐさま庇われる。彼女がぎりりと歯を噛んだ。
「なめた真似をっ」
私が受けた痛みは脳内で一瞬火花が散ったほどだった。嘘つきと、大声で叱りたい感情を押さえて深影さんを仰ぎ見る。どうして痛くないなんて嘘をついたの、どうして一人犠牲になって攻撃を受けたの、と。
「痛みもあるじゃないですか、深影さんっ」
深影さんはしれっと視線を逸らした。私は筆を構える。
「私も一緒に戦います」
「いらない」
「ツタ払いはもう絶対に使いませんから大丈夫です。ほかに頭突きがあります」
「使わなくいい。奴らの敵意を買うだけだ。私が注意を引きつける。タマはオウルまで走れ」
「イヤです!」
「聞き分けの悪い」
深影さんは不快めいた舌打ちし、
「ヒットポイントを確認してみなよ。技を出せたんだから見えるだろ。残りヒットポイントを知れば、尻尾を巻いて逃げ出したくなると思うね」
ヒットポイント? と思い浮かべてみると、突如として数値が視野に現れた。えーと、どれどれ。『525』がMAXの数値で、現在は——あららゲージが真っ赤かの——『15』。
私はおそらく猫耳まで真っ青になった。尻尾は毛を逆立たせて真上にピンっと張ったでしょう。
「たったの15!?」
「危うく即死だったね。一気にそれだけ減らされたんだ、相当痛かったんじゃない」
日本刀を逆手持ちに替え、深影さんは態勢を低く構える。
「実情がまだ判然としない中、タマをいまゲームオーバーにさせるわけにはいかない。私はあとから追いつく。先に行け」
緑色の刺々しいオーラが日本刀を取り巻く。そして深影さんは逆手持ちの日本刀でオーラを薙ぎ払ってみせた。
辺りを旋風が吹いて、私は腕で顔を庇う。轟々とはためく深影さんの羽織。取り囲んでいた小鬼たちを竜巻が切り裂いている。しかし一撃のみでは小鬼たちは沈まない。そして深影さん目掛けて一斉に飛びかかってきたのだった。
深影さんは新選組の隊士のように小鬼相手に立ち回る。しかし相手は複数。死角からの打撃にたびたび短い呻き声をもらす。
「こいつらの注意は私にあるっ。タマは早くオウルにっ」
「私だけ逃げて、深影さんだけを置いていくなんてできません!」
私は悲痛な思いで叫んだ。目尻がなんか濡れてる気がする。ヒットポイントがたったの15しかないという事実が恐ろしくて泣きを入れてくる。
私は無我夢中で筆でエリンギちゃんを描く。小鬼の腹を斜めに叩っ斬り、振り返りざまに深影さんは疾呼した。
「言うことを聞きなさい! タマがいると気が散って仕方ないって、なんで分からないかな!」
「エリンギちゃん! エリンギちゃん! 助けてエリンギちゃん!」
何回も描くのに何回も失敗作ができあがる。背後から腰を打たれて深影さんは倒伏する。日本刀を砂丘に突き立てて立ち上がろうとしたところを、こ憎くくも小鬼がまたも横腹を打つ。
死んじゃう、死んじゃう。深影さんが死んじゃう。
私はがむしゃらに筆を振るう。
「なんでなんで! なんで描けないの!」
「おたくのレベルが低いから——たぶん」
誰かに苦情を言ったわけでもないのだけれど、深影さんではない少年期の若々しい声が答えた。それは後ろのほうから聞こえ、私の横顔を鋭い風が通過していった。