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色のない世界に、絵を描く ―スケッチブックから始まる異世界の村暮らし―  作者: 明石竜


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第二章 リネラの朝(後編)

 桃絵がリネラで迎えた三日目の朝も、ニワトリの声で始まった。

 窓を開けると、冷たい空気が流れ込む。

 草の匂いと、遠くの川の音。

 石畳の道に、ニワトリが三羽いた。

 ほぼ等間隔。同じ方向。首だけ、少し傾いている。

 まるで会議中だ。一羽の頭には、葉っぱが乗っていた。

 桃絵は取ってあげようかと思い一瞬迷って、結局やめた。

「……おはようございます」

 三羽が同時にこちらを見る。

 それから、同時に前を向いた。

「なんか怖い」

 その直後、作業場からルカが出てきた。

 ニワトリたちは、一斉に道を開けた。完璧な動きだった。

「ルカ、あのニワトリって、毎朝ここにいるんですか?」

 桃絵は窓から声をかけた。

「毎朝いる」

「誰が飼ってるんですか?」

「村全体で飼ってる」

「三羽で固まってるのは、なんでですか?」

「分からない」

 ルカは手を止めずに答えた。

「昔からそうだ」

「道を開けてくれましたよね、ルカには」

「毎朝通るから」

「私には開けてくれないんですよ。昨日も今日も、通ろうとしたら真ん中に立ってて」

「慣れれば開ける」

「……そういうもんですか」

「毎朝通ればいい。一週間くらいで覚える」

「一週間」

 一週間、毎朝ニワトリと睨み合うのか。

「分かりました、頑張ってみます」

「頑張ることでもない」

 ルカはどこか呆れたような、でも穏やかな声だった。

 桃絵はそれを聞いて、なぜか少しだけ笑った。

 そうか、頑張ることでもないのか。

 ニワトリに道を開けてもらうために努力するという発想が既におかしい。ただ、毎朝同じ道を通れば、向こうが顔を覚えるというだけのことだ。

 顔を覚えてもらえれば、道を開けてくれる。

 それはニワトリに限った話でもない気がした。

 とはいえ、桃絵はニワトリにも顔を覚えてもらいたかった。


 その日の昼、桃絵はミリィと石段に並んで座っていた。

 ミリィの家の木の近く、川のほとりの石段だった。水音が近い。光が川面に反射して、桃絵の足元にまで揺れていた。

「ももえって、元の世界ではどんな絵を描いてたの?」

「学校の美術部に入ってて、風景画とかを描いてました」

「美術部ってなに?」

「絵を描く人が集まるグループです」

「絵を描くためのグループがあるの?」

 ミリィは目を丸くした。

 桃絵は少しだけ考えた。

「うん、あるんだよ」

「いいね。この村には絵を描く人がほとんどいないから」

「そういえば、この村の村長、あんまり自分の話しませんよね」

「そうそう」

 ミリィはうなずいて、話を続ける。

「村長ってなんか不思議な人だよね。話してると、知ってることがたくさんあるのに、言わないことの方がもっとたくさんある気がする」

「分かります」 

 桃絵は少しうなずいた。

「でもそれって、なんか信頼出来る感じがして」

「そうかな?」

「なんでも答えが出てくる人より、答えを持ってそうなのに待ってくれる人の方が、なんか頼りになる気がして」

 ミリィはそれを聞いて、ちょっと考えて、

「むずかしい」

「ですよね」

「でも、ももえが言いたいことはなんとなく分かる」

「ミリィは村長と長いんですか?」

「うん。この村にいる間はずっと。精霊はね、一つの場所についてるの。ワタシはこの川の周りにいる」

「ずっとここにいるんですか。旅とかしないんですか?」

「出来ない。この川から離れすぎると、薄くなるの。透明になってく感じがして怖い」

「怖い?」

「うん。だから、旅人が来ると嬉しいんだよ。外の話が聞けるから」

「旅人って、私の前にも来てたんですよね?」

「村長が言ってた」

「ずっと昔。ワタシがまだ小さかったころ。でも覚えてる。荷物たくさん持ってた人だった。細かいことは覚えてないけど、大きな出来事は覚えてる」

「どんな人でしたか?」

「商人みたいな人。石とか草とかを集めてた。村のものを見て、なんか書き留めて、帰ってった」

「絵は描かなかった?」

「描かなかった」

「だから、ももえがここに来た時、スケッチブック持ってるの見て、すごく嬉しかった」

「精霊って、絵が好きなんですか?」

「好き。絵ってね、見てると気配がするの。描いた人の、見た景色の、感じた何かの気配が。商人の人はそれを書き留めてたけど、気配がなかった。ももえの絵には気配がある」

 桃絵はスケッチブックを抱えたまま、川を見た。気配がある絵、という言葉が、胸の中で少しの間、温かい場所に留まっていた。

「ところで」

 ミリィの声が少し変わった。ちょっと意地悪な、でも楽しそうな声だった。

「何ですか?」

「ルカのことが気になってる?」

 桃絵は思わず川から視線を戻した。

「えっ……」

「昨日も、ルカが木を削ってるの、ずっと見てたでしょ」

「スケッチしてたんですよ。木の形が面白くて」

「それは分かる。でも、木じゃなくてルカを見てる時間が、木を見てる時間より長かったと思うけど」

「……測ってたんですか?」

「測ってないけど、分かるよ。精霊はそういうのに敏感なの」

 桃絵は川を見た。川面の光が揺れていた。石畳が白かった。つまり、どこを見ても今の気まずさを解消してくれるものは何もなかった。

「ルカは……とても……分かりやすい人だなと思って」

「分かりやすい?」

 ミリィはきょとんとした。

「ワタシは分かりにくいと思うけど。あんまりしゃべらないし」

「しゃべらないけど、言葉が嘘をつかないんです。『好き』って言ったら本当に好きで、『合ってる』って言ったら本当に合ってて。そういう人って、あんまりいない気がして」

 ミリィはしばらく黙った。

「なるほど」

 今度は声に意地悪さがなかった。

「ルカはね、すごく正直な人だよ。好きなものは好き、嫌いなものは近づかない。そういう人なの。だから、ももえが描いた絵を見て『好き』って言ったのは、本当に好きだったってことだよ」

