第36話 試験後、アデリナの独り言
【アデリナ視点】
夕刻の学院の回廊。
白い大理石の床に、沈みかけた陽が長い影を落としていた。
試験が終わって、令嬢達は寄宿舎へ帰っていた。
そんな誰も居ない廊下に、私の靴音だけが響いている。
私は寄宿舎には帰らず、試験のことを振り返っていた。
「殿下が笑ったのは……私じゃなく、あの子の言葉で……」
あの笑い声が、まだ耳に残っている。
殿下がーー微笑まれた。
私ではなく、ポラリス・バルカナバードに向けて。
(どうして……あの子なの?)
胸の奥で、淡い痛みが広がる。
舞踏も、礼も、私の方が完璧だったはず。
姿勢も視線も、指先の角度まで。
ゼナイド様よりも……ポラリス嬢よりも。
なのに、殿下の目が追っていたのは、あの子の笑顔だった。
(何があるの?)
あのとき、光の中で舞うポラリス嬢の姿が見えた。
扇子を開くたびに、空気が柔らかく震えて、風が生まれるようでーー誰もが息を呑んだ。私でさえ。
私よりも完璧ではなかったのに。ゼナイド様ほどの余裕もなかったのに。
なのに、あの子は光を受け取るように自然に笑っていた。
でも、それが悔しかった。
(何が違うの? 何が……足りないの?)
私は聖女を目指している。
誰よりも清らかに、誰よりも誠実に。
努力を重ねて、すべてを整えてきた。
それなのに、”あの子”の無垢な言葉ひとつが、学院全体の空気を変えてしまった。
「……お子様、ですって」
口に出した瞬間、自分でも笑ってしまう。
あの場でそんな言葉を言える勇気ーー
それは、礼法とは程遠い、でも確かに”人の心”を動かす何かだった。
(ポラリス嬢は、何を持っているの……?)
でも私には、もう持てないもの。
完璧さと引き換えに、どこかに置いてきた”自然な笑顔”。
殿下の瞳に映るのは、私の祈りでも、美でもなく、ポラリス嬢の”芯”なのだろうか。
認めたくはなかった。
聖女を目指すこの私が、殿下を手に入れられないなんて。
(でも、私は負けない)
唇を噛み締める。
聖女の冠を、誰にも譲るわけにはいかない。
あの子がどんな光を纏おうと、私はーーその光の中心に立つ。
「殿下が笑われたなら、きっと神もお喜びになるわ」
声に出して、自分を納得させる。
それでも胸の奥では、ざらりとした痛みが消えなかった。
扇子を握る指先に、微かな震え。
笑顔を取り戻して歩き出す。
「聖女になるのは、私」
廊下の端に、沈む夕陽が差し込んでいた。
その光は美しくて、だけど、少しだけ赤すぎた。あのポラリス嬢のドレスみたいに。
影が長く伸びて、私の足元にまとわりつく。
(次は、私の番よーー)
そう呟いて、私は扇子を静かに閉じた。