「……そうですね。そうだと思います」

「顔が赤い」

「気のせいです」

「気のせいじゃない。精霊は色の変化に敏感なの」

 桃絵は川面を見た。青く澄んだ川が、穏やかに流れていた。どこをどう見ても川は川で、桃絵の顔色については何も教えてくれない。

「少し暑いんです」

「今日は涼しいよ」

「体質です」

「川に顔つけてきたらいいよ」

 ミリィは、真剣な顔で言った。

 桃絵は、川を見た。

「顔はつけません」

「なんで」

「なんとなくです」

「制服が濡れるから?」

「……そうです」

「それは困るね」

 ミリィは、あっさり引き下がった。

 桃絵は、息をついた。

 ミリィはしばらく川を見てから、

「ねえ、ももえ」

「何ですか?」

「さっきの話、忘れた」

「え?」

「顔が赤い話。全部忘れた」

 そう言って、川に視線を戻す。

 桃絵も、同じ方を見た。

「……川、きれいですね」

「ね」


 それで、話は終わった。


        ☆


 その夜、桃絵は屋根裏の窓を開け、夜風に当たった。

 ミリィが肩にとまる。

「絵、教えて」

 昼に言われた言葉を思い出して、桃絵はスケッチブックを膝に置いた。

 鉛筆を持たせようとして、すぐにやめる。

 大きすぎる。

「どうする?」

「気持ち送る」

「……気持ち?」

「ルーヴィ、描くでしょ。ワタシが一番きれいだと思うところ、送る」

 桃絵は、花の前に座った。

 ミリィが肩の上で身を乗り出す。

「ここ!」

「……端の方?」

「そう! そこ、朝っぽい!」

 桃絵は、線を少しだけ丁寧に引いた。

「あ、それ!」

 何度か、同じやりとりを繰り返す。


 一時間ほどして、鉛筆を置いた。

 ミリィが、スケッチをのぞき込む。

「これだ」

 桃絵は、否定しなかった。

 夜風が、ページをそっと揺らした。

 それからは、描くたびに声が飛んでくる。

「ここ!」

「上ですか」

「もうちょっと奥!」

 桃絵は、迷いながらも線を重ねた。


        ☆


 四日目の朝。

 桃絵は台所のテーブルで朝食をとりながら、向かいの棚を眺めていた。

 瓶が並び、乾いた植物が束になっている。

 見たこともない葉や粉、液体の入った瓶が並んでいる。

「村長、これって、調味料ですか?」

 立ち上がって、棚の瓶に手を伸ばしかけたところで、村長が穏やかに言った。

「それには触れないでいい」

「これは?」

「それも。この村の人はよく食べるものだけどね、外から来た人の口には合わないかもしれない」

「そうですか。分かりました」

 こうして桃絵は、動く前に確認するようになった。

「このスプーンは普通ですか?」

 村長は、何も言わずに笑った。


         ☆


 五日目の朝。桃絵は、棚の端に昨日までは気付かなかった、茶色い瓶を見つけた。

「村長、この瓶は?」

「触れないでいい」

「分かりました」

「嗅いでもいけない」

「嗅ぐと?」

「三日間、笑いが止まらなくなる」

 村長は、いつもの調子だった。

「害は?」

「ない。ただ、周りが困る」


 少し沈黙。


「前に試した人は、ルカに変な目で見られた」

 桃絵は、瓶を見た。

「絶対に嗅ぎません」

「賢明だ」

 そう言って、村長はいつものように穏やかに笑った。

「……エルデさんは、全部知ってるんですね」

「長く生きているだけだよ」


 その日の午後、桃絵は雑貨屋の前の石段に座っていた。

 ヘルダの店は、昼を過ぎると少し静かになる。

 買い物に来る人より、話をしに来る人の方が多い時間だ。

 桃絵はスケッチブックを膝に置いていた。

 何を描くわけでもなく、ページを開いている。


 しばらくして、ヘルダが店の奥から出てきた。

「ももえちゃん」

「はい」

「この袋、誰のか書いておきたいんだけど」

 小さな麻袋だった。中には乾いた草が入っている。

「名前を書くってことですか?」

「そう。村の人はみんな自分の袋を置いていくから」

 ヘルダは炭の鉛筆を渡した。袋の口のところに、小さな木札がついている。

「ここに書いてくれる?」

 桃絵はうなずいた。

 木札を見る。少しだけ迷った。

 この村の文字は、まだ全部は読めない。

「……ヘルダさんの名前、どう書きますか?」

「ヘルダでいいよ」

 ヘルダは笑った。

 桃絵はゆっくり書いた。

 ヘルダ。

 ヘルダは木札を見て、うれしそうにうなずいた。

「きれいに書くねえ」

「絵を描いてるので」

「なるほど」

 ヘルダは袋を棚に置いた。

 桃絵は、まだ炭を持っていた。

 そのまま、スケッチブックのページに目を落とす。

 白いページ。

 少し考えてから、炭を動かした。

 ゆっくりと書く。

 桃絵。

 自分の名前だった。

 この世界で、初めて書いた。

 書いたあと、少しだけ不思議な気持ちになった。

 同じ字のはずなのに、どこか違う。

 紙の上の「桃絵」は、日本で書くより少しだけ重い気がした。

 ヘルダが横からのぞき込む。

「それは?」

「私の名前です」

「ももえ」

 ヘルダは声に出して読んだ。

「いい名前」

 桃絵は少し笑った。

「ここでは、まだ誰も書いてないので」

「じゃあ」

 ヘルダは棚を指さした。

「この村で最初の、ももえだね」

 桃絵はその言葉を聞いて、少しだけ考えた。

 スケッチブックを見る。

 ページの上の名前。

 消さなかった。

 代わりに、小さく線を足した。

 桃絵の名前の横に、小さな星を一つ描いた。

「目印です」

「何の?」

「私の」

 ヘルダは少し笑った。

「じゃあ、ももえちゃんは星のついた名前だね」

 桃絵はうなずいた。

 その日から、そのページはスケッチの最初のページになった。


 六日目になると、ミリィの指差す場所に、癖があることに気づいた。

「ミリィって、きわが好きですよね」

「きわ?」

「花びらの端とか、葉の縁とか」

 ミリィは少し考えて、

「そこにいると、両方が感じられる」

「両方?」

「花びらでもあって、空気でもある」

「川も、そうですね」

「そう!」

 羽根が、パタパタ揺れる。


 その日の夜、少しだけ外を歩いてみることにした。

 村長の家の扉をそっと開けると、石畳が月に白く光っていた。

 昼間は人の声が聞こえていた道が、今はとても静かだった。

 風がゆっくり通る。

 昼よりも、草の匂いが濃い気がした。

 桃絵はゆっくり歩いた。

 昼に通った雑貨屋の前を通る。

 扉は閉まっているが、窓の奥に小さな灯りが揺れていた。

 ヘルダはまだ起きているのかもしれない。

 少し先の作業場は暗かった。

 昼間は鑿の音がしていた場所だ。

 今は、木の匂いだけが残っている。

 石畳の上で、靴の音が小さく響いた。

 村は小さい。歩いても、すぐに川の近くまで来てしまう。

 橋の手前で、桃絵は立ち止まった。

 昼間より、川の音がはっきり聞こえる。

 暗い水の上を、月の光が細く揺れていた。

 風が橋を渡ってくる。

 桃絵は欄干に手を置いた。

 この村では、夜になると色が減る。

 昼間は赤い屋根や花の色が見えるのに、今はほとんど白と黒だけだ。

 でも、その代わりに空がある。

 桃絵は顔を上げた。

 星が多かった。昼間見た空と同じ場所なのに、まったく別の世界のようだった。

 しばらく見てから、桃絵は小さく息を吐いた。

 静かだった。怖くはなかった。

 ただ、少し広すぎる気がした。

 桃絵は橋の上を少し歩いてから、来た道を戻った。

 村長の家の前まで戻ると、二階の窓に灯りがついていた。

 村長はまだ起きているらしい。


 桃絵は扉を開ける前に、もう一度だけ空を見上げた。

 星は、さっきより少し増えているように見えた。


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